ゲッターロボ+あずまんが大王 第5話

Last-modified: 2010-05-08 (土) 01:25:20
 

「でさ、そいつったら私が何かやるたびにぎゃーぎゃー煩く言うんだぜ。もうたまんないよねぇ」

 

孔を穿たれた天井の下、二つの人影が談を交えていた。
桃色の制服を着た少女は白い歯を見せながら、快活な声量とオーバーな
挙動を携えて眼前の包帯男へと伝えている。

 

それを受ける包帯男、本人曰く療養中である休学少女、滝野智に流竜馬と名乗った少年は
怪我人にしては元気すぎる彼女の話にやや難色を示しているようだった。

 

「何かされりゃあ怒りもするだろ。自業自得だ」
「いや、この場合はあいつが悪いって、絶対」
「さっき言ってたの、なんつうとこだっけ?」
「ん?マジカルランド?」
「そうそう、その『本気(マジ)狩るランド』だ」
「…一部アクセントが違う気がするけど、まぁいいや。それが何?行こうと思ってももう無いよ」
「風邪ひいてる奴に楽しみにしてた乗り物の実況中継なんざやったら
 怒られるに決まってるだろうが。えげつねえことしやがって」
「いやぁ、ウケると思ったんだけどねえ。いや、ホント」
「その考えはどっから湧いてきやがる」
「地獄の釜の奥底からかな?」
「ワケの分かんねえこと言ってんじゃねえ」

 

彼女の行動がやや理不尽かつ傍迷惑なためである。
曰く、ダイエットの失敗をからかったら怒られた。
曰く、ラジオへの葉書投稿を馬鹿にしたら怒られた。
曰く、会話的な意味での突っ込みを促したら左アッパーを貰った。
等である。
尚、この会話は既に、開始から二時間を軽く越えていた。
少年はやや疲弊気味の兆しが見えたが、少女はそれを微塵も感じさせない
マシンガントーク、いや、言葉の一つ一つが突飛且つ元気で満ち満ちていることからこれは、
ミサイルマシンガントークとでも言うべきか。
言葉の弾丸の嵐は、無尽蔵の弾薬庫を開放したかのごとく撃ち止まる気配はない。

 

「いいじゃんさぁ。別にアンタに迷惑かけてるワケじゃないんだしぃ!」

 

これまた快活な口調と表情で語る彼女に、竜馬は不安を感じずにはいられなかった。
いつ自分にそれが降掛かってくるかも分かったものではないためである。
顔と腕、纏った衣類から覗く皮膚という皮膚を覆う包帯に、僅かな恐怖心からによる汗が滲んだ。

 

傷に染み込む塩分による痛みに気負されて黙ったわけではなく、どうすればこの勝手気ままな元気少女に
一泡吹かせれるだろうと、孔が空いた天井に目を向けて思考していると、
その目にきらきらとした何かが向けられているのを感じた。

 

「……………」

 

先程まで爆撃機の如く言葉を吐き散らしていた口が一の字を描いて閉じていた。
何度注意しても直さない体育座りをしつつ、折り曲げた膝に肘をくっつけ、
両頬をそれぞれの手で支えながら、智は竜馬をじっと視ている。

 

きょろり、というよりもギロっとした眼。
瞬きもせずじぃっとこちらを見つめる視線とその眼光が合致した。
対比で言えば、果実と刃が該当する。

 

「なんだよ」

 

訝しげでありながら、悪意が籠もっていない声が、包帯越しに零れた。
このアホらしいりとりに対してまんざらでもないと思っているらしい。

 

「あんたってさぁ…どんな顔してるの?」

 

その言葉に、壁に持たれて座るの竜馬の上体が動いた。
首を曲げるほどの、半ば寝転がるような姿勢で智の顔を下方から眺めるようにしていた
体勢から、やや上から見るようなスタイルへとシフトする。

 

「―――見てぇか?」

 

先述の、一泡吹かせるきっかけを獲た竜馬の貌は、凶暴な何かに似ていた。
獣では生易しいほどに、狂暴な何かに。

 

