ゲッターロボ+あずまんが大王 第4話-(6)

Last-modified: 2010-03-11 (木) 23:55:08

翌日。
町と瓦礫の境目に佇む一軒の建物の戸を叩く少女がいた。
昨日よりは翳りのある日光の中、その音と勢いは、積もる雪のように増していく。
その数が20に迫ったとき、それは止んだ。
嵐の前の静けさという言葉があるが、この場合も、まさにそれだった。

 

扉との距離がほぼ密着に近い位置であった場所から数歩下がると、
集中の意を表すかのように目を閉じると、肩がすっと上がるほどに大きく息を吸った。
空気が小さな肺を満たし、閉じられていた眼がかっと開いた。

 

「ちょいやああーーーーーー!!!!!」

 

奇声を智とし、いや、友として、前蹴りが繰り出た。
その的は、眼前に聳える古びた戸である。
それが、何の前触れもなく開いた。
開かれた先に広がる薄闇の世界に、日光と、彼女の細い脚が突き刺さるように入っていく。
日の場合は、問題は無い。
遮蔽物を取り除かれた先の闇に侵食するように、その姿を映えさせればよい。
ただ、肉の身体を持つ智にとってはそうはいかない。
力学的な法則に則って、転倒へのガイダンスを踏むことになる。

 

「うぉお!?」

 

女の子らしからぬ勇ましげで間抜けな声を上げて無様につんのめるそれを、支えるものがあった。
僅かな光に照らされたそれは、包帯に覆われていた。

 

「テメ、何やってんだ」

 

腹を支える腕にしがみ付きつつ見上げた視線に、これまた包帯で顔を包んだ男がいた。
流れる焔か荒波か。
連なる刃を連想させる髪型の下の包帯の縫い目から、
鋭くも惚けたような眼光と自らの目線が交わったことを彼女は知った。
心なしか、昨日よりも解れている巻き具合を見て取ると、智は腕に寄りかかったまま、左の手を垂直に伸ばした。

 

「おっす」
「…おう」

 

反応に困ったか、僅かに時間が空いた。
やりとりを見る限りぶっきらぼうな性格であるとされる彼にも、困るということはあるらしい。
立てるか?と聞いて智が頷いたのを確認すると彼は壁に身を預け、
そのまま壁を這うように移動すると、崩れるように腰を下ろした。
智が、この中で彼と初めてであった場所よりも入り口側にやや近い。
その脇に、光の円が降りているのは、天井に空いた大穴のせいである。

 

「お前、また来たのか」
「へへーん、嬉しい?」
「…昨日、俺が何つったか覚えてるか?」

 

そう彼が言う最中に、彼女もまた靴を履き捨てるように脱ぎ、壁に身を預ける彼の元へと歩み寄った。
どっかりと尻を床に下ろした彼女は、学習ということを知らないのか覚えていないのか、
またもや胡坐をかいている。
彼もそれに気付いたが、注意しないところをみるに、面倒なので無視することにしたようだ。

 

「今何時?」
「さあな」

 

半ばうんざりしたような口調で、彼は返した。
皮肉のつもりらしかった。
しかし、返ってきたのはそれを意にも解さない快声だった。

 

「うわ!今時時計も持ってないんだ!遅れてやんのー!」
「お前、昨日俺になんつったっけ」
「脱げ?」
「違ぇよバカ野朗!!」
「野朗とはなんだ野朗とは!これでも私はか弱き乙女だ!」

 

乙女なら胡坐はかくんじゃねえよ。見えるじゃねえか。
との声が喉を潜ったが、それを唾液ごと飲み込むと、彼は天井の穴から空を覗き見た。

 

