インターミッション その三「赤い三騎士」

Last-modified: 2012-05-01 (火) 21:16:47

「ぬるいな」

 

 それが、ドラム缶に素っ裸でおさまる竜馬の第一声だった。
 その声に反応して、戦国武将の刀持ちのように彼へ張り付いている山田整備員が、ドラム缶
風呂――いわゆる五右衛門風呂の現代版――に繋がる、プロパンボンベのハンドルを捻る。
 ガスの火が強くなり、湯を煮立たせていく。
 竜馬が江戸っ子であるのかどうかは定かでないが、彼は非常に熱い風呂を好むのだ。

 

 時刻は夜のはじめ。
 この日、二課は早朝よりボイラーの故障という憂き目に遭い、湯を自由に使うことができな
くなってしまっていた。
 精緻を極めたレイバーを、いとも容易く修理する整備員が詰めている職場なのだから、ボイ
ラー程度すぐさまにでも治せそうなもの、と思われがちだが、あくまで車輌整備士の集いであ
るゆえに、誰もボイラー整備士の免許を持った人間はいないのである。
 というより、ボイラー「程度」などと考えるのは浅はか極まれり、であり、これもまた複雑
奇怪な機構を備えた熱交換器であり、気合でなんとかできるような代物ではない。

 

 いちおう、知識だけなら持った者がいないでも無いが、整備士免許なしに勝手にボイラーを
いじることは労働安全衛生法に対する違反であり、そのようなことは厳格な榊整備班長ならび
に、一番弟子たるシバシゲオ、そして南雲しのぶ隊長と、福島隆浩特車二課課長が許さない。
 特車二課の隊員はれっきとした警察官であり、地方公務員であり、それが国家資格を冒涜す
るなど誰が認めようものか。

 

 後藤警部補のみが唯一「治しちゃえばいいのに」とボヤいているだけだ。期待の眼差しが向
けられた竜馬も、ボイラーは俺も扱ったことがない、とのことで役立たずである。
 おかげで今夜の当直者は、誰も風呂に入ることもできない事が確定だったが……役立たずと
罵られた竜馬が一念発起。
 ドラム缶とプロパンガスを直結した、簡易風呂を設置したのだった。
 狭いものの、これで身体の汚れを取ることができる。だが、ドラム缶風呂など入ったことも
ない現代っ子どもは、熱せられた鉄に地肌を触れさせて火傷しないかどうかなどと怯えたから
竜馬が先頭だってはいってみせることになった。
 本日の新聞を手に取り、くつろぐ。
 見出しにはバビロンプロジェクトがらみの受注のあった工場を狙った、連続爆破事件の様相
を連ねた記事。
 湯船につかった竜馬が溜息ひとつと共に「もう八件目か……」と漏らした。最近、この世界
で警察官をやるのに慣れてきて、少しばかり役が板に付いてきたところである。
 少し前ならば、むしろ爆破するのは彼の方であったということを省みると、こうも人間とい
うのは、置かれた立場によって考えが変わるのかと、筆者も読者も思い知らされよう。

 

「やっぱり例の「地球防衛軍」の仕業でしょうかね」
「恐らくな。まったく、ガキみてえな奴等だ」
「子供は爆破なんかしませんぜ。しかし、ま、レイバー使って暴れる訳でもなし、俺たちには
関係ないですけどね」
「甘くみるな。奴等にとって、特車二課は天敵なんだ。いつ、その矛先がこっちに向くかも解
らねえぞ」
「す、すいやせん……」

 

 竜馬が「俺の腰巾着やるなら、平和ボケは捨てろ」と言わんばかりに睨みを利かせるが、次
の瞬間、表情をさらに強ばらせる。
 山田整備員が恐れおののいた。そこまで竜馬を怒らせるような失言だったのか!? と、あた
ふたしはじめるが、竜馬はそれには構わない。

「離れろ山田! ガスが漏れてやがる!!」
「うぇッ!?」

 

 竜馬が叫ぶやいなや、山田整備員が弾かれた石のごとく明後日の方向へと逃げおおせる。そ
の次の瞬間、どぉーん……っ、という音がけたたましく二課棟と、埋め立て地に響き渡った。
 ドラム缶風呂のあったところから、めらめらと炎と煙が燃え上がり、音と臭いを嗅ぎつけた
職員たちが、すわ何事か、テロリストかと、わらわら集まってくる。
 中でも太田と香貫花がショットガンを勝手に持ち出してきており、あまつさえ現場に駆けつ
けると、誰に許可を求めることもなく撃ち始めたからたまらなかった。
 たぶん、爆煙の理由が事故かテロかとかはおかまいなしに、普段たまったストレスを射撃で
下したいだけだろう。
 だが爆煙の中からの怒鳴り声が、引き金を引くその指を止めた。

 

「俺に弾くれるたぁ良い度胸してるじゃねえか!!」

 怒声と共に、竜馬が爆煙の中から飛び出てくる。
 と、ぶわりと空を舞って怯んだ太田と香貫花に一発ずつ蹴りを見舞って昏倒させる。もちろ
ん素っ裸でだったので、太田には「負けた……」という敗北感と、香貫花には「大きすぎる」
というショックを与えて、である。
 しかしこの騒動も、遅れを取って駆けつけてきた熊耳によって制止させられることになる。

 

「これは……いったいどうしたの!」
「見ての通り、風呂が爆発した。プロパンのチェックを怠ったミスだな」
「……と、とにかくこのままじゃ火災になるわ。泉さん、消化器を持ってきて頂戴! 流くん
あなたは病院に。爆発に巻き込まれたのでしょう!?」
「必要ねえ」
「そういうわけにはいかないわ」
「必要ねえってんだろが。俺はただの人間とはデキが違ぇんだよ。こんなことで二課の人間が
通院したら、またぞろマスコミの餌食になるだけだ。それとも熊耳よ、おめぇ、さらに予算を
逼迫させる理由でも作りてえのか?」
「そ、そうは言っていないけれど……ああもう、解ったわよッ。解ったから前を隠して! 誰
か! 流巡査に着替えをもってきてあげてッ」

 

 熊耳が悲鳴のような指示を飛ばし、さらに野次馬へは「持ち場へ戻りなさい! 勤務中です
よ!」と厳しい態度を示して追い返していく。
 後に残ったのは、裸一貫で仁王立ちする竜馬と、持ち出し許可さえ無しにショットガンをぶ
っ放した馬鹿が二人である。
 始末書はむろんのこと、小一時間の説教では足りない。
 熊耳の目から見て、太田と香貫花は目に余って余りまくるのが現状なのである。ここはむし
ろ、いい機会と捉えてひとつお灸を据えてやらねばならないだろう。