智はそれに、頷きで応えた。
こくりこくりと、二度三度。

 

汗を纏い、顔に張り付くようになった包帯の一辺に、数ミリの隙間が生じた。
それは顔で言う鼻梁の直ぐ下、唇の辺りから発生し、頬の半ばまで延びた。
そしてその隙間から、整合良く並んだ、牙状の臼歯が切っ先を覗かせた。

 
 

・・・

 
 

「お前、大丈夫か?随分ひでえことされてたじゃねえか」

 

破壊と、血肉と、悲鳴の残滓が転がる路地で、人間の姿をした暗闇が言った。

 

「『されてたじゃないか』…? まさか、お前、見てたのか」

 

その足元で、小柄な人影が声と身体を震わせた。

 

「こいつがあんなことされるのを、まさか最初っから見てたってのか!?」

 

声は叫びに変わった。
わなわなと震える四肢を背骨が支え、ゆっくりと立ち上げる。
その動きは、怒りという糸に引かれた人形だった。

 

「ああ」

 

音としてのそれを鼓膜が捉え、激情として転化する。

 

頬に留まる鈍痛と、口内に張り付いた血の香りさえも忘れて、
彼女は男へと鞄を振るった。

 

多大な重量を帯びた黒塊は、彼女が握る紐の部分を柄として、武器の役割を伴った。
まるで刃、否、戦斧のような。

 

激突の刹那、紐を通って、形容し難い嫌な感覚と、脈動のような水音が伝わってきた。
ただ、この時の彼女には、それはどうでもよかった。
気付いてさえ、いなかった。

 
 

明かりのある場所に出て、振るった鞄を異変を見たときに、それは実感として現れた。
藍色の通学鞄の一角が鉄錆色に染まっていた。
肉体と触れたと見える、角の部分はじんわりとした湿気と、生々しい血の匂いを宿していた。

 

「……ぅううううぁあああああッ!!!!!!!」

 

叫びの後に、机と椅子のパイプの軋みが続いた。
吐いては出しを繰り返す呼吸を繰り返す中で、複数の視線の集約を感じた。

 
 

「うるせー奴がいないと思ったら、今度はあんたか、神楽?」

 
 

担任の女教師の呆れ声は、彼女、神楽に届いていたか、どうか。

 

・・・

 

カツ、カツと途切れ途切れに響く硬質音を遮り、機械的なベル音が鳴った。
午前の授業の終わりを告げるその音に、弾けるような音が続いた。

 

「んじゃ私は出掛けてくっから、あんたらも大人しくしてなさいよ。面倒は御免だからね」

 

ばちんと教科書を閉じつつ、生徒に向けて告げた直後、その目が半月の形を描いた。
臨戦態勢に入った獣の魂が、この時の彼女――谷崎ゆかりに宿っていた。

 

「待ってろよぉお……鬼娘ぇえええええええ!!!!!!!!」

 

チャイムが鳴り終わるのも待たず、ギンと釣り上がった眼を保ち、
奇声とも咆哮ともつかない叫びを繰り出しつつ、生徒の方を一瞥もせずに駆け出した。
言うまでも無いが、廊下を走るのは校則に反する。
案の定、進路を阻害する邪魔者としてぶち破るかのように開かれた扉の奥から

 

「ちょっとゆかり!廊下は走らない!」

 

と、隣のクラスの友人兼体育教師の声が聞こえてきた。

 

「うるせぇ!!そんなんじゃヤツに勝てねえんだ!!」

 

後半の声は、速度が上がったか距離が遠くなったのか、実際は角でも曲がったのだろうが、
ドップラー現象に従ったかのように妙に引き伸びて聴こえた。
直後、何かを打ち崩したかのような轟音が聞こえたが、生徒たちは『いつものことだ』と
無理やりに自分を納得させつつ静観を決め込むことにした。
自分の担任が人並み外れて騒がしいのは今に始まったことではないためである。
流石に、その憎悪に満ちた歓喜の矛先である『ヤツ』が何であるのかと、
その得体の知れなさまでは察することは出来なかったが。

