ゲッターロボ+あずまんが大王 第4話-(4)

Last-modified: 2010-02-25 (木) 22:21:14

「それで、お前は何をする」

 

隼人が言う。
その顔には既に緩みは無く、感情を表す形状は欠片も残さず消えていた。
ただ、常に鋭さを保った目付きが、榊には注がれていた。

 

「……助けたい」

 

沈黙を置き、榊が返す。

 

「……苦しんでいる生命(いのち)を、助けたい」

 

搾り出すというよりも、絞り粕を無理やり束ねたかのように、その声は細い。
先程の強がりの反動が、今になってきたのだろうか。

 

「そうか。じゃあ聞け」

 

対する隼人の声には、微塵の罪悪感も無く、素っ気無い。
そして、岩塊のように重く閉じた口が、軽口を叩くかのように、軽やかに開いた。

 

「ああいう商売が成り立つってことは、需要があるってことだ。それが合法なり、非合法なりでな」

 

売春という行為を思い出したのか、榊は思わず眼を伏せた。
が、一瞬だけ、僅かな隆起だけが確認できる地面に眼を置くと、
頬を僅かに染めたまま、再び隼人の方へと視線を戻した。

 

「尤も法なんてもんは、既にいかれかけてるが」

 

回帰した視線を、辛辣な言葉が出迎えた。
榊の心に、悪寒と嫌悪。
そして、仄かな恐怖が湧いた。

 

「覗かない方が身のためだ」

 

隼人がそう告げたのは、榊の表情に、恐れと疑問が滲んでいたのを見たためだろうか。

 

「今のところ確認できているだけでも、この町には大体1000ほどの人間がいる。 お前らの学校には……まぁ、これはいい」

 

言葉を途中で切った理由は、榊にも分からなかった。
彼に問うたところで、面倒くさいからと言われれば、それまでである。

 

「一日で、ここから何人、死ぬと思う?」

 

美麗な黒髪が寄り添う背中に、隼人から与えられるものとは別の、戦慄の冷気が走った。

 

「野垂れ死に、飢え死に、通り魔、追い剥ぎ。他にもアレだ、色々ある」

 

一区切りつけると、彼は僅かに息を吸った。

 

「瓦礫もどきを寝床にして、どいつもこいつも虫けらみたいに這いずり回ってやがる。 この光もそれだ。這いずり回る奴らの排(だ)す物だ」

 

沈黙を保っていた榊の口が、心と共に震えた。

 

「………やめてくれ」

 

小さな、囁き以下の言葉となって、それは出た。
彼にならば聴こえたはずだが、隼人は次に、こう言った。

 

「命ってのは、そんなもんだ」

 

頭の中で何かが、芯の入った何かが切れるのを、榊は感じた。
おおよそ激情とは無縁な少女の心に、感情が波となって渦を巻いた。
解き放つ言葉の中身も定まらぬままに、その柔らかな唇を開いた刹那、

 

「聞け」

 

隼人の声が、空間を貫くように、闇夜に響いた。
榊は知った。
その声に、彼の意思が、感情が混じっていることを。

 

「俺達は、そう時期を生きている」

 

魂に釘を穿つかのごとく兇悪な言葉は、叱咤に近いものではないかと、彼女は感じた。

 

「お前が命とやらに関心があるのは昔聞いた。そしてそれを軽んじていないのも知っている」

 

再び無言となった榊に、彼は語る。

 

「だが、この町で見つかる屍骸の大半は連れ合いを失った若い女と、親兄弟を失くしたガキだ」

 

残忍な言葉を、浴びせるように榊に語る。

 

「そしてそれは、この町だけに限ったことじゃねえ」

 

残酷な言葉のワードの一つ一つが、少女の心に、突き刺さる。

 

「この町に何があるのかは、訊くなら詳しく教えてやろう。危険な場所も、手間がかかるが教えてやる」

 

言い終わると、彼の足が土畳を叩いた。

 

「だが、これは覚えておけ」

 

榊に背を向け、一度二度と地面を鳴らすと、彼は榊に向き直った。

 

「助けるとか、救うってのは、簡単でもなければ楽でもない。………それと、さっきの話だが」

 

歩きながら言葉を吐きつつ、振り向き様に。

 

「駄目だ」

 

最後の一声は、消えるように閉じた。

 

「お前のことは面倒見れん」
「……そうか」

 

落ち着いた声は、落ち込みから来たものである。

 

「今は女一人すら、こちらには置ける余裕が無い」

 

