ゲッターロボ0080 最終話

Last-modified: 2011-11-27 (日) 02:42:57

季節は巡る。
 
――宇宙世紀0082年、12月24日。
 
バーナード=ワイズマンはあの日のように、ただ一人、森林公園の一角に佇んでいた。
早朝らしいひんやりと澄んだ空気が、バーニィの頬を撫ぜる。
とはいえ暦の上ほどの寒さは無い。
宇宙に浮かぶ巨大な試験管【スペースコロニー】たるサイド6は、
回転運動による疑似重力とミラーを用いた採光により、設計段階より住民が住みやすい環境を想定している。
 
だがそれでも、吹き抜ける風の中に季節の移り変わりを感じるような気がするのは。
移民より80年以上もの時が流れてなお、人類が地球の重力に心を惹かれ続けている証しなのだろうか……?
 
人気のない早朝の森林を散策しながら、サングラス越しに土手の方向を顧みる。
あるいはそこに、ザクの整備をする自分と少年の姿があるのではないかと妄想したのだ。
そこが無人の窪地である事を確認し、安堵の息を吐く。
 
よくよく見れば、不時着の際に削り取られた大地の傷跡も、今やすっかり苔蒸し始めていた。
おそらく来年の今頃には、少年と歩んだ戦いの記憶と共に、
すっかりこのコロニーから消え失せてしまう事であろう。
 
ついと歩みを変え、木立の中へと分け入る。
三年前と変わらぬ数少ない光景の一つが、そこにはあった。
 
盛土の上に、手頃な太めの枝で組んだ木製の十字架。
それはかつて、【ルビコン作戦】失敗の際、この地に逃げ込んだバーニィが作ったものであった。
 
背広のポケットより、煙草の箱を取り出して封を切る。
「何か欲しい物はあるか?」と問われ、わざわざ銘柄まで指定してやった時の連邦士官の顔を思い出し、
思わず苦笑する。
一本抜き出し、ライターを探して内ポケットをまさぐってみたが、そこでやや考え直し、
結局、火は点けないまま墓前へと添えた。
 
「――隊長、報告が遅くなりました。
 〝出来損ない″は、俺が破壊した……、とまでは言いませんが、
 自分でも、できる限りの事はやったつもりです」
 
短い黙祷の後、念願の『報告』を終え、ほうっと息を吐く。
最後の夜に、虚偽を見抜かれた時の重荷が、幾分か軽くなったような気がした。
 
「――けれどもその後、一週間もしない内にジオンは負けちまって……、
 結局、俺たちやってきた事は、一体何だったんでしょうね」
 
今や、一年戦争の名で呼ばれるようになったかつての戦争。
叩き上げの軍人であった上官たちの戦いを思い、思わず眉間に皺を寄せる。
 
かつて、連邦の新型MSの奪取を目標に、サイクロプス隊がルビコン作戦を決行に移したのが、
三年前の12月19日。
一年戦争全体の分水線となったソロモン要塞の陥落が、五日後の12月24日。
バーニィが【クリスマス作戦】と称し、コロニー内の連邦軍基地に再攻撃を仕掛けたのが、
更に半日後の25日。
この時には、既に新型ガンダムの破壊など、戦略的には何ら意味を持っていなかった、と言う事になる。
 
ジオン公国の独立宣言を気に加速した刻の流れは、確かに異常なものであったが、
それでもあるいは、対局がもっと早くに伝達されていれば、と思わずにはいられない。
当時一介の新兵だった自分とは違い、叩き上げの軍人であった彼らには、
もっとふさわしい戦場があった筈である。
少なくとも、無謀な作戦に捨て駒のように使われ、名前も公表できないまま、
人知れず死んで行くような憂き目には……。
 
(……いや)
 
頭を一つ振るい、故人への侮辱を取り払う。
相手はあのシュタイナーと、百戦錬磨のサイクロプス隊なのだ。
作戦の無謀さも、自分たちが囮として使われていた事も、
今のバーニィが知りえる程度の情報は承知していた事であろう。
全てを知っていて、その上で彼らは戦う道を選んだのだ。
成功の目が無い事を知りながら、それでもこのコロニーに戻ってきてしまったバーニィのように。
 
