ゲッターロボ+あずまんが大王 第3話-(2)

Last-modified: 2009-12-26 (土) 15:42:15

第3話-(2)

 

それを見たとき、智の心は虚無と化した。

 

靴を脱ぐのも忘れ、引き寄せられるように歩み寄る。
近づくにつれ、その輪郭が見えてきた。
壁から生えるようにして伸びたそれは、ジーンズに覆われた足であると分かった。
伸ばされた二本の脚の中央に、だらりと垂れた腕が見えた。
上半身を覆うオーバーコートの、ぴんと張られた襟元が。
流れる炎を、波を具現化させたようなシルエットの頭部が。

 

僅かに触れる顔に向けて眼を這わせたとき、彼女の足元で、水が砕ける音がした。

 

足の裏から伝わるその音が、彼女を覚醒させた。
ほぼ無意識のうちに動いていた足は止まり、視力以外の感覚が次々と眼を覚ます。

 

途端、顔面を殴られたような感覚が彼女を襲った。
その感覚は、鼻孔から生じた。

 

「ッ!!」

 

皮が切れた鼻を押さえ、後退さる。

 

黴と埃の匂いに混じるほのかなそれは、
女に生まれて17年間生き、更にこと最近では特に身近となった匂いだった。

 

思い出しただけで吐き気がする、昨日の一件。
無我夢中でかぶりついた直後に、口腔内を満たしたあの臭気と酷似していた。

 

そして光が当たる部分の黒の端、薄く引き延ばされた部分は
胎内から剥がれ落ちたあの色とほぼ等しい。

 

「(そんな…まさか…これ……!?)」

 

その時、彼女の身体が大きく揺れた。

 

建物が、地面が揺れた。
ぐごご、と唸りのような音と感覚が走る。
どこかで、何かが砕ける音がした。

 

傷付いた貧血気味の身体が傾いた肉体を転倒から防ぐべく、細やかな足に力を込める。

 

生まれ立ての四足獣のようによろよろと動くそこに一瞬、光が降りた。
同時に、ずん、と一際大きな揺れが湧き、少女の肉体を引き摺る様に引き倒した。
背後から見えざる手によって引かれたように、仰向けに倒れる

 

天を仰いだそこに、影が降りた。
顔の丁度真上で輝く陽光と智の間に、光を遮り続けていた壁面が広がっている。
白っぽく色褪せた木材と錆びた釘が迫出たそれは、剥き出しになった人の奥歯のようだった。
そしてそれが、歯本来の役目の様にして智の眼前に迫っている。
床を土台として、或いは皿のようにして、少女の肉体を噛み砕かんとした時、
床を背にした彼女の頭の先から、音が響いた。

 

べりっという後に粘着音が尾鰭を引いたそれは、瘡蓋を引き剥がすような音だった。
僅かに遅れ、智の口から「うぇっ!?」という声が鳴った。

 

音に重なり、彼女の視界が暗転した。

 

彼女の眼が、彼女自身、機能していると知覚した時に彼女が最初に見たのは
足の先の床にその身を深々と突き立てた断片だった。
ちびた消しゴムほど隔て、ささくれ立った木片が突き出ている。
天井の残骸と床との間に、煙のように木っ端と埃が舞っている。
渇いた匂いと共にそこにあるそれは、落下から僅かほどの時間を置いていないことを意味していた。

 

足先との距離は僅かに数センチ先にあるこれらに、智の喉が硬く粘ついた唾液を飲み下した。

 

喉と呼応してピンと跳ねた髪型が後ろに引かれた様に動く。
ごくりと鳴った後に、ドクっと滾る何かを感じた。
それは、背後からした。
自分の肩に近いあたりで、それは再び鳴った。
視線をそこへ向けようとしたとき、彼女の眼は自分の足の辺りで停まった。
木片に向けて垂直に伸びた足に沿って、もう一対の直線が走っている。

 

「おい」

 

ドクリと鳴った鼓動と共にそれは来た。
密着した背中の奥からは鼓動が、頭頂の脇の方からは吐息のような声が。

 

「怪我はねえか」

 

動かした視界に、よれっとした白い布状のものが映った。
折れ曲がった節々には赤い塊がこびりついている。
顔を傾けたとき僅かに喉が詰まるのを感じたが、視界にそれが入ると物が取れたようにその感覚は消えた。
代わりに、肩と腕の上を何かが伝っていくのが感じられた。
肌の上を明確な質量を持って動き、重力に引かれ床に落ちる。

 

包帯に塗れた腕を、彼女は見た。

 