その言葉によって、彼女の表情が薄い光を帯びた。
今は、の一言を聴き逃すほど、彼女は愚鈍ではない。

 

「だから、しばらくはあの学校で我慢しな」

 

眼を細め、眼下に広がる半瓦礫の集落の奥に視線を飛ばした。
町並みを従えるかのようにして建つ、一際大きな建物の影が、うっすらと聳えている。

 

「一緒に来た、友人どももいるんだろ」

 

気だるそうな声で作られた言葉に榊は無言で。
しかし、嬉しそうに微笑みながら、頷いた。

 

「うん……大事な、友達がいる」

 

微笑みを湛えたまま、榊は返した。

 

「大事、…か」
「同性の友達が出来たのは……高校が初めてだからな」

 

初めて、という言葉を放った直後の榊の表情に、苦悶のような翳りが浮き出ていた。

 

「そうか」

 

それを無視するかのような、相変わらずの冷声。
だが、今回は

 

「そいつはよかった」

 

僅かな、暖気を含んでいる。
声色は微細だに変化していないが、少なくとも、彼女にはそう思えた。
その声に、榊の記憶を苛む苦痛が消えた。
鬱屈して溜まっていた血が流れたかのように、顔には生気が満ちた。

 

「…うん」

 

返したそこに、ざざざ、という上からの音が紛れた。
音がした方向に榊が目を這わせた時、その肢体の頭から足先までを一陣の風が撫で上げた。

 

その風の力は強く、木の葉のみならず、枝を震わせ、太い幹までをも微震させた。
それに、長身とはいえ細身である少女の身体が大きく揺れた。
手で直に突き飛ばされるような衝撃が背中の方から持ち上がったと思いきや、
今度は木々の間をすり抜けた別のもう一陣が横殴りにぶち当たる。

 

そして何より、一番彼女の身体を震わせたのは、

 

「ひィあっ!?」

 

スカートの中からへそと胸の辺りを這うようにこみ上げる、不届き者の風だった。
夜風によるひんやりとした感触の後に僅かな体温の上昇を感じ、喘ぎの様な声となって彼女の口から漏れた。
自らが掻き上げているかのように乱れる長髪の奥、
糸が切れた人形のような動きで、地面へと堕ちる少女の姿があった。

 

舗装の無い地面の至る所から、破片のような突起が突き出ている。
その先端と側面は、ぎざぎざとした溝の線が波打っている。

 

前のめりに崩れる刹那、彼女は自らに向けて伸びる、牙のような五指を見た。
それがまるで獲物に喰らい突くかのように、彼女の艶やかな黒髪を抜けて、首根っこの襟元へと至った。

 

「山風だ」

 

地面を目前にしてから一瞬で引き上げられたことを、彼女はこの時に認知した。
襟元から首を引き上げられたにも関わらず、首元に宿るはずの痛みは無い。
それどころか、力が生じたとは思えないほど、その過程が知覚出来ないほどに、
彼が施した力の流れと扱いは不可思議だった。
無造作に行われたにも関わらず、高度な技であると知覚して微塵も差し支えが無い。

 

そして。
榊がこれを経験するのは、この時が初めてではなかった。

 

「いい気分はしないだろうが、我慢しろ」

 

襟元に爪を添えたまま、隼人が告げる。
その切っ先が布地に喰い込んでいないのは、彼なりの配慮だろうか。
声の直後に、風は更に強さを増した。

 

二つの長身の影は、翼のように靡くスーツの内側で一つに重なっていた。

 

榊は崖を背後とし、隼人の背後では、轟々とした風が引っ切り無しに押し寄せている。
時々、彼の背を斬りつけるように枝や砂が掠めた。

 

やがてそれらがぶち当たり始めたとき、彼は唇を僅かに歪めたが、それも直ぐに止んだ。
一際大きな風が吹いたとき、砂嵐の一辺を切り取ったかのような光景が彼らを包んだが、
隼人は僅かに呼吸を小さくしたのみで、目元さえも動かさなかった。
ただ、鳩尾の辺りで鳴る、己とは別の脈動だけが、意識の片隅に
焦げ痕のようにこびり付くのだけを知覚していた。

 

「終わったぞ」

 

言い終わる直前に、榊の顔へと向けて飛来した木の枝が、空中で裂けた。
ぱらぱらと舞い落ちるそれが弾けた音が空気を伝わる前に、
それまで垂れ下がっていた左手が動いたことは、榊には分からなかった。

 

ただ、彼の仕業によるものとだけは分かり、

 

「……ありがとう」

 

と告げた。

 