「今は大体12時ぐれえじゃねえのか。学生っつうのは随分寝起きが楽なんだな。羨ましいもんだ」
「ばっかでー。そんなわけねえじゃん」
「なんだと?」
「あたしゃまだ療養中で学校はお休み。お腹とかズキズキ痛いんだよね。足腰も立ってるだけでがくがくするし」
「療養ってコトバをもうちっと勉強した方がいいらしいな、お前さんは。」
「あんたバカだなぁ」
「なんだと!?」
「療養中だからこうしてるんじゃん?分かる?分かるかい?少年よ」
「…俺に分かるように説明しろ!!」

 

その言葉に、智は何故か鋭い威圧感を感じた。
まるで、復讐鬼のような、握り潰される様な。
口調が変化していないにも関わらず生じたそれは、まるで別の次元から去来したエネルギー体のように
一瞬彼女の心を掴んだが、過ぎ去るのも一瞬であり、ほどなく彼女の思考は通常に戻った。
余計かもしれないが、彼女の場合の通常とは常人の通常とは異なるのだが。

 

「つまりこれはアレよ。リハビリってやつですよ」
「………ほう。で、何でここに来たんだよ?」
「だって日中は友達学校だしぃー、眠ってばっかでもつまんないしさぁ」
「学生の本分は勉強だって聞いたぞ。本でも読んだらいいじゃねえか」
「いやあー、私理数系だから本を読むのは苦手なんだよねぇ。五文字読むともう夢の中ってゆーか」
「そいつあ便利だなおい。ってかそれで時間潰れるじゃねえかよ」
「私は限りある時間は有意義に使いたいんだよ。マンガを読むとか」
「マンガなんて持ってるのかよ」
「ううん」

 

胡坐によって開かれていた脚が、もぞもぞと閉じると、今度は体育座りになった。

 

「持ってたけど、戦争で全部燃えちゃった」

 

顔を二つの膝小僧の間に埋めつつ、細い腕で抱き寄せるように脚を包む姿は
寒さに震える小動物の姿を連想させた。

 

「…悪いな」

 

彼らしからぬシンとした声に、彼女は顔を上げた。

 

「な、何だよ!謝る必要なんてねえよ!別にあんたのせいじゃないだろ!」
「ならいいんだがな」

 

その声に自嘲気味な笑いが混じっていたことに、彼女は気付けただろうか。

 

「話、戻すぜ」
「ああ」

 

彼女もそれに合わせるように、座りの体勢を胡坐へと戻した。
やはり、正座をするタチではないらしい。

 

「だからさ、その代わりにマンガみたいな奴のところに来たってわけっすよ」
「そのマンガみてえな奴ってのは、俺か」
「うん」

 

腹が立つほどの良い返事に、彼の考えに意地の悪い考えが湧いた。

 

「奇遇だな。俺もそう思ってたところだ」
「自分のギャグマンガ的な面白さに気がついたのか?」
「てめえだよ」

 

包帯が巻かれた筋肉質な腕が伸びると、その先端の五指が一指し指を伸ばした。
それはまるで先端から稲妻でも出そうなほどにぴんと伸びており、その先端には
眼をぱちくりとさせている智がいる。

 

「怪我してるっつのにちょこまかと動き回りやがって。そっちこそギャグの世界から出てきたって感じだぜ、お前」
「なんだとう!それならお前は何なんだ!?」
「背景その1とか2じゃねえのかな。いや、なら1がいいな。2はダメだ。
 それに、お前が主役なら野朗どもの影は薄そうだしよ」
「私をマンガ基準に考えるなー!!」
「多分最初の説明にはこう書かれるだろうな。『熱血の塊。すぐに暴走してしまう』とか」
「何おう!暴走は私の専売特許だ!!」
「だからそう言ってんだろ!ちゃんと聞け!!」
「暴走とか言われると、何か取られたような気分になるんだよ。なんとなく」
「ああ、なんでか知らんが俺もだ」

 

そこで、智は大きく息を吐いた。

 

溜息と呼ぶには、少々余りがある。

 

「疲れてんのか」
「あんた相手にしてたらな」
「…それはこっちのセリフだ!」
「こっちでいいんだよ!!」
「よくねえよ!!…まぁこれでも飲んでろ」

 

