インターミッション その二「幽霊マンション」

Last-modified: 2011-09-11 (日) 13:19:47

インターミッション その二「幽霊マンション」

 

 都下――。
 梅雨空のもと、これから訪れようとしている活発な時期へ抵抗するかのように、じとじとし
た空気が街全体にまとわりついている。
 なんとなしに重苦しい雰囲気は、まるで世界を外殻で覆ってしまったかのようだった。
 それはこの日、訓練の一環として巨大廃墟の解体工事現場に訪れていた第二小隊にも、差別
なく襲いかかってくる。

 

「これはまた……いまにも、崩れてきそうな建物ですね」

 

 そんな状況に、うっとうしそうな顔をつくる遊馬が、周囲に林立する現代的どころか未来的
な高層ビルディングを首を挙げて巡らしたあとに、ふっと視線を戻す。
 そこには、周りの進歩から取り残されて黒く淀み、朽ち果てた、旧い時代の擬洋風建築の大
舎がずしりと横たわっていた。およそ半世紀は刻が流れているのだろう。きっと新築時には頑
丈で美しかった、側壁のあちこちにヒビが入り、部位によっては崩落している。
 一見、年季の入った廃墟に見えたが、実はこの建物はつい数年前までは現役だった。洋館風
の建築を活かしたセレモニーなどに使われていたが、三年前の一九九五年に発生した東京南沖
大地震で全壊し、その歴史に終止符を打ったのである。

 

 敷地は広く、都心においてちょっとしたドームにも匹敵するそれは、もし民間の所有であれ
ばあっという間に大手企業の手にでも渡ったのだろうが、都有地であるがために再開発の検討
がずるずる先延ばしにされ、三年後の現在になってやっと解体工事が始まった……という、経
緯を持つ。
 なお、その三年間、当地を狙ってサバイバルゲーマーや、頭の足りないチンピラが寄ってた
かったが、なぜか侵入することなく、ほとんど荒らされずに済んできたことが、周辺住人を不
思議がらせ、静観を旨とする一部の廃墟マニアを喜ばせてもいた。

 

「こんなボロボロの建物じゃ、使い物にならないんと違いますか、隊長?」
「要所に補強は入っとる。簡単にガラガラと崩れやせんよ。今回はこういう建造物の中でレイ
バーを動かしたらどうなるかってデータを取りたいんだ。流や太田には、あまり面白くない企
画かもしれんが……」

 

 言って、後藤はチラリと竜馬と太田に目を向けた。実際、あまり興味もなさそうに腕組みを
しつつ高いエントランスホールの天井などを眺めている。
 そのうち、竜馬が後藤の視線に気づき「まあな」とボソリと漏らす。

 

「大ざっぱなデータが取れりゃいいんだ、要するに」
「つまり、イングラムで動き回って叩いたり壊したりすりゃいいってことか」
「模擬戦なんかもやってみたい。それで、結果的に取り壊しが早く進んじゃえばよし」
「でも隊長、解体のプロじゃない私たちがやっても、邪魔になっちゃいません?」

 

 野明が核心をついてきた。
 名目の上では、解体工事の援助というカタチになってはいるものの、こういうものはどこか
らどう手をつけて、どういうプロセスを経れば安全に解体できるのか素人には解らない。
 ひとつ間違えれば生き埋めにされる可能性もあるのだ。
 はっきりいって第二小隊が邪魔をしている、というのが実際のところだった。

 

「……まあだから、なるべくガレキの撤去とかを頑張って頂戴。許可は取ってあるんだから、
工事のおじさんたちとも仲良くね」

 

 後藤は「泉が笑顔でも振りまけば多少のことは我慢してくれるよ」などと、勝手なことを言
いつつ、外のミニパトへ戻っていく。

 

 インパネの上に放ってあったマイルドセブンの箱を引ったくると、一本咥えてから指示を飛
ばした。

 

「よし。とりあえず不要なモノの撤去。各員はレイバーに搭乗、エントランスホールへ進入し
て作業にあたれ。指先の訓練でもあるから、ごく細かいもの以外はイングラムでやるように」
「よーし、1号機の見せ所だっ。器用さだけなら竜馬さんにも負けないもんね」

 

