ゲッターロボ+あずまんが大王 第5話-(5)

Last-modified: 2010-06-30 (水) 02:59:28
 

出鱈目な伴奏の元で鳴り散らされる打楽器のような鈍痛が、頭の中を巡っている。
その中で、彼女の目尻は罅の広がりのように動きを見せた後に、二度三度と開閉した。
ぼやけた視界が、瞬きの回数につれて明確さを増していく。

 

「くぅ……」

 

苦鳴と共に眼鏡を押し上げる右腕が、不気味なまでに重かった。
ぐっと、不器用に、やや傾き気味に眼鏡を調えた途端、明瞭となる視界に遅れて、
弾けるような痛みが右肘を襲った。

 

目を開いた暦の視界に光が飛び込み、やや遅れて、それを遮る何かの群れが映った。
周囲に群がる人の群れ。
何人かの顔を見えると、自分のクラスの連中であることが見て取れた。
その誰もが、怯えの感情の影を、その表情に映している。
男も女も関係なく、無様に、憐れに。
捕食される立場の、獲物としての姿を晒している。

 

自分が立つ、一列先の先に、巨大なあぎとを備える異形が立っていた。
頭頂に生えた、玉蜀黍の髭を思わせるちりじりとした

 

異形が歩を進める度、牙のような爪が生えた、鳥のような三本指の下で、
木材の軋む音が鳴った。
その音で、初めて暦は、ここがどこであるかを知った。

 

分厚い金属の扉。
左右の壁から生える双つのゴール。
その上で、揺らめく、黒衣のような巨大な布。
競技に持ちいられるラインを施された床。
ここは、体育館だった。
学び舎を離れ、異形は何を企むのか。

 

彼らの正体が知れたのは、今から一年と二ヶ月ほど前だった。

 

連日、朝昼夜を問わずに騒がれていた政府要人・政治化の相次ぐ変死。
近隣一帯を焼き尽くした、製油所の大規模爆発。
とある飛行機が、本来のコースから大きく外れ、地方都市の、
あろうことか住宅街のど真中に落下するというなどの、不可解且つ痛ましい事故が頻発していた。

 

その他、という区分でいいのか、人間の肉のカケラであるとだけがかろうじて分かる惨殺事件など、
報道の関連機関・媒体は連日、この上ない忙しさに包まれていた。
以外にも、不可解な事件の例を挙げればきりがない。
しかもその多くが、おおよそ人間の仕業とは思えない程のむごたらしさであり、
警察当局の苦悩は絶えなかった。

 

これらの全てが、彼らによるものであった。
知れた時、他人や社会の不幸を食い物にするマスメディアさえも、沈黙をせずにはいられなかった。

 

彼らが、姿を現すためにとった手段は、実にシンプルで、この上なく明確な手段であった。

 
 

人類に対しての、全面的な宣戦布告。

 
 

それに、彼らが―ここにいる全員が、立ち会った。

 

光を遮られた闇の中、『化け物』がのたうつ姿を、全員が見た。
多くが震え、そして怯えた。
目を背けることも、敵わずに。
戯言の一つさえ言えずに。
別の世界から現れたとしか思えないそれによって、
その日から、日常という世界には亀裂が奔った。
不可解な事件は全て、それらを知らしめるために用いられた、云わば彼らからの挑戦だった。

 

かつて繁栄していた恐竜が独自の進化を遂げて人間に近い形となり、
何らかの形で生じた大量絶滅の危機を乗り越えて生き長らえ、
灼熱地獄と称するに、少なくともこの惑星において最も相応しいであろう、地下マグマ層の中から現れた異形の生物。
暗い闇の底からの、過去からの侵略者。

 

「ハチュウ…人類」

 

人類、という単語が口から出たとき、言い様のない不快感が、口の中を広がった。
喉を潰されたような暦の呟きに、生理的嫌悪を引き出す音が重なった。
ぐぱっと開いたあぎとの隙間の、べっとりとした唾液に塗れた舌の絡まりによって生まれ出たそれに。

 

「どうだ、首尾は?」

 

ぬめぬめとした光沢の映える舌を引っ込め、斜め上に鼻先を向けた蜥蜴面が言った。
歯も、声帯も異なるであろうハズなのに、その声の震えは紛れも無い日本語を奏でていた。
途端、その傍らの床面が震えた。
木製の床をめこりと経込ませてかち割りながら、それに追従する破壊音を鳴らして、何かが降り立った。
震えた箇所に、銀の光沢を放つ膝を折り曲げているものがいた。
重力の影響を受けて窪んだ床に影を下ろしながら、それは立ち上がった。
もう一つの異形が、そこにいた。

