ゲット・ダイバー 4

Last-modified: 2010-11-05 (金) 21:15:48

  4

 

 その夜。
 ミサトのマンションの入り口に、かろうじて立っていたのは、完全なる酔人と化したアスカ
だった。
 将造の姿はなく、代わりに腹心の部下としている高倉を送りにつけている。
 そして、アスカは出迎えたシンジを見るなり
「シンジ! あたしは、パパに、オトナに、させてもらったわよ……キャハ! おぅぇ」
 彼にあらぬ誤解を起こさせる言葉をわめきちらしたのだった。
 シンジの表情が絶望に引きつる。
 その肩を、竜馬がぐいっと引いた。
「落ち着け。絶対にそういう意味じゃねえからよ」
「竜馬さん……」
「シンジ! あんたもこんど、付き合いなさいよ! そこのバカに鍛えられてるんでしょ。あ
たしはそこのバカ許してないけど、パパは友達だって言ってるから、認めはするわ」
「あの、アスカ……何いってんの? 意味がわからないんだけど……」
「ちょっとリョウ君、困るわよ。アスカは大事な弐号機パイロットなのよ! こんなことされ
てシンクロ率に影響でも出たら……」
「俺に言われたって困るぜ。それと、お前はそんなこと言う権利ねえと思うが」
「う」
 ちょうど、その時もミサトはヱビチュビールの缶(500ml)を片手に持っていた。酔っぱらい
が他の人間が酔うことを否定するのは、倫理的におかしい。論理的にはもちろん、未成年が
飲酒をしたのだから、咎めて当たり前だ。
 だが、ミサトの飲酒量はほとんどアル中といえるものだった。ひどい時は、勤務中に飲酒が
あったりさえする。
 そんなダメ人間が、未成年のたった一回の飲酒ごときに、文句を付けられるのか、と言われ
たわけである。
 そして平気で文句をつけられるほどの、つまり政治家並の羞恥心の無さは、ミサトにも無か
った。
「それに、子供の頃から酒のんで良い国があるって聞くぜ。だったらあとは法律の問題だろ?
 どうでもいいじゃねえか」
「よくねえわよ! ああもう、それにこんな状態じゃ、戦闘待機の事つたえられないじゃない!」
「とりあえず言っておけばどうだ。むしろ、シラフの時より納得してもらえるかもしれねえぜ。
醒めたら覚えてねえ、って可能性もあるが」
 そこまでいって、竜馬はずっと直立不動の体勢でいた高倉に「悪ぃな。疲れたろ、もういい
ぜ。将造によろしくな」と、彼には珍しく素直な態度で掌を垂直にする。

 

 すると高倉は「では、自分はこれで」と、起動したゲッターのごとく、シャキッ、とした動
作で最敬礼するときびすを返し去っていった。
 竜馬はその背を、つと眺めていた。
(でけえ背だ)
 寡黙で目立たないが、岩鬼組では菅原という男と共にツートップを張り、将造にさえ引けを
とらないほどの実力があると目されている。
 それでもあえて二番手に甘んじているのは、なにか仁義があるのかもしれない。年齢は竜馬
よりも、十は上回っているだろう。
「ァ、高倉さん、ありがと! ね!」
「はい。姐さん」
 この世界にもあんな骨のある男がいるんだな、と竜馬は思っていた。
 そんな思考を知らないミサトは、頭を垂れたまま横で唸っている。
 数秒唸ったが、やがて決心が付いたらしい。

 

「むうう……アスカ。まあ上がって、水のむ? スポーツドリンクもあるわよ」
「ミサトぉ。一応、謝っておくわ。あんたがお酒ばっか飲んでるの、バカにしてたこと」
「はいはい、ありがとね。それよりなんだけど、修学旅行