ゲッターロボ+あずまんが大王 第5話-(6)

Last-modified: 2010-07-07 (水) 01:51:52
 

腕も足も、背中も腹も、腰も、外傷と鈍痛をごちゃ混ぜにしたような感覚で満ちている。
時間にして3分ほど前に締め上げられていた首の圧迫感は、
今尚、そこに宿る痣のように色濃く残り、呼吸のたびに鉄の匂いが混じる気道の粘膜を痛めつけた。

 

自分に降り注いだ陰に眼を移すと、それらの全てが、意識の外へと追いやられた。

 

光を遮り、陰が降りている顔の中の、何かが引き裂けた合間の奥の眼に宿る、
酷烈な輝きを見た為だった。
合致した視線が、彼女にそうさせていた。

 

神楽の方へ身を傾けているために、彼らからは正面の姿は見えなかったが、
それは、それを見守る生徒たちも同じだった。
降り注ぐ陽光と共に現れたものに、驚き以上の何かを感じていた。

 

異形を目視した時と、似てるような。
或いは、異形以上の脅威であると、脳が警鐘を鳴らしているような。
小さく開いた口から通る空気が、鉛のように重たかった。

 

「(…間違い、ないよな)」

 

自らが降らせた光の中にいる男を観つつ、暦は思う。
その瞳が、大きく開いた。
それが、こちらの方を向いたためだった。

 

両の足が見えないほどにすっぽりと覆う褐色のオーバーコート。
そのせいか非常に大柄に見える肩幅。
その裾や末端と呼ぶべき場所の至る所に入った細かい裂け目。
あの時は分からなかったが、傷以上に、その生地の上には汚れが目立っていた。
切れ目から、黒と藍が交じり合ったような色が見えた。
ごわついたような表面を持つそれは、恐らくはジーンズであろうと思われた。

 

よれた生地の窪みに溜る黒くくすんだ色は、神楽の鞄の、変色した一帯を思わせた。
酸化した鉄の色に、とてもよく似ていた。

 

そして、澱みの様なうねりを描くコートの頂点にある、硬質感さえも携えて
伸びた襟元からは、連なる刃のようにぎざぎざとした黒髪が覗いていた。
襟で顔が遮られているためか、姿の中でもそれは一際眼を引いた。

 

その顔は、僅かな隙間のいくつかを残し、白い包帯に覆われていた。
よく観れば、その下の首元も。
所謂、「まとも」な外見からは、大きくかけ離れている。

 

傷であるなら、その包帯の範囲の広さには理由があるはずであり、
軽いものであるとは思えない。
また、お世辞にも治安が良いとはいえないこの界隈になら、
そういったものを威嚇の一つとして取り入れる輩もいるだろう。

 

肌の色すら見えない姿は、常人の姿から著しく離れて見えた。
異形にさえ、見えるほどに。

 

「おい」

 

神楽へは視線を落しつつ、男が言った。
ほんの短く、声量も大きなものではなかったが、
それでも、身体を強張らせずにはいられなかった。
異形―ハチュウ人類を見たときとは違った重圧が、その声からは感じられた。

 

「大丈夫か、お前?」

 

気遣いの言葉を、男は言った。

 

神楽の吐く荒い息は、安らかなものへと変わった。
胸に湧いた安堵感が、肉体の痛みを抑え付けた。

 

ザッ…

 

爪が床を傷付ける無機質な音が、男の背後で鳴った。
包帯の隙間から覗く鋭い切れ込みが更に細まり、音の根本を追った。
それに引き摺られるように動いた肉体が、そちらの方へと身体を向ける。

 

主に従うコートが、翼のようにふわりと揺れ、そこに含まれた空気が、神楽の頬を撫でた。
陽の光によって暖められた、心地よい風だった。

 

彼が現れてから、恐らくは10秒も経っていないだろう。
半円を分割しての4方向に、異形達はいた。
その一つ一つを、男は眺めるように見た。

 

異形はみな、アギトを開き、白濁とした白目の中の、
縦長の小さな瞳を殺意で満たし、この邪魔者を睨んでいる。

 

常人ならば、狂ってしまってもおかしくない。
意思の及ばぬほどの震えを、下半身の無様な緩みを、誰が責められようか。

 

あの牙は、引き裂き喰らうためのものだ。
悲鳴を上げて転げまわる人間の肉を、骨を、臓腑を。
その腹に収まっている者たちは、そうやって死んだのだろう。
死ぬ瞬間、最後の一息まで、地獄を味わったに違いない。

 

そうなるのは、嫌だ。
何もかもを踏みにじられて、無惨に死ぬのは。

 

「…はっ」

 

そんな感慨を、微塵も持っていないかのように、
男の口から、吐息のような声がした。

 

包帯越しにも、分かった。
皮肉に満ちた眼を、表情をしていることを。
その矛先が、殺意を発する異形に対してであることを。

 

「くそ暑いマグマの底から、態々ご苦労なこったな。ええ、このトカゲ野郎!!」

 