ここで、彼の現在の服装について記載すると、彼は今、オーバーコートを脱いでいる。
袖の無い黒のタンクトップから伸びた両腕は一面の包帯で覆われ、
それが長袖であるのようさえ見えた。
顔もそれと同様であり、首元も鎖骨の近くまでが包帯で包まれている。
巻いてから時間が経過しているためか、前述の通り解れが至る所に見え、土汚れなのか
黒くくすんだ部分が薄闇の中でも確認できた。

 

そして、それらの間を縫うようにして、いくつもの赤い斑点が滲んでいる。
下半身では、昨日と変わるところは無い。
ごわついた灰色っぽいジーンズが、昨日と変わらずの、床に置かれた刃のようにその足を伸ばしている。

 

話を戻す。
彼が羽織っていたオーバーコートは彼の真横に丸められていたようで、
その傍らに向けて彼は手を伸ばした。
何かを掴んで持ち上げると、でんというでかい音を立てて智の前へと置いた。

 

「安心しな、口は付けてねえからよ」

 

昨日、彼女が買ってきた2リットルのペットボトル入りのコーラ水である。

 

「…飲んで無いじゃん」

 

それの封は、切られてはいなかった。

 

「帰ってきたばかりでな」
「……やっぱ、あんただったんだな。私を運んでくれたのは」
「他に誰がいるってんだ。流石の俺も苦労したぜ、女の部屋捜しなんてやるガラじゃねえしよ」

 

指にまで及ぶ包帯ごしに、頬の辺りをぽりぽりと掻いた。
彼にとってもそんなことを行うのは初めてであったようで、痒くも無いのに
そこを掻いたのは照れ隠しの一端でもあるためらしい。

 

「あんたさぁ、私が寝てるスキに……なんかした?」

 

コーラを飲んでいたら、確実に彼女の顔面にぶちまけていただろう。
頬を掻いていた指が、一瞬力が入ったために、傷口を僅かながらだが抉ってしまっていた。

 

「怒らないから言ってみ?どうだった?艶は?色は?触り心地や揉み心地は?」
「俺はそこまで飢えてねえ!!」
「なぁんだ。つまんねえの」

 

つまらなくない場合には何が起こることになるのかという考えは彼女にあるのだろうか。
しかしながら、詳細に告げたのならば頬どころか脳天までを紅潮させるだけの羞恥心と純情さはあるだろう。
あるのだろうか。
恐らくは。
願わくば。
残念ながら。
いとあはれ。

 

「…でも、ありがとな、送ってもらって」
「あのままってのもアレだったしな」
「部屋はどうやって知ったの?」
「ああ、それは」
「分かった!」

 

いきなり、智は立ち上がった。
嫌な予感しかしなかった。

 

「匂いを辿ったな!」
「…あ?」
「いや!いいって!そんな詳しくは!」

 

眼をつぶって首と両手をぶんぶん振りつつ、呆れきった彼に向けて智は叫んでいる。
その表情には、どこか恥ずかしげなものが混じっている。

 

「私のカラダから溢れるフローラルでセクスィーな香りを辿るとは!中々オツなことやりますなぁあんた!」
「…………」

 

彼に代わって詳細を述べる。
彼女を抱え、彼女らの宿舎へ辿り付いた時、ぴったりと閉じられていたガラス窓の中に
一つだけ全開にされたものがあった。
もしやと思って覗くと、窓と室内の丁度境目の床に生徒手帳が落ちており、
それに貼られた写真から部屋がそこだと断定したのである。
尚、生徒手帳には謎のポエム染みたものや往年のロボットアニメの主題歌、のようなものが乱雑な字で書かれており、
挙句、彼が彼女のものであると定める要因となった写真に映っていた彼女の姿は、
歯を剥いてにかっと笑いつつピースサインを突き出した、例えようも無く間抜けな代物であった。