 

「おう。校舎の学生どもは抑えた。しかし、他愛もない。抵抗する奴もおらんとは」
「そっちの方が俺たちとしては楽だ。だが、退屈だな」
「全くだ」

 

声が増えた。
それは、暦たちの背後で鳴った。
後ろを向く暇も余裕も無い彼らの頭上で、空気が抉れる音が鳴り、
それによる力が来訪した。
突風にも似た勢いのそれに肉体を撫でられながらも、誰一人として声は立てなかった。
立てられなかった。

 

「揃いも揃って、抵抗の真似事すらできん。これなら、さっきの弁当どものほうがましだ」

 

弁当という言葉が何を意味するのか、考えたくも無ければ、考えるまでもなかった。
しかしこの時、彼らの意識は、異形の言葉には傾けられていなかった。

 

「それにしても遅かったな。それのせいか?」
「ああ。少々手間取ってな」

 

そう言ったものの背後から、何かが立ち上る。
ぬるりとした動きと質感を持つ、緑色のその物体は、
人間の太ももほどの太さを根本として、怪物の臀部から生じていた。
巨大な蛇を想起させる、尾ていだった。
根本から30センチほどの辺りを除いて、2m近い長さのそれは、ほぼ垂直に伸びている。

 

高々と上がったその伸びに、途中から、別のものが加わった。

 

最初は、半ばほど脱げ、糸の解けた、汚れに塗れた運動靴が、薄紫色の靴下の裾が。
続いて、朱色の裂け目がいくつかできた、小麦色の肌に覆われた膝が。
それを内包する、いくつもの切れ目が入り、ぼろぼろになったスカートとブレザーが。
首も、脚も、腕も。
重力に従ってだらりと下がった、シャギーの少女が、そこにいた。

 

「神楽ぁっ!!!」

 

暦が、恐怖さえ忘れて叫んだ途端、その名の持ち主の肉体が宙に浮いた。
鞭のように振られた尾の末端が、神楽の首元で摩擦音を立てた。
尾は、彼女の首に巻き付いていた。

 

空中で停滞する神楽の肉体が、大きなくの字を描いた。
離れた尾が、剥離から数秒と措かずに、その身を埋めたためだった。
彼女の豊満な双球の隙間の鳩尾と、臍の下の、下腹部の辺りにかけて、深々と。
ベクトルの加わった肉体は虚空を舞うと、強烈な激突音を立て、
数回のバウンスを伴い、引き摺られて、停止した。
脚も、腕も伸びきって、砕かれたような大の字を描いて、神楽は床に身を預けていた。

 

「カグラ…か。そうか、そういう名か」

 

神楽を薙ぎ飛ばした尾をしゅるりと言わせ、そいつは暦の方を向いた。
ぴゅるりと、牙の隙間から舌を伸ばしつつ、値踏みするように、彼女の方を眺めている。
対する暦も、そちらを向いた。
異形に向ける表情が、どのようなものなのか、この時の彼女には分からなかった。
それよりも、神楽のことが気がかりだった。

 

合致した視線をどうとったか、異形の口からは冷笑が漏れた。

 

「手間を掛けさせやがって」
「くく、一時はキャプテン候補にもいったお前が、随分梃子摺ったものだな」
「確かに、あの雌は中々すばしっこそうだな」
「雌にしては、な」

 

たっぷり10メートルは吹き飛び、力なく横たわる神楽を、彼らは『雌』と読んだ。
畜生のように、虫けらのように。

 

「なに、少々見くびった。俺を見ると無様に叫んでな。
 簡単に捕まると思ったんだが、叫びながら背を向けて逃げ出しやがった。
 何度もよろけて、ふらついて…な」

 

ケケケ、と、含み笑いのようなものが、牙の奥で鳴っている。

 

「しかしそれが無様で、面白く。 これはいいと、弄んでやったのよ」

 

閉じられていた牙が、一斉に開いた。
異形の声帯が震い、嘲笑いに満ちた叫びを上げた。
牙と舌を打ち鳴らして震える声の中に、いくつかの言葉が紛れた。

 

毛の無い猿。

 

けだもの。

 

愚かな。

 

虫けら。

 

人間。

 

『人間』という言葉を、この種族は、侮蔑に用いた。
これを越える屈辱は、無いと言った方がいいかもしれない。

 

「…その人間に…」

 

異形の笑い声を、人間の声が引き裂いた。

 

「そのけだものに、手を焼いたのは…どこのどいつ…だよ…?」

 