 

「何と戦ってるんだ、何と」

 

眼鏡をかちゃりと上げつつ皮肉を言うのは、水原暦である。
生徒の多くが表面上は何も言わなかったものの、性分なのか使命感か、
突っ込まずにはいられなかったらしい。

 

「面倒事を起こしそうなのはゆかり先生の方だな。聞いてるか、神楽」

 

授業中に叫び声を発した少女への問いは、返ってはこなかった。

 

苦しんでるだろうか。

 

痛がっているだろうか。

 

怒ってはいないだろうか。

 

様々な不安が、本来は勝気で男っぽい少女の心の繊細な部分を
斬りつけるように痛めていた。

 

それは恐怖と、後悔という名の魔物の牙である。
夢の中でも見たそれは、彼女の心に纏わりつき、
その切っ先を深々と埋めていることだろう。

 

「神楽」

 

そこに暦が声を投げかける。
友人の声にさえ、神楽の身体はびくりと揺れた。

 

「私も…行ってやるよ」

 

彼女にも、神楽に通じる考えはあるようだ。
そしてこれ以上、友人が苦しむ姿を、彼女は見たくなかったのである。

 

僅かに頷く姿に、悲痛なものを感じずにはいられなかった。
確認した後に、暦は教室の窓側の一番後ろを見た。
彼女の最も近い場所にいる親友である榊は今日、学校に来ていなかった。

 
 

・・・

少年は苦しんでいた。

 
 

「痛でででっ!!無理だ無理!いい加減諦めろ!!!」
「いや、諦めるのは主人公のやることじゃない!最後まで希望は捨てないんだ!」
「それは同感だがな、だがそれは今じゃねえ!!」
「いや、今がそのときだ!!命を燃やせ!!」
「怒りは燃えてるよ!!」

 

正確には、苦しめられていた。

 

背中と壁との間に入った智が、彼の背後から頬の辺りに手を伸ばし、
頬の肉ごと包帯を力任せに引っ張っていた。
しかも力が足りないと見たのか、細い脚を折り曲げ、
背中に膝をぐりぐりと押し付けて力の足掛かりとさえしていた。
痛いだろう。
痛くないはずがない。

 

彼自身の結び方が雑だったことも相まって、
彼の言葉どおり、剥離どころかむしろ肉への密着性を深めていく。
不幸中の幸いか内側の皮は破れておらず、血の滲みは生じていなかった。

 

「うぬぅ、ビクともしないな。まるで帯だ」
「いや、帯だろ。包『帯』なんだから」
「そんな上手い事言っても座布団はやらねーよーだ!」
「元からねえよ!」

 

後ろから智が離れると、竜馬は壁に背中を預けた。
ふうと吐いた溜息には、疲労と呆れが満ちている。

 

「気になってたんだけどさぁ」

 

一息ついたそこに、周囲を見渡していた智が言葉を投げかけた。

 

「ん?」
「この家…なのかな。ここって、あんたの所有物?」
「ああ、一応俺のらしい」
「なんだよそれ。拾いでもしたみたいな言い方してさ」
「うぅん、まぁそれに近いかもな。やったのは俺じゃねえけど」
「不思議なヤツだなぁ、キミは。やっぱあんた、ギャグ漫画の世界から来たんだろ?正直に言ってみ?」
「やかまし。この世で生まれた正真正銘の人間様だ」
「で、この家はあんたのなの?それともパクったやつ?」

 

ううん、と唸り、よれっとした包帯で包まれた顎を、同じく包帯に塗れた手が擦った。

 
 

「親父が色々やっててな。そのお零れみたいなもんなんだ、この道場」
「…道場?」
「ああ、空手の道場だ」

飲み込むのに時間がかかったか、彼女は一瞬きょとんとた。
そして直後、黒い瞳は好奇心を伴い、大きく拡大した。
ちなみにこの時竜馬は、それを水爆の爆発実験に似てるな、と思っていた。

 