 

ついでに記載すると、その時の彼の鼻孔を占めていたのは凝り固まった血漿の匂いと、
必要以上に添加された保存料の薬品染みた嫌な香りである。
そして運搬中に数度、彼女の寝相が奇声とともにアバラの辺りに痛烈な打撃を見舞っていたことも記載する。

 

「お前………アホか」
「ふーんだ!馬鹿にアホなんて言われても全然悔しくないもーんだ!」
「誰が馬鹿だ!!」
「私の怪我ばっか言うけどさ、あんただってヤバげじゃん。オマケに、こんなのまで渡しちゃってさ」

 

布地に隠れた尻のポケットから、無地のチューブを取り出すと、彼の前にぽんと置いた。

 

「その包帯だって、換えてないんだろ」
「さぁな。俺が包帯巻くのが下手なだけかもしれねえぞ」
「……強がりでいじっぱりだな」
「これぐらいしか取り得がなくてよ」
「…私と似てるな」
「何か言ったか?」
「…別に何も言ってねーよーだ!」

 

そう言うと、彼女は彼にぐいと近寄った。

 

「あんた、やっぱ面白いわ」
「ああ、もう好きにしろ」
「ありゃ?さっきまでの反抗的な態度は?」
「めんどいからやめた」
「そうそう、最初っからそういてりゃいいんだよ。仔犬みたいな従順さが、女の子には好まれるしねー」
「バカ相手にすんのに疲れただけだ」
「さっきからバカバカいいやがって!私には特別な意味が籠(こ)もった立派な名前があるんだぞー!!」
「親に感謝しな」
「ムキィー!!全然従順じゃないじゃんかー!!」
「餌付けされた覚えはねえからな」
「このう!!さっきからこの滝野智ちゃんを馬鹿にしてー!!
 もういいよーだ!私の高貴でラブリーな自慢の名前は、あんたなんかにゃ土下座されても教えてやんねーもんねー!!」
「おい、13文字目をよく確かめてみな。てめえの馬鹿っぷりが分かるぜ」

 

そう言われ、ひふみひふみと指を使って何やら数え始めた。
活字をそのまま読んだかのように返答した男も色々とおかしいが、
智の場合も、それは数えただけで解決することなのだろうか。

 

「やられた!誘導尋問に!」
「ハメた覚えは無えよ」
「このスケベ!下郎!!」
「下郎だと!?」
「ハメたなんて言うからだ!」
「意味が違えよ!!つうか恥らえ!女だろてめぇ!!」
「男女差別反対!!」
「うるせえよ馬鹿! ちなみにタキノってのは、沢山の道の後に野原の野か?」
「それは多岐だ!滝だよ滝!水がざばーって落ちてるのだよ!!それに野原の野!!!」
「トモは戦友のトモか?」
「例え恐っ!」
「じゃあ強敵と書いて?」
「その二文字はそうは読まん!!」
「違うのかよ」

 

一息ついたとばかりに、彼は息を吸った。
やや呼吸が荒れているのは、叫び声に近い声を数度上げたせいであるためと、
彼女のテンションによるものであろう。
ただ、それは彼女の場合でも同じらしく、彼以上にぜぇぜぇと息を荒げている。

 

「なんというか、凄まじい男だなキミは。よく分からないがスサマジイな」
「そう言われて悪い気はしねえな。で、なんだよ。特別な意味ってのは」
「ふふん。よくぞ聞いてくれました!」

 

そう言って、彼女は光が指す場所へと歩を進めた。
鮮烈なスポットライトのごとく輝く日光が、彼女の全身を染め上げた。

 

「ドラゴン!!」

 

にかっと歯を見せながら、彼女は彼にVサインを見せつつ叫んだ。
間抜けなポーズと素っ頓狂な声だったが、彼はその叫びに、素直に耳を傾けた。

 