 今日はご意見番の南雲隊長と福島課長、そして榊整備班長が揃って欠席であったから、これ
で自分までもいなかったら果たして、どういう事になっていたかと思うと熊耳は末恐ろしい思
いで一杯だった。

 

・・・

 

「あー……調査の結果、今回の爆発の原因は、かねて懸念されていたプロパンボンベからのガ
ス漏れと判明した。この事故は、いかなる組織のいかなる種類のテロとも無関係の、純然たる
事故である」
「だから、俺が最初からそうだと言ってンだろうが」

 爆発からすこし経って。
 熊耳の迅速なる報告は現在、二課棟に残っている唯一の責任者である後藤にもたらされ、彼
による事故処理が行われることとなった。
 整備班総出での証拠隠滅作戦である。
 とにかく、課長が出勤してくる明朝までには爆発事故の跡を隠蔽せねばならない。幸いにし
て爆発で怪我をするはずだった人間も無事だ。

 

「なお、信じがたいことに当時入浴していた流巡査は見ての通り、無傷である」

 ちらり、と眠たげな横目が竜馬を捉える。恐るべきは爆発に巻き込まれたというのに、その
髪型さえ崩れていない、ということだった。考えてみれば、彼がこの世界に来たばかりのとき
に身につけていた赤いマフラーなども、引力に逆らうかのように空へ空へとふわふわ持ち上が
っていたのだが、髪もまた同じ原理が働いているらしい。

(まあ、なんというか……これがゲッター線とやらの力なのかねぇ)

 後藤は誰にも聞き取られない程度につぶやくと、咳払いをしてから再び口を開く。

 

「以上の事実を鑑み、今回の事故の処理に関してはこれを隊内の扱いとし、今後いっそうの注
意を喚起するにとどめる……ということで、解ってくれるかな? 熊耳よ」
「本当であれば反対したいところですが、プロパンボンベの運用者が流巡査だった、という事
実を考えて承伏します……」
「助かるよ」
「それにしても流くん、あなた本当にどこもなんともないのね?」
「当たり前だ。あの程度で怪我してるようじゃ、ゲッターのパイロットは勤まらねぇんだよ」

 

 憮然として竜馬がつぶやくが、その発言に後藤と熊耳の顔が引きつった。竜馬が異世界から
来た人物であること、そしてそれに関連する情報のすべては、この二人と南雲に海法警視総監
を除いて完全に秘匿されていなければならないのに、あろうことに本人が口を滑らせる。
 なんたる愚か。
 案の定、野明がきょとんとした顔で聞き返してきた。

 

「ゲッターってなに? そういえば、この間もゲッターがどうとか言ってたね竜馬さん」
「おめぇが大喜びしそうなモンだぜ。なんせ空をとぶ。地をもぐる。深海もいける」
「えっ!? なに、なにそれ! もしかして新型のレイバー!?」
「レイバーなんてメじゃねえよ。が、あるいは「この世界」のレイバーも、行き着く先の姿は
同じなのかもしれねぇな」
「うぇ? それってどういう……」

 

「ストーップッ!!」

 せっかく後藤が努力に努力を重ねた、いろいろな人間的存在の詐称をフイにするつもりか、
と熊耳、後藤の両氏は大声で会話を制止すると、二人がかりで竜馬の口を塞いだ。もちろん力
で抑えつけられるわけがないので、彼が何秒不快感に耐えてくれるかどうかに誤魔化しの時間
はかかってくる。
 一生懸命、竜馬の唇を塞ぎつつ熊耳の首がぐるりと野明たちへ向いた。
 いっそ、私の唇で直接塞いでやれば時間も稼げるかもしれないという発想を、それはまった
く別のベクトルで大きな問題が発生するでしょう、と自己否定しつつ。

 

「ど、どうしちゃったんです、隊長もおタケさんも……」
「なんでもないわ、なんでもないのよ」
「どう考えてもなにかあるわね。部下に隠し事は関心しなくてよ、熊耳巡査部長」
「本当になんでもないのよ! ねぇそうでしょう。太田くん!?」

 ぎろり、と熊耳の視線が太田を貫いた。
 彼は権力に弱い。その権力が、となりで訝しむ香貫花を黙らせろ、といっているのだ……太
田は、即座に命令の実行に移った。

 

「い、いやあ香貫花ァ。俺もなんでもないと思うぞぉ」
「何いっているのよ。どう見たって怪しい……」
「そうだ! プロパンがぶっ壊れちまったことだが、おかげで湯が使えん。篠原! 貴様なに
か良い案はないかッ」
「俺にふるかよ。しょうがねえな貸しにしとくからな……うーん。そうだなあ、風呂に入れな
いのも辛いよなあ。そうだ、銭湯でもいくか?」
「勤務中よ。入浴したければ、さっさとプロパンの配達を頼んでくればいいでしょう」
「でもここらに配達してくれるの久保商店だけなんだぜ。あそこ、数がまとまらないと来ない
じゃんかよ。商売っ気なくてさ」
「取りにいかせればいいわ」
「交換するボンベが吹っ飛んでるだろが。まだ二週間は持つ計算だったのに、無理強いして、
怪しまれたら、足が付くかもしれん」
「じゃ、我慢なさい」
「風呂も入れないで気が散っちゃ、任務が勤まらないぜ。それで失敗して、まぁた市民の批判
を浴びて始末書の数が増える事の方が問題だろ。違うか、2号機組諸君」

 

 ニヤリ、と優越の笑みを遊馬に向けられて香貫花と太田が止まった。反論するにも、2号機
組は3号機組はむろん、1号機組に比べても、圧倒的に始末書の枚数が多く、外部はもとより
隊内からも批判の的なのだ。
 実際、それと入浴の有無はそれほど関係なさそうだが、香貫花にしても実はきにかけている
ことだったので、指摘されると弱った。少なくとも警察学校出揃いの1号機組には引き離され
たくないのが、先だって現場を勤めてきた者の気持ちなのだ。 
 さらに進士の吐いた溜息が、それを加速させる。竜馬に尻を叩かれていた時よりはマシにな
ったとはいえ、彼の心労は絶えない。

 

「チッ……解ったわよ。でも移動はどうするの。一番近い銭湯でも、歩いたら四〇分以上はか
かるわよ」
「整備班のハイエース借りようぜ。で、なんかあったら、銭湯までキャリア持ってきてもらっ
て、そっから行けばいいじゃん」
「せ、銭湯から出動するのぉ!? いいのかなぁ、そんなことして……」

 遊馬の言い出した無茶に、ゲッターの話に食いついたはずの野明も、呆れのあまりにそれを
瞬時と忘れ去っていく。他の隊員も同様だった。
 とりあえずのところ誤魔化しには成功したらしい。
 見れば熊耳の額には青筋が浮かんでいたが、なんとか鎮めようとしている。この際、竜馬の
失言を無かったことにできるのなら、それも我慢しようというのだろう。
 そんな熊耳を見て、遊馬は調子にのった。

 

 ――なんかよく解らんが、今日はやりたい放題できそうだ! 