「すげぇ!生の空手道場だ!!」
「大抵のは生だろ」
「何ィ!?機械の道場もあるのか!?」
「知るかよ馬鹿」
「じゃあ自分で作れ!」
「無茶言うな!」
「なら機械になれ!」
「なってたまるか!」

 

魔獣のような叫びと元気少女の巨大な声量は、不気味なまでに拮抗を保っていた。

 

「全く困ったヤツだな、あんたは」
「誰のせいだ、誰の」

 

半分ぐらいは自分のせいであるということに竜馬は気付いているだろうか。

 

「ふむふむ。メガネにはまだ劣るけど、中々突っ込みのセンスがあるなぁ。精進したまえよ少年」
「ワリィが俺はお前の相方を勤める気はねえ」
「ふふん、そうはさせないぞ。キミがなんてぬかそうが私はキミを逃がさんからな!」

 

何故だろうか。
どこかで、混濁した意識の中で投げかけられたような気がする言葉に、
デジャヴーのような感慨が走るのを竜馬は感じた。

 

「…わぁった。もう勝手にしろ。俺は逃げも隠れもしねえ」
「大丈夫。逃げたら追っかけるし隠れたら捜すから」
「悪魔かお前は。なんかよ、お前が言ってた眼鏡の苦労が分かってきたぞ。そいつは相当苦労したんだな」
「分かってるじゃないか」
「何故そう自慢げなのか、それが聞きたいんだが教えてくれねえか?」
「ええとつまりだな―――」

 

本当に始めやがった。
と竜馬は思った。
彼女の相方の眼鏡とやらは相当な苦労をしているに違いない。

 

聞けば、小中高と同じ学校・同じクラスときているそうだ。

 

「呪われてんのか、そのメガネ」

 

決して軽くない同情を込めて竜馬は呟いた。
自分が誰かのためにここまで不幸を呪った時は何時以来だろうか、と。

 

「…と、いうワケですよ。…聞いてた?」

 

聞いているわけが無かった。
なので彼はこう返した。

 

「ここのコト、知りたいんじゃなかったのか」

 

案の定、デフォルメされた星でも埋め込んだかのように輝く瞳がこちらを向いた。
魚で例えればエサも針も無しに、垂らした糸に食いついたようなものである。

 

「さっき、お父さんがって言ってたけど、こんなの持ってるって事は、
 あんたの家って結構偉かったりお金持ちだったりするの?ひょっとしてブルジョワ?
 ひょっとしてアレか?自慢か?自慢でもする気なのか!?」

 

相変わらずの過敏な反応だが、面食らうのは一瞬だった。
ただ、これに慣れ始めている自分が、なんとなく恐ろしいと思う竜馬だった。

 

「いや、金持ちでもなければ偉くもなかったな。まぁ、俺は親父を……」

 

不意に、言葉が途切れた。
言葉を発する声に含まれる力の強さは、僅かながらに細くなっていた。

 

「尊敬は、してたんだろかな。分かんねえや」
「親は大切にしないといけないぞ。智ちゃんを見習って肩たたきとかしてあげるとかさ」
「急にやたらとマシなコト言うな。お前本当にさっきまでのヤツか?どっかで入れ替わったりしてねえか?」
「ちなみにお父さんは私と同じ髪型です」
「おう、疑って悪かった」
「? 疑うって何を?」
「………」

 

絶句しつつ、そのイメージを想像してみた。
途端、得体の知れないものが脳裏を掠めた。
不気味な危険を察知したためか、逆流した胃液を飲み込むように、
彼はその考えを頭の奥に押し込むことにした。
触らぬ馬鹿に祟り無しである。

 

「……で、ドが付くほどの貧乏だった親父がなんでこんなモン持ってるかって言うとだな」
「ローンを組んで買ったとか?」
「いいや」

 

大きく溜息を一つ吐き、頭上に開いた穴から空を一瞥した。
言うべきか言わないべきか悩んだが、好奇心に満ちた丸い眼を見ていると、
何故かどうでもよくなった。
すうと息を吸い、吐く息と共に言った

 

「親父が昔、道場破りして分捕ったんだとよ」

 