「無事かって訊いてんだよ」

 

急かす声ですら、掠れている。

 

「っ…ぁ…っ…っ…ぅ…」

 

喉が詰まったように、声が出ない。
智は、首を僅かに動かした。

 

「ならいいや」

 

頷きが眼に入ったのか、それを最後に、頭上の声は閉じた。

 

しんと部屋が静まり返る。
背中で鳴る鼓動が弱くなり、智は自分の呼吸が乱れるのを感じた。
押し出るように、智は背後のものから離れた。
密着していた部分が空気に触れたとき、そこ場所には冷気が宿った。
温かみが冷たさへと変わる一連が、いやに不気味な印象を彼女に与える。

 

振り払うかのように、天井が裂けて開いた陽光の下へ出、恐る恐る背後を向いた。

 

広がった光に照らされたそこに、一人の男の姿があった。
ぼろぼろのオーバーコートの奥の、生地よりもどす黒い染みをいくつも作った、
ブラックのアンダーシャツ。
引き千切った素材で作られたとしか思えないほどごわついたジーンズ。

 

シャツとコートの間からは、床に向かってだらりと垂れた二本の腕が見えた。
タンクトップ状のシャツから伸びたそれらは、一辺の隙間もなく包帯で覆われ、
節々を朱に染めている。
包帯の隆起から、相当に鍛えられているのが見えたが、それでも
自分との年の差はあまり無いように見えた。
伸びた腕の、朱に染まって、肉の隆起する場所に痛ましい感情を込めながら伝った先に、
先程は見えなかった場所が合致した。

 

一塊の炎や波のように見えた髪形のシルエットは、
突き出た髪々が、まるで複数の刃が束ねられたような鋭角を持って作られていた。

 

それの真下の部分、額から顎、そして首の喉仏のあたりまでを、
腕同様にぐるぐる巻きにされた包帯が覆っている。
眼と鼻、そして口元はそれが裂けたかのように開いてはいたが、
正確な顔の構成は分からなかった。
ただ、包帯でぐるぐる巻きになった顔のラインからは、どこか獣じみたものが感じられた。
どこか、凶暴そうな、魔獣のような。

 

だが、それに対して、彼女は脅威を覚えなかった。
昨日の一件もあるが、別の事例が危機感を鈍らせていた。

 

包帯越しに触れた顔は、おおよその体温が感じられなかった。
そして、ふやけたか、引き剥がされた皮膚のように垂れた包帯の隙間からは、
呼吸音が聞こえなかった。

 

「お、おい…嘘だろ」

 

狼狽した表情で、智は両手で男の肩を掴む。
握るように力が入ってしまったが、男はぴくりとも動かない。
そして顔同様に、そこは冷気で満ちていた。

 

「お、おい!おいってば!!」

 

眼が潤み、意図せぬうちに声が荒がる。
僅かに揺れる手先を、智は意識の中で動かし始めた。

 

「おきろ、起きろよ!!まだ、まだろくにお礼も言えてないんだぞ!!!」

 

二度、三度と前後にゆする。
その度に、手先には冷たさが広がる。

 

「……ぇ」

 

前後に揺れる頭が発したそれを、智は聞き逃さなかった。
途端、彼女の表情が輝く。
潤んだ涙は、既に頬へと伝っていた。

 

この時、僅かに開いた口に吸い込まれる空気の流れを、彼女は見れたか。

 
 
 
 
 
 

 う る せ え ! ! ! ! 

 
 
 
 
 
 

その声<ヴォイス>に、空気が震えた。

 
 

怒号が、彼女の上半身を襲い、同時に智の手先はマグマのような、熱い血の滾りを覚えた。

 

「な…な…」
「人が気持ちよく寝始めたとこ叩き起こしやがって!!何様だてめえ!!!!」

 

狼狽する彼女の元へ、第二声が飛んだ。
包帯男と向き直った彼女の思考は混濁を極めたが、やがてそれも落ち着いてくる。
怒号でくらくらする智に、男は再び口を開いた。

 

「ったく、潰されんのを助けてやったつうのに安眠妨害たあいい取引じゃねえかおい」

 

言ってる事は間違いではないが、こちらは本気で心配していたのだ。
突き放されるような言葉は、少女の心に怒りを沸かせるのには十分すぎた。
普通ならば、この声と威圧に負けて黙り込むであろうが、彼女はその『普通』の範疇には入らない。
元気一杯の暴走女子高生、『滝野智』なのだから。

 