あれからバーニィは時おり考える。
もしあの時、全てを捨てて逃げ出していたら、自分はどうなっていたのだろうか、と。
あの時のバーニィは無力な新兵で、作戦が失敗した以上、当時の彼には出来る事など無かった。
客観的に見て、あの場面での彼の逃亡を責める事が出来る人間などいる筈がない。
ただ一人、彼の事を英雄だと信じていた少年を除けばだが……。
 
結局は、自身の心との折り合いの問題なのだ、とバーニィは思う。
もし、あのままコロニーを見捨てていたならば、少なくともその後の彼は、
二度と心の底から笑う事は出来なかっただろう。
隊長も、ガルシアも、ミーシャも、きっと同じだったのではないか?
それぞれが、やるべきだと思った事を貫き、そして敗れた。
ならば、それ以上の詮索は無用であろう。
少なくともバーニィは、自分の行いを後悔していないのだから。
たとえ事敗れ、連邦軍の捕虜となり、今日には人知れずコロニーを去る身であったとしても、だ……。
 



 
―――――――――― 最終話・『戦場までは何マイル」?』 ――――――――――
 
「地球へ……ですか?」
 
――3日前。
 
宙ぶらりんになっていた己の処遇を聞かされ、呆然と顔を上げたバーニィに対し、
スチュアートと名乗ったベレー帽の連邦軍佐官は短い頷きで応じた。
 
「三日後、12月24日の特別便で、君にはこのサイド6を離れ、地球に降りてもらう。
 行き先はオーストラリア東部のトリントン基地だ。 
 当面の間はそこで、新任のテストパイロット達にまぎれて生活してもらう事になる。
 準備、と言っても、大した手荷物はないだろうが、
 当日の午前中にはここを発てるよう用意を進めておいてくれ」
 
「…………」
 
「どうかしたかね? 何か質問があるなら聞くが?」
 
「あ、ああ、その……」
 
晴天の霹靂とも言うべき人生初の地球行き。
突然の提案に混乱する思考を整理し、やや、緊張した面持ちで、バーニィが本心を切り出す。
 
「三年前にこの基地を攻撃した時、俺は連邦の制服を着ていました、ですから……」
 
「――軍事裁判にかけられるとでも思っていたのかね?
 連邦はそこまでヒマではないよ、伍長。
 工作員と言っても、君は当時まだ徴用されたばかりに新兵で、部隊に編成されたのも
 作戦行動のわずか一週間ばかり前の事だったとの調べもついている、それに……」
 
と、スチュアートはそこで一旦言葉を区切り、やや複雑に顔をしかめ、続きを口にした。
 
「――それに、マスコミに提出されたテープの証言からも、
 君が連邦に害意を以ってザクを動かしたわけではない事も理解している。
 これ以上君をこの基地に拘束しておく理由は、既に無いのだよ」
 
「……あ」
 
その表情を見て、ようやくバーニィにも事態の推移が呑み込めてきた。
これまでの自分が、処遇未定のまま今日まで拘留されてきた理由も含めて。
 



 
――半年前。
 
宇宙世紀の暦の中で、実に二年ぶりに瞳を開けたバーナード=ワイズマンを待ち受けていたのは、
メディカル・センター内の一角を使ってのリハビリの日々であった。
 
後から聞いたところによると、かつての〝出来損ない"との戦いの最中、
壊れたザクのコックピットから投げ出されたバーニィは、
頭部を打った衝撃で昏睡状態に陥り、そのままこの施設に運び込まれたのだと言う。
 
バーニィ付きの看護婦達の証言は、彼自身の記憶にある
【クリスマス作戦】の顛末とは明らかに異なるものであったが、
どちらの言葉が正しいものであるかは、二年もの寝たきり生活で、
すっかり衰弱しきっていたバーニィ自身の肉体が、如実に物語っていた。
 