道場破り。
日常で聞かない単語の中でも、奇異な部類に入ると思しきその言葉。
流石に多少は引くかと思ったが、その予想は覆された。

 

「か…か…」

 

震えている。
人差し指を竜馬に向け、手と上半身がオーバーにぷるぷると震えている。
そしてその眼は、

 

「かっけぇぇぇえええええええ!!!!」

 

何かに憧れる少年のように、きらきらと輝いていた。
ずるり、と強烈な脱力感が背中から沸き立つのを竜馬は感じた。

 

「すんげーな!!道場破りなんて漫画の中だけだと思ってた!」
「お前もすげえよ」

 

なんでこう面白そうな反応が出来るのかが、
竜馬には不思議だったが、はしゃぐ姿を見ていて嫌な気分はしなかった。
素直に、父親を賛美されるのが、どこか嬉しいような気がしていた。

 

「うわぁ!マジでここまで面白いか!いやぁ、ホントにネタが尽きないね!あんたは!」
「別に隠し持ってるわけじゃねえよ。ただ俺には、お前さんが面白がってるだけに思えるけどな」
「うぅん、それにしてもあんたの親父さんはかっちょいいなぁ。てことはやっぱり凄く強かったんだよな?」

 

ぴくり、と竜馬の眉が動いた。
包帯越しでも分かる、太く男らしい眉毛が、
筋肉の収縮によってその端を刃の穂先のような鋭さを帯びた。

 

「ああ」

 

引き締まった包帯によって隠れてはいたが、肉の盛り上がりから一つのことが見て取れた。
――牙を剥いて、笑っていることを。

 

「流石だね、リョウちゃんの親父さんなだけあるよ」

 

ぴくりと、『リョウ』と呼ばれた少年の動きが止まった。

 

「お前、今『リョウ』って言ったのか?」
「うん。竜馬だからリョウ」
「そうか、リョウか…」

 

思い出すかのように、復唱のように、感慨が籠もっているかのように、その名前を彼は呟いた。

 

「何あんた。人が付けたアダ名に文句あんの?あんた何様?」
「お前、こんな感じでダチに変なアダ名付けて無えだろうな?地名からとって神戸とか愛知とか」
「何故分かった!?」
「……お前、子供(ガキ)か?」
「今は、離れ離れだけどね」
「お前、その年で子持ちだったのか?」
「そっちじゃねえよ!!友達の方だよ!大阪だよ!!」
「…おおさか?」
「うん。大阪から来たから大阪」
「……そいつ、男だよな?」
「胸は私以下だけど立派な女だよ!!失礼だなキミは!」

 

想像以上だった。
しかも、女だそうである。
うら若き女子高生のアダ名が、大阪。
悲劇と言ってもいいかもしれない。

 

「あいつ、今はどうしてるかなぁ…」

 

名前を呼ぶ智の顔は笑っている。
ただ、その眼は影を帯びていた。
少なくとも、竜馬にはそう見えた。
人の感情の大半がその目に表れることを、彼は知っている。

 

「仲、良いみてえだな」
「うん…親友」

 

彼の言葉を慰めと取ったか、励ましと取ったのか。
雫が滲んだ眼を瞑ると、歯を見せて笑った。

 

その途端、床に伸びていた右腕が、身体を支えたままぐらりと揺れた。

 

そのまま前のめりに倒れた肉体の背面に、白光のようなものが廻った。
くいと曲がったそれは彼女の制服の首根っこに回り、引っ掛けるようにそれを掴んだ。

 

落ちるはずの肉体は、体勢を直された人形のように、尻を床につけた姿勢で停まった。

 

「エネルギー切れか?」

 

腹部は痛みを宿し、吐息は熱を帯びている。
唇に触れる吐息が、彼女にそれを告げていた。

 

「何おう!勝負はこれか…」

 

らと言う前に、眼が点になっていた。
まるで切れかけの電灯の如く。

 

「無茶すんな。お前は頑張ったよ」
「うぅ…お腹の外と中が痛いよう…」
「我慢しろ。苦しいのも生きてる証拠だ」
「…ねぇ」

 