 と。 

「最大の目的は任務の障害を排除することだ、問題あるまい。みんなで銭湯いって、一風呂浴
びて、牛乳飲んで、アイス食って、帰りに上海亭でラーメン食って。うん、決まりだな。どう
です隊長も一緒に?」

 遊馬がこの場の最高責任者に、犯行の共謀を求める。
 その結論は――

「いいんじゃない」

 あっさりとしたものだった。

 

・・・

 

 都内とは名ばかりの、道明かりも乏しい「通路」をワゴンのヘッドライトが照らす。
 ここは特車二課の埋め立て地に程近い、港区某所にある銭湯へ続く道なのだが、道の両側が
倉庫やら倉庫だの倉庫に、ときどき工場の壁、といったモノでみっちりとアリの通る隙間もな
いほどに詰まっており、行き詰まるような閉塞感を感じさせる場所であった。
 そういう立地条件ゆえ、夜などは、ほぼ真っ暗闇に閉ざされるせいか、時折不可解な人身事
故が発生することも少なくなく、本庁は新宿歌舞伎町、渋谷、池袋などに設置を検討している
街頭監視カメラをこのあたりにも設置できないかどうか試行錯誤を続けている最中である。
 そんな道で竜馬がハンドルを捌く。
 クラッチペダルを踏み込むと、旧いコラムシフトのレバーをゴクンと動かした。シフトアッ
プ。変速の衝撃は、ほとんど無かった。

 

「それにしても流さん、何を運転させても上手ですねぇ」

 進士が関心したように吐く。媚びているのとは違う、腹の底からそう思って、というような
口調だった。
 彼らの乗っているワゴンは、今時めずらしいMT仕様だったが竜馬にかかれば下手なAT車より
もスムーズに動くのだ。
 それはレイバー免許(多脚制御機免許)をはじめとして、レイバーキャリアを動かすために
大型一種をも全員が所持する特車二課隊員から見ても、舌を巻きたくなる精度だった。なにし
ろ駐車のひとつから、ミリ単位で正確な位置に車を導くほどだ。大暴れするだけが、竜馬の技
能ではない。
 二課では他に、格納庫での作業にあたるためのフォークリフト技能者や、危険物取扱者も存
在し、また職業柄、自動二輪の免許を持った人間も多い。竜馬はそのすべてに精通していたの
で、先に書いたようにボイラーの修理にも期待されたのだったが……。人間の世界、いつも例
外というものはついてまわるものだ。

 

「進士ちゃん、そりゃ天下の流竜馬なんだぜ、これぐらいあたりまえってやつでしょお」
「……なんでシゲさんまで乗ってるんですか」
「そりゃブチヤマのワゴン貸し出すワケだからね、整備班副主任として、その責任は負わねば
なるまいと思ったわけよ」
「じゃ、お前が運転しろやシゲ」
「いや俺、実はでかい車の運転苦手でさあ。そこは竜馬ちゃんにハンドル握ってもらった方が
確実ってもんじゃない?」

 

 その、勝手についてきたシバシゲオのたわごとに、全員が「お前もサボタージュを敢行した
だけだろ」という突っ込みを入れようとした瞬間。
 ワゴンが急激に速度を落とした。
 がくん、と乗員にショックがかかって、すかさず太田が怒鳴った。

「なにをやっとるんだ流ェ! 褒めた直後にミスをするんじゃない!」
「うるせえ。誰か倒れてんだよ」
「何?」

 

 竜馬の言葉に、乗員の視線すべてがヘッドライトの照らす路面へ集中した。そこには、彼の
いった通りに焦茶の背広に身を包んだ、中年の男らしき姿が伏している。
 それを認めた瞬間一同は、ぱっ、と無言でワゴンの外へ散った。
 後藤が率先し、倒れた男に近づく。気を失っているようだった。
 中肉中背の短髪、白髪交じり。昼間の街中であればいくらでも目に掛けそうなサラリーマン
の風体だが、こんな場所で倒れているには似つかわしくない姿であろう。

 後藤がそれとなく男の背中をすくいあげると、背広を探った。そしておもむろに見つけた手
帳を引っ張り出す……何の迷いもなくその行動に移る様が、彼の歴史を語っていたのだが、そ
のことに気づいているのは竜馬だけだ。
 しかし、出てきたその手帳は彼の所属する「会社」を示すものではなかった。

 

「……公安の刑事じゃないの。なんでこんなとこに」

 いつもの淡々とした様を演じつつも、愛憎入り交じったような色を「公安」の語に含めて後
藤はつぶやく。それに反応したのか気を失っていたはずの、男改め刑事がおぼろげながらも息
を吹き返したのだった。
 目に映ったのは、蛍光色の外側に地味な色ばかりをとりどりと羽織った、妙に眼光の鋭い若
者達……と、中年がひとり。

「あ、あんたたちは」
「特車二課、第二小隊。後藤警部補です」
「特車二課!?」

 

 ――我が危機に駆けつけたのが一般人でなく、同業者だった。それそのものは良くても、悪
い噂ばかり作る警備部のお荷物だったことが傷ついた身体にショックだったのか、再び気を失
いそうになるも、咳き込むことで刑事は無理矢理と気を奮い立たせたらしい。

「おっとっと。大丈夫ですかぁ」
「本庁に、連絡を……たったいま犯人を追い詰めて、連続爆破事件の……!」

 その言葉に隊員一同が身を乗り出す。なぜか太田と香貫花だけ愉快なものを発見した子供の
ごとく表情を輝かせていたが、後藤はふっと片腕を反らしてそれらを制止した。
 刑事が、たったひとりでいま世間を騒がせるテロリストを追い詰めた……普通に考えて、イ
レギュラーだらけの事案だが、なによりかにより、この状態で「追い詰めた」と言い張るのに
は相当の無理がある。
 ということは、だ。

 