「…山風って…?」
「上から下に流れる風だ。 周囲が山に囲まれてるからな、風の流れが溜りやすい」
「君でも、知らなかったのか?」
「地形が変わったせいでな」

 

隼人は道端へと目を落した。
土に食い込む突起の幾つかに、かつて技術であったものの残骸を見つけた。

 

「…ところで」

 

目を鼻先のあたりに向けると、きょとんとした表情をした榊がいた。

 

「お前、野朗に触るのは苦手じゃなかったか」
「え………うぁっ!」

 

彼の胴体にしがみ付けていた腕を緩ませ、慌てながら離れた。
頬は赤らみを越えて紅潮に至り、その時に上げた一声は嬌声に近かった。

 

「気をつけたほうがいい。そういうのは誤解を招く」
「…すまない」
「別に謝る必要は無い。 それにしてもお前、背が伸びたな」
「…それは、少し気にしている」
「まだ、背が低い方がいいと思っているのか?」
「……背が低い方が…可愛い方が……強い」
「強いか。なら仕方ないな」

 

僅かな風が揺れる中、微妙に噛み合わない会話が成立する様がそこにはあった。

 

「君の背が、私を越えたのはいつだったかな」
「俺が高校に転入することが決まった、少し前だ」
「…そうだっけ?」
「前髪の差で俺の勝ちだった」

 

榊は、くすりと笑った。
顔の紅潮は既に引き、白磁の肌に月の明かりが映えている。

 

「負けず嫌いだな」
「ああ、負けるのは大嫌いだ」
「君らしいな」
「分かってるじゃないか」

 

ふと、そこに影が降りた。
同時に。光の根源目掛けて二組の眼が動いた。
一つは眺めるように、もう一つは睨むように。

 

「…曇ってきたな」
「…ああ」

 

満月に近い円を描いていた月に、もわっとした闇の穴が開いていた。
それは内側から広がるように集まると、風の流れによって、見る見るうちにその半分を飲み込んだ。

 

「言いたいことは、さっきまでので全部か?」

 

侵食される月影を眺めながら隼人が言った。
榊はそれに頷きで返した。
闇に近い暗がりにも関わらず、それは隼人に伝わった。

 

「なら、もうお開きとしよう」
「…うん」
「奥の道を行けば、お前らの住んでる寮に出る。さっきので枝が落ちているかもしれんから気をつけろ」
「…相変わらず、優しいんだな」

 

その言葉に、隼人は黙った。
意識の元で黙るというよりも、背中の辺りで沸き立つ嫌悪感によるものが原因としては近い。
その証拠に、鋭さのある顔に浮かんだ表情は険しく、忌々しいものに対するそれの意表が少なからず帯びている。
優しいという言葉をかけられることは、彼にとっては強烈な拒否反応を生じさせるらしい。

 

「一張羅を貸すのは、もう御免だ」

 

喉の奥から引き摺りだしたかのような声に対し、榊の口元が緩んだ。
小さな悪戯心が、彼女の心に広がった。

 

「でも、君は優しい」
「…またか。今度は何だ」
「時代と言わずに、時期と言った」

 

その言葉に、人差し指で心臓を押されているかのような忌避感は、隼人から消えた。

 

「それがどうした」
「このままで、済ますつもりはないんだろ?」

 

そう告げた榊の眼には、凛とした輝きが溢れている。

 

「さぁ、な」

 

含み笑いのような声で、隼人は返す。
榊の口元の緩みも、笑みとなる。

 

「君は、昔から嘘をつくのが下手だ」
「練習をした覚えは無いからな」
「…ッ」

 

榊は眼を伏せると、口元に開いた右手を被せた。
口からは小さな息が漏れ、そこを基点にして、肩と腕が微震している。

 

「…どうした」
「…ツボに…」

 

ふぅ、と息を吐くと「平和な奴め」と皮肉を込めて言った。
皮肉の対象は、恐らくは彼自身である。
言いざま、彼は左手首をちらと見た。
古めかしい腕時計の短針の先端は、8の数の僅かに右に宛がわれている。

 

「時間、大丈夫か」

 

その言葉に、榊の震えは止まった。
すらっとした動きの下で手を下ろすと、微笑が消えた顔に、普段の無表情顔が浮かんだ。
しかし、その表情は普段よりもやや暗い。

 

「…残念だ」

 

その言葉が、原因だろう。
しかし、それを拭うかのように微笑すると、彼女は隼人の顔を眺めるように見た。

 

「おやすみなさい」

 