 野明が意気込んでイングラムに搭乗すると、続いて、あまりやる気のなさそうな竜馬と太田
がそれぞれの機に乗り込んでいく。
 竜馬は(狭い空間じゃ暴れきれねぇ)と思い、太田は(模擬戦では銃を撃てても、ペイント
ガン止まりだろう。つまらんなあ……)と考えてのことだったが、じつに二人とも訓練の内容
を省みていないから困った。
 ともあれ、起動した三機のイングラムは側壁に大きな穴が開いている部位をくぐって、エン
トランスホールへ進入していく。
 内部はかなりの高さがあり、イングラムが直立してもまだ二メートル程度の余裕があって、
なるほど、場合によってはレイバーがこういうところに立て籠もった際、突入時のデータ取り
にはなりそうだった。

 

 そこかしこに、家具類や装飾品、置き去りにされた調度品等々が埃にまみれた姿でイングラ
ムを出迎える。後藤のいう、とりあえず不要なものたちだ。
 その中、1号機が大した値打ちもなさそうな壁掛けの絵画へ向かう。人でくくりつけるには
労力がいりそうだったが、レイバーで持ち運びするには具合の良い大きさだ。
 しかし、がしゃり、と外そうとしたところで1号機の動きが止まる。

 

「遊馬ぁ」
「どうした野明?」
「これ、手荒に扱っていいのかなあ? あたし、こういうのには詳しくないから、よく解らな
いんだけど……」
「値打ちモンなら廃墟へ置き去りにするわけないだろ、遠慮なく棄てっちまえ」
「それもそっか」

 

 まあ仮に値打ちものだったとしても、自分には価値のないものだし、こんなところに放って
おく方が悪いのだ。
 後から文句を言われても責任なんか負わないよ、と野明は再び1号機を動かして絵画を外し
始めたが、こういう配慮が効くのは彼女の良いところである。
 竜馬や太田など誰に訊くこともなく、最初からガタンガタンとそれこそ石コロでも拾うかの
ように、邪魔なソファだの電灯だの何だのを一カ所に放ってまとめていた。

 

 その様を、ぽつねんと彼らのバックスが見ていたが、ふと、

 

「それにしても……ずいぶん、陰気くさい建物ですね」

 

 香貫花が漏らした。これに熊耳がぴくりと反応する。

 

「……ええ。なにせ、古いもの」
「ホラー映画にでも出てきそうだわ。こんなところに夜中、入り浸りたくないけれど……今日
の夜間訓練は、巡査部長の担当でしたね」
「……そうだったかしら」
「そうですよ。何呆けているんですか、しっかりしてくれないと困ります」
「わ、解っています。九蘭椎巡査……ほら太田くんに指示して。また変なことしない内に」
「了解。巡査部長も竜馬の手綱、放さないようにお願いします」

 

 言って、香貫花が離れていく。
 その背を遊馬の視線がじぃっと追ったが、考えることはひとつ。

 

(どうも……香貫花のやつと巡査部長はソリが合わないみたいだな。竜馬さんと榊班長みたい
に。っても女同士のそれだから、もっと厄介だろうな。関わらんようにしとこう)

 

 と、女同士が険悪な状態になることを危惧していたので、熊耳が微妙に浮ついたような言動
をしていたことを見逃していた。
 彼女は自分の当日の任務内容を忘れるような人間ではない。
 むしろ、他の隊員のマネージメントをも完璧にこなしてしまうほど如才が無く、それがゆえ
香貫花のような跳ねっ返り女とは、馬が合わないのである。

 

 そんな不審さを、遊馬が気づかなかったから……後藤は建物の外にいるし、竜馬はレイバー
で作業にあたっている。彼らに次いで勘の鋭い遊馬が気づけなかった訳だから、誰も、この夜
に起こることを予測などできるはずはなかった。

 

・・・

 

 そして夜。
 夜間作業にあたる3号機組……すなわち、竜馬と熊耳に、監督役の後藤以外は「あがり」と
なる時間となった。
 ぞろぞろと工事の作業員たちが、第二小隊の面々に挨拶をして帰路につき、野明や太田たち
も、竜馬に引き継ぎを申し渡して上がっていく。
 途中、遊馬が野明をデートなどに誘って平和な雰囲気だったが、そのうち引き上げようとす
る作業員のひとりが、熊耳の前で立ち止まった。

 

「どうしました?」
「いやですね……あのう、つかぬ事を伺いますが、今夜はこちらにお泊まりで?」
「ええ、三人ほど。夜間訓練にあたりますので」
「さ、三人だけ……そうですか、いや警察の方は勇気がありますな」
「それはどういうことでしょう?」
「だってここ、有名な幽霊屋敷じゃないですか。この間の地震でだいぶ人死にが出てしまった
のも手伝ってか、もう何人もの人間が「見た」って言うんですよ。この夏も、怪談でもちきり
の場所でして」
「!!!!」
「いやいや……私なんかは恐がりなもんで、とても真似できませんよ。さすが、日本のおまわ
りさんだ。そいじゃ、これで」

