出撃! ネオエヴァンゲリオン!01

Last-modified: 2023-09-12 (火) 07:58:09

【出撃! ネオエヴァンゲリオン!】

 

 ゴングの音が響く。
 それ以上に歓声が騒ぐ。
 血を。暴力を。飢えを満たす無残な死を。
 自らの手を汚さぬ「善男善女」の残酷な要望に嬉々として応え、トウジはウイニングポーズとして片腕を上げてみせる。
 イヤな奴らだ、と思いながら。
 血が欲しいなら自ら流せばいいものを。
 暴力を欲するならば自らここに立てばいいものを。
 しかし連中は自らは汚れず、痛い思いもせず、のうのうと、旨い酒や料理を味わいながら「他人」の死を愉しむ。
 まあ、そんな連中のお陰で自分は稼がせてもらっている訳だが。
 どうやら、人間という生き物は忘却の生き物なのだろう。数年前の使徒襲来、その時にもたらされた「被害」を忘れ、暴力に酔いしれる程度には。
「まあ何でもええわ」
 今日の勝利は明日の生活に繋がる。その為なら自分の痛みなぞ安いものだ。
 いや、何より。
「何でもええわ。こいつをもろたら明日は」
 そう、見舞いに行こう。花と、ケーキでも買って。柄ではないが。
 しかし、真剣だが安っぽい感傷に浸る間は与えぬとばかりにリングアナの声が聞こえる。
「次の挑戦者は」
 まあ何でもいい。勝てばいいだけの話だ。
 勝てば金が手に入る。きょうだいを飢えさせずに済む。
 それ以上に「自分は生きている」と実感できる。やはり血が騒ぐ。
「あの時」戦えなかった無念を忘れられる程度には。トウジはリングに上がり、笑っている。

 

 かち、と微かな音が鳴った。聞く者は「ここ以外」にはいるまいが。
「司令、こちらにいらっしゃいましたか」
 若い女は言い、かつ、と靴音が二つ鳴った。聞き留める者もないだろうが。
「遅刻よ、マヤ」
 司令と呼ばれる、こちらもまだ若い女は薄く笑う。髪の紅さは情熱的にも見えるだけに、その笑みのまさに酷薄さは特筆に値するほどに。
「申し訳ありません……『彼』にお気付きでしたか」
「それなりにはね」
「司令、ご覧になりますか」
 マヤと呼ばれる女、その後ろからはこちらも若い、しかし男が現れる。彼は眼鏡の位置を少し直しながら一礼する。
「例の調査書?」
「シゲルからです。『彼』、鈴原トウジの調査報告書を」
「司令」はありがとう、と言って受け取る。
 ゴングの鋭い音が聞こえた。
 無責任に囃し立てる声が高まった。
 いい気なものだ、と思いながら「司令」は書類を受け取る。たぶん読まないだろうが。
 紙に書かれる字の「情報」なぞたかが知れている。そんなものより目の前の事実の方がたぶん価値がある。
 単に司令という義務で受け取るだけのそれを一応程度にめくり、歓声が悲鳴に変わるのに気付いた。
「何?」
「司令!」
 マヤの声はやや上ずっていた。
 マットの上で、トウジは思わず笑ってしまっていた。
 もちろん外見と実力はイコールではない。しかし往々にして比例する。
 だから、上着の上からも判るほど、あまりに貧相に過ぎる「挑戦者」が現れた瞬間、笑ってしまった。
 大きいのは上背だけで、汚い上着からわずかに見える手足はひょろひょろすぎる。それに肌の色も悪い。
 敵じゃない、と思った。
 しかし動きは素早く、そしてせっかちだった。ゴングが鳴る前に襲い掛かってくる程度には。
 トウジも避けようとしたが、やや間に合わなかった。頬が薄く裂かれて血が滲む。
「いっ、てー……早い男は嫌われるんやで、オッサン」
 本当にオッサンかどうかは判らない。しかしトウジは見た。「対戦者」の唇がにい、と釣り上がるのは。
「こいつは敵だ」。そはう思うだけで体が熱くなる。血が滾るのが判る。
 金は欲しい。きょうだいは護りたい。
 しかし、それ以上に「戦いたい」。そして「生き延びたい」。その欲望が全身の血管伝いに駆け巡る。
 今更の用に響くゴングは蛇足だ。その以前に「挑戦者」の、それ以上にトウジの体が動いた。
 上着が舞い上がり、わっ、と観客が沸く。
 駆け、突き、掴もうとする。その全ての動きはあまりに速く、だが悪い意味で「眼の肥える」連中はそれを追う。
 血を、血を、血を! その欲望を露わに無責任に死を求める。
 トウジはもう観客の声なぞ聞いていない。ゴングの向こうの「世界」なぞ気にも留めない。
 ただ目の前の「敵」を倒す。ただそれだけ。本能と言っていい。
 ただ戦う。おのれの為に。全身の細胞の一つひとつさえが叫び、吠える様に。
「挑戦者」が吠える。
 トウジが吠える。
 勝敗は一瞬だった。「挑戦者」の懐に入ったトウジの容赦のない右フックが肝臓の位置を直撃し、「挑戦者」は口から液を吐く。
 トウジは気付いた。吐き出された液は赤くもなく、黄色くもない事を。
「な、んやこいつっ!」
 吐き出された液は青に近い色をしていた。「血」というより「体液」だ。
「違う」と判った。こいつは人間じゃない!
 砂被り席の観客も気付いたのか、悲鳴を上げる。
「挑戦者」は獣を思わせる四つん這いになった。フックのダメージの為かもしれない。
 しかし変化は唐突に起きた。

