トニー・カニバル(Tony Cannnibal)(1973年3月25日ー)は、日本の作家、映画監督、映像クリエイター、俳優、ミュージシャン、プロデューサー。クリエイティブ集団ザ・フェッツのプロデューサー。本名非公開。ニックネーム、チャイタン。デジタルコンテンツプロデューサー。
来歴
1973年、新潟市出身。銀行員の親の転勤に伴い、栃木県宇都宮市に引っ越す。妹が二人。中学校の時に新潟市に戻る。
1991年、早稲田大学第一文学部に入学。早稲田大学映画研究会(映研)に所属する。映研では主に監督として活躍する。ザ・フェッツのメンバーであるタマーとジョージ・ネクロフとは、映研でのサークル活動を通じて交流を深める。
1992年1月、共に合宿委員であったタマーとジョージと、冬合宿の下見で長野県野沢温泉村を訪れ、そこでザ・フェッツを結成。
『ザ・フェッツの解放宣言』は同年の冬から春にかけて撮影し、トニーが監督した。また主役の一人として主演した。トニーは高田馬場の船岡マンションに住んでいたが、そこをアニメーションスタジオとして、映画のラストシーンを撮影した。
同年、サークル『宇都宮稲門会』を立ち上げて幹事長となるも、活動実態はなく閉鎖した。
1994年6月、映研同期のO氏と共に、『機動戦士ガンダムの機密 ザ・シークレット・レポート』(1994年、データハウス刊)を早稲田大学ガンダム研究会名義で出版。「大佐」というペンネームで共著した。カバー写真ではトニーがガンダム役、O氏がザク役で写っている。撮影はタマーが行った。早稲田大学ガンダム研究会は、1992年にタマーが創立したガンダム研究サークル『ラ・ゴダール・デ・ズゴック』を引き継ぎ、改組したもの。
1995年、早稲田大学第一文学部文学科中国文学専修を卒業。一学年したには、俳優の堺雅人がいる。
コーエーテクモゲームス(当時は光栄)に入社。デザイン部映像チームに希望して配属される。
1996年、映像チームの拡大に合わせ、ジョージを仙台から呼び寄せる。
アニメ監督の白土武氏や板野一郎氏、TVドラマ演出家の片岡敬司氏に師事する。
『信長の野望 将星録』のゲーム内映像を、日光江戸村で撮影、トニーは絵コンテと編集を担当した。
『七つの秘館』ではゲーム内映像を制作した。EDは咲本美緒が歌う『LOVE GROOVE』に合わせ、ゲーム内映像を組み合わせた。
在職中に社会人映画サークルに参加し、映画撮影を手伝う。
またジョージと共に社会人映画サークル『クラッパーボード』を立ち上げる。
1999年、NTTサテライトコミュニケーションズが提供する衛星インターネットサービス『MegaWave』にて、日本初の自主映画番組『ClapparBoard On The Wave』を配信する。1時間番組で4回配信。
ここで番組プロデュースと旅番組『大仏ゴローの巨大仏巡礼』を制作。巨大仏研究科大仏ゴローとして主演する。『大仏ゴロー巨大仏巡礼』は、ブロードバンドコンテストに入選する。
2001年にコーエーテクモゲームスを退職。神奈川県茅ケ崎市にて、中学からの友人とルームシェアし音楽活動に専念する。横浜駅や茅ヶ崎駅でオリジナルソングの路上ライブを行うも、音楽性の違いからほどなく活動停止。
その後、出版社やIT企業、テーマパークにて、本やアプリ、サービスやイベントをプロデュースしている。
人物
- 幼いときにスーパーモデル(スーパーのモデル)としてランウェイを歩いた経験があり、おしゃれは嫌いではなかったが、大学1年のときにとある洋服店にて半ば監禁される形で高額な革ジャンを買わされそうになったことをきっかけに、ファッションに興味を失う。大学生のときは高田馬場のジーンズショップ『ユーエス・バンバン』で上下を揃えていた。『ザ・フェッツの解放宣言』の中でトニーが着ている黒いコートも黒い帽子も、『ユーエス・バンバン』で購入したもの。現在は上下一式ユニクロか、ワークマンである。
- 自分が住む部屋を「スタジオ」と呼んでいる。
名前
本名は未公開。大学1年の夏休みにアルバイトした、ディズニーのアイスショーにて、外国人スタッフが名前を聞き取れず、「トニー」と名付けたのが由来。カニバルは当時、佐川一政の講演に参加したことから。
出版
『機動戦士ガンダムの機密 ザ・シークレット・レポート』
トニーが早稲田大学ガンダム研究会名義で出版した本。
- 子どものころ『機動戦士ガンダム』を見てはまった。ガンプラはあまり作ったことがないが、小学5年の時に買ってもらったパソコンを使ってガンダムのゲームを作ったり、オリジナルモビルスーツを設計した。中学1年で『機動戦士Zガンダム』を見てさらにはまったが、翌年の『機動戦士ガンダムZZ』を途中であきらめて以降、ガンダムからは遠ざかっていた。
- 映研にデータハウスから『ターミネーター2』の研究本の出版を打診があったが誰も受けず、トニーが『ガンダム』で研究本の出版を打診し、出版につながった。
トニーと映研同期のO氏とで共著。トニーは「大佐」というペンネームで書いている。著者紹介では、ザ・フェッツのメンバーであることを明かしている。【トニーの本名】(大佐)
一九七三年新潟生まれ。ガン研創始者。モビルスーツの操縦を十年来のライフワークとしている。理髪店に行くと必ず椅子をリニアシートに見立てて操縦してしまうヴァーチャル野郎である。人生のテーマは「人の変革」であり、そのためには道化を演じなければならないと考えている。ちなみに大佐の階級はシャアにあやかりたいがためである。
ここだけの話だが、伝説の『ザ・フェッツ』のメンバーでもある。
- 出版不況の始まる前ということもあってか増刷を重ね、のちに新版も発行している。
- これがきっかけとなり、早稲田大学第二文学部の夏期授業として『漫画論』の中の1コマを請け負い、トニーとO氏が講義した。3年ほど継続した。
| タイトル | 機動戦士ガンダムの機密 ザ・シークレット・レポート |
| 発行日 | 1996年6月25日初版第1刷発行 |
| 著者 | 早稲田大学ガンダム研究会 |
| 発行所 | 株式会社データハウス |
『真・トキメモラー伝説 終わらない放課後 きらめき高校1995-1998』
トニーがO氏と共に出版した第2作。
- トニーは光栄に入社後、昼休みは職場の先輩達と編集室でテレビゲームで遊んでいた。ゲーム会社であり、研究という目的もあり、ゲームをすることはむしろ勧められていた。
その中にコナミの『ときめきメモリアル』もあった。 - O氏と共にパソコン通信で知り合った仲間たちと共著した。
- プロモーションとして、当時新宿にあったトークライブハウス『ロフトプラズワン』にて、『藤崎詩織裁判』を行った。ときめきメモリアルのヒロイン、藤崎詩織を攻略するのは難しく、世の男たちをやきもちさせたことを積みとして裁くという内容で、トニーは検察官を演じた。客の入りや評判は悪く、ロフトプラスワンの代表平野悠からは叱責を受けた。作家の渡辺浩弐と歌手の桃井はるこが来場していた。
- 初版1万部を刷ったのみで増刷はかからなかった。
| タイトル | 真・トキメモラー伝説 終わらない放課後 きらめき高校1995-1998 |
| 発行日 | 1997年12月18日第1刷発行 |
| 著者 | ときめきフォーラム |
| 発行所 | 飛鳥新社 |