「滝のシを取って竜!ドラゴン!ロン!ドラゴンだぜドラゴン!かっこいいと思わない!?」
「一部の読み方が違えようだがな」
「まー気にしない気にしない。リュウってのはいいよねぇ。とにかく格好いいし、
 口から火を吹いたりで滅茶苦茶に強いしさ。空も飛べるから、
 どんな場所でも一っ飛び!まるで私のようではありませんか!」
「お前、飛べる上にクチから熱線吐けるのかのか」
「うーん、卒業するまでにはそうなりたいな」
「恐ろしい女だな。ってか馬鹿だな」
「はっはー!なんとでも言え!この字がある限り私は無敵なのだ!!だからそんな罵倒なんて気にしねー!
 それともアレか?あんたもこんな立派な名前だってのか!?」

 

気にしないといいつつ、馬鹿の言葉を言われた彼女の眼は半月の形を作っている。
だが、それは、彼の顔を見たときに消えた。

 

「ああ」

 

包帯越しにも分かるほど、不敵に、大胆に、彼は笑っていた。

 

「ふふ、訊こうではないか、少年よ」

 

期待を浮かべつつ、にやぁっとした顔を作って智は指し伸ばすように手を伸ばして言った。
彼が放つであろう名前に対するからかいの言葉も考える楽しみも、この時の彼女にはあった。

 
 

「竜馬だ」

 
 

どきり、と心臓が高鳴り、身体を巡る血が滾るのを、智は感じた。
頭に浮かべていた思考のほとんどが、この言葉を前に、木っ端か、粉雪の如く砕け散った。

 

「それの頭に、風や波の流れを付けて、流竜馬。流竜馬だ」

 

流れる風、荒れる波。
そして、人の姿をした竜のようなその魂。
深い意味を考えずとも、彼のことを未だ深くは知らない彼女であっても。
その名前が肺腑と脳髄と、魂に刻まれるには容易かった。

 

「ナガレ…リョウマか」
「あんまり聞かねえし、珍しいとは思うがよ。俺はこの名が好きだ」

 

陶酔や自慢の類ではない。
魂に染み込む名前を、季節や星のように、生き方のように、
好いているための言葉であることが、彼女には分かった。

 

「ああ」

 

こくり、と細い首が傾いた。

 

「すっげー……いい名前だな」

 

僅かだが、眼が濡れそぼっていたのは日の光に当てられた為ではないだろう。

 

「ありがとよ。てめぇも良い名前を貰ったな」
「へへ…まーな。私もこの名前が好きだな。トモ、っていうのは男の子っぽいけどさ」
「好きならそれでいいじゃねえか。俺は悪くねえと思うぜ。それに、てめぇはちゃんとした女だろ」
「当たり前だ!確かめるか!?」

 

思わず叫び、即座に沈黙した。
やはり羞恥心はあったらしい。
一安心である。

 

「お前、暇つぶしに来たんだよな?」

 

紅潮したそこに、彼、否。
流竜馬は投げかける。

 

「えと…迷惑か」

 

顔の紅色が引かぬまま、もじっとした態度で応える様は、まるで別人のようだ。

 

「どうせ帰る時ゃまた俺の手を使うんだろ」
「うん、アテにしてる」
「ようし、いい度胸だ」

 

思わず竜馬は指をごきごきと軋ませた。

 

「…ダメ?」

 

やや涙ぐんだ顔で、顎を引いて上目遣いで智は竜馬を見た。
それが届いたか、手の軋みはそこで止んだ。

 

「…仕方ねえな」

 

その言葉に、智の顔が輝いた。

 

「よっしゃー!暇つぶし相手と場所ゲットー!!」
「はしゃぎ過ぎなんだよてめえは!!何だよ!騙しか!?新手の詐欺か!?」
「まぁまぁ気にしない気にしない。気にしないと身長伸びないよ?」
「マジか!?」
「うん。科学的に証明されてる」

 