 

涎を思わせる、しかし色の違う液がぼたぼた滴ってリングを汚す。
 ぱき、ぺき、と骨の折れる様な乾いた音と共に体が波打つ。
 交錯に潰れたはずの眼がかっ、と見開く。
 縦長の瞳孔。爛々と文字通り輝く虹彩。
 それ以上に「素情」を語る肌には明らかに金属質の光沢が浮かび、何より、大きく裂けた胸部には真紅の「珠」。
「お、まえっ、使徒かいな! 5年前に滅んだはずやろっ!」
 観客がそれと察して出入り口に逃げ、「挑戦者」は嘲笑う様にトウジに襲い掛かる。
 ひょろ長い腕には恐ろしく長い爪が閃き、かすめただけでも只では済むまい。
 トウジは反射的にリングから飛び降り、背後からの一閃はリングのロープを切り裂いた。後ろから聞こえた「声」は悲鳴かもしれない。
 飛び降りた勢いでパイプ椅子を掴み、振り返る勢いと勘で殴りかかる。
 ロープのダメージに怯んだらしい使徒の腕を払い、がちっ、と金物の音が鳴るのが判った。
 だが腕が、爪が伸びる。こちらに進む。
 ち、と舌打ちしつつ椅子を投げつける。もう少し怯んだらしい。勢いで突進、今しも降りようとしたリングに後頭部(たぶん)を打ちつけさせた。

 