とにかく、バーニィは当面の間、まっとうな日常生活を行えるよう、肉体の回復に勤めねばならなくなった。
幸い体には大きな怪我は無く、鈍っていた筋肉の復活と共に、
バーニィの行動範囲も徐々に広いものとなっていった。
 
ひとつ奇妙だったのは、予期していた連邦政府の取調べが無かったことである。
さすがに外出の許可こそ得られなかったものの、バーニィの周囲にはこれといった監視の目も無く、
この半年の間、彼はそれなりに快適なリハビリ生活を送ることが出来た。
 
自分がサイド6の住人達から【リボーの英雄】と呼ばれている事も、その内に耳にした。
クリスマス作戦が失敗した時のためにと、少年に託しておいたもう一つの保険。
ルビコン作戦の実態をバーニィ自ら証言したテープは、その後一体どうした事か、
マスコミの手に渡ってメディアに公表されたらしい。
 
当時の中立協定を無視し、コロニー内で新型MSの調整を行っていた連邦軍と、
その新兵器を、核ミサイルでコロニー諸共焼き払おうとしていたジオン軍。
凄惨な一年戦争の争いの最中、ただ一人コロニーを守るために命がけの作戦に臨んだ、名も無きジオン兵の証言は、
泥沼に咲いた一輪のヒューマニズムの花として賞賛され、その意識の回復も見込めぬ内から、
多くの助命嘆願署名が連邦政府に宛てて送りつけられたのだと言う。
 
(無論、コロニー内でのモビルスーツ戦の危険性を説き「核ミサイルを止めたいのなら初めから自首するべきだった」
 と言う主旨の正論も散見されたのだが、普段おおっぴらに連邦政府を批判できない当て擦りからか、
 バーニィを英雄視する風潮を止めるほどの力とはなり得なかった)
 
バーニィと少年の戦いはいつの間にか、当の本人が眠りこけている間に映画にまでなってしまったらしい。
『一流のドキュメンタリーを三流のハッピーエンドに貶めた駄作』などと酷評されたゴシップ誌を見るに至っては、
さすがにバーニィも苦笑せざるを得なかった。
 



 
(そう言う事か……)
 
ようやく全ての事情が繋がり、バーニィがひとり頷く。
目の前のベレー帽が言った、連邦はヒマでは無い、と言う言葉は、そのままの意味であったらしい。
もとより相手は、既に反抗の意志を持たないただの新兵である。
無駄な裁判や不必要な拘留で世論の評判を下げるような真似をする意味は無い。
バーニィにとっては元々はコロニーを守るために残したテープに、皮肉にも自分自身が救われた形と言える。
だが、それならば何故ここに来て、地球への移送なのであろうか?
 
「――戦争終結から間もなく三年、既に多くの捕虜達が帰国の途に着いている」
 
そんなバーニィの疑問の表情を察したのか、スチュアートが再び言葉を紡ぐ。
 
「日常生活を遅れるまでに肉体が回復した以上、我々にもこれ以上、君をここに留める理由は無い。
 本来なら君は、今日で釈放、と言う手はずになるべきなのだが……」
 
「?」
 
と、そこでスチュアートは再び一つため息をつき、憐れみ混じりにバーニィを見た。
 
「……ツイていなかったな伍長、君は少し名前を売り過ぎた」
 
それからベレー帽が口にしたのは、地球圏周辺を取り巻く勢力状況であった。
 
ジオンの降伏による一年戦争の終結より三年。
ジオン残党の多くが解体、ないしアクシズ方面へと落ち延びたことで、現在は一定の平和を得てはいるが、
それでも尚、一部の軍閥はゲリラ化して地球圏に留まり、抵抗を続けているのだと言う。
 
「無論、それらの活動に旧来の勢いは無いのだが、それだけにヤツらも必死だ。
 今後は利用できるものはなんでも利用してくるだろう。」
 
「……はぁ」
  
「――例えば、ジオン公国にとって不倶戴天の敵である、
 ガンダムタイプのMSを破壊した【英雄】が参戦したならば
 ヤツらにとっては格好のプロパガンダになるだろうな」
 