ストレス云々が起因するとは思われるが、大局的に見て、嘘である。

 

「そいつは困るな。俺は180は欲しいんだよ」
「今いくつよ?176くらい」
「よく分かるな。丁度そんなもんだ」
「友達の女の子がそのぐらいだから」
「…マジか」
「ん?いや、今はもっと大きいのかな」
「こうしちゃおれねえな。こんなもんさっさと治さねえとイカン」
「よし、私が一肌脱ぎましょう!」
「お前はいらん」
「そう言うなって。リハビリの手伝いくらいはするぜー?」
「リハビリか」

 

ふむ、と考えると、彼は不敵に笑った。
反撃の手段を思いついたのである。

 

「確かにそいつぁいいや」
「だろう?」
「ダンベル持つよか運動になるしよ」

 

げしっという音が彼の顔面で鳴った。
彼女が右足で蹴りを放ったのである。
その足裏は今も彼の顔を覆っていた。

 

「わ、私を陸上部の砂袋扱いすんなー!!」
「ちなみに重さはいくらだ?」
「んー、確か××キロかな」
「ああー、丁度いい重さだな」

 

再び音が鳴った。
今度は右足もそれに参加し、彼の顔面のほぼ総てを覆うこととなった。
だが、ダメージは皆無と見え、彼の不敵な笑みは絶えずにそこにあった。

 

「二度目の誘導尋問とは卑怯なー!!」
「ひっかけたつもりはねえがよ、二度目で引っかかるてめえもてめえだ!!」
「ムキィー!!これでも喰らえ!うりゃうりゃうりゃー!!」
「おい、また見えんぞ。てめえの下g」

 

その時、彼は見た。
開いた戸の先に、白衣の末端が翻っていたことを。
そして、その白衣には見覚えがあった。
彼の中で、遭遇したくない人間の、五本の指に入る女史がそれに該当している。

 

不敵な笑みが、その姿が脳裏に浮かんだ途端に張り付いた皮のように硬直した。

 

「ん?どしたの?」

 

腹をごろんと仰向けにしたあられもない格好になりつつ、智は竜馬を見た。

 

「い、いや。なんでもねえ」

 

声が上擦っていないか彼は心配に至る感情を孕んだが、見事に上擦っていた。
その声に、理由は分からずとも智は満足げな気持ちになった。

 

「まぁいいや。面白いもの見れたし、許してあげましょう。私の心は広いのだー!」
「ほう、どのぐらいだ」
「例えるなら瀬戸内海ぐらいかな」
「一ッ飛び出来る距離だな」
「でもチョッカクガイやポトリオレピスとかも棲んでるんだぜ?」
「そいつあ懐かしいなオイ」

 

見れたといえば、彼も彼女の下着を見れたが、
その詳細は神のみぞ知る。
彼女が足をどけると、顔の硬直から回復しつつある竜馬の顔が現れた。
オレンジ色の靴下の間から覗いた彼は、どことなく吹っ切れたような顔をしていた。

 

「ま、それはそれ。これはこれだ。どうせ俺は動けねえ。暇潰しぐらいなら付き合ってやらぁ」
「おう!よろしく頼むわ!」

 

寝そべっていた体勢から、怪我人らしからぬ動きでがばっと起き上がると、智は右手を伸ばした。
差し出した掌は親指が天井を向いていた。
訝しげにそれを眺めると、それがくいっと動いた。

 

「握手しようぜ、握手」

 

親指がぐにぐにと動いている。
何の意味があるのだろうか。

 

「大丈夫。握り潰したりはしないからさ!」
「それはお前の言うことか?」
「何ィ!?あんた私のか弱きこの手を握り潰す気だったのか!?」
「なわきゃねえだろ!!」
「じゃあよし」

 

そう言うと、智は彼の手を取った。
小柄で繊細な彼女の手に比べ、竜馬の手の皮は分厚く、そして一回り以上大きかった。

 

