ゲッターロボ+あずまんが大王 第4話-(5)

Last-modified: 2010-03-10 (水) 16:26:08

プレハブ特有の安っぽい電球の明かりの下。
簡素なベッドに敷かれた布団の、膨らんだ箇所に一本の腕が伸びた。
ぽこりと膨らんだそこは、手が触れる数センチ手前で、種子のように割れた。
そうして開いた、白い生地と黄色の枕の間からは、少女の顔が現れた。

 

「おひゃあ」

 

光の下に出でた顔は、眠たそうな声で告げた。
声を掛けられた方の先に、理知的そうな顔をした少女がいた。

 

「もう夜だけどな」

 

そう言いざま、暦は伸ばした手を引っ込め、その手を目元へ送った。
やや厚めの眼鏡を押しやり、横たわる智の隣へと腰を落した。
スカートの中から伸びる肉付きの良い脚を、薄茶色のニーソックスが覆っている。

 

「どうだ、じっくり休めたか?」
「そりゃあもう。 夢見ライフをたっぷり堪能させていただきましたよ」
「お前はいつも寝てばっかだろ」
「いやぁ、何ていうかね。私が起きてると何かが私に囁くんだよ」
「…そうか」

 

眼鏡越しに注がれる視線に、呆れの色が映えている。

 

「ともちゃんよ眠れー、ともちゃんよ眠れーって。いやね、私も起きていたいのは山々なんだけどさ。
 それが続くせいで寝ちゃうんだよなぁ、コレが」
「何があんたにそんなこと囁くんだ?神か、悪魔か?」

 

我ながらアホらしい質問だと、暦は思う。
それに対し、智は眼をくりっと上部に向けて、何かを想っている。
とぼけながらも、どこか真面目そうなその表情に、暦が抱いた阿呆らしさは大きく増大した。

 

「例えるなら、大いなる意思ってヤツ?」
「…バカかお前は」

 

本音である。

 

「今まで散々聞いてきたけどさぁ…そんな突拍子も無いこと聞いたのは初めてだぞ」
「うん、私も初めて言った」
「毎回言われても困るけどな」
「大丈夫、このネタは一度きりだから」
「回数なんてあるのか。お前がそこまで計算高かったとは知らなかったぞ」
「ふふん、こう見えて私は理数系なのだ!」
「あんた、こないだ文系って言ってたよな。私は話術が巧みなのだーとか言って」
「うわぁ…」
「…何だよ」

 

にへら、とした半笑いを浮かべた智に、暦は背筋が冷たくなるのを感じた。

 

「全く、よみは相変わらず執念深いなぁ」
「…執念深いとは何だ執念深いとは!」
「あんたはきっと、恋愛で苦労するタイプですなぁ」
「お前にそんなこと言われたくねえ!!」
「おー、怒ってる怒ってる」
「人を動物みたいに言うな!」
「えー、人間も動物じゃん。あんた何?細胞具(サイボーグ)?」
「おい!後半の五文字のアクセントがおかしくないか!?」
「ん?そう?まぁ気にしない気にしない。 ところでさ」

 

憤慨に満ちた突っ込みを繰り出す暦の挙動を、その声が遮った。

 

「今、何時?」

 

暦に向いていた視線は、暦とは逆の方向、窓際に鎮座する机の方へと向いている。
暦は立ち上がって数歩歩き、光が陰る場所にある丸っこいシルエットを手に取った。

 

「今丁度9時半だ。そろそろ消灯だな」
「ん…ありがと」
「腹、減ってるだろ。冷めちゃってるけど持ってきたぞ」

 

智が頭を預ける枕の隣に、銀色の丸い塊が二つ、置かれた。

 

「喰い易い様に握ってやったぞ。感謝しろよな」

 

その言葉に、智は小さく頷いた。
その時の目と表情には、それまでのふざけた態度は無く、
弱弱しささえ感じさせた。
二つ置かれた内の一つに手を伸ばすと、皮を向くように、
ごわごわとしたアルミフォイルを、半分ほど剥がした。

 

「ほら、口開けろ」

 

ずいと眼前に差し出された白塊に、智は妙な威圧感を覚えた。

 

「…ちょっと怖いな」
「不恰好なのは気にするな」

 

この場合の捉え方は、両者で異なっていた。
暦は急ごしらえによる雑さを指されたものとしたが、
智が思い描いたのは既視感である。

 

「歯、欠けちまったな」
「大丈夫、そのうち生えるから」
「…ま、明日でいいから歯磨きはしろよ」

 

言い様、白塊が智の歯に触れた。
小さな口が、削り取るようにして米粒を食んでいく。

 

「ところでさ、何であんた制服着てんの?」

 

一つ目を胃袋に収め、二つ目を剥き始めた暦に智は訊いた。
時間から考えれば、既に寝巻きに着替えているはずであるのに、暦は未だに制服を着たままだった。

 

