ゲッターロボ+あずまんが大王 第4話

Last-modified: 2010-01-12 (火) 02:04:25

あの日、私は初めて、その子に出逢った。

 

曇ったガラス越しのような景色の中、僅かに途切れる雨と雨の合間に、かろうじて見えた。
傘も差さず、雨風を受け止めるようにして、その子は立っていた。

 

誰もいない公園は、激しい雨音に満ちた中でも、どこか静まり返っていて。
近所にあった、滅多に人も来ない、忘れられた共同墓地のようだった。

 

もう今は無いそのお墓は、とてもとても寂しい場所だった。
何年も前に棄てられた空き缶が、土に半分埋もれて錆びていたり、
お墓に水をかける柄杓とかも、柄の部分がばらばらに朽ちていた。

 

でも、私にとってその頃は、どこも同じ場所、だったと思う。
寂しいことに、違いは無かったから。

 

土が抉れて、泥が飛び散るほどの、一粒一粒が、重くて鋭い雨の中。
激しい雨と、風に打たれても。
石のように、微動だにせずに。
彫像のような優雅さで。
親指のように長く、小石みたいに重く尖った雨粒を、浴びていた。

 

何秒か、何分か、その時の私は、時間の感覚が曖昧だった。
きっと、小さかったからだろうか。

 

それとも、幼い眼に映るその姿に、何かを奪われていたからだろうか。

 

今とは比べようも無いほど、小さくて細い足が動くと、その度に足元で、ぱちゃぱちゃと水を弾く音がした。
今はもう履けない、手のひらに乗るような、黄色い長靴。

 

ぽつぽつとした水玉模様の雨傘と同じく、きっともう、どこを探しても見つからない。

 

お気に入り、だったのに。
お母さんが、買ってくれたものなのに。

 
 

近づくに連れて、その姿が段々と、滲み出るようにして見えてきた。

 

翼を畳んだ、燕のような姿が見えた。
何時の頃か、それは燕尾服という、格式が高い服だと知った。
水をたくさん含んだせいか、元々黒い布地が、更に黒く、潰れたようにくすんでいた。

 

絵本の中にいた、冬を越せずに死んでしまった燕の絵に、とてもよく似ていたのを、覚えている。

 

いつしか、雨のカーテンを間に挟んでいてもはっきりと、その子の姿が、見えるようになっていた。
手を届く位置に、近づいていた。

 

「…かぜ、ひくよ」

 

まだ、女の子らしく高くて可愛いかった時の声で、私は言った。
私よりもほんの少しだけ背の低いその子は、無言だった。

 

「……いっしょに、はいる?」

 

背中に突き刺さる雨の痛さと冷たさを感じながら傘を半分差し出すと、
私に背を向けたその子の首がこっちに向かって、僅かに動くのが、見えた。

 
 
 
 
 
 
 

「五月蠅い、黙れ」

 
 
 
 
 
 
 

鋭利な鎌を連ねたような、切っ先が斜め下を向いた前髪の奥から、雨よりも、氷よりも冷たい、
威嚇のような声が鳴った。

 

顔を覆うような前髪から、ほんの少しだけ見えた横顔。

 

そこに、今までに観たどんな人より、動物園で見たどんな動物より、
ずっとずっと、鋭く尖った、眼があった。

 

降りしきる雨の中。

 

産まれて初めて、明確な拒絶を、私は受けた。

 
 

・・・

 
 

今、私は。

 

青みの少なくなってきた空を見上げている。
罅の入った街壁の前に、中ほどから折れた電柱に背中を預けて見上げる空は、
昼の色が、夜の暗闇に追い出されるように見えて、少し、可哀想に思えた。

 

しんみりとした心境に浸っていると、見上げていた視界に、輝き始めた星と月とは、別の光が広がった。

 

折れた電柱を支えにして伸びる錆び付いた街灯が、穴が開いたフィルターの中から、
必死になって、光を搾り出している。

 

蛍の光のように、消えては点いて、点いては、消えて。

 

心の中で、思わず、頑張れ、頑張れと呟いた。
私の場合は無理だけど、ちよちゃんが声に出してやってみれば、とても可愛いに違いない。
…ちよちゃん、今はどうしているのだろうか。

 

杞憂を消すように、私の頭の上で、光が燈った。
その頃にはもう、辺りは闇で満ちていた。
ほの暗い今の心境は、どんな光でさえも、照らせないと思うけれど。

 

視線を落として周囲に向けると、目立つ光はここ以外、灯ってはいなかった。

 

町外れの、建物の墓場のような場所だから、人もあんまり住んでない。
人は皆、町の中で、町の中心に集まるように、寄り添うように、生きている。
もうあんな辛い思いはしたくないから、するにしても、独りは嫌だから、そうするのかな。

 

そうか。

 

君たちも、独りは嫌なのか?