虚脱していた手足が、主の命令によって動き出す。
みしみしとした痛みがこみ上げる手を支えに、右足が床を蹴り叩く。
細かい傷が、ぱっくりと開いたのを彼女は感じつつ、左足もそれに続いた。
ふらりと一瞬揺れた後に、踵に力を込めて、立ち上がる。
身体を支えた時に、開きっぱなしになっていた両の掌を拳に換えて。

 

「人間に…負けた…洗濯板を着た化け物は・・・誰だっけ?」

 

彼らは、ハチュウ人類の敗走を思い出せた。
神楽の言葉に、恐怖が一瞬、途切れたために。

 

その身体が、再び地に伏せた。
背面からの衝撃によって、腹を地面にぶち当てた神楽の傍らに、異形がいた。
暦たちの前にいた異形の数は、四から三に減っている。
移動に要した動作を、誰もが捉えられなかった。

 

げほっと、空気の塊を吐きつつ、腕を立てた神楽の背中を、
前に三本、後ろに一本の指を備えた足が抑えた。
強烈なデジャヴーが、暦を襲った。
喉の奥から、濃厚な酸味がこみ上げる。
その彼女を、神楽を抑える異形が見据えた。

 

「どうした、なにもせんのか。こやつはお前達の友だろう?仲間だろう?」

 

続いて、流すように、異形は眼を蠢かした。

 

「おい雄ども。お前らは何もしないのか。我らに飛び掛るくらいの力はあるだろう?
 雌どもよ、言葉の一つもかけられないか。貴様らは話すことが好きだろう?」

 

暦には、何人もの同級生の手がわなわなと震えていうのが見えた。
足ががたがたと鳴るのも見えた。

 

動けるものは―――いなかった。

 

「ふん、つまらん」

 

ぺっと唾を吐き、忌々しげに、彼らを睨め上げる。
その時、ほんの僅かに、神楽にかかる力が緩んだ。

 

「うぅぅぅぁあああっっっ!!!!!」

 

隙を逃さず、神楽は全ての力を込めた。
逃避のためではなく、反撃のために。
異形の指が備える爪が、彼女の肌に食い込んだ。
そのまま、彼女の動きによって皮を裂き、小麦色の肌に数条の傷を刻んだ。
足から引き抜けるとき、ブレザーの胸元が引き裂け、肌が露出した。
下着に包まれ、日焼け具合の薄い、白い乳房の上に刻まれた傷の線から零れた朱の色が、肌と下着に滲んだ。

 

構わず、身体を丸めて床を転げ、転がりながら、体勢を整える。
水中でのターンの要領で、身体に生じる動きと力を、直立に向けて傾けた。

 

脱出した獲物に向け、異形は腕を振るった。
蛭のような指が迫る刹那、神楽の右足が挫けるように曲がった。
彼女の意思で、曲げられていた。

 

ほんの僅か、数本の頭髪の、その先端だけを裂いて、異形の刃は虚空を切った。
油断もあったか、無様な空振りを見舞ったハチュウ人類の胴体は、肉と臓腑を持つ生物にとって
絶対的な弱点である、腹を剥き出しにした状態になっていた。

 

「がぁぁああああああああっっ!!!!!!」

 

叫びを挙げ、立ち上がる。
下がった時に、後ろに回していた右上を、力一杯に突き出した。
異様な弾力を持つ肌に、神楽の拳が、中ほどまで減り込んだ。

 

「グェッ!?」

 

牙を押し分けて排出された音に、神楽は、不細工な、その上に不良品の玩具のイメージを持った。
続いて、左の拳を見舞う。
動かすことによる痛みは先ほどの倍に近かったが、気にも留めなかった。

 

密集した鱗が開いた部分、腹のど真中を、神楽は狙った。

 

「いい気になるなよ。雌餓鬼が」

 

彼女のすぐ後ろで、左の耳元で、クチバシのように伸びた口が言葉を吐いた。
流れ出る腐臭が、彼女の鼻孔を犯した。
途端、世界が反転した。
背中と臀部に衝撃が走り、太ももが床に打ち据えられた。
神楽の動きは。
短く、全力を尽くした闘いは、終わった。

 

「貴様、それでも栄えある帝国兵士か。奴らにならともかく、こんなものに遅れをとるとは」
「遅れじゃねぇよ。あんた同様からかっただけだ」

 

ふん、と、神楽を尾で捕らえていたものが、鼻から息を出した。

 

「貴様に、あれは任せられんな」
「元より俺には扱えねえよ……ん?」

 

足元で湧いた違和感に、異形は下を向いた。

 

「まだ…終わってねえぞ……」

 

神楽の手は、異形の足に伸びていた。

 

