ナリタブライアン

Last-modified: 2023-05-26 (金) 07:17:07

https://www.youtube.com/watch?v=G1zQbDxnJ2Y
94年、菊花賞。
ナリタブライアン、七馬身差の衝撃。
群れに答えなどない。

馬について*

ナリタブライアン.jpg

名前ナリタブライアン
生年1991年
主戦騎手南井克巳、武豊 など
CM菊花賞

2011年菊花賞CMより。


94年菊花賞優勝馬。
他の勝ち鞍に皐月賞、日本ダービー、有馬記念など。
父ブライアンズタイム、母パシフィカス、母の父Northern Dancer。
ノーザンダンサー系の血を継いだ『シャドーロールの怪物』


生後しばらくは普通の馬だったが、調教師・其浦三義氏によれば既に瞬発力などの面でを超える逸材であるという片鱗を見せており、大久保正陽氏の厩舎に入厩した時にはその兄がGI出走、2着の好成績を収めていた事もあって注目される。
デビュー戦となる93年の新馬戦で2着となるも、中1週で再挑戦した新馬戦で1着を勝ち取る。その後は、きんもくせい特別や京都3歳ステークスで好走。3歳牡馬の頂点を決める朝日杯3歳ステークスで優勝し、G1初制覇。その年の最優秀3歳牡馬にも選ばれた。
この頃、自分の影を怖がるというかわいらしい性格の問題によりシャドーロールを着けるようになるが、これにより『精神力のサラブレッド』と評される程の高い集中力を発揮するようになる。
翌94年には日本ダービーを見据えてG3共同通信杯4歳ステークスに出走し優勝する。この前日に兄ビワハヤヒデも京都記念で優勝し、兄弟による連日の重賞制覇にファンの期待は高まった。
高いテンションを発散させる為に挑んだG2スプリングステークスでは最後方からのまくりという劇的な勝利を見せる。準備万端で挑んだ皐月賞では、七冠馬シンボリルドルフなどを管理した野平祐二氏に「大人と子供の戦い」と評される程の走りで、レースレコードを叩き出し、クラシック制覇を果たす。クラシック二冠が懸かる次走、日本ダービーも5馬身半差の快勝。クラシック三冠が確実視されるなど、4歳春は向かうところ敵無しのシーズンだった。
ただし体調面でやや不安があったようで、京都新聞杯では懸念の通りスターマンに敗れ2着となっている。
だが菊花賞では体調を整え、三冠への期待から1番人気に支持される。稍重という馬場状態ながらも2着を7馬身も突き放す圧勝で日本競馬史上5頭目、平成初となるクラシック三冠を達成した。暮れの有馬記念も完勝し、最優秀4歳牡馬に選出された。
https://www.youtube.com/watch?v=VQGtEdTaEPc
しかし、古馬となった翌95年シーズンは、初戦の阪神大賞典を圧勝したするも、天皇賞(春)に向けた調整中に右股関節炎が発生し、無念の回避。的場均騎手を鞍上に迎えた天皇賞(秋)でもやはり体調は万全ではなく12着と大敗。コンディション不良の中、出走させた大久保調教師はマスコミや世間から非難を浴びる事となる。
それからは武豊騎手に乗り替わり、ジャパンカップ、有馬記念と出走するもそれぞれ6着、4着と真価は発揮できなかった。
雪辱を誓った翌96年シーズンでは、初戦の阪神大賞典を圧勝し2年連続の優勝。しかし、大目標の天皇賞(春)ではサクラローレルの2着に惜敗する。
そして、なんと次走に選ばれたのは短距離戦芝1200mの高松宮杯。このレース出走は物議を醸し、大久保調教師はまたも世間のバッシングを受ける。結果は4着に敗退する。その後、一度発症した怪我と積もった疲労が万全に解消される事はなく、加えて屈腱炎発症もあって引退。
11月9日には京都競馬場で、11月16日には東京競馬場でそれぞれ引退式を行っているが、関東と関西2ヶ所での引退式はシンザン、スーパークリーク、オグリキャップに続き4頭目である。

種牡馬になると内国産馬史上最高額となる20億7000万円のシンジケートを組む。
しかし1998年6月17日に疝痛を起こし腸閉塞が発覚、一度は手術で快方に向かうも9月26日に再度疝痛を発症、胃破裂に至り、翌日に安楽死処分を施された。

CMについて*

菊花賞に向けて製作された。
黄土色をメインとした背景に、ナリタブライアンの強さがよくわかる端的な台詞が印象的。
2011年はオルフェーブルが史上7頭目となる三冠をこの菊花賞で決めており、三冠馬の先輩であるナリタブライアンの起用はその伏線ともなった。