ゲッターロボ+あずまんが大王 第3話

Last-modified: 2009-12-26 (土) 03:17:59

ゲッターロボ+あずまんが大王 第3話

 
 
 
 

「お前、今日は休め」

 

個室の入り口に立った暦は、腰を屈めて言った。
二段ベッドの下段のシーツが、人の形に盛り上がっている。

 

「ゆかり先生には私が言っとく。まぁ、月イチのアレって言えば大丈夫だろ」

 

僅かに見える頭髪と、その傍らに添えられた包帯が声に震えたように動いた。

 

「無理すんなって言われたろ。どの道しばらくロクに動けないんだ。今日はしっかり休め」

 

それに呼応し、枕元が震えた。
頷きであるとみた。

 

「あと、これをくれた奴に感謝しないとな。細かいとこの傷とか、もう治りかけてるし」

 

鉄板のように薄くなったチューブが、枕元に横たわっている。

 

「じゃ、私は行くぞ。他の皆にも大丈夫だって伝えとくよ」

 

返事は無い。
寝ているものと解釈し、暦は立ち上がると、扉に視線を向けた。
そこに、右腕に停まったものがある。
それはシーツの中から伸びていた。

 

「…気をつけろよ」

 

掠れた声に対して微笑み、再び膝を屈めた。

 

「大丈夫だ。少なくとも昨日の連中は襲ってこないさ」

 

傷ついた手を穏やかに手で包み片方の手で頭髪を撫で、暦は言った。

 

差し出された指の先端。
絆創膏が貼られた指の爪は、ほとんどが歪に削れている。
蹴られたときに腹を庇ったためであった。

 

差し出された手が自分から引き抜かれるのを待ってから、暦は再び扉に向かった。

 

「行ってくる」

 

の声を、ベッドの中の声が、

 

「気をつけてな」

 

反復するように返した。

 
 
 

時が流れ、日が昇る。
扉が閉まる音が室内に満ち、消える。
朝の始まりで慌しくなる寮内の音も、消える。
事務雑用が執り行われる音も、昼の訪れによって消えた。

 

「さて…と」

 

そして彼女も、動き始めた。
むくりと上体を上げ、顔に巻かれた包帯を引き抜くように外す。
その奥から、頬を腫らした少女の顔が現れた。

 

起き上がった上体を、白の色が占めている。
着衣のように身体を覆う包帯の隙間から僅かに見える肌の色に、赤錆色の欠片が見える。
胸部から下腹部までを覆う包帯で描かれたラインの所々が盛り上がっている様が痛々しい。
実際、身体を動かすたびに顔に苦痛の色が浮かび、裂けた唇にも痛みが走る。

 

怪我した足を庇い、もう一方の足も痛めるような悪循環に苛まれながらも、彼女は身体を動かした。
痣が出来た腕を伸ばし、ブラウスの袖を通す。

 

ベッドから降りるために開いた股の間に、べちゃりとした感触があった。
パジャマのズボンを捲って見ると、奇しくも暦の言葉通りに下着が朱の色に染まっていた。
胎内から剥がれ落ちた血を見ると、下腹部が痛んだ。
月経の痛みには慣れているつもりだが、そこに加えられた殴打と
消化器官に減り込んだ痛みは未だに消えていない。
それでもまだ、自分の肉体による本来の痛みの方が勝ると思え、その苦しみは幾分かは軽くなった。

 

下着を替えた後、あられもない下半身を遮るスカートのホックを止めると、
彼女は勉強机に置かれた鏡を覗き込んだ。
斜めに走った亀裂の奥に、制服を着込んだ少女の姿が映っている。

 

鏡に映った制服の、乱れた襟を絆創膏塗れの指がびくついた調子で、解くように直していく。
くいくいっと引っ張り、最後の皺を引き伸ばす。
首元のラインにそれが遵うと、切れた唇が開いた。

 

「よし」

 

ちらりと、机の傍らの窓を見る。
陽光の中、出歩くものは誰もいない。
耳を澄ませても、聴こえるのは自分の心臓の音だけだ。
殴られた側の頬に面する耳には、まだ僅かな耳鳴りがこびり付いているが、問題はないだろう。

 

友人の言葉が頭に引っかかったことに、脳内で一言、「ごめん」と告げ、
智は窓の外へと転がるように降りた。
窓縁から僅か80センチと少し。

 