「・・・雌が」

軽く舌打ち、手を踏むように蹴る。
骨と骨が擦れる、嫌な音が鳴った。

 

「貴様では、我らに勝てる道理は無い。武器を持とうが、ましてや素手などではな」

 

見下し、異形が言う。

 

「だからそのまま、無様に突っ伏して黙っていろ――人間らしくな」

 

異形は、これでもう、彼女の心は折れたと思った。
今までが、そうだったためである。
しかし、それは、

 

「だって…よお…」

 

幻想だった。
神楽の心は、健在だった。

 

「散々…威張って…私らを馬鹿にするお前らが……」

 

化け物の心に、何かが湧いた。

 

「こんな・・・ボンクラな私一人に……ムキになるなんて…怒るなんて……」

 

侮蔑でも、優越感でもない。
近いものがあるとすれば……嫌悪感だった。
それも、とびきり、質の悪いもの。

 

「バカみてえ・・・じゃねえかよ」

 

その言葉に、異形たちは眼つきを変えた。

 

生徒たちの前にいた二匹が、床を減り込ませて跳んだ。
たった一回の跳躍で、弾丸のような動きで、神楽の元へと飛来した。
人間とは、根本的に筋肉の質が違うのだろう。

 

「決めたぞ。こいつの運搬法を」

 

息を呑みつつ、異形が呟く。
他の三つは、何も言わずに神楽を見ている。

 

「達磨にしろ」

 

生徒たちの間で、かすかな声が広がった。
暦は、肌が凍りつくのを感じた。

 

神楽が異形を殴った時、誰もが心の高鳴りを感じた。
僅かながら、希望が湧いた。
身体能力では、女子ながらにクラスでもトップクラス。
力を除けば、男子にだって負けはしない。

 

心のどこかで、それに依存していた。
悔しかった。
何も出来ないことが、恥辱だった。

 

それに引き換え、神楽は何故か落ち着いていた。

 

身体は、既に言うことを聞かないだろう。
証拠に、指の一本すら感覚が無い。

 

笑えることに、彼女は何故だか不思議だった。

 

自らの命よりも大切な手足に伸びる殺意が、ひどく緩慢に思えた。
その中で、彼女は、友人の顔を思い出していた。

 

「(そういえば、あいつ…)」

 

執拗に傷付けられた『あいつ』も、確かあの時、笑っていた。
その理由が、恐らくはそれだと思えるものが、彼女には分かったような気がした。

 
 

彼女は、抗った。
理不尽な存在に、暴力に。
全力を尽くして、抵抗した。

 

その結果、更なる地獄が彼女を襲った。

 

それでも、彼女は笑った。

 

抗えたことで、彼女は笑えたのだと、神楽は思った。

 

理不尽な暴力を振るう相手を許さず、最後まで自分の理性を貫いた。

 

「(だからあいつは…ともは……)」

 

人間の肉体なんぞ容易に引き裂ける手の爪を高々上げつつも、
異形たちは、うすら寒いものが背筋に奔るのを感じた。

 

そうさせたのは、神楽の笑みだった。

 

微笑むと同時に、彼女の脳裏に、一つの影が過ぎった。
その影は、人の姿と、灼熱の色を宿していた。

 

「案ずるな。貴様の手足は使ってやる……我らの、餌食としてな」

 

冷気を歓喜に換えるために、異形は吐いた。
その言葉を前にしても、神楽の心は、揺るがなかった。
ただ、やはり。

 

悔しさというものは、彼女の心に残っていた。

 

そして、爪は降ろされた。
彼女の、体幹を除く部分へと。

 
 

その時だ。

 
 
 

「――何が、エジキだ」

 
 
 

生き物の、脳髄に響くような、声がした。

 

陽光を遮る黒いカーテンの一帯が、爆ぜた。
炸裂し、爆裂した。
その隙間から陽光が、眩い光があふれ出す。

 

黒い粉微塵を撒き散らす中に、ばさっと広がる、巨大な影があった。
陽光を遮り、そしてまた、光を背負っていた。
空中にぶちまけられたカーテンの残骸が、巨大な翼を成しているように見えた。

 

暦は、それに見覚えがあった。

 

眩い光に、異形たちは顔を背けた。
背けつつ、眼で追った。

 

眼前に迫る、影を見た。

 

4つの異形は、瞬時に4つの方向に吹き飛んだ。
異形の者たちが離れた中心、仰向けに横たわる神楽の傍に。
オーバーコートを纏った一人の男がいた。

 

神楽を守護するように、立っていた。

 
 
 
 
 
 
 

つづく