体力が尽きかけてきたか、その声は非常に細い。

 
 

「こんなに苦しいことって、この先もずっと続くのかな?」

 

その脳裏で、関西からの天然女と飛び級の天才少女が笑っていた。
何故、こんなことを言ったのか、智は自分でも不思議だった。
しかし何故だか、この男にそう聞かずにはいられなかった。

 

下がっていた視線を、彼の方へと移す。
眼に映ったのは、

 

「はっ」

 

不敵に、それでいて大胆に、

 

「んなコト、あってたまるかよ」

 

笑い飛ばすかのように言う、人間の姿をした竜だった。

 

そうか。
と、彼女は思った。

 

彼なら、この男なら。
こう言ってくれると、どこかで知っていたから、そう問えたのだということを。
出逢って間もないというのに、何故かそれを、理解していた。

 

「本当に?」

 

包帯から覗く凶暴な瞳を見つめるその顔は、安らぎともいえる緩みで出来ていた。

 

「俺達ゃ、そこまで弱くはねえからな」

 

そう言って、竜馬は智の傍らへと、潜り込むように寄った。

 

「でもな、マジでこれやんなきゃなんねえのか?」

 

少々の戸惑いが見える態度の竜馬に、智はこくりと、小さな頷きを持って返した。

 

「昨日、ジャンケンで負けたでしょ?」
「最後の一回だけな」
「ふーんだ。一回といえど負けは負けだもーん」
「一昨日からの40回の連勝でチャラにはできんか?」
「貰ったものはもう返せませーん!」
「何もあげてねえよ」
「つべこべ言うと居座るぞ!」
「布団は無えから辛いぞ」
「助平!」
「何がだ!」

 

これはまずい、と彼は思ったので、非常に苦しい判断だったが
竜馬は彼女の依頼を呑む事にした。
非常に、超絶に、果てしなく遺憾だったが。

 

「我がお城まで、お姫様だっこでお願いします」
「…何がお城だ」

 
 

「最近やたら晴れてるな。まるで夏みてえだ」

戸を跨ぎ、陽光を仰いだ。
季節外れのばか陽気が、雲ひとつ無い空に鎮座している。

 

「ごめんな。送ってもらって…」

包帯まみれの腕に抱えられた智が、しおらしく言った。
それに対し、彼は短い吐息と共に言った。

 

「来ていいつったのは俺だ。今更んなツラするんじゃねえ」
「…うん」

 

頷き、彼女は背後を観た。

 

「留守になっちゃうな、ここ」
「構やしねえよ。どうせお前さん以外に客なんか来ねえからよ」

 

さてと、と呼吸を整えるためか、二度三度と、竜馬は息を大きく吸った。

 

「負担にならねえ程度に飛ばすぞ、さっさと寝ちまえ」
「…あのさ」
「まだ何かあんのか?」
「顔の包帯…いつ取れる?」
「…そうだな…」

 

智の後ろ首へと回した手を伸ばし、包帯越しに頬を摩った。

 

引き寄せられるように近くなった竜馬の顔の包帯の隙間には、僅かに赤い部分があった。
それを見て、後悔の様な感情が智の心に湧いた。
軽い怪我ではない。
まだしばらく、このままだろうと思ったためである。

 

しかし、その予想は呆気なく覆ることとなった。

 

「あと3日、ぐれえだな」

 

ボケられた時のように生じる力の緩みと、安堵の安らぎは同時に来た。

 

「3日か。短いな」
「俺にとっちゃ長ぇよ。これじゃ色男台無しさね」

 

皮肉っぽく、竜馬は笑う。
そこに、潤んだ視線が飛んだ。

 

「なぁ、『リョウ』」

 

彼は、視線を腕の中へと落した。

 

「楽しみに、してるからな」

 

そこには、残りの体力を絞って笑う、華奢な少女がいた。

 
 

「大人しく寝てな、『滝野』」

 

気さくでぶっきら棒に笑って告げる。
消えかける意識の中、初めて彼が名を呼んでくれたことを、智は感じた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

つづく