透き通る声に、隼人の反応は遅れた。
侵食された月の明かりの一欠けらが、榊には注がれている。

 

「…ああ」

 

返すと同時に、時計が八時の訪れを刻んだ。

 

くすりと笑い、榊は隼人に背を向けた。
美しい黒髪が、その動きに従い、テイルのように揺れる。
隼人は数歩下がると、無言で見送った。

 

彼らが登った坂の切れ目の奥に広がる闇に、榊の半身が触れた。
その先にある道の中には、ほんの微かな光しかなく、僅かな段差や突起が見えるのみである。
眼前に広がる、それに対し、榊の心は少女らしい怯えを抱いた。

 

「榊さんよ」

 

背後で鳴った冷徹な声が、榊には陽光のように感じられた。

 

「そんなもんに、怯むのか?」

 

その声に、心が熱くなった。
身体を巡る血液の一滴さえも、指の先端も、暖気で満ちた。
一瞬、目蓋を閉じて、眼を開く。
眼前の闇は恐怖の対象などではなく、踏み越えるための場所にしか、過ぎなくなった。

 

「…神君」

 

冷たい空気を吸い、体温と等しい温度を纏った息を吐き、背を見せたままで、隼人にこう告げた。

 

「いい夢を」

 

ぴくりと眉を動かし、隼人は間をおいて、言葉を選ぶようにして、こう返した。

 

「努力はしよう」

 

首を背後にちらとやり、榊は再び歩き始めた。
最後に彼女が浮かべた表情は、感情の表現の苦手なはずの彼女が浮かべられる、最高の笑顔だった。
美しい影が、闇の中でも形を留めて、進んで行った。

 

眺めるように、隼人はそれを見ている。

 

どれほどの時間が経ったか、角度の値を増やす傾斜と闇の先に、彼女の影が消えたときに。
彼の背後で、何かが擦れる音がした。

 

「いい夢…ねえ」

 

ずるりという音を響かせ、スーツの生地が何かを擦った。
同時に、直立していた彼の体勢も大きく崩れた。
その背後には、彼の胴の倍近くある樹木が、岩のように聳えている。

 

歪に、蕩けるように歪んでいる樹皮の表面に、彼は肉体を預けていた。

 

「夢の見方なぞ、忘れちまったよ」

 

僅かに笑い、皮肉を込めた言葉を呟くと、その身体が大きくぶれた。
腰の辺りからゆっくりと、樹皮を這いながら、その肉体が堕ちていく。

 

「悪いな、榊」

 

彼の頭部の辺りに、大きな穴を穿たれた木は、瑞々しさを失い、朽ちる運命にあると見えた。
その根本に腰を落しながら、掠れる息の合間に、告げるように言った。

 

その眼に宿る眼光が光を失いかけているのは、項垂れていることだけが、原因ではないようだ。
目蓋が上下に微震し、時折、地面を向いた視界が、一辺の光も無い闇へと変わるのを、隼人は見た。

 
 

「こんばんわ」

 
 

その声に、隼人は眼を見開いた。
地面が移っていたはずの視界に、赤い鋭角が二つ、並んでいる。

 

唾液で粘つく口腔を引き裂くように彼は口を開くと、暴食するように息を吸った。
空気が飛び込んだ喉と肺に、焼けた油を注がれたような痛みが走った。
それが脳を焼くかのように意識の中に広がると、
言葉を吐きかけた口から、生ぬるく、重々しいカタマリがぼたりと堕ちた。

 

「何をしに来た……『鬼娘』」

 

威嚇の意を表すように、眼光が刃を越えた鋭さとなる。
牙の隙間から垂れ、顎を伝って襟元を汚すそれを拭いもせず、
吐き気を催す鉄錆の味を口腔に充満させながら、彼は、呪詛のように言った。

 
 

見上げた先に、白衣を纏った女性が、一人。
光を失った闇の中でも分かるほど、嫌な笑顔を浮かべた女性が、そこにいた。

 

彼が浮かべた、常人なら発狂しかねない眼光が届いているにも関わらず、
その美しい顔に宿った表情は、彼女の意識の下で形成されている。
女の顔は、ある種の狂気に満ちていた。

 

「鬼娘なんて心外ね。ちゃんと名前を呼びなさい」

 

かちりと鳴った真紅のハイヒールが、彼の口から滴るカタマリを踏みつけた。

 

「早乙女ミチル、さんってね」

 

嗜虐心を剥き出しにした声の後に、隼人の吐き出した血塊を踏み砕く、嫌な音が広がった。

 
 
 
 
 
 
 
 

つづく