「俺はもう疲れてるんだ、ドンパチすんなら別ンとこで―――」

 

言いかけたそこに伸びるものがあった。
それは包帯で巻かれた頬の奥、鋭角が連なった髪型の中に鎮座する外耳を思いっきり掴むと、
手前へ思いっきり引っ張った。

 
 
 

『『『「なんだとぅ!!人が折角来てあげたってのにこのブレイ者ーーーー!!!」』』』

 
 
 

男の声と同程度のバカでかい声<ヴォイス>を男に放った。
スピーカーを導入しても匹敵ないしは劣ると見える声量に
少女特有の高い音を交わらせたそれは光の中を立ち上る埃をタイフーンのように吹き飛ばし、
半壊した室内を男に勝るとも劣らない勢いで揺らした。

 

男は、引っ張られた左のほうの耳でそれを直に脳内へと叩き込まれた。
ぐわんぐわんと脳と鼓膜が揺れ、眼は涙ぐむ。
だが、空気の揺れが終わらぬうちに噛み付くような視線を智へと向けると、
再び大きく息を吸った。

 
 

『『『『『「何が無礼だ!こちとら生まれたときから無礼様様よ!!」』』』』』
『『『『『「なにおう!私だってずっと無礼講で通して来たんだぞぅ!!お前なんかに負けるかーーーー!!!!」』』』』』

 

半月の眼を描いた智もそれと同様、怒号で返す。
足りない肺活量は気合と女特有の高い声で補っている。

 

「上等だ!! 今すぐ表に」

 

出ろか出やがれとでも言おうとしたのか。
だが、その時にでたのは言葉ではなく、ドスっという鋭く鈍い音である。
見れば、また天井が崩れたのか、男の包帯でぐるぐる巻きにされた顔面のすぐ上に
小さな木片の束が刺さっている。
幸いにして先端が角で無かったためか、比喩同様に突き刺さってはいないようだ。

 

ただ、それがずるっと落ちたとき、男の巻いている包帯の下をじんわりとした朱が広がった。

 

「きゅ、救急車…」
「無駄だ、やめとけ」

 

電話を探そうと周囲を見渡す智を、刃のような鋭い声が制す。
額から溢れた血は鼻梁を伝わり言葉を吐き出す口から垂れた。

 

「…そうか、そうだよな…」

 

一瞬の戸惑いのうちに思い出す。
病院という施設は今、怪我人で溢れかえっていることは周知の事実だった。
学校の保険医さえも駆り出されている今、新規の利用が出来るとは思いがたい。

 

「うちは電気代払ってねえからな」
「そっちか!!てかそういう問題じゃないだろ!?」

 

本来はボケであるはずの彼女が突っ込むほど、男の回答は智の予想を越えていた。

 

「それによ、電話したって来ちゃくれねえ」
「そうだけど…お前、怪我してるんだろ!?」
「おめぇもだろ。ゆっくり休んでろっつったろが」
「…あちゃー、覚えてたか」

 

ぽりぽりと頭をかきながら、智はあぐらをかいた。
壁に突き刺さったように背を預ける男は、包帯の奥からでも分かるほど、呆れたような顔をしている。

 

「あんなズタボロになったくせに無茶しやがる。女だったらちったあ身を労わる事を知りやがれ」
「ぶー、女性差別反対!!
 あとあんたには言われたくないね。さっきあんたの胸触ったけど、なんかやばそうな感触がしたぞ」

 

「こう・・・ぐにっと」、と指の折り曲げで表し、アバラでも折れてるんじゃないのか?と智は続けた。

 

「ああ、俺ならいい。飯でも喰ってりゃそのうち治るだろうからよ」
「…そうなの?」
「今までだってそうしてきた。今度だって変わりゃしねえよ」
「あんた、歩けるの?」

 

ふ、と息のような笑いを男は吐いた。

 

「自慢じゃねえが、ここから出られる気がしねえ」

 

腕組をしながら言うような、誇らしげな声で言った。

 

「…自慢になってないぞ?」
「何言ってんだ。並みのやつならとっくに血みどろんなってお陀仏よ。
 この俺様だから生きてられんだ、自慢だ自慢」
「…・・・ご飯、どうやって調達するんだ?」

 

得意げそうな顔を包帯越しに作りながらも、その表情は固まった。
眼もどこか泳いでいるようなものに変化している。

 

「あんた、まさか……忘れてた?」

 

数秒を置き、男の口元が動いた。

 

「いいや忘れてねえ。今思い出した」
「世間一般ではそれを忘れたっていうんだよ!!」

 

