https://www.youtube.com/watch?v=m9EC8PUtQ-0
92年、皐月賞。
そのモンスターの名はミホノブルボン。
常識は、敵だ。
馬について*
| 名前 | ミホノブルボン |
| 生年 | 1989年 |
| 主戦騎手 | 小島貞博 |
| CM | 皐月賞 |
2011年皐月賞CMより。
1992年皐月賞優勝馬。
他の勝ち鞍には日本ダービーなど。
父マグニテュード、母カツミエコー、母父シャレー。
その筋力と正確な逃げは坂路の申し子と呼ばれた。
700万円という安価な値段で買われるが、戸山為夫調教師のスパルタ調教を受けて才能が開花。
坂路調教を楽々こなして洗練された筋肉を手にすると、新馬戦では出遅れながらも上がり33秒1という脚を見せつけ、更に500万条件戦でも圧勝し、朝日杯3歳ステークスでは小島騎手が二番手で抑えようとした事でかかり癖が露見してしまうものの鼻差の辛勝。
4歳初戦はスプリングステークス(GII)で、ここではサクラバクシンオーと対戦するも戸山調教師と小島騎手が『吹っ切れた』おかげで凄まじい走りを見せ、2着に7馬身差をつけ快勝。かかり癖を不安視していたファンは思わず沈黙した。
そして92年皐月賞ではスタート直後からカッ飛ばし、「直線よれよれか後ろが溜め過ぎるかでしか勝てない」という逃げ馬の常識を打ち破る圧倒的な走りで完勝して無敗の皐月賞を達成、小島騎手も涙で会見を行った。
https://www.youtube.com/watch?v=XVNd8VTsmYA
更に同年の日本ダービーでも外から思い切って逃げ続け、ペースを緩めずに独走、ライスシャワーとマヤノペトリュースの二着争いを尻目に圧勝し二冠を達成した。ついでにライスシャワーにも連勝した。
更にシンボリルドルフ以来の三冠を狙い、まず京都新聞杯(GII)では『菊近し 淀の坂越え 一人旅』と杉本清氏が一句詠んでしまう程に快勝し菊花賞へと駒を進める。
しかしその菊花賞で遂にみんなの宿敵ライスシャワーが本性を露にする。序盤はキョウエイボーガン、更に後半ではライスシャワー、マチカネタンホイザと熾烈なデッドヒートを展開するも、1馬身1/2という僅差でライスシャワーに優勝をもぎ取られ、自身は二着となった。斯くして無敗の三冠馬は完成されなかった。
その後ジャパンカップ出走を目指していたが故障が発生、その頃恩師の戸山調教師も癌の為に亡くなっている。
故障は併発を重ねて遂に治らず、8戦7勝の記録のまま新世代を見ずに引退した。
関西馬が現在でも強いのはこのミホノブルボンが見せつけた坂路調教の有力性をいち早く取り入れたからとも言われている(その以前から西高東低の気配はあったが)。
引退後、1994~2012年まで種牡馬として活動、しかし有力な後継者はいない。
2012年からスマイルファームにて余生を過ごし、2017年2月22日老衰にて永い眠りについた。
CMについて*
記念すべき最初の『JRAの本気』。
初見のファンに絶大なインパクトを残し、2011年度の方向性を決めた。
これ以降、2011年度中は『20th century boy (T-REX)』に合わせて馬を紹介していくスタンスを取る。
内容は最初という事もあってシンプルながら、逃げ馬の常識を打ち破った彼ならではの『常識は敵だ』という一言が印象に強い。