「追い詰めてどうしたの? やられちゃったの?」

 少し呆れたかのように後藤がいう。
 警察という組織は己のミスを決して認めようとしないものだが、その意識が末端のひとつた
る捜査員にもしっかり根付いているという醜態が、自分が公安をやめて大分経ったいまも、ま
ったく変わっていない、ということをこんなカタチで再認識させられたことと、自分ならそん
なヘマはしないな、という思いの二つで。
 だが、刑事はそんな後藤の侮蔑は意に介すそぶりも見せず、犯人の行方を述べ始めた。

「犯人は……高性能プラスチック爆弾を携行、早く本庁に連絡を……」
「どんな奴です、特徴は!?」
「右の、脇の下に……赤い斑点が三つ」

 

 その言葉を最後に、男は苦しそうに一瞬首をのけぞらせたのを最後に、再び意識を暗闇の淵
へと落としていった。
 後藤はその背中をやや乱暴へ地へ置く。

「そんな局所的な特徴を述べられても困るよ……あんたホントに刑事なんだろうね……」

 普通、背とか人相とか、頭髪だろうに。性別さえ言わないってどうなのよ。
 ぼやきつつも、後藤は周囲を見渡す。その一面、壁・壁・壁である。ひたすらに建築物の背
がつづいている。
 それを確認するとぐるりとシゲの方へと首を回した。

 

「シゲさん。すまないが、その刑事を病院まで運んでくれ」
「後藤さんたちは?」
「俺たちは犯人を追う。状況的に、ホシはいまこの場を立ち去ったばかりだろう。そして左右
は隙間のない壁つづき。進むか退くかの一本道……だが、俺たちは誰にもすれ違わなかった。
間違いないな、流」

 ああ、と竜馬の応え。
 犯人が闇に溶け込む迷彩をまとっていたとしても、竜馬の眼はごまかせない。その彼でさえ
何もみなかった、というのだから後藤の言葉に間違いはないはずだ。

 

「そして、この道の袋小路には目指す銭湯が一件だけ。先に進むことは物理的に不可能だ」
「それじゃあ……」
「犯人は銭湯へ逃げ込んだ、と見ていいだろうな」
「応援を待って踏み込みましょう!」
「だめだ泉。相手は何件もの凶悪爆破事故を起こしながら、今の今まで袖さえ掴ませなかった
凄腕だぞ。時を移せば、それだけ逃亡のチャンスを与えることになる。それにホシは爆発物を
携行しとる。銭湯の客入次第では、人質も出る」

 

「籠城されたら面倒になるぜ」
「そういうことだ。速攻で決めるぞ。全員、制服を脱いでワゴンへ積め。シゲさんは病院に到
着後、本庁に連絡をいれて状況を説明したうえで、あの銭湯を包囲するように要請してくれ」
「了解しましたっ。御武運を!」

「よし……幸い、こちらは男女混合の隊だ。犯人の性別すら聞き出せなかったのは痛手だが、
男湯も女湯も抑えられる。女湯の方は熊耳に指揮を任せた」

 後藤の言葉に、一同が頷くのだった。

 

・・・

 

 特車二課第二小隊が銭湯に足を踏み入れる。ここは昔ながらの、瓦屋根一軒家のつくりの銭
湯だが、もはや1K・1Rアパートの一室にすらユニットバスが設置される昨今、姿を消していく
一方だ。
 多機能・大規模化したスーパー銭湯や、レジャー施設と化した健康ランドに、やがては駆逐
されるであろう昭和の思い出を現代に残す、庶民が憩いの場。
 それを、あわや惨劇の場にしかねぬ凶悪爆破犯、許すまじ!
 と、隊員の思いは一致団結を見ていた。

 

 一九九八年が現在の世界においては、一九歳の野明でさえも一九七八年……すなわち、昭和
五三年の生まれなのである。
 まだ東京都内にさえコンビニが目立たず、個人商店、駄菓子屋や、豆腐屋が少なくなかった
時代に少年や少女の頃を謳歌した彼らと、それより二回りは年上の後藤にとっては、特別な思
い出がつまった、彼らの人格の一部を形成しているものに違わず、今回の特車二課対地球防衛
軍の構図は単なる職業上の対立にとどまらない。すなわち、個人のアイデンティティおよびイ
デオロギーへの侵犯に対する抵抗および報復である。

 

 住む世界の違う竜馬だけは、そういう思いもなかったが、隊員たちの熱意はひしひしと伝わ
って来、握る拳に力が入る。無駄に熱い連中が嫌いではないのだ。
 後藤を筆頭に、桶を抱えた彼らが小銭を番台に座る老婆の前へと置いていく。密室戦のはじ
まりだ。
 なお今回、現場へ突入するものが男湯班と女湯班に分かれているので、同時間軸における両
者の出来事は別個の文にて表現される。

 

「まずは男湯からだ」
「隊長、さっと見てみましたが爆発物らしきものは見あたりませんね」
「そうか篠原。と、するとやはりロッカーか……犯人を抑えんことにはどうにもならんな」

 

 進士と山崎をのぞき、脱いだ衣服を乱雑に籠へ放った男性隊員たちが、曇ったガラスの向こ
うに待つ犯人を想像して口元を引き締めている。
 中でも竜馬の裸体はすこぶる筋肉質であり、格闘ではそれなりに実力を示す太田や山崎が一
般人の素人に見えるほどだった。彼がいれば仮に銭湯内で格闘となっても、すみやかに犯人を
取り押さえることができるだろう。

(引き込んでおいて正解だったなぁ)

 後藤は竜馬を警官にするための種々の苦労を思い出しつつ、ガラス戸を空けた……と、その
目がぐわりと丸くなった。
 彼の予想としては何人かの先客がそこにいるはずだったのだ。
 しかし、

 

「先客が一人しかおらん……」
「あの目つきの悪ぃ野郎か」
「奴かっ」
「あいつかよ、おい」
「あ、あの人ですか」
「ヒィィ」

 

 六者六様の反応が、先客であるたった一人の男に注がれる。その男は決して巨大ではない。
背中に入れ墨があるわけでもないし、短髪の髪も珍しいものではない。
 並ぶ鏡台の中央に陣取り、わしわしと髪の毛を洗っている姿も普通である。
 しかしながら、その背が放つ雰囲気は、恐ろしく禍々しいものであった。
 少しでも触れれば喉元に噛み付かれ、引き裂かれ、相手の命が絶たれるまで攻撃の手を緩め
ぬであろう、獰猛な肉食獣のにおい。
 それが男湯たったひとりの被疑者のイメージだった。
 しかし、どこかで見たこともあるような、不思議な既視感を覚えさせる男でもある。ふと、
進士がその原因に気づいてつぶやいた。

 