「――! ちょ、ちょっと待ってくださいよッ!
 俺があの時、出来損な……、ガンダムの新型とやり合えたのは偶然に過ぎませんし、
 それに俺は、今更になって戦争に加担するつもりは……」
 
「ジオンの残党に与するつもりはない、かね?
 だが伍長、残念ながらこの場合、君の意志や能力は問題ではないのだ。
 ヤツらからしてみれば、君の身柄と腕の良いパイロット、それにザクが一機さえ確保できれば、
 十分に【リボーの英雄】を演出することが出来るのだからな」
 
「…………」
 
「一たび連中の行動が活発化し始めたならば、このコロニーのセキュリティでは心許ない。
 理不尽な話ではあるが、今回の移送は君の命を守るためでもあるのだ。
 あくまでこの一件は、状況が落ち着くまでの仮の処遇だ。
 連邦の制服を再び着るのは窮屈かも知れんが、何とか承知しておいてくれ……」
 



 
「……シドニーは今頃、雪で真っ白、か」
 
空の果てにあるであろう母なる大地を見据え、バーニィが一人呟く。
 
想像する。
 
白塗りの連邦カラーのザクを駆り、新型ガンダムの当て馬を勤める【リボーの英雄】の姿。
わずかばかりの時間とはいえ、サイクロプス隊の一員であった自分。
彼らの生き様の証人である自分は、一体どこに誇りの置き場を作り、戦いに臨むべきなのか……?
 
更に今、バーニィの胸中を締め付ける課題がある。
それはともすれば、彼自身の小さなプライドの問題よりも、ずっと切実で深刻なものだ。
 
 
『お前の故郷を救え、バーニィ』
 
 
耳を澄ませば、今でも残響のように聞こえる、遥かな異世界で出会った戦友の声……。
夢ではない、幻でもない、何一つ証拠は無くとも、バーニィ自身がはっきりと身に滲みて覚えているのだ。
体を灼いたビームサーベルの痛み。
血と金属とオイルで満ちた、むせ返るような戦場の匂い。
おぞましいばかりの鋼の巨体より感じ取った死の気配。
臨界寸前の奇妙な静寂の中で聞いた、武蔵の息使い。
 
与えられた現実の中、全てをなあなあで済ませるわけにはいかない。
何故ならば、バーニィはかつて一度死に、そして【彼】の助けを借りて、再びこの世界に帰って来たのだから。
 
あれ以来、バーニィはそれとなく周りの人間に、中破した〝出来損ない"の顛末を尋ね回っていたが、
いずれも良い回答は得られずにいた。
本当に行方を知らないのか、あるいは知っていても、ジオンの虜囚である彼に真相を聞かせてくれるはずも無い。
 
(三年前、俺が破壊し損ねたガンダムの新型炉心、
 アイツは一体、どこに消えちまったって言うんだ……?)
 
あの時はただ、核を止めるのに精一杯で、想像する事すら出来なかった『本当の敵』。
それはただ炉心を探し出し、人知れず破壊してしまえば済むと言う問題ではない。
80年前より人類の住処となって久しき宇宙。
その世界には、見えざるゲッター線の輝きが溢れているのだから……。
 
改めて思う。
自分に何が出来るのかと。
 
バーニィは科学者ではない。
ゲッター線の開発を統御できる役職の人間でもなければ、
プロジェクトに携わる事のできるテストパイロットでもない。
それどころか、今日には見知らぬ異国の地で、大きく行動を制限されながら生きねばならぬ虜囚であった。
 
(――それでも今は諦めず、自分に出来ることを、一つ一つ探していくしかない。
 あの時、死んだハズの自分が、今、再びこの世界に居る事に理由があるとしたら、
 それはきっと、アイツを止める為なのだから……)
 