 

私が、心の中で放った問いかけは、獰猛な唸り声に返された。

 

闇の中から、がちり、がちりと音がした。
音の尾鰭を引いて、牙が鳴る。
表面の、黒い部分が剥がれた鼻が光の中に現れた。
鼻のすぐ下から、歯垢が溜って、茶色が目立つようになった牙の列が、
口を閉じている状態からでも見えた。

 

私の手の平ぐらいならすっぽりと入りそうな、ぐにゃっと歪んだ耳まで裂けた
赤い舌が伸びる口からは、舌を伝って、糊の様な粘質を持った唾液が、
びたびたと音を立てて、溢れている。

 

唸り声の後に、連鎖するように、別の唸りが重なっていく。
数は、5頭ぐらい、かな。
忠吉さんとまではないけれど、大型犬に、入ると思う。

 

多分私は。

 

もしも野生動物として生まれていたら、きっと、直ぐに食べられてしまうのだろう。

 

動物のことを勉強していて、私は自分自身で、何度かそう思った。

 

怖いはずの猛獣を見ても、どこか可愛いと思ってしまう。

 

人間のほうが、ずっと怖いことを、知っているせいなのかな。

 

こんな状況なのに、怖いはずなのに、足は震えているというのに。

 
 

危機感が、全然、感じられない。

 
 

がぅう、と、獲物に向けての叫びが一斉に鳴った。

 
 

そのときに、ざすっと、土を噛み締める音が、私の背後で鳴った。

 

街灯の下ににじり寄って来た、野犬の群れだけじゃなく、私の身体も、びくりと震えた。
吸い込んで吐く息が、肌と制服の間に溜った空気が
冷気を帯びているような、氷を詰められたような、そんな冷たさを身体中で感じた。

 

空気が変わるって、こういうことを指すのかな。

 

じり、じりと。
肉球を地面に擦らせながら、僅かな唸り声を上げて、犬さんたちが後退さっていく。
犬さん、なんて呼べるのは、緊張が緩んだせいなのだろうか。

 

薄茶や灰色の毛の色が、完全に暗がりに溶け込むと、四足が、地面を駆け去る音がした。

 
 

「相も変わらず、畜生どもが好きなようだな」

 
 

這い、出(い)でるような、低くて重い、声がした。

 
 

「餓鬼の頃と変わらんな、榊」

 
 

威圧感を携えた、私の名を呼ぶ声が芯となって、気が抜けた私の身体を支えた。

 
 

…ああ、そうか。

 

知っていたから、だったんだ。

 

あの子が成長した『彼』が、ここに来てくれることを。

 

だから、恐くなんてなかったんだ。

 
 

私は出逢った。

 

11年前のあの日、6歳の頃。

 

髪を伸ばし始めた頃。

 

小学校に上がる前の、最後の梅雨に。

 

今と違って、独りぼっちだったあの時に。

 
 

振り返ったときに、光と闇の狭間に、壁面を背後にして、暗闇の側にいる彼は、
あの時よりも何倍も鋭く、燐と輝く瞳を携え、サングラス越しに、星が輝く空を見ていた。

 

そして思う。
彼にはやっぱり、黒い着物が似合うんだと。

 

暗がりの中でも分かる、黒くて、びしっとした布地のスーツが、
私よりも少し高い身長の、彼の身体を包んでいる。

 

彼は、睨み上げるよう空に向けていた視線を降ろすと、私にこう言った。

 
 

「ここよりも、星がよく見える場所がある。話ならそこで訊いてやる」

 
 

5秒ぐらいの間を置いて、私は、無言でこくりと頷いた。

 

うん……行こうか。

 
 
 

ジャガーのように精悍で、とても怖くて、恐ろしくて。

 

怖いけれど、物語に出てくる神獣のように、凛々しくて。

 
 
 

けれども。

 

いつかは撫でたい、『かみねこ』に似た、私の幼馴染。

 
 
 

神君。

 

…神…隼人君。

 
 
 
 
 
 
 

つづく