「……なんだか竜馬さんみたいですねぇ」

 そのつぶやきに、竜馬を除いた全員が組立てラインのロボットのごとく「うん」と、一斉に
頷いた。当の本人さえ憮然としつつも、否定できない様子だから、もはや間違いあるまい。
 竜馬が拳の関節を合わせてボクボクと演奏させた。
 たいていの人間は、自分を見るのが嫌いである。

「なんか知らねぇが腹が立ってきたぜ……お前ら、下がってな。あれは俺がやる」

 言って、竜馬は一歩を踏み出した。
 その発言に、血の気だけは竜馬並に多い太田が食って掛かろうとしたが、その口を後藤の手
に塞がれて引きずり戻されていく。

 

「いいから流の言うとおりにしなさいって太田。俺たちじゃ足手まといだ」
「正直、関わり合いになるのは避けたいですしね。ありゃ」
「うん」

 先ほどまで犯人確保にあげていた情熱も、あっという間に虚無の彼方へと放り去る。それが
社会を生き抜かなければならない、大人の知恵というものだ。
 白バイは、時速三〇キロを超過して走る原付を嬉々として捕まえるが、常識外の速度でぶっ
飛ぶ黒塗りフルスモークのベンツは見ないフリをする。
 つまり、そういうことである。
 誰でも我が身は可愛い。

 

 しかし、そんなものとは無縁の竜馬は、木製の桶を手にずい、と浴場へ乗り出した。富士山
のペンキ絵と、たちこめる蒸気が彼を迎え入れるが、それさえも今は一人の被疑者によって支
配されているようだ。
 竜馬はそれをはね除け、さらに敵へと近寄った。
 威圧に対し、威圧が迫る。

 

「……」

 

 隣に立たれたことで、ふいに殺気を感じたのであろう。被疑者の男はチラリと竜馬を見上げ
たが、そのまま興味を無くしたように再び鏡に向き直る。竜馬が、その横の鏡へどすんと落ち
るように座った。
 カランを捻り、桶に湯をためる。
 シャワーなどという軟弱な装置は使わない。男たるもの、熱くたぎった湯を頭のてっぺんか
らザバリとかぶるものなのだ。
 横の被疑者も同じだった。
 シャンプーなど口にするだけで恥ずかしいものなど影も形もなく、固形のごつい石鹸を使っ
ている。シャンプーだってカリウム石鹸だろうなどという屁理屈は無用だ。

 

 終始、無言で洗い続ける。
 だが竜馬と被疑者の間に感電するような電流が流れはじめたのは、火を見るよりも明らかで
あった。
 そのうち、竜馬がぼそりとつぶやいた。

「……おい」

 低く、みぞおちに深い一撃を食らうかのような声。それは動物が歯を剥き出しにし、敵を威
嚇をする動作に近い。
 被疑者がぴくりと反応をしめし、竜馬がつづける。

 

「お前……爆破は好きか」
「……そりゃあ、どういう意味じゃ」

 被疑者の声もまた、竜馬の押しつぶしてくるような威圧を、いとも簡単にはね除けて裏返す
ような迫力ある低音だった。まさしく、同種なのであろう。

「そのまんまの意味よ」
「ほうかい……なら、たまらんのお」
「今まで、何人殺してきた」
「いちいち数えるバカがどこにいよる。ただ、断末魔は好きでなあ。人が死ぬ時の悲鳴が、ワ
シの耳から身体中を駆けめぐるんじゃ……」
「そうかよ。なら、次は」

 

 そこまでの言葉で、ばっ、と被疑者がその場を飛び下がった。全裸だったはずが一瞬で手拭
いを腰に巻き付け、邪魔なモノが邪魔にならないように配慮して、戦闘態勢を整える。
 竜馬も同じだった。
 邪魔なモノが邪魔にならないように配慮してから、顔に狂喜の笑みを張り付けて叫ぶ。

「てめえ自身の悲鳴を聞かせてやるぜえッ!!」

 竜馬のパンチが虚空を切った。当たるとは思っていない、戦闘開始のゴング代わりだ。それ
を受けて、被疑者もまた凄惨な笑みを顔にうかべて、竜馬に踊りかかっていくのだった。
 不思議なことに、銭湯を見下ろしている番台は動かなかった。

 

 そのようにしてはじまった、男同士の不毛な殴り合いは、しかし描写を割愛したい。なぜな
らば銭湯という空間を覗くにあたって、男湯に求められる時間は少なく、それをあえて実行せ
しめた場合の結論はすでに遙か昔、幾人もの偉人が手によって、アセテート繊維の上へ表され
ているのだ。
 二度もむさ苦しい展開を続けることもあるまい。よって、時間は巻き戻り、場面は一方華の
女湯へと移る。

 

「銭湯なんて久しぶりだなぁ」

 チマチマと衣服を畳みつつ、野明が楽しげに漏らす。仕草も体も、家族連れで銭湯へ遊びに
きた少女だったが、そのまるで状況を解していないような姿に、熊耳が目を付けた。

「泉巡査。いまは任務中ですよ、のんきな事をいっているんじゃありません」
「あまりカリカリし過ぎては、被疑者に無用の警戒をさせることにならなくて、巡査部長? 
むしろ野明みたいにナチュラルなスタイルで入るべきね」

 

 そこへ香貫花の嫌味な一言が降りかかる。相手は上司ながらも、顔合わせの時から反りの合
わない同士であり、そして彼女は権威に屈するタイプではなかった。
 熊耳の眉がぴくりと動く。
 だが、そこで押しとどめた。香貫花に比べれば理知的な女なのだ。だからこそ、ノンキャリ
アながらも二八歳の若さで巡査部長をやっていられるのである。
 ただし忘れてはならないのは、それゆえのストレスが比例して膨大である、ということだ。
 もし爆発したら……そう思うと野明は、銭湯の中だというのに身体のそこから冷えるような
錯覚に陥った。

 

「それとこれとは、話が別です! とにかく行きますよ二人とも。中には、凶悪犯が潜んでい
る可能性があります。気持ちだけは引き締めていくように」
「了解」
「りょうかいです……」

 香貫花が率先する。決して熊耳についていく、というスタイルは示したくないのであろう。
 野明は「こんなんで大丈夫かな」と不安になりつつも、ふと、背なか越しに二人の先輩の裸
体を見るにつけて、ひとつの思いが大きくなっていく。

 

(香貫花、スタイルいいなぁ~……やっぱり白人の血が入ってると違うよなぁ)