ギンとした眼光を敵意で湛え、噛み砕くように叫ぶ。
そこには恐怖感なぞ、微塵も無かった。

 

恐怖さえ忘れて、生徒らは唖然となった。
神楽へと向けた安堵の言葉を形作ったのは、精悍と言う言葉を体現したような、男の声だった。
男らしい低さを供えてはいるが、年齢は二十を越えていないと見えた。
つまりそれは、自分たちとそう年齢が変わらないであろう事を表している。

 

身長は、目測で、180と170の中ほどというところだろうか。
頭髪の伸び具合からすると、実際はもう少し低いかもしれない。
立ち尽くす男子と比べても、別段飛びぬけて高いというほどではなく、
むしろ混ざれば、群れに紛れることになるだろう。

 

声と言い、背丈と言い、少年と呼んで差し支えはしないだろう。

 

その少年が、異形に対して平然と言葉を吐いた。

 

明確な敵意をもつものとして、対峙している。

 

「「「「「「「「グゥゥゥゥァァァァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」」」」

 

異形の一匹が、牙を震わせて吼えた。
人の言葉を奏でられるとは到底思えない声を。
それは、男に向けて、的を絞っているかのようにも思えた。

 

吐き終わると、異形は動いた。
脚がバネのようにしなり、足の指が床面を抉った。

 

30メートル近くあった距離が、一気に縮む。
上体を下げ、尾と首が水平になるような体勢、
即ち肉食竜本来の姿で、異形は少年に迫った。

 

迫り来る狂気に、少年は息を吐いた。
疲労感の塊のようなそれを排出すると、ゆっくりと、剣のような足を動かした。

 

異形へ向けて。
下がるのではなく、彼は進んだ。
何故か、どことなく愉しげに見えた。

 

「おい」

 

首をくいっと動かして、言った。
ほんのすぐ後ろを眺めるように視線を動かして。

 

「巻き添え喰うぞ。危ねえからここいらで降りな」

 

もぞり、と、彼の背中で何かが蠢いた。
すると、そこから、何かが落ちた。
それは、床にへたりこむ神楽の元へと来た。

 

「お…おひゃあ」
「……何してんだ、お前」

 

半ば絶句しかけた神楽の元へと来たのは、滝野智である。
乗り物酔いでもしているのか、蒼白い顔の大きな眼は、ぐるりぐるりと渦を巻いている。
聞きたい事は山どころか惑星サイズぐらいはあったが、神楽はそれを強引に振りって前方を見た。

 

少年の眼前で跳躍する異形の姿が見えた。

 

「危ないっ!!」

 

神楽は咄嗟に叫んでいた。

 

長く細い指から、巨大な針のような爪が吐き出される様が観えた。
長さと面積を拡大しつつ、刃となった異形の腕が、彼の頭部へと迫っていく。

 

「大丈夫」

 

傍らの言葉に、神楽は顔を向けた。
何時の間にか、神楽の背を、智の手が支えていた。

 

「あいつは…」

 

周囲の空気を、

 

「強いよ」

 

彼から発せられる鬼気が、染め始めた。

包帯の一片が、一文字にきゅうっと開く。
牙のような歯が、外気に触れた。
歯との間で切り裂かれた空気が肺を満たす。

 

全身を廻る血液の滴が、胸にこもる熱を全身に伝える。
熱は力となって、少年の肉体に満ちていく。

 

それが、肉体の末端まで、細胞の全てにまで至った時。
彼は、眼前の狂気へと、自らの意思で飛び込んだ。
鎌の様に折り曲げられた二の腕が、弓のように引かれていた。

 

体重を乗せて踏み込んだ右足の下で、破壊音が鳴った。

 
 

『『『『『「うぉおおおおうりゃぁぁぁあああッッ!!!!!!!!!」』』』』』

 
 

生徒・異形を問わずの、生き物たちの鼓膜を怒号が満たす。
人間の声で雄叫びを上げ、少年は、己の腕に集約させた力を解放させた。

 

少年と異形との間で、一対の閃きが交差した。

 

誰といわず、息を呑んだ。
粘っこい唾液を飲み下しつつ、誰もが、冷え切った身体で起きている、僅かな体温の上昇を感じていた。

 

ばりっという音を立て、少年のコートの襟元が裂けた。
彼の頬の辺りを通り抜け、異形の細腕が、引き裂けた箇所に埋まっている。
コートの繊維をこびり付かせた爪を湛える蛭のような指は、小刻みに震えていた。

 

「とりあえず、こいつぁあいつの分だ」

 

あいつというのが自分であると、直感的に神楽が悟った。
そしてその眼に、驚愕の色が映えた。

 

包帯で巻かれた少年の拳が、異形の腹部を貫いている。
あの異様な弾力を持ち、大凡の弱点とは言えど、硬質な鱗で覆われたそこを。
自分の全力を以って行った一撃で、もう数ミリも押し込めないと思えたそれに、
深々と突き刺さっている。
そしてそれは今も、緑色の鱗を砕きつつ肉に減り込んでいく。