 最初は悲鳴を上げたもののマヤは、若い男もまた護身拳銃を抜いて援護に向かおうとする。
 しかし「司令」は片手の動きでそれを制した。
「なぜです、助けてやらないと!」
「必要ないわ」
「司令」の微笑みは美しいだけに酷薄さが増す。その事を若い男、マコトは「イヤというほど」知っている。
「人手を借りなきゃ生き延びられない様な『普通の人間』なんて要らないもの。あの程度で死ぬなら、今、死なせてやる方が親切よ」
 微笑みの凄艶さにマヤの瞳は一瞬潤んだ。
 トウジの体から滴る血は赤い。
「挑戦者」使徒の体から噴き出す血は青い。
 5年前のセカンドインパクト、その頃にまとめられた報告書では【ヒトと使徒のDNAは酷似している】との報記述もあった。
 しかし両者の血の色は違う。それは異種族の共存を真っ向から否定する何よりのファクターである様に。
 だが、今のトウジそして使徒には関係ない。「生き残る」為には。
 トウジはとっさにゴングを掴み、ハンマーも奪って使徒に馬乗りになる。両手に持つそれで滅多矢鱈と使徒を打ち据える。
 かーん、ごん、かーん、ごん、と試合を告げるのに似た音が規則的かつ滑稽に響く。
 使徒の「口」からぐばっ、と青い血が噴き出す。
 トウジは口に溜まった血を吐き出し、ゴングを据えていた台に駆け寄ると腕を回す。
 渾身の力で床から引き剥がし、使徒めがけて振り下ろした。
 炒め鍋を床に落とす様な、ただし、やたら大きな音が短く鳴った。
「悲鳴」も少し鳴ったかもしれない。聞こえなかったが。
「ちっ……二度と来んなや」
 吐き捨てるトウジは気付いた。誰かが拍手している。
「お見事ね、鈴原トウジくん。あなたの戦いぶりは『誰かさん』を思わせて、とても素敵よ」
 微笑む赤毛の女は美しいと言える。しかし眼が全く笑っていない。何より、言葉口調があまりにも人を小馬鹿にしすぎている。
 女だから、と甘く見る気はない。反射的に叫んだ。
「あぁ、何やこのオバハン。ええ歳こいてミニスカスーツやて、うわ痛い」
「何ですって、このクソガキ! ホント、アンタのそういうところ『あのバカ』そっくり!」
 こほん、とマヤの咳払いが聞こえる。「司令」はぐっ、と息と言葉を飲んだ。
「……鈴原トウジね」
「人に名前を訊く時は自分から言うもんやでぇ、オバハン」
「……私はアスカ。惣流・アスカ・ラングレー。これから先、アンタに地獄を見せる女よ」
「地獄やてぇ? 寝言は寝てから言うもんやで」
 ふわっ、と動く「司令」アスカの動きは舞踊に似ている。
 ぐっ、とトウジは呻く。
 一瞬だった。アスカの動きはトウジを圧倒し、いとも簡単に効き手を背後に捩り上げ、動きを拘束した。
「な、にしくさるワレェ!」
 骨が軋む。「女に」捩り上げられているだけなのに動けない。
「綺麗なだけの只の女」じゃない。それがはっきり判った。
「鈴原トウジ、5年前の使徒襲来で親を失い、以後、闇プロレスで荒稼ぎして幼いきょうだいたちを養っている……アンタ、使徒を見てどう思った?」
「どう、て……連中は滅んだて、ニュースで見たで」
「アンタ、そこまでバカ? じゃあ、今、アンタがぶちのめしたアレは何? 理論と結果が食い違っていれば、正しいのは【結果】よ」
 使徒は滅んではいない、と。その「現実」はようやくトウジの脳髄に浸透する。
 使徒は滅んでいない。街を破壊し、人々を蹂躙し、トウジの両親を死に追いやった「敵」は。
「……使徒が何で生き残ってんのや。あん時、エヴァ何ちゃら言う連中が使徒を」
 言い切る前に、ずうん、と音が鳴った。
 続けて、足元が大きく持ち上がった。
「ぐえっ!」
 トウジは無様に転げ、アスカは手を突くだけで何とか堪える。
「司令、通信来ました! パターン青、使徒です!」
 マヤの一声に、ち、とアスカは舌打ちする。
 トウジのまなじりがぎりっ、と釣り上がる。

 

「何で使徒がおるんねん!」
「それが判ったら誰も苦労しないわ! 鈴原トウジ、家族の仇を討ちたいなら戦いなさい!」
「た、たかえて言われても、ワイは」
「本気で戦いたいなら『力』をあげる。戦えるだけの『力』、エヴァンゲリオンを!」
「その名前」は知っている。5年前、ヒトに与えられた圧倒的暴力を払拭する力。だが。
「エヴァは……壊れたやろ……」
「ええ、最初のエヴァはね」
 地面が跳ねる。マコトの悲鳴がした。
「御托はいいわ。さっさとおいで!」
 こっちです、とマヤの声が促す。トウジはアスカに命じられるまま走った。