 目に映す香貫花の肢体は、およそ日本人ばなれしたスタイルだった。出るべき部分が出、引
っ込むべき部分はきっちりと引っ込んでいる。女の目からみても魅力を覚えるほどだ。
 いや、そもそも米系三世で純血の日本人ではないのだから、日本人ばなれという表現は合わ
ないのだが、とにかく、身長も胸囲も典型的な大和民族のそれである野明の非ではなく、温厚
なはずの彼女に嫉妬の火が燃えた。
 さらに熊耳。
 さすがに香貫花には負けるが、羨ましくなる肉付きをしている。警察官として鍛えた身体が
そのまま色気になって出ているようだった。

 

(ちくしょ~。半分ずつ吸い取ってやりたいっ)

 心で地団駄を踏みつつ、野明は二人に続いた。
 が、その二人の背中にぶつかって短く悲鳴があがった。

「シッ」
「ど、どうしたの?」
「周りを見てみなさい泉巡査。こんな僻地に建っている銭湯だからか、先客は一人だけ」
「あっ」

 

 野明と熊耳と香貫花の視線の先に、一人の長髪の女が居た。その視線は、異様な髪の色にひ
たすら集中していた、といって間違いがないだろう。
 なにしろ、その女の長髪は脳天を境目にして、前髪にあたる部分が血のような赤色、そして
片方の後ろ髪にあたる部分は、純白の雪のよう色。相反する二つの色に、はっきりと染められ
ているのである。
 年齢は見た目、二十歳の前後……といったところか。彫りの深い顔だちに、色白の素肌と、
くっきりしたボディラインから、西洋人であるらしい印象を受けた。
 それを燃えるような瞳で睨み付けつつ「不良外国人ね」と、熊耳がつぶやく。多少、香貫花
への当てつけもあったかもしれない。

 

「なんだか下手なバンドメンバーにも見えるわ。あれが犯人?」
「私はウルトラマンに見えるなぁ。色が逆だけど」
「油断はできないけれど、独りだというのは助かったわ。三人で包囲して、それとなく腋の下
を拝見しましょう」
「挨拶でもするのかしら?」
「それがいいわ。私たちは、有休をとって東京観光に来ている田舎のOL、ということにしまし
ょう。泉さん、あなた北海道出身だったわね」
「あ、はい。そうですけど」
「ちょっと訛った感じで話しかけるのよ。いかにも地元の人間というより、幾分か警戒心が薄
れるかもしれないわ」
「なんかヤだなあ……やりますけど」

 

 熊耳に促され、野明がひょひょいと被疑者に近づいていく。どうやら高級なシャンプーをつ
かっているらしく、うっとりするような香りが辺りを包んでいる。どんな銘柄かなあ、と目を
シャンプーのパッケージに移したくなったが、任務を思い出して頭を振る。
 樹脂製の桶をもって、被疑者の隣にちょこんと座った。
 その背後に、熊耳と香貫花がそれとなさを装って、それぞれ腰掛けていく。
 
 野明がシャワーの蛇口をひねる。
 暖かい湯が野明の全身を包み、その温もりが勇気を奮い立たせてくれる。いち、に、さん。
野明はそれを数えてから、口を開いた。

 

「あのぅ」
「……はい?」
「いっいやっ、透き通るような声ですねぇ! お姉サン、なまらキレーだべさ、東京の人かな
って~」
「……」
(まっ、まずい会話が続かない!)

 

 野明があたふたしはじめたが、そこに熊耳の助け船が入る。さも自然な微笑をつくって、上
半身を軽く捻って背後へ向いている。

「やぁね泉さん。いきなり話しかけられたら誰だって驚くわよ、すみませんねぇ、このコはじ
めて東京に出てきたものだから、ちょっとはしゃぎすぎちゃってて」
「はあ……」
「ま、私たちも片手で数えるぐらいしか観光に来ていないけれどね」
「あら私は両方よ」
「そうなの。でも回数が多ければ良いってもんじゃないわよね」

 

 香貫花も負けじと振り向き、演じる。微妙に仲の悪い感じが気持ちの悪いぐらいに自然だっ
たが、それは恐らく部分的に演技でないからであろう。
 長髪ツートンカラーの女が、苦笑いをつくっていた。

「そ、そんで、お姉さんは内地の人?」
「ナイチ……?」
「あ、いや、東京の人ですか?」
「……ええまあ」

 

 そうですよ、と女は言いかけたのだろう。しかしそれは、男湯側から天井を超えて飛び込ん
できた、竜馬の怒号にかき消された。
 すわ犯人と乱闘に!? と女湯の三人は色めきだったが、しかし耳に入ってきた言葉は正反対
を意味するものだった。

 

「熊耳ィーッ!! こっちに犯人はいねぇぞ、そっちだ!! 犯人はそっちにいるぞ! ぜってぇ
に逃がすなァッ!!」

 

 銭湯中に竜馬の叫びが響き渡る。
 瞬間、熊耳と香貫花が跳ね飛ぶように動き、野明を飛び越えるようにして長髪の女を抑え込
んだ。野明も遅れて背後に回る。
 状況を呑み込めないのか、長髪の女が悲鳴をあげた。

「なっ、なになに何なのよッ!? あんたら何するのよっ!!」
「黙りなさい、激発物破裂、および爆発物使用の罪であなたを逮捕しますっ」
「申し立ては法廷でなさいッ!!」
「ちなみに、私たちは警視庁警備部特車二課第二小隊です!」
「特車二課ァ!? ええい、なんで私が特車二課に逮捕されなきゃなんないのよ、放せーッ!」

 

 長髪の女が吠える。その瞬間、バシュン、と空気の壁のようなものが取り囲む野明達を押し
て吹き飛ばした。
 タイルに素っ裸で叩きつけられる三人。幸い、柔道の経験により受け身を取ることができた
が、それでも激痛に悶え、敵の正体に戦慄が走った。
 熊耳が焦る。
 当然だが、人間は衝撃波など出すことはできない。そんなことができるのは、漫画の世界の
住人と、竜馬のような化物だけだ。もっとも竜馬は衝撃波は出せないが、この際そんなことは
どうでもいい。
 こうなった以上は、この女は竜馬と同じく異世界からの使者と考えるべきだろう。
 であれば、自分や香貫花、野明で太刀打ちができる相手ではない。そう思った次の瞬間、熊
耳の喉と舌は自動的に大発声をしていた。

 

「流くんっっ!! 犯人が人間じゃないのッ、私たちじゃ無理だわ!! 助けてっ」

 熊耳のSOS。
 冷静沈着な彼女から寄せられるそれは、まさに緊急の事態である。すぐさまに察知したらし
い竜馬の行動は速かった。男湯と女湯を隔てる壁を跳び上がり、天井の仕切りを足場に女湯へ
と降ってくる。さらにそれへ続く影がひとつ。