自らのへその辺りからの下降であるにも関わらず、その地点からの着地の衝撃は
彼女の足のみならず、全身に走った。
体中の痣や肉の裂け目、鬱血した部分が胎動したかのようにぞわりと動くのが感じた。
特に下腹部はその最たるもので、血の塊が宿ったかのような、
重く、粘っこい、異様な異物感を残した。
立ち上がったところで、肉の袋に溜る痛みは抜けなかった。

 

だが、彼女の眼は真っ直ぐと前を向いていた。
へその辺りを、絆創膏だらけの右手が弱弱しく摩ってはいたが、
華奢な脚は、立っているだけで微細な震えを起こしていたが、
肉体を支える力は大幅に削られてはいたが、
その眼には、弱弱しさとは相反する光が宿っていた。

 

小高い丘の上に立った彼女らの仮住まいを覆うフェンスの奥に広がる景色の中、
昨日彼女たちが通ってきた道が見える。
未開の地を表すように林で囲まれた粗雑な道の一角で起きたことを、彼女は決して忘れない。

 
 

腹を摩る彼女の背後で、風が舞った。
寮の側面から湧き上がる風が、撫で上げるように彼女の身体をふわりと包む。

 

気紛れな旅人のようなそれが去ると、不思議と痛みが軽くなった。

 

流れるように過ぎ去った風の中に、少女は闇色の男の姿を見た。
下腹部を擦っていた手も、この時に離れた。

 
 

「じゃ、行くか」

 
 

呟いた声に、掠れた音は混じっていない。
歩み始めた足取りは常人にしては重く、怪我人にしては軽すぎる。
陽光のような輝きの眼を携えて、滝野智は、眼下の町へと向かって行った。

 
 
 

・・・

 
 

「おはようよみー」
「ああ、おはよう」

 

級友と挨拶を交わし、暦は席に着く。
目の前を、背後を、平和そうな顔をした学友たちが行き交っている。
この光景を見る限りでは、昨日のことも、嘘のように思えてしまう。

 

眼鏡ごしに映る視線の先に、彼女は親しい者の姿を見た。
その姿が、明確に友人の姿であると見れた時、彼女が投げかけた挨拶は、
彼女の口腔の中で消えた。

 

友人であるはずの存在から、暦は幽鬼染みた鬼気を感じた。

 

「…おはよう…よみ」

 

神楽の声は沈んでいた。
普段の活発さが欠片も感じられなかった。
友人の暦でさえも、返事を躊躇するほどに低く濁った声だった。

 

未だかつて、友人に抱いたことの無い、未知の物に対する感情が暦の思考を遅らせた。
やっとのことで「おはよう」と返せたのは、神楽が自分の席に行き、
声を具現化したような幽鬼じみた動きで、手荷物を机に預け、暦の近くに立った時だった。

 

「珍しく早いな。それに今日は榊と来たのか?一声くれればよかったのに」

 

声が僅かに上ずっているのを、暦は感じた。

 

「いや、今日は独りで来たんだ」

 

神楽の顔を見た。

 

そこには、生命感が無かった。
浅黒く焼けた肌が、肉を薄く削られたように窪んだ頬に落ちている様に、
暦は昔に見た拒食症患者のイメージを抱いた。
温かい血が通っているはずの焼けた肌は、どこか青白く霞んだものが見え、
勝気であるはずの彼女の性格を現したアイラインの下に、黒く澱んだものが見えた。

 

血を抜かれたような顔色に、血の色が見えた。
涙でふやけた皮膚であるそこを掻き毟ったのか、濃厚な血の色を湛えたそこは、
最早擦り傷に達している。

 

涙の、跡だった。

 

「…とものことなら大丈夫だ。薬が良く効いてるみたいさ、多分今頃寝てるよ
 あんたも、昨日一緒に塗ってあげただろ?」
「…うん」

 

普段どおりの「ああ」、ではなく、「うん」としおらしく返されたのが不安感を煽った。

 

「顔色悪いぞ、あんたらしくない」

 

励ましの言葉になれたかが、暦は気がかりだった。

 

「なぁ、よみ」

 

別の言葉を探す暦の思考を、神楽の声が断ち切った。

 

「昼休みにちょっと……付き合ってくれねえか?」

 

どこまでも沈むような声。
神楽の声は、神楽自身の不安で満ちていた。

 
 
 

・・・

 
 