 

 首をふり、いそいそと帰っていく作業員はだから、びくんっ、と跳ね上がった熊耳の肩に気
づかなかった。
 何を隠そう彼女は、人一倍、いや、人百倍は怪談話というか、心霊的なものを怖がる癖をも
っていたのである。
 ただ、オカルト的なものを信じているわけではない、というか、むしろ非科学的なものには
否定的なスタンスを取る彼女であったが、それとは関係無しに怖いものは怖い、という訳だっ
た。
 それがどれほどのものかといえば、ふと夏場によくあるホラー番組をちらりとでも見かけよ
うものなら、どんなに稚拙な内容のものだったとしても、その夜には一人で寝付けなくなるほ
どだ。
 齢二八にして、である。
 非科学的なものを否定する割に、空想力が逞しすぎるのかもしれない。

 

 なので、今日も香貫花をして陰気くさい、と言わしめたこの建物に入った瞬間から、少しば
かり圧迫感を感じていたのであるが、作業員にああ言われてしまったらもう最後だ。
 三年前の地震で多くの人が無念の内に亡くなっている。ということは、きっと、地縛霊の居
る場所だ……怨念がこもっているに違いない……そう考えただけで、もう仕事のことが、頭か
ら吹き飛んで思考が停止しそうになる。
 そんな様だったから、後ろで見ていた竜馬が、訝しげに近づいてくるのにも気づかない。
 だが。それこそが「奇劇」の始まりだった。

 

「おい。どうした熊耳――」
「ひっ!?」
「……うっ!?」

 

 突然声をかけられた熊耳が、やはりびくりと肩を上げて振り向く。
 その顔。
 その顔が……

 

「ミチル……さん……!?」

 

 驚いて振り向いた熊耳には、いつもの竜馬が映った。それには安堵があったのだが、しかし
竜馬には、いつもの熊耳の顔は映らなかった。
 なぜなら彼女の顔が、早乙女ミチルのものに変貌していたからだ。
 かつて、ゲッターGの合体テストの際に事故死した……自分のドラゴン号と、隼人のポセイ
ドン号に挟まれてライガー号の中で圧死した、早乙女博士の娘の顔。
 いつも優しく朗らかだった彼女が、悲痛な叫びの中で死んでいった時の顔。
 血まみれの、恨めしげな視線が竜馬を貫いた。

 

「うわあッ!」

 

 驚愕と恐怖の色に表情を染め、どた、と情けなくその場に尻餅をついてずり下がる。逆に、
これが熊耳を現実に引き戻した。

 

「な、流くん?」
「……はっ。熊耳……!」

 

 熊耳の透き通った声が竜馬の鼓膜を震わせると、ミチルの顔は消え去った。視線の先には、
いつもの熊耳が戻っている。
 幻覚だったのか。
 竜馬は一筋の唾をごくりと飲み込み、その場を立ち上がり、ぱさりとズボンの埃を叩き落と
した。

 

「一体どうしたの」
「……悪い。ちょっと疲れていたみたいでな」
「そう……ねえ、ミチルさんって誰? 今、私を見て言ったけれど」
「言ってねえ」
「言ったわ」
「言ってねえつってんだろ、しつけえぞ」

 

 竜馬は熊耳の追求を振り切るようにして、イングラムのコクピットへ乗りかかった。感情が
昂ぶったせいか、ひどく暑い。

 

「俺はちょっと休むぜ。蒸すしな、中でエアコン効かせていた方が楽だ。お前も指揮車にでも
戻ってろ」
「え……」
「え、じゃねえよ。長丁場なんだからよ、少し休んでから夜勤突入する」 
「それは構わないのだけれど、あの……あれよ。イングラムのバッテリーを無駄づかいするこ
ともないでしょう、休むのなら指揮車でエンジンをかけていなさい」
「ちっ……うるせえな。解ったよ」

 

 ばしゅん、と一旦は閉めたハッチを開放し、竜馬が文句を垂れながら、指揮車へ移動してい
く。その後を熊耳が続いた。

 

「二人で指揮車に閉じこもったら、狭っ苦しいじゃねえかよ」
「イングラムのコクピットだって狭いでしょ。指揮車に二人乗りするのと変わらないわ」
「口のへらねえ野郎だ」
「私は野郎じゃありませんよ、流巡査。それに少しは口を慎もうと思わないの?」
「思わねぇ」