「思ったより柔らかいな。意外だわ」
「そりゃあ、鉄で出来てるわけじゃねえからな」
「ま、当然だよな。温かいし」

 

言いつつ、握った腕を上下に振った。

 

「…ッ」

 

僅かにだが、苦鳴が聞こえた。

 

「ご、ごめん!」

 

智は瞬時に離そうとしたが、離れなかった。

 

「ばーか。どってことねえよ。女一人ぐらい受け止めてやらあ」

 

智は、握られている右手を見た。
自らも怪我をしているはずだが、そこに痛みは無かった。
人肌以上の暖かさが、包帯越しに伝わるのが分かった。

 

そして、彼女もまた緩やかな力を込めてそれを握った。

 

それから、友人に浮かべるのと同じ笑顔を作ると、彼へと向けた。
そこに普段以外の別のものが混じっていると、本人でも気付いたか、どうか。

 

「ま、ダチに心配かけない程度に遊んでな。どうせ俺も暫くは動けねえしよ」

 

そう言った竜馬の顔に浮かんだ表情の詳細は、包帯のせいで完全には分からない。
だが、そこには敵意や殺意といった類は、欠片としても存在していない。

 

「おう!それに甘えさせてもらいますわ!」

 

女の子らしい、眩しい笑顔で、智は返した。
そこにもまた、数日前の出来事による負の要素は微塵も無く、かつて以上の明るさがあるとさえ見えた。
活発な暴走少女と、凶暴そうだが、どこかユーモラスな包帯男。

 

滝野智と流竜馬。

 

滝と竜。
萌えと燃えの、水と油どころか世界そのものが違うと見えるが、
どことなくだが、僅かに似た両者の、手と名を交わした邂逅がそこにはあった。

 
 
 

・・・

 
 
 

「……なぁにやってんのかしら」

 

両者が佇む室内の外。
戸から見て右の、路地に面した部分に、白衣の女性が外壁に背を預けていた。
呆れて頭を垂れた首の動きに合わせて、喉と胸元を覆う黒い布地の上に横たわる十字架が揺れた。
その光に目を這わせたとき、声の主は、十字架に映る一つの影を見つけた。

 

それは、町側の方にいた。
陽光を全身に浴び、それを陽炎の如く纏っている。
否、それ以外に、その全身から鬼気に至る何かが発せられている。
正面からでも分かるほどにふわっと伸びたウェーブを纏ったセミロング。
縞の入ったセーターと丁度膝まで伸びたスカート。
対峙するのは、これで二度目である。

 

その姿に、彼女―早乙女ミチルは冷酷な笑みを浮かべて視線を送った。
睨みではなく、ただ見ただけである。
それでも小さな子供なら、とある天才少女程度ならすでに大泣きしているだろう。

 

しかし、彼女は全く動じない。
それどころか、半月を剥いた強烈な眼光を送ってくる。
その姿に闘志に足りるものを感じたか、焚き付けられたのか、
彼女もまたそちらの方へ足先を向けた。

 
 

前日の前哨戦では、かろうじてミチルが勝った。
彼女が胃袋に流し込んだコンビニ弁当はその勝利の証である。

 

今日はどうか?勝てるだろうか?

 

彼女自身にも分からぬまま、彼女は歩みを始めた。

 

勝率はともかく、彼女は負ける気は無かった。
そして恐らくは、相手の方も同様であろう。

 

陽光の中、避けられない戦いが始まろうとしていた。

 
 
 

その陽光に、不意に翳りが刺したことに、彼女は気付いた。
そして一度だけ、振り向くように空を見た。
見上げた空には、一点の雲や、翳りも無い。

 

それを確認すると、何も無かったように冷ややかな微笑を浮かべ、
前方の怨敵を見つめると、そちらに向けて歩を進め始めた。
滝野智を始めとする二年三組の担任を勤める女教師、『谷崎ゆかり』の方へと。

 
 
 
 
 
 
 
 

つづく