 

 トウジはうげっ、と口走ってしまった。
 やたらでかくて黒いトレーラーがこちらに走ってくる。それは構わない。
 しかし交通規制が入ったらしい一般道を、しかも緊急停止させられた一般車両を跳ね飛ばしながら、こちらに向かってくる。
 最初は気の毒だと一瞬考え、しかし、ベンツだのBMWだの、いわゆる高級車両が何台が跳ね飛ばされるさまは「ざまぁみろ」と思えた。
 今更の様に「緊急車両が通るから避けろ」と若い男の声がスピーカから聞こえるが、無意味すぎて笑えた。
 よく考えずとも、この辺りに来るのはさっきの観客の様な連中ばかりだ。金を持っている卑怯者、ならば車が何台潰れようと構わない。
 停車寸前、トレーラーは駄目押しの様に赤いポルシェを引きずって潰した。運転手が逃げられたのは幸いだろう。
 トレーラーから若い男が顔を出し、腕の仕草で招いているのが判った。
「司令、お待たせしました! スタンバイ完了、いつでも行けます!」
 アスカは頷き、トウジに顎をしゃくる。
「ついて来なさい」
「ついて来ぃ、言われても」
「来ればいいわ……私じゃもう巧く行けないから」
 腕を引く。
 トウジは訳も判らぬままトレーラーに上げられ、暗く狭い「道」に引き入れられる。
 肩がひやっとする「壁」に何度も当たる。
 そのうち、ようやく明るくなった。
 狭い。そして「天井」が低い。
 訳の判らないランプが幾つも点滅し、アスカはシートに座る。トウジはその後ろにしがみつかされた。
「アンタ、ドイツ語は判る?」
「ドイツ語て言うと……バームクーヘン?」
 アスカは嘆息し、両手でそれぞれ何かのレバーを握る。
「……思考シークエンス、及び言語を日本語に設定。システム起動」
 ぶん、と低い音が唸る。
 シートの真正面に金属の「風景」が映る。テレビみたいだ、と考えるトウジに罪はない。きっと。
【オペレートサイド全システム、オールグリーン。いつでも行けます!】
 トウジは名を知らない男、シゲルの声が促す。
 アスカはレバーを握る腕に力を込める。
「トリガーオープン。ネオエヴァンゲリオン、発進!」
 トウジはひー、と情けない声を上げた。
 ジャンボジェットの離陸時は約1Gの力がかかるらしい。つまり自分の体重と同じくらいだ。
 しかしアスカの宣言の瞬間、まずは足元がぐるっと掬われ、続いて、体重の数倍に思える力が斜め方向から襲いかかった。

 

 くくるぅ、くくるぅ、と高く聞こえる音は使徒の鳴き声なのかもしれない。
 トレーラーの天井を跳ね除け、踏み潰しながら、藍色の巨人が立ち上がった。
 目の前に立ちはだかるのは、ヒトと似た黒い肢体(ただし、馬鹿でかい)に白い「顔」鳥の骨にも似た、うつろな眼窩めいた穴を
二つ持つ異形。
 かつて「サキエル」と呼ばれた使徒が再びそこにいた。

 トウジが「何が起きたのか」理解出来なかったのは無理もない。
 アスカが「力」と評した巨人、藍色のネオエヴァンゲリオンと呼んだ巨人は、厳密には5年前のエヴァンゲリオンではない。
 ネオエヴァンゲリオンとはある意味、人間の欲と業の代弁者にさせられたモノだから。

 