ゆっくりと瞼をあけ、背筋を伸ばして十字架に向き直り、静かに敬礼する。
迷うべき事は既に無い。
 
「もう一度、必ずここに戻ってきます。
 その時はもっと、ちゃんとした手土産を持って……。
 どれ程の時間が掛かるかは分かりませんが、必ず」
 
顔を上げて踵を返し、振り返る事無くその場を立ち去る。
最後に口にした言葉を繰り返しながら。
 
(アル、お前との約束を叶えるのは、当分先の事になりそうだ。
 けれども約束は守る。
 今はまだポケットの中にしまっておくしかない、俺の中の戦争を終わらせたなら、その時は……)
 
不意に頭上より響いてきたクラクションの音に、バーニィが思考を中断させる。
連邦からの出迎えか、それにしては時間が早いし、そもそも正確な場所を知っているとは思えない。
訝しげにサングラスを外し、土手の高みを見上げる。
 
逆光の中、バーニィの瞳に飛び込んできたのは、見覚えのある洒落た一台のエレカ。
柔らかな赤の豊かな髪の女性が、じっ、とバーニィを見つめている。
 
「ああ……」
 
思わず感嘆がこぼれる。
友愛と、恋慕と、痛ましさと、言葉にならない想いが交じり合い、じんわりとした温もりがバーニィを満たす。
 
何故だか唐突にバーニィは、外出許可を求めた際のベレー帽の微妙な表情を思い出した。
「サンタクロースなんてガラかよ」と、一人口中で嘯く。
  
「バーニィ!」
 
助手席より飛び出してきたはちきれんばかりの叫びが、束の間の思考を打ち破る。
記憶にあるよりも遥かに背の伸びた、黒髪の痩せ型の少年。
震える両足で大地に立ち、不安げにこちらを見下ろしている。
バーニィの次の言葉を待っているのだ。
 
ゆっくりと、気付かれぬように深呼吸する。
心の動揺を悟られぬよう、静かに、偶然散策中に出会ったかのような何気無さを装いながら。
三年の重みを感じさせない軽やかさで。
 
「……やあ、おはよう。
 何だよ、少し見ない間に大きくなったな、アル」
 
陽光が、やんわりと三人の上へ降り注ぐ。
遥かシドニーの銀世界まで塗り替えんばかりの温もりが、
やがて少年の、凍りついた三年の月日をゆっくりと溶かし……。
 
 
 
「お帰りなさい、バーニィ」
 


117 :ゲッターロボ0080 最終話8/13:2011/11/26(土) 01:15:31 ID:0/fO4gJU0
―― オーストラリア大陸・トリントン基地 ――
 
鮮やかな夕焼けの中、一台の軍用ジープが、演習後の軽やかさを以って荒野を駆け抜けていく。
地平線が見える、とまではさすがに言い過ぎだが、大陸の演習場にふさわしいダイナミックな風景。
もっとも、これほどに広大な敷地を軍用に確保できたのは、連邦に潤沢な予算があるからではない。
一年戦争時、悪名高いコロニー落としにより、豪州はシドニー以下
主要都市に壊滅的な被害を受け、その人口が激減していたのだ。
連邦の基地設営は、その事を逆手に取った新型兵器のテスト運用を目的とした物であり、
今日もまた、若者達の目指す格納庫の前に、一機のペガサス級戦艦が降り立った所であった。
 
「……ったく、コウ、お前といると本当に退屈しないね。
 焦らなくったって、新型は逃げやしないだろうに」
 
「だってさ、噂が本当だったら一番に見てみたいだろ」
 
コウと呼ばれた黒髪の青年が、無邪気な子供のように快活に応じる。
MS乗りに憧れて士官の道を目指し、実際にパイロットとして非凡な才能を見せる若者であったが、
性格的にはあるいは、一介のメカニックでも目指していた方が向いていたのかもしれない。
 