じゃり、じゃりという音を響かせながら、滝野智は歩いていた。
汗が滲んだ額を、ピンク色の刺繍が走った袖が拭う。
歩き始めてから既に1時間近くが過ぎている。
本来を遥かに凌ぐ遅延は、歩く度に肉体を苛む痛みによるものであったが、
それ以上に、精神的な圧迫感が彼女の歩を遅らせた。

 

日が上ってから、実際に歩いてみて分かるのは、異常なまでに堆積した瓦礫と
視界に見える災いの爪跡。
地面を塗装しているアスファルトは、円滑な移動を妨げる異物として引き剥がされ、
窓枠に填め込まれているはずの窓ガラスには、軒並み罅が入っていた。

 

罅の先の壁面には裂け目が。
裂け目の先には亀裂が。
亀裂の先には、瓦礫が。

 

破壊の行き着く輪廻が、至る所で息吹き、渦巻いている。
瓦礫から突き出た鉄筋の一つ、小さなテディ・ベアが串刺しになっていた。
その根本には、未だに掘り起こされない小さな遺骸が、想い出とともに眠っている。

 

日に晒されず、湿った土の中で腐敗する、人畜を問わない多量の死骸には
蟲が湧き、それが陽光の滾る日となれば、汚泥と化した土面からは鼻が曲がるような異臭が立ち昇る。

 

戦争の終結から早2ヶ月、大掛かりな復興の兆しは立っていない。

 

「…ここだ」

 

智が呟く。

 

立ち昇る臭気の境目に、それはあった。

 

土がむき出しになった地面に沿う家垣。
僅かに傾きながらも、ケーブルを延ばす電信柱。
道の奥には、生き残った人々が織り成す、生活の場が見える。

 

生と死と、創造と破壊の狭間にそれはあった。
そこに向けて一歩を踏み出すと、そこが境目であるかのように、立ち昇る臭気が消えた。

 

清涼とはいかないものの、不快感の無い暖かな風を吸いながら、智は進んだ。

 

伸ばした手の先に、男が消えていった戸があった。

 

一呼吸置き、息を吸い、吐く。
そして建物の外見も気にせずに、彼女はその中へと足を踏み入れた。
戸が開かれ、満ちていた暗がりと冷気を伴った空気が彼女を出迎えた。

 

「お邪魔…しまぁーす」

 

戸を開ける音が、がらりと響いた。
薄暗い室内の玄関に当たる部分が、屋根の形に抉れた陽光に晒される。
その中に、一対の薄汚れたシューズが見えた。
眼を凝らすと、所々の縫合がほつれている。
汚れたというよりも、半壊しているといったほうが正しそうだ。

 

視線を下から上に戻すと、広い室内の所々に光が見えた。
天井近くに設けられた窓からはともかく、壁からも日の光が零れている。
引っ張った戸といい、入り口の景観といい、お世辞にも新しく美麗であるとは言い難い。

 

降り注ぐ光の切れ目を見つけたとき、彼女の背筋がぞくりと震えた。

 

切れ目の奥に、それはいた。
日の光に照らされたそこに。

 

暗がりの中、黒い塊がへばりつくようにして、壁に持たれかかっていた。

 

照らされているにも関わらず、色は黒のままだった。

 
 
 
 
 

「見てくれよ、これ…」

 

ぼろぼろの紙袋の中から取り出したそれを、神楽は暦に差し出すようにして持った。
校舎の裏、神楽の手に、彼女の通学鞄が乗っている。

 
 

「昨日、あいつを…あの助けてくれたやつを……殴った跡だ」

 

鞄を持つ手は、震えていた。
振るえ、鳴らされる歯のごとく、金具が小刻みに震えている。
言葉を一つ一つ、絞るように出す度に、瞳は潤みを増していった。

 

「あいつ…怪我人なんてもんじゃないよ…普通、こんな風にはならねえよ…なぁ…よみぃ…わたし、私…」
「おい、かぐ…」
「ぁああ…あああああああ!!!!!!!!!!!!!!」

 

やっとのことで差し伸べられた手を、神楽の悲鳴が遮った。

 

「わたし、わた、私、なんて、なんてこ、なんて…」

 

膝を着いた身体を抱き寄せるしか、暦には出来なかった。
昨日、男の姿に打ち込まれた鞄は、侵食されたかのように、そこが闇色に染まっていた。

 
 
 

そして同時刻、智が見つけたそれは、更にどす黒い色で染まっていた。
ぼろぼろのオーバーコートとジーンズ。
それぞれの切れ端から伸びた手足も、同様に。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

つづく