 5年前の最終決戦時、綾波レイ搭乗する零號機はコアの強制解放によるエネルギー暴走を引き起こし、諸共に使徒を葬り去った。
 人類を脅かす異形の驚異の放逐は、しかし平和の再来とは行かなかった。
 戦争当時、武器そして戦技開発に携わっていた者の何割かは使徒の謎の解明が為されない事を理由に、
エヴァンゲリオンの再開発・再保有を強硬に主張した。
 国連は諸々の事情を鑑み、幾つかの条件を与える事で可決した。そこに幾つもの政治的思惑が関わった事を否定する者はない。
 条件の一つは、再開発もしくは新開発するエヴァンゲリオンにはS2機関、及び、それに類するエネルギー機関を搭載しない。
 一つは、現行エヴァンゲリオンからダミーシステムそして人工筋肉を取り去り、メカニカルな=現代科学で理解できる範囲の機構に変更する。
 そして、最後の一つ。従来のパイロットである全チルドレンの合法的拘束。
 つまり、生き残ったサードチルドレンなる碇シンジ、セカンドチルドレンなる惣流・アスカ・ラングレーのパイロット解任。
 事実上、二人は「それまでのエヴァンゲリオン」から全てを奪われる事になった。
 もちろん、それ以上の戦争が起きなければ問題は何もない。全てはいつかは笑い話になったはずだ。
 しかし、ほんの少し前。エヴァンゲリオン計画で預言されていた、当時から与太話と片付けられていたいわば「迷信」が現実化してしまった。
 すなわち、使徒の再来である。
 死海文書に記されていた「約束の日」の真の意味が解読され、新たな使徒の出現が確実となった時、
国連の条件、判断は人類にある種の危機をもたらした。
 新造された新たなエヴァ、ネオエヴァンゲリオンを乗りこなせる者がいなかったのだ。
 かつて条件合致した二人は搭乗の「価値」を剥奪されている。よほどの事がなければ国連が許すまい。
 そして人類の理解できる範囲の技術は、コア、すなわちソウルに合致しない者にすら起動し得るはずのエヴァンゲリオンを、
皮肉にも更にピーキーな機体に仕立て上げた。
 人類の技術は先史文明の遺産とも呼べるエヴァンゲリオンに現代文明の洗礼を与える事で、悪い意味で先鋭化しすぎてしまった。
 機体能力が異常に向上してしまった反面、エヴァンゲリオンそのものからパイロットを護ろうとする意志を剝脱してしまったのだ。
 いや、ネオエヴァンゲリオンは今や魂も意思も持たない単なるクグツであり、単なる機械の塊に過ぎない。
 初號機が息子シンジを、弐號機が娘アスカを護ろうとしていた母親の情愛を失い、ただの機械の塊になった事で
「誰もが乗れる機体」になったはずが、逆に、その性能についてこられる人間を異常に限定してしまう事態が発生した。
 ネオエヴァンゲリオンはコア=魂も意思も持たないから暴走しない。
 その代わり、力がいわば有り余っているので、動きが荒すぎる。限度がない。
 更に、LCL溶液はチルドレンの意志をエヴァンゲリオンに伝える要素であると同時に、操縦ダメージから守っていた。
 それが使われない今、操縦の自由さと引き換えに防御性も失われている。
 もし、かつてのチルドレンに再び搭乗許可が下りたところで、満足に動かし続ける事も出来ない。
 ならば、そのダメージに耐えられる肉体的な超人が必要とされる。
 ならば、強い者が要る。ネオエヴァンゲリオンに食い殺されず、逆に食い返すほど強靭な人間が。
 これこそが鈴原トウジが選出された最大にして唯一の理由だった。

 

「いっ、てー……ってオバハン、血ぃ出とるで! それにその傷!」
「……ああ、これ」
 アスカは笑み、汚してしまった口元を手で拭う。
 白く美しい頬に、血の色をした痣が幾条も浮かんで見える。肌が白いだけに余計に凄惨に見える。
「昔の古傷よ……興奮すると浮いてくるだけ。まったく、折角の美人が台無しだわ。
 それよりアンタは大丈夫? ゲロでも吐いて失神してるかと思ったわ」
「女がゲロなんて言うなや……なんで失神せにゃーアカンねん! ワイ、こないに興奮したんははじめてや!
 くっそー、これが【力】ならワイ、ホンマ欲しいわ! ワイかて使徒をブチ殺してやりたいわい!」
 確かに眼が輝いている。それでこそ、この男だ。
 知性も理性も必要ない。このピーキーな巨人を食い殺せるのなら「獣」で結構。
 トウジの手が伸び、アスカの掌に添えられる。
「ワイにも出来んやろな!」
「……アンタなら出来るわ」
 シートを半分譲り渡す。
 トウジはアスカを抱き抱える様に座る。
「ワイに任せえ!」
 くくるぅ、くくるぅ、と声が笑ったのが判った。
「右レバーのボタンを押しながら叫びなさい! 音声認識でアンタの声と脳波を覚えさせれば思い通りに動かせるわ!」
「それは簡単でエエわ!」
 言われた通りにレバーを引く。
 びりっ、と腕に軽い痺れが走る。しかしそれも心地よく思える。
「ワイの言う事を聞きぃや、エヴァンゲリオン!」
 藍色の巨人が一際高い声で咆哮した。

 

 巻き込まれぬ位置で「観戦」していたマヤたちは気付いた。ネオエヴァンゲリオンの動きが変わった事に。
 斧が弾き返される。与えるダメージが小さいのが判る。トウジは舌打ちした。
「なあ、もっとパッとしたもんはないんかい! これじゃアカンわ!」
「そうね。青葉クン、日向クン、リミッター解除! 伊吹クン、関係各所に根回しヨロシク!
 トウジ、プラズマショットを使いなさい!」
「応っ!」
 ネオエヴァンゲリオンが両腕を突き出す。
 両の手首が左右に展開した。内側から発射口が露出、微かな明滅が瞬間的にスパークする。
 高電圧、高周波が発生する。周囲のネオンや街灯が影響を受け、停電する。
 逃げ延びた人々も悲鳴を上げているのだが、それはさておく。
 明度を奪われた街に使徒の鳴き声が高まる。
【司令、解除完了! いつでも行けます!】
 シゲルの声が促す。
 トウジは叫んだ。
「食らえ、プラズマショットおッ!」
 放電の弾丸、容赦ない乱射がサキエルに襲いかかる。
 高電圧の弾丸は強靭な使徒の全身を容赦なく食い荒らす。
 乱射の衝撃がフィードバックする。だがトウジは怯むことなくトリガーを引き続ける。
「貴様ら使徒は人類の敵じゃあ! ワシは貴様らを許さんでえっ!」
 サキエルがのけぞり、一声、一際高く鳴く。
 遂に胸のコアが弾けた瞬間、光の十字の閃光が街を照らし上げる。
 マヤたちは炸裂する音に聴力を奪われながらも歓声を上げた。

 

 腕が震えるのはダメージと、疲労と、それ以上の武者震いの為だ。やや息を切らしながらもトウジはガッツポーズを決めた。
「いよっしゃあっ、やったでっ! どや、オバハ……って、だいじょぶかいな!」
 アスカはぐったりと首を落としている。トウジは慌てつつもそっと起こしてやり。
 気付いた。アスカはやや意識を飛ばしているが、微笑んでいる事に。
 トウジはやや苦笑し、シートに横たえてやる。
 ディスプレイに映る街に苦笑いし、今度は腕を突き出した。
「使徒がナンボ攻めてきても、ワイは……ナンボも戦ったる。それがワイに出来るたった一つの事や」
 アスカはぼんやりと霞む風景の中、夢を見ていたのかもしれない。
 辛い訓練も、戦いも、別離も、幾つも経験してきた。
 それ以上に、心を分った友がいた。苦しみを共にした、そして笑い合える仲間がいた。かけがえのない「大切な人」たちがいた。
 だから、呟いた。
「ふふっ……ファースト、見ていてくれた? あたしたちは」
 ネオエヴァンゲリオンは対使徒の兵器だ。「力」だ。
 しかし、本当の「ちから」はヒトの心だ。
 それを知っているアスカは夢の中で微笑んでいた。