「そんな事よりキース、噂の方は当てになるのか?
 あのペガサス級が積んで来たのが、ガンダムタイプの新型だって……?」
 
「ん、ああ……」
 
コウに促され、助手席のキースが眼鏡を抑えて呟く。
 
「まあ、五分五分ってとこだろうが、割と信憑性はあるんじゃないか?
 何せ今回の艦には、サイド6からの技術者が多数乗り込んでるって話だったし……」
 
「サイド6?」
 
「何だよ、コウ、忘れちまったのかよ?
 ほれ、例のルビコン作戦ってヤツだよ」
 
「あ……」
 
言われてコウも思い出す、それは仕官学校時代の一コマ、
宿舎のロビーで見た、とあるジオン兵の証言を取り扱ったニュースであった。
 
――自分がジオン軍の特務部隊に所属している事。
――先日のサイド6における一連の戦闘は、連邦軍の新型MS奪取を目指した【ルビコン作戦】の一環であった事。
――ルビコン作戦には続きがあり、24日までに作戦が遂行できなかったときは、ジオンの母艦が核攻撃を敢行する手筈になっている事。
 
一切の感情が抜け落ちてしまったかのように、淡々と事実のみを伝えた、ある意味つまらないメッセージは
それゆえにコウに深いショックをもたらした。
なぜならばそのメッセージを残した後、自分と大して年の変わらぬその兵士は、
現地改修したザク一機のみを駆り、ただ一人、決死の戦いを挑んだのだから。
 
「このテープを託した少年は、行きがかり上作戦行動に利用された被害者です」そう締め括った最後の言葉のみが
終始淡白であった自供の中で、唯一切実なものであった。
敵であるジオン兵の中にも言いヤツはいる、そんな当たり前の事実を、コウはその日、骨の髄に至るまで、深く刻みこまれたものだった……。

「……一体、どんなヤツなんだろうな」
 
「ん~? まあ、いくら秘密兵器って言っても、三年も前の型落ち品だからな。
 あるいはウチに配備されてるジムの方が、よっぽど強かったりしてな」
 
「え?、ああ、いや…… ま、いいか」
 



 
 
「これが、新型の……」

「へぇ、ガンダムタイプって言っても、トリコロールカラーじゃ無いんだな」
 
ハンガー前で言葉を失ったコウに代わり、キースが安直な感想を述べる。
目的の地で二人を待ち受けていたのは、鮮やかなブルーに染まった鋼の巨体であった。
 
慣れ親しんだGM達よりも一回り大きい青のボディ。
既存のカタログに存在しないその機体が、果たしてあのガンダムの系統機と呼べるものかまでは判別がつかない。
確かに両眼のカメラアイや、口許を覆うマスクには、資料で見たガンダムの面影がある。
だが頭部のアンテナは有名なV字では無く、槍の穂のように鋭利な三又。
さらに、曲面を押し出した肩部や胸甲の盛り上がりは、見る者に鋼鉄の筋肉を想起させ、
既存の連邦製MSにはない強烈な個性を放っていた。
そんな中、両椀に収納された小型のガトリング砲のみが、元の機体の名残を残す唯一の兵装であったのだが、
サイド6での戦いの真相を知らない二人は、当然その事には気付かない。
 
「こらァ! そこの二人」
 
「!? やばっ」
 
背後からの怒声に、おそるおそるキースが振り返る。
彼方より両肩をいからせずんずんと迫るのは、まるでパースでも間違えたのではないかと言う大柄の、
ツナギ姿の褐色の乙女であった。
 
「その機体は調整中、正式な公開は明日の午後からよ。
 それと何、これからこのモーラさんを、素敵なディナーに誘ってくれるとでも言うのかしら?」
 
「ああ、いやぁ、そうしたいのは山々なんですが、僕たちも勤務の途中ですので……、
 ほれ、コウ、そろそろ行こうぜ」

「ちょ、ちょっと待てって! あの、モーラさん」
 
「……? なにさ」
 
訝しげな瞳を向けるモーラの前で、何やらぶつぶつと呟いていたコウが、意を決したように顔を上げる。
 
「この機体、胸部のスペースがやけに大きいように見えるけど、
 もしかしてコイツには、何か特別なエンジンでも積んでいるのか?」
 
「へ……?」
 
「やっぱり」
 
おもわずぱちくりと目を丸くさせたモーラを横目に、キースが口笛を鳴らす。
「参ったわね……、確かにこの機体に積んでるのは普通の核エンジンじゃないわ。
 アナハイム社でも研究中の試作機、プラズマ・ボムズの一号炉心を搭載しているのよ」
 