 

「まったく、これじゃ階級差が意味を成さないじゃない。あなた、少しは警官として自覚をも
ったらどうなの」
「さっきからペラペラとうるせえな。疲れてんだ、ちっと黙ってろや」
「だって喋ってないと怖……じゃなくて、いいえ、そういう訳にはいきません。いい機会だか
ら少しお説教をしてあげます」
「勝手にしやがれ。俺は寝ようと思えば、爆発音の中でも寝られるんだ」

 

 言い合いながら二人は指揮車に乗り込むと、すぐにエンジンが掛けられる。静まりかえった
廃墟の広大な敷地内に、低いアイドリングの音だけが響きわたった。
 もし、通りでこれをやったら間違いなく市民からのクレームになるだろう。
 警官が怠慢をしている、環境保全の意識が見られない、税金の無駄だ、等々。
 だが、ここなら見ている者はいない、遠慮は無用だ。

 

 警官とて人間である。暑ければ涼を取りたいし、寒ければ暖まりたい。そのために、少しば
かり車のアイドリングをすることに何の問題があるというのか。
 地球温暖化?
 そんなものは欧州発、環境ビジネス企業連中のハッタリだ。そもそも地球はまだ氷河期が終
わっておらず、現在は比較的暖かい時期にあるに過ぎない。むしろ人類は、今後数万年の時間
単位で、再び寒冷化していく気象に対応していかねばならなくなるだろう。

 

 だから、イングラムのバッテリーを消耗するよりも、指揮車に二人乗りしていた方が無駄が
ないし、なにより独りにされずに済む。
 ……と、熊耳は思った。
 しばらく、換気のため防弾窓が開けられていたが、それが閉じられると基本が装甲車である
ために、車室は真っ暗になる。

 

 熊耳はできれば車内灯を点けたかったが、またしても竜馬に文句を言われそうだったので、
隣に彼の気配があることに、とりあえずの安堵を持った。
 後藤隊長は早々に二階の無事だった部屋に陣取って、ノートPCを持ち込んで事務処理をする
フリをしながら、一服やっている。
 私も三〇分ほど仮眠をとってから、訓練を再開しよう……。熊耳は、説教のことは早速忘れ
て、眼を閉じるのだった。

 

・・・

 

 それから、しばらくは静かだった。
 しかし一〇分ほど経過した頃だろうか。熊耳が寝息を立て始めたあたりで、指揮車の外から
何やらザクザクと大勢の人間が行進しているような、そんな音が響き始めた。
 それが近づくでも、遠ざかるでもなしに、指揮車ぐるりと取り囲んで、廻っているかのよう
に延々と続くのだ。
 これに爆発音の中でも寝られると豪語した割に、眼をすら閉じていなかった竜馬が気づく。

 

「なんだ……?」

 

 つぶやき、サイドウインドウ代わりの格子窓パネルを引き上げるが、何も見えない。おかし
いな、と思いドアを開けて外へ出た。
 すると、

 

「竜馬くん……」
「竜馬くん……」
「竜馬くん……」
「竜馬くん……」

 

 四方から、聞き覚えのある声がまとわりついて来、竜馬の全身に戦慄が走った。それは彼に
とって忘れられるはずもない声なのだ。
 そう。この、儚げな声色は……間違いない。

 

「う、ううっ」

 

 どむ、と竜馬は指揮車の車体に背を預けた。その視界にぼんやりと、人の輪郭が明かになっ
ていく。いくつも、いくつも。
 それらはだんだんはっきりと形作られていき、やがてその、暗い表情が見えるまでになって
いく。
 白い、パイロットスーツに身を包んだ細身の女の姿。
 やはり間違いがない。

 

「ミチルさん……!」

 

 竜馬が、喉の奥からかすれるように呻く。
 それに反応するように、指揮車を取り囲む幾人もの早乙女ミチルたちが、揃って口を開き始
めた。

 

「竜馬くん……」
「どうして……」
「どうして……?」

 

 違う。俺じゃない。

 

「どうして、私を殺したの……?」

 

 俺じゃないんだ。あの時、合体は、ライガー号の側から!