「おどりゃ待たんかい! まだ勝負はついてねえぜ!!」

 男湯の被疑者、広島訛りの男だった。恐るべきことに竜馬と互角の格闘を繰り広げる内に、
挙げた腕には腋に何もなく無実であることが判明した一般市民らしき者だ。
 むしろ捕縛すべきは、爆破犯よりもこちらの方である気もするが、罪状の証拠がないのでそ
れは難しい相談である。あっても難しそうなのが問題だ。

 

「もうてめえに興味はねえんだよッ」
「それで女風呂へ進入けぇ!? そんなド変態は日本にいらん、ワシが成敗しちゃる!!」
「うるっせえ! これも任務なんだよッ!! ……熊耳! 犯人はどいつだッ」
「そこの長髪よっ。衝撃波みたいな術を使うわ、たぶんあなたと同類っ……」
「同類扱いするんじゃねえ!! 広島野郎、こうなりゃ手伝え! 敵は人間じゃねえんだっ! 
逮捕したらあとでたっぷり死合ってやるからようッ」
「おどれ警官か!?」
「そうだ、俺は特車二課の流竜馬だ!」
「そうか特車二課か! ならええじゃろう、この岩鬼将造が手をかしちゃるわい!」

 

「うぎゃああっ!?」

 

 野明たちを吹き飛ばした女に、竜馬と広島訛りの男改め、岩鬼将造が飛びかかった。真っ先
に岩鬼将造の蹴りが見舞われるが、異常な固さの肌に弾き返される。

「固ぇ!? なんじゃこりゃあっ」
「そうか「生体防壁」持ちかっ。隼人に聴いたことがあるぜ、そういう能力を持ったインベー
ダーが過去に存在していたらしいとなっ。おもしれえ、ぶち破ってやる!!!」

「いっ、痛いぃぃ! なによこいつら、地球人じゃないの!?」
「俺は流竜馬だッ!!」
「ワシは極道兵器よ!! くたばれ!!」

 

 まったく問答になっていないことに、女の顔が恐怖にひきつる。迫り来る二人、いや二匹の
鬼は、今まで相手をしてきた、どのような異星人をも上回った化物であることを確信させたか
らだ。
 彼女はこの場において確信する。
 地球人は危険な存在だ――!
 と。
 だが。

 

「ま、待って! 流くんっ。そいつ、いや、その人も犯人じゃない!!」

 熊耳の声が、竜馬を押しとどめた。岩鬼将造の動きもそれにつられて止まる。

「なんだと!?」
「そうよっ。あなたたち、警察だかなんだか知らないけれど、勝手に犯罪者扱いしないで!」
「今、見えたわ。右の腋の下に、なにも無い。とても綺麗なものだわ!」
「バカな! 男湯にはこの広島野郎しかいなかったんだぞっ。こいつも脇の下にあったのは太
ぇ毛だけだっ」
「ここにもいたのは彼女一人よ」
「え、いったい、どういうことなんだろ……」

 

 一同、唖然となる。
 男湯にも女湯にも犯人はいなかった。では、いったいどこへ逃げおおせたというのだ。
 その疑念が場に渦を巻いて起こり、若い異性同士がお互いほぼ全裸で向かい合っている、と
いう状況にもかかわらず、もはやなんら性的意識を抱いていない。
 一種の恐慌状態といえた。
 そんな中で、香貫花がハッと何かに気づくそぶりを見せる。

 

「番台……そうだわ、番台のお婆さん! 刑事は犯人が老人ではないとは、一言も言っていな
かったじゃないッ。きっと本物の番台を殺すなり縛るなりして隠して、堂々と居座っていたん
だわッ」
「し、しまったッ!! だとすれば、今ごろ騒ぎを聞きつけてっ……」
「追うのよ竜馬! こうなった以上、絶対に私たちの手でケリをつけなければッ」

 

 一同がすわと総立ちになり、入り口へ怒濤の波となって押し寄せる。さらに男湯に残されて
いた連中も、竜馬たちの会話を聞き届けたのだろう、やはり波となって来た。全員、服を着て
いないのだが、もはや誰もそんなことを気にしていない。
 そして見れば、コソコソと正面口から脱出しようとしている、番台に座っていた老婆の姿が
そこにあるではないか。手には怪しげな黒いバッグ。
 犯人に間違いあるまい。

「後藤!」
「解った。総員、突撃! 犯人を確保せよ!」

 

 後藤の号令に、竜馬をはじめとした特車二課の総員と、岩鬼将造なる竜馬と喧嘩して無事だ
った男に、髪の毛の色が赤と白にセパレートされた女が逃げ出した老婆を追った。
 這い出た外ではシゲの通報が間に合ったのだろう、投光車をはじめとして、警察車輌が銭湯
へ集い、鉄壁の包囲網を敷いていた。
 投光車が、逃げ出した老婆の姿を捉える。
 だがまだ諦めないらしい老婆は、表情を引きつらせながらもおよそ外見からは考えられもし
ない速度で駆け出した。
 その様を見たシゲがつぶやく。

 

「連続爆事件の犯人は、ババァだったのかよ。世も末だなこりゃあ。って、中の連中はどうし
たんだ……ろ…………」

 つぶやいた次の瞬間、彼は石像と化する。なぜならば、駆け出した老婆を追って、銭湯の中
から竜馬たちが恐るべき勢いで飛び出てきたからだ。むろんただ飛び出してきたのではない。
彼らは揃いも揃って、素っ裸であったのだ。息も白くなる寒空の元だというのに。
 しかも何があったのか、特車二課とは無関係な人間が二人ほどくっついて来た。そう。さき
ほど竜馬と喧嘩した岩鬼将造なる男に、長髪の女である。もちろん彼らも素っ裸だ。
 局所を隠している者など一人もいない。
 どうやら全員、理性が飛んでしまっているらしい。

 

 ショッキングな光景に固まったシゲは、思考を放棄し、視線でだけ女性陣を追うという本能
的欲求にのみ身を任せることにした。
 竜馬の怒号が聞こえる。

「確保ーッ!! ババアの右腋下、確かに赤い斑点三つッ!!」
「と、年寄りを虐待するなああッ」

 

・・・

 

 犯人の老婆は連行されていった。
 一連の爆破事件の動機は、時間をかけて問いただされることであろう。素っ裸だった連中も
やっと我に返り、服を召して、さらに後藤が番台の下から拘束された本物の番台主を発見した
ことで、特車二課が関わった事件で負傷者がゼロという、奇跡的なカタチで幕は閉じられたの
だった。

 