「ちょっと、緊急の全体ミーティングがあってな。脱ぐ暇が無かったんだ」
「ミーティング?」
「ああ、二時間くらいの長いやつな」
「…何で?」

 

智の声が僅かに震えた。
自分達に降掛かったことを連想させたためである。

 

「この宿舎のフェンスが破られた」

 

重い口調で、暦は返した。

 

「ここの裏手の方の、な」
「…それだけ?」
「ああ」
「…それ、そんなに大事?」
「おいおい…お前、脳涌いてんじゃねえのか?」
「えと…私理数系だからどういう意味かが…」

 

恐らくは『涌く』という言葉に対してだと思われる。
ふう、と、中くらいの溜息が暦の口から漏れた。

 

「いいか、今からその自称理数系とやらにも分かりやすいように説明してやる」
「ふむふむ」

 

ちょっとした興味を沸かせたような態度に、暦は引っ掛かるものがあったが、
面倒だと察したためか、突っ込むことはしなかった。

 

「ここが狙われてるってことだよ」

 

重さを強めた声で、警鐘の意を表すように暦は言った。

 

「考えても見ろ、ここは男より女が多い。 ましてや…思い出したくなんてないけど、町にはクズも涌いてるしな」

 

最後の幾つかの単語は、限りなく憎悪に近い発音で出来ていた。

 

「先生達が出張って調べてみたんだってさ。
 幸いなことに、他には何も変わったことは無かったみたいだけどな」

 

智は、それをじっとして聴いている。
ちらと覗くと、彼女は眼を布団に押し付けるように伏せているのが分かった。
怯えであると暦は察知し、こう続けた。

 

「せいぜい、門限を過ぎた榊がゆかり先生に〆られただけだ。反省文30枚とか、どうやって書くんだろうな。
 今日はいつもより機嫌が悪かったからな。特に昼の辺りから。何やら、喧嘩でもしたようでな」
「喧嘩?ゆかりちゃんが?」

 

いつもの事ではないか、と智は思ったが、今回は様子が違うらしい。

 

「なんでも、昼食のコンビニ飯を争ったらしい。お医者さんと」

 

コンビニという単語に、智は覚えがあった。
思わず走ったうすら寒さを布団の中で走らせると、震えを堪えて言葉を吐いた。

 

「…こ、コンビニ?」
「ああ、SEVENな。昼ごろには惣菜の大半が売り切れてたらしいけど」
「ふ…ふぅん…」

 

その事柄には覚えがあった。
というよりも、原因は彼女本人である。

 

「ま、こんな時だし、どうせ保存料とかをどばどば浸かせた粗悪品だろうけどな。しかも値段はやたらと高かったらしいし」
「…それのせいか」
「何か言ったか?」
「い、いいえ!何でも無いですよ」
「変なヤツだな…ま、いつもか」

 

反論したい気持ちを堪えて、智は暦に視線を送った。
暦はそれを催促と受け取り、話を続けた。

 

「最後の幕の内を、お医者さんに取られたんだとさ。タッチの差だとか、最初に触れたのはこっちだとか、言ってたっけ」
「幕の内…そんなに食べたかったのかな?」
「いや、多分面子の問題だろ。あの先生は引くとか譲るってことには無縁だからな」
「…確かに」

 

彼女たちには、それを容易に想起させられるほどに数多くのエピソードを、
日常での実体験としてその身に刻まれていた。

 

「ああ、意向の授業中はずっとイラついてたからな。『あれは絶対にビッチだ』とか、
『胸に十字架なんて色気つきやがって』、とか、色々と呟いてた…っていうか吼えてたな」
「ビッチってことは、相手は女だよな?」
「そうなるな。先生と喧嘩が出来る女の人は、人間だと黒沢先生ぐらいだと思ってたんだがな」
「…想像したくないな、その喧嘩の光景」

 

容姿については想像するしかないが、あの先生と口喧嘩が出来るとなると、相当なものだろう。
そして話を伺う限り、その時と場においてはゆかりは敗北を喫している。
これは驚愕を超えて脅威に足りえ、事実、榊にはそれがとばっちりとして降掛かっているのである。

 

「…確かにな。まぁ、話を戻すぞ。
 それでな、破られたフェンスの近くには足跡が一人分だけ。
 ここの裏なんて、人通りは少ないだろうからな。実際に見てみないと分からんが、多分それは合ってるだろう」

 

そこに、『でもな』、と暦は加えた。

 

「それがな、どうもおかしいんだと」

 

ゆかりの件で優先度が下がっていた認識の方向が、再びそちらへ向いた。

 

「木村先生たちの話声を聴いたんだが、ここを囲ってるフェンスは、簡単に壊れるような代物じゃないらしいんだ」
「そりゃあ、フェンスは簡単に壊れないだろ。私でも壊せないんだから」
「…まあいい。どの程度かは分からんが、戦争中に作られて、今まで残ってたやつらしいからな」
「うーむ…イマイチ実感が湧かねえなあ」
「ま、明日学校に行くときに見てみるさ。それとな、おかしいのはこれだけじゃないんだ」
「まだあんのかよ。智ちゃん退屈で眠くなってきました」