「プラズマ……?」
 
「ええ、あたしは学者じゃないから理屈は説明できないけど、
 カタログ上の出力は同型の核融合炉の一割増し。
 さらに核爆発の心配が無い事から、コロニー内での運用にも期待されている優れ物よ。
 まっ、実際の性能は、テストしてみてからのお楽しみってところね」
 
「へえ、そんな凄い物を積んでるのか」
 
「ええ、けれどもコイツはあくまでパートナー、
 本命はあくまで向こうの二号機よ。
 もっとも今はまだ炉心を収めてない〝出来損ない″だけどね……」
 
モーラのややうんざりとした口調に疑念を覚えつつも、視線の先を二人が追い掛ける。
これから整備に入る所なのであろうか、後背の機体を包み込んでいたシートがタイミング良く取り払われ……。
 
「うッ!」
 
そして、思わずコウは小さな呻きを零した。
彼の眼前に現れたのは、ディープブルーの外装に包まれた一号機とは対称的な、
血で染め上げたかのように鮮やかでおぞましい、深紅のガンダムであった。
 



 
 ――同時刻。
 
トリントン基地内の施設の一角には、厳重なセキュリティの施された鉄扉が押し開かる様を臨む、
三人の男女の姿があった。
 
「……ここを開けるのも、実に二年半ぶりかね、シナプス艦長?」
 
「心境的には漸く……、と言うよりも、とうとう、と言った感じですな、准将」
 
温厚そうな初老の男、トリントン基地司令・ホーキンズ=マーネリの問い掛けに、
シナプスと呼ばれた痩せ型の艦長帽が感慨深げに応じる。
一方、傍らの水色のスーツの女性はただ無言で、開きつつある扉の先を、ただ憂い気にじっと睨み据えていた。
 
「パープルトンさん、民間人の方がここに入るのは、あなたが初めての事ですよ」
 
「…………」
 
准将の世間話に対しても、ニナ=パープルトンは無言であった。
それは彼女の性格の問題でも無ければ、無論、初めての栄誉に感動して言葉が出ないわけでもない。
この時の彼女は、扉の先に待ち受ける存在を知るあまり、周囲の言葉に対応するゆとりを失っていたのだ。
 
ほどなく、ガコン、と言う音と共に扉は開ききり、
2メートル程の高さの透明な試験体が、三人の前に姿を現した。
一見するとガラス製の大型タンクのようなその代物には、大小さまざまな計器が取り付けられ、
久方ぶりに外気に触れる機会を喜ぶかのように、柔らかな緑色の燐光を内部で煌かせていた。
 
「この光……、准将、炉心は起動しているのですか!?」
 
「いや、アルビオンより運び込まれたあの日以来、一切手を付けてはおらんよ。
 ただ、技術者達の分析によれば、炉心に残存するエネルギーが反応して、
 時折このような輝きを放つのだそうだ。
 今日のように、宇宙線の観測値の高い夜には特にね」
 
「下手に破棄や解体も出来ないと言う訳ですか。
 それにしても、随分と物々しく蓋をしたものだ……」
   
「……あれからもう、三年近くも経っていると言うのに……」
  
科学の常識を通じぬ遺物の輝きを前に、ニナが俯きがちにか細い肩を震わす。
未知なるゲッター線への畏れを隠しきれない技術者の姿を、ホーキンズが横目で見やる。
 
「パープルトンさん、やはりあなたは今回の試験には反対ですか?」
 
「……三年前、リボーコロニー内での戦闘の折、
 この炉心はあわや暴走直前にまで陥り、一時的にですが、膨大な量のゲッター線が大気に放出されました。
 幸いその時は事無きを得ましたが、一たび誤ればリボー……いえ、
 サイド6という名称自体が、この宇宙より消滅していてもおかしくない程の事件だったのです」
 
端正な顔立ちを深刻に歪め、ニナがきっ、と顔を上げる。

「お願いします。
 マーネリ准将、今回のプロジェクトの中止、もう一度だけご再考下い。
 こんな事を言うのは技術者として失格かもしれませんが、
 私には、この炉心を制御する自信が無いのです」
 
本音を切り出し、淡い紅を差した口許が、わずかに震える。
元々彼女は、アナハイム社のエリート達の中でも指折りのシステムエンジニアであり、
それだけに仕事に対する思い入れも人一倍強い。
今回のように、与えられた仕事に対し降伏宣言をするなど、本来の彼女からは考えられる姿では無かった。
 
だが、彼女の仕事への情熱はあくまでも、自らの生み出したMSが秩序の構築に貢献する事を前提としている。
一たび暴走すれば核以上の悲劇を生みだしかねない新エネルギーの研究も、
そのテストとして、未来あるパイロット達をモルモットのように扱う事も、
彼女の矜持からは到底耐えられるものでは無かったのだ。
 
――長い沈黙。
 
小さな溜息を一つ付き、准将が訥々と口を開く。
 
「――個人的な見解を言えば、私もこの炉心を軍事運用するのには反対ですよ」
 
「准将! でしたら――」
 
「……ですがね、パープルトンさん、
 残念ながら人類はもう、こいつから逃れる事はできんのですよ」
 
と、そこで事態を静観していたシナプスが、
あくまで視線を炉心に向けたまま、二人の会話に割って入った。
 
「三年前、リボーで起きた一件はメディアを通じ世界中に流れ、
 今や一介の民間人ですら、あのコロニーで連邦が何らかの研究をしていた事を知っている。
 いずれは誰かが背後にあるゲッター線の存在に気付き、実用化に向けて動き出す事でしょう……。
 パープルトンさん、あなたはその先鞭を、
 軍内のタカ派連中や、宇宙にいるジオンの残党のような輩に執らせて良いと思いますか?」
 
「それは……」
 
「未知のエネルギーを取り扱う危険性は、十分に承知しているつもりです。
 ですが、なればこそ研究は、我々の手で進めなければならんのですよ。
 それがどのような性質を持ち、どうすれば制御する事が出来るのか?
 邪な者が、最悪の暴走事故を引き起こす前に……。
 言うなればこのプロジュクトは、真実を知った我々にとっての義務なのです」
 
「義務……」
 
シナプスの言葉を、口許で小さく反芻する。
ニナは軍属では無く、ゆえに本来ならば、シナプスの言葉を強制される所以は無い。
だが、この場合のシナプスの言う『義務』とは、そんな俗っぽい意味では無い。
例えるなら、たまたま決壊寸前の堤防を発見してしまった者のように、
あるいは明日、コロニーに核ミサイルが落ちる事を知った兵士のように、
良識ある人間が、悲劇的結末を回避するために負わねばならぬ行動について言及しているのだ。
それはもはや立場や役割、ましてや能力の問題ですら無かった。
 
覚悟を決めたニナが、こくりと頷いたのを横目に、シナプスは軍帽を目深にかぶり直すと、
心底申し訳無さそうに呟いた。
 
「たとえその為に、あなたが心血を注いだガンダム達全てを、犠牲にする事となったとしても……」 
 
ニナの背筋がぞくりと泡立つ。
シナプスの言葉に感応したものか、炉心はいつしか輝きを増し、静寂に満ちた室内を彩り始めていた。
もう一度、新たな肉体を得るその時を歓喜するかのように。
 
あたかもそれは、宇宙を駆ける生命の煌きのように幻想的で、
これから始まるであろう戦慄の夜には、まるで似つかわしくない光景だった……。