 ところで竜馬と闘った部外者、岩鬼将造のことだが、なんと彼は西日本を配下に納める岩鬼
組の頭領であったことが発覚した。
 しかし、これはまずい。
 このまま彼が参考人にでもなれば、東の警察と西のヤクザが余計なイザコザを巻き起こしか
ねない、と憂慮した後藤の計らいにより、岩鬼将造は拘束されることなく、うまく現場から逃
走せしめた。竜馬との再戦を約束して、だ。
 そして、もうひとりの部外者である長髪の女はどさくさにまぎれたのか、いつの間にか姿を
消していた……。
 爆破事件の犯人ではなかったものの、人外の力を発揮した存在を取り逃したことを熊耳は気
に掛けていたのだが、竜馬の「気にしなくていい」という発言を、とりあえず信用するに決着
した……ただし、それにはひとつのワケがあった。

 

 竜馬は回想に、脳裏に横たわる映像を巻き戻す。

 犯人を確保して一同がほっと一息ついた際、竜馬は独り銭湯内に戻って牛乳瓶を売店のケー
スから取り出していた。番台の老婆も外に出て行ってしまったので、とりあえず小銭を番台に
置き去りにして、ボイラーの音しかしない空間で封をあけたときのことだ。
 ふ、と背後に気配がし、竜馬がばっと振り向いた。
 そこには、あの長髪の女が立っていたのだ。

「てめえ、いつの間に」

 

「改めましてこんばんは。私は宇宙連邦捜査官バーディー・シフォン=アルティラ。気が動転
して忘れていたけれど、私はあなたを追っていた者です。まさかこんな場所で会えるとは思っ
ていなかったわ、流竜馬。ゲッターロボの……」

 

「なんだ小娘。俺とゲッターを知っているのか。ってことはやはり「この世界」の者じゃねえ
な。いや、人間でさえあるのかどうか」

 

「ご名答、私はアルタ人です。「アルティラ」という言葉が示す通りに、ね」

 

「俺に何の用だ」

 

「あなた、というよりもゲッター線に用がある、といった方が正しいかしら。警告するわ、流
竜馬。ゲッター線から手を引きなさい。さもなくば、未来の時空において、あなたは宇宙を、
すべての時空を食いつくさんとする悪魔になってしまう」

 

「なんのことかさっぱり解らねぇぞ。だいたい俺は、月面一〇年戦争からこのかた投獄されて
いて、気づいたらこんなところに居る有様よ。それがどうして宇宙の悪魔になるってんだ」

 

「……今のあなたには解らなくて当然。私がいっているのは、遙かなる未来の時空に存在する
流竜馬の成れの果てについて、の事だから。
 その未来において、ゲッター線は宇宙の脅威になっている。ゲッターエンペラーという、最
強最悪のカタチとなって存在することでね。
 連邦のごく最近の、時空調査で判明したことよ。もう大騒ぎだわ。まさか地球人があんな恐
ろしい未来を作るなんて、誰も思いもしなかった」

 

「ゲッターエンペラー? なんだそりゃ……」

 

「ふふ、あなたは嫌でもいずれ、その存在を知ることになる。連邦も地球を危険視し始めてい
るわ……でもね、私は地球人の良さをよく知っている。だから思い直して欲しい。私は地球が
滅ぶのも、地球人が他の星を滅ぼすのも見たくはないわ」

 

「ワケのわかんねえこと言いやがって。安心しろ、どっちにしろ、俺はゲッターの親玉は、真
ドラゴンはぶっ潰すつもりだ。だが、てめえが俺の邪魔をするというのなら」

 

「……私は今回、この時空にゲッター線の発生を感じ取って派遣されていたの。大丈夫よ。戦
うつもりはないわ。私はあくまで警告に訪れただけだから……その結果を、上層部に報告をす
るだけ」

 

「待て、どこへ行く」

 

「女湯。あなたたちに邪魔されちゃったから、もう一回ゆっくり入り直してから帰るわ」

 

「……ひとつ聴いておくぜ。お前は俺の敵か、味方か」

 

「そういうスケールの話ではないのよ。もし、あなたがゲッター線との関わりを断ち切らなけ
れば、いずれは私たちの子孫も、あなたと戦うことになる。他の惑星の人々も、すべて、あな
たと戦うでしょう。
 もはや個人間の争いなどではない。ゲッター線という恐るべき侵略者と、それを食い止めよ
うとする者たちの果てしなき戦争の日々。それは、まさしく地獄といっていい世界だわ。
 だから、私はそうならない事を祈りたい。
 さようなら流竜馬。「この世界」では、もう会うこともないでしょう。願わくば、地球人が
ゲッター線の呪縛から解放されんことを」

 

「……」

 

 竜馬はバーディー・シフォン=アルティラとの対話を回想し終える。
 ゲッターロボが、ゲッター線が宇宙の脅威? 果たしてどういうことだ。それほどまでの力
をゲッター線は秘めている、というのだろうか。
 だが、仮にそうだったとしても今は使わねばなるまい。インベーダーを倒すには、ゲッター
の力を使うしかない。元の世界に戻るにしても、やはりゲッター線に頼らねばなるまい。
 その向かう先が、異星人との戦いになるのなら、それは避けようのない事だ。この世は弱肉
強食。進化の掟。結局の所、弱い者に生きる資格はないのだから……。

 

「悪い女じゃあ、なかったがな」
「りょ、竜馬さんッ。それセクハラっ!! セクハラだからッ!!」

 帰りのワゴンの中、竜馬はふっと黄色い声をあげ続ける野明に現実へ引き戻された。どうや
ら年若い彼女は、今更になって銭湯での痴態を思い返して身もだえていたらしい。
 熊耳と顔をあわせても若干、顔が紅いが、反面、太田と山崎をのぞいた男性陣は、非常に良
い思いをした、眼福であったと顔面がホクホクしている。
 平然としているのは香貫花だけだ。西洋人の血が流れているだけあって、割と性には奔放な
のかもしれなかった。
 そんな中で、隣席の熊耳がか細い声を竜馬に投げかけてくる。

 

「あの、流くん?」
「なんだ熊耳」
「やっぱり見た?」
「見た」

 竜馬はなにをだ、と聴こうと思ったがその前に口が動いた。いまはとりあえず、思考するの
が面倒くさいのである。

「あら、そう……」

 ゆえに俯く熊耳の表情をもまったく気に掛けていなかったから、彼女が竜馬の態度を素晴し
く堂々としている、と勘違いを加速させているのにも、やはり気づいていなかった。

 

表題へ 真ゲッターの竜馬がパトレイバーに乗るようです
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