びしりと指された人差し指は、比喩ではなく、男の眼前で停まった。
「ぐっ」と唸る男ににやあっとした表情を浮かべた智の視点が、男が羽織ったオーバーコートの
胸元の膨らみに注がれた。

 

「ちょっち失礼」
「そのちょっち待て」

 

互いに会話に慣れてきたのか、テンポが上がっている。

 

「テメ、何する気だ」
脱げ

 

恥じらいのはのじもなく、彼女は男に向かってそう言った。

 

「なんだお前、新手の追い剥ぎか」
「違うわ!!ってか追い剥ぎって怖っ!!ていうかオイハギって何!?」

 

予想としては、男は恥ずかしそうなリアクションをすると踏んでいたが
それは大きく外れた。
というか、思考のベクトルが真逆だった。

 

「おい、勝手に漁んな!」
「はっはー!結構入ってますなぁ」

 

ごそごそと男の懐を漁った智の手に、今時珍しいがま口タイプのサイフが握られている。

 

「おい、俺が怒らねえうちに返しやがれよ」
「へっへーん、くやしかったら奪ってみなー!」

 

くるりくるりと右足を基点にバレエの様に動く様は、
仮にも怪我人のものとは程遠い。
気紛れな小動物のような彼女の行動に、声を荒げた男も半ば諦めたようだった。

 

「おぉー、ずっしりぎっしり。小さいのにこんなにたくさん、立派ですなあ」
「てめぇの乳よりな」
「そうそう、智ちゃんもあやかりたい…って何言わすんだゴルァアア!!」
「へっ、まんまと引っかかってやんの。ざまぁみろタコ女」
「た、タコだとぅ! 女の子に向かって言う台詞かそれ!!」

 

もっとセクハラ的なことを言っていたような気もするが、
気にするのはそこなのだろうか。

 

「じゃあその髪型は何だ、イカか、イカの足か?」
「これはたこさんウインナーだい!」
「お前、バカだろ」

 

この発言にもう暫くの間、バカだ、バカじゃないの論争が始まるので割愛する。
20分ほどやり取りが続いた後に、

 

「まぁいいや。じゃ、行って来るわ」

 

と智は言った。

 

「あ?やっと巣に帰んのか?」
「あんたの餌の調達」
「俺は雛か」

 

嫌な雛である。
嫌過ぎる。

 

「じゃ、行って来るからなー」
「どこへだ」

 

男への返答をせずに、少女は暗がりから路地へと、転がるように移った。
陽光を浴び、戸を閉めようとしたとき、男が彼女へ「おい」と告げた。

 

「ああ、あとお前」
「うにゃ?」
「俺が言うことかは知らねえが、あんまその短い履物で胡坐とかすんな。それ履いてんならてめえも一応女だろ」
「えと…分かりやすくプリーズ」
「言っていいのか?絶対てめぇ、怒るぞ」

 

モグラが地面から頭だけを出すように、戸を自分の頭一つ分まで閉じたまま智は頷いた。
しかも、二度三度と、こくこくと。

 

「帰ったらちゃんと拭くか替えるかはしろよ。なんか赤くなってたぞ」

 

戸の隙間から覗く少女の顔が、果実の色でボッと爆発した。

 

「病人は黙って寝てろ!!」
「俺は怪我人だ!!!!」

 

どっちも具合が悪いということに変わりは無いが、病と傷の違いは男にとっては大きいようだ。
そう言ったそこへ何かが飛び、ばしっという音を立てて叩き付けられた。
目元から口までの、包帯が緩んでいる箇所に広がるそれに、男は見覚えがあった。

 

「それで顔でも拭いて待ってろ!!」

 

顔を赤らめ、半月状を描いた智は最後に「いーっだ!」と歯を剥いた。
直後、戸を激しく閉める音が響いた。
と、思ったら開いた。

 

「待ってろよ!!絶対待ってろよ!!絶対だからな!!!」

 

と叫び、今度こそ戸を閉めた。
先程以上の、無駄な力を込めて。
騒がしい少女一人が消えた室内は、異常なまでに静かになった。

 

「忙しい野郎だぜ」

 

沈黙の到来と時を同じく、男が口を開いた。
包帯の隙間から見える、乾いた血溜りに落ちたハンカチに眼を落とし、呟く。
それから僅か数センチの距離にある手はぴくりとも動かない。

 

「・・・どうやって拭きゃいいんだ?」

 

応えるものはいなかった。
静まり返った部屋の中、男は意識が混濁する感覚を覚え始めていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

つづく