 

零すように言った後に智は、ふああと大きく、欠伸を鳴らした。

 

「破られたところが、全部直されてるんだってさ」

 

欠伸をしたままの形で、智の表情が固まった。

 

「…え?」

 

例えるならば、蝋人形が熱で溶けるような、
ぐにゃりとした動きを行いながら、智は疑惑で満ちた呟きを放った。
言っていることの意味というよりも、言葉自体が分からないという風であった。

 

「ああ、直されてるんだ。いや、なんていうかな。ややこしいんだがな…
 …破られたところが結ばれてるらしいんだ、網目の一辺残らず全部」

 

智はその時自分の肌から、熱い汗が絶え間なく染み出すのを感じていた。

 

「ゆかり先生の話だと、口の中で結ばれた、さくらんぼの茎みたいにされてた…ってさ。
 たまたま通りすがった黒沢先生が見つけたらしい。体育の教師だから、目に付くのも早かったんだろうな
 普段からの、生活の中での洞察力も高いだろうし」

 

つまり、だ。
と、結論付けるように暦は言った。

 

「そいつは、具体的に何をしたかったのかは知らんが宿舎裏のフェンスを…まぁ、道具を使ったんだろうが。
 頑丈なフェンスを破って宿舎の、少なくとも敷地に入って何かをやって、そして出て行ったときに壊したフェンスを直していった…って、いうことになる」
「…ミステリーだな」

 

何故か湧き出るダラ汗が顔にまで至っていないかが、智にはほんの少しだけ気がかりだった。

 

「…不真面目かもしれんが、私はアホらしささえ感じるぞ。ワケがわからん」

 

少しの間を置いて、暦はそう返した。
智の馬鹿騒ぎに対する、気の抜けた阿呆らしさが、そこにはあった。
いい終わると、暦は智の枕元に視線を落した。

 

現在の時刻は、10時を廻ろうとしているのが見えた。

 

「じゃあ、私はそろそろ行くわ」
「ん、部屋替え?」
「この間やったばっかだろ。席替えじゃねえんだから、んなに頻繁にあるか」

 

部屋の奥へ足を運ぶと、暦は小型のクローゼットを開き、自分の寝巻きを取り出した。

 

「ちょっと、神楽のとこに行ってくる」

 

その声が妙に沈んでいたことを、智は聞き逃さなかった。

 

「…神楽に、何かあったのか?」

 

しまった、という小さな後悔の念が暦の心に湧いた。
明るく言ったつもりだが、どうやら本心を察されたらしい。
智が持つ、時折の勘の鋭さを侮っていたらしい、と。

 

「いや、ちょっと夜遊びに…な」

 

今度は、どうだ。
という考えが心の中で発現し、言葉を言い終えると、その喉が硬い唾液を飲み込んだ。

 

「もしかしてあんた…夜這いの趣味にでも目覚めたのか?」

 

沸き立つ怒りよりも、安堵の方が勝った。

 

「…なわけねえだろ。バカ」

 

そう言って、入り口の方へと暦は歩を進めた。
靴をとんとんとつま先に押し込むと、ドアに手を掛けた。

 

「何かあったら、ポケベルで呼べよ。まぁ、どうせ隣だしな」

 

ドアを半開きにさせると、智の方へと振り返った。

 

「水、ペットボトルに入れて手元に置いといたからな。飲む時に辛かったら遠慮なく呼べよ」

 

きつめの言葉とは裏腹に、声は穏やかで、温かい。

 

「…うん」

 

しおらしく返す智を視て、暦は得意げな笑みを浮かべた。

 

「じゃ、おやすみ。夜更かしなんてしねえでさっさと寝て、早く治せよ」

 

身を半分以上外へ出しつつ視ると、こくりと小さく、丸っこい頭が上下するのが見えた。

 

「…おやすみ」
「ああ、おやすみ」

 

互いに、穏やかに言い、穏やかに返す。
閉め際に、戸の近くのスイッチを暦は押した。
ドアの閉まる音が小さく響く前に、部屋は闇で満たされた。
カーテンを張られた窓際だけが、月の明かりで僅かな光が燈っている。

 

もぞりと動き、智は布団の中にすっぽりと潜ると、胎児のように身体を丸めて、全身を収めた。
そして布団の中で、智は何かを掴んだ。
握られているのは、内容物を満たしたそれに、彼女は覚えがあった。
硬質ながらも軟らかい軟物質を満たしたそれを二度、三度と握ると、

 

「…あいつ……」

 

と、彼女は呟いた。
汗を吸った制服の、ひんやりとした感触の奥に溜った緩やかな熱に抱かれながら、
智は眠りの世界へと落ちて行った。

 
 
 
 
 
 
 

つづく