 

ごふっ、と。

 

それを受けた異形の口から、赤紫の血泡が涌き、毒々しい色の液体を滴らせ、異形の肉体が宙に浮いた。
物理学の法則に乗っ取って背面に吹き飛ぶ異形の姿が、
力のベクトルを維持したままで停止する。

 

薄汚れた運動靴を履いた左足が、異形の足指を踏み付け、抑え付けていた。
足の裏でへし折れる骨の感触が脳髄に届く中、拳を引き抜き、彼は構えた。
引き抜けた拳の先端を、牙から堕ちる液体と同じ色が彩っている。

 

「遠慮はいらねぇ、喰らっとけ!!」

 

先ほどの言葉を、彼は続けた。

 

異形の前面に、幾つもの肉のクレーターが出来た。
瞬時に行われた拳のラッシュは、半ダースを数えた。
力の重さに、左足が耐え切れなくなったとき、異形の肉体は、ようやく宙へと打ち飛ばされた。

 

自らが行った跳躍よりも高く飛んでいく影の左右で、二対の牙が打ち鳴らされた。
少年の眼光が、誰よりも速くそれを捉える。

 

左のものは跳躍し、右のものは、這うように上体を引き下げて、彼に迫った。

 

左で爪が振り下ろされ、右では大きく開いたアギトが閉じた。
爪は、彼の左頬を掠め、牙は右の脇腹を抉った。

 

異形のアギトの中に、鉄の味が広がった。

 

但し。

 

但しそれは、既に渇いた血液だった。

 

爪は、彼の頬を被う包帯をほんの二本と、数本の頭髪だけを掠め取り、
牙が抉ったのは、黒のアンダーシャツと一片ばかしの包帯のみだった。

 

黒色の遮蔽物の奥にある肉体の上に、癒えかけた傷口が見えた。

 

見えた直後に、その眼球が、水分と水晶体をばら撒いてぶち割れた。
眼球の間の眉間を、嘴の様に伸びた口と共に押し潰しているのは、折り曲げられた、彼の右足の膝小僧。
顔面への強烈な膝蹴りに加えて、異形の血の滴る右腕のエルボーが、
玉蜀黍のような毛髪の伸びる後頭部を、容赦なく押し潰していた。

 

右脚に掛かる生暖かいものに感慨の欠片も込めず、肘と膝を引き抜き体勢を整えると、
持て余されていた左手を振るった。

 

頬を掠めて、彼の背中へと流れる腕の主の下へ、その喉元へと、
裏拳を形作った左腕は吸い込まれた。
喉の中で、アッパーを描いた拳は幾つかの牙と顎骨を圧力で砕き折り、異形の肉体を垂直方向へとかち上げた。

 

腹を剥き出しにして、無防備になる異形の姿を眼に宿し、彼は笑みを浮かべた。
意図的にだろうか、本能でだろうか。
地獄の苦しみを味わう異形ですら、痛みを忘れて恐怖させる異様であった。

 

殺意を宿した眼が、その光の残滓を残して背後へと向いた。
打ち据えた拳の運動エネルギーを利用しての回転。
翻ったコートの中で、折り畳まれた左足を、異形の動体視力が捉えた。

 

それが風を渦巻かせて伸び行く様は、ひどくゆっくりと見えた。

 

異形の腹の裏側で、巨大な瘤が生じた。
内臓を突き抜ける衝撃が空中で爆破音のように鳴り、
肉体は他のものと同様に、床へと向けて堕ちていく。

 

無様な姿を晒して吹き飛ぶ異形。
三つの落下音は、ほぼ同時に鳴った。

 

立っている異形は、残り一つとなった。

 

役目を終えた左足を本来の位置に舞い戻し、彼は正面を向いた。

 

液体を噴いて倒れる異形たちの中央に、残り一つとなった異形がいた。

 

少年の背後の生徒らは、それをじっと見詰めた。
今尚宿る恐怖心の中に、別の何かが這入り込む。

 

それが何かは、誰も分からなかったが、漠然とした感情の芯には、熱い何かが宿っていた。

少年が、得体の知れないものであると分かりつつも、彼自身に、恐怖を抱いているにも関わらず。
溢れる胸の高鳴りとざわめきは、止まらなかった。

 

戦闘の影響で、彼と生徒らの軸は、僅かばかりずれていた。
彼の最も近くで彼の戦いを見た二人の少女の眼に、彼の左の横顔が見えた。

 

振り返った時よりも、これまでよりも、包帯の乱れは大きくなっていた。
その中で、頬に奔る亀裂のような裂け目に、一際の注意がいった。

 

包帯の下から覗いた彼の素肌の色は、日焼け気味の神楽の肌よりは薄く、
色々なものをサボりがちな智よりは濃く見えた。

 

彼らと同じ年頃の。

 

若い人間の肌だった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

つづく