 

「どうして、助けてくれなかったのぉおおお」

 

 瞬間、竜馬を取り囲んだミチルたちの顔が、赤黒く染まった。冥府から沸き上がってくるよ
うな怨みそのものといったような表情とともに、ずわ、と幾重もの腕が伸びてきた。
 竜馬が叫ぶ。
 それで眼を覚ましたのだろう、反射的に指揮車から熊耳が飛び出してくる。

 

「どうしたの流巡査!」
「で、出てくるなッ!」

 

 車体の反対側の竜馬へ向いた熊耳の目に、顔を血だらけにした女たちが一瞬映り、同時に熊
耳の悲鳴が建物中に轟いた。
 だが、その音響が除霊の力を持ったのか。ミチルの集団は、起こった波紋にかき消される、
水面のゆらぎのように消え去り、彼女らに捕らわれていた竜馬がその場へずり落ちた。
 静寂が戻る。

 

「な……流くん!」

 

 熊耳は滑り込むように竜馬へ駆け寄っていく。
 恐怖と心配が重なって、おもわず駆け寄らずにはいられなかったのだ。かがみ込むと、竜馬
はまだ戦慄の表情を顔に張り付けていて、熊耳が声をかけても反応が薄い。
 一体、なにが起こったというのか。
 あの血まみれの女どもは、誰だ? なぜ流くんが襲われた? いや、それよりもこの恐がり
方は尋常じゃない。
 勇猛果敢を彼方に通り越してきたような彼が、怯えるなんて……。まさか、私のようにオカ
ルトが苦手だ、などという訳でもあるまい。

 

 熊耳は混乱する頭でなんとか情報を整理しつつ、竜馬を抱え起こそうとする。とにかく立た
せなければ。でなくば、あの血まみれがまた現れないとも限らない。
 焦りがつのる。
 しかし、そこへ

 

「……なぁにを騒いどるんだ?」

 

 二つの悲鳴で、さすがに二階の後藤も異変に気づいたのであろう、煙草を咥えながらつかつ
かと階下へ降りてくる。
 熊耳の心にすこしだけ平静が戻った……が、少々、タイミングが悪い。
 それはちょうど崩れ落ちた竜馬へ熊耳が覆い被さっている、と錯覚する光景が後藤の目の前
に繰り広げられている真っ最中だったからだ。
 案の定、中年の脚はピタリと止まると、自動的に右腕が後頭部に伸びて、ぽりぽりと痒みを
かきだす。

 

「あー……邪魔したかな? しかし二人とも、こんな場所でそんな事をするのは、少々大胆す
ぎるぞ。この辺りならニューオータニがあるから、明け番にでも仲良くいってきなさい」

 

 そんな状況ではない。
 熊耳は振り返って、後藤に助けを求めようとしたが、そこで竜馬が我に返った。熊耳の脇か
ら顔を覗かせる。

 

「おい、後藤さんよ。ここにはあまり長居しねえ方がいい」
「おいおい。仕事放っぽり出すわけにいかんでしょうが。一体どうしたっていうんだ? まさ
か、お前達も透けた軍人さんに斬りつけられた、っていうんじゃないだろうね」
「何だそりゃ?」
「あ、違うのか」
「どうやら……あんたの前にも何か、出たらしいな」
「……まあね。他の連中には知らせない方がよさそうだが」
「あんまり暢気に構えねえほうがいいと思うがな。ここは、恐らく亡霊か何かの溜まり場だ。
何かが原因になって、集まっちまっているんだろうが……下手すると、あの世に引きずり込ま
れかねんぜ」
「しかしだな、流よ。訓練を放棄する理由が「心霊現象が起きたからです」なんて、認めても
らえると思うか」
「む……」

 

 確かに、後藤の言う通りだった。
 竜馬にしても、幽霊相手に逃げ出したなどと笑い話にもならない。だが、それが早乙女ミチ
ルの亡霊だというなら、別だ。この世界に居るはずのないものの亡霊が出るということは、こ
こには異空間への穴が存在しているのかもしれない。
 だとすれば、第二小隊どころか、工事の連中もひっくるめて退散させるべきなのだが……。
そんな、たわごとを聞き入れる人間が居るはずもない

 

 問答の間に微妙な空気が漂ったが、それを打ち砕いてくれたのは熊耳であった。その身を以
て、というか……竜馬が起き上がろうとするが彼女がどかない。どけ、と声をかけても反応し
ない。
 熊耳は屈んだ姿勢のまま、気絶していたのだ。どうやら、次々語られる超常現象を聴いてい
る内に、心のメモリが足らなくなり、フリーズしてしまったらしい。

 

「しょうがねえな」

 

 言って、竜馬は熊耳を抱えて、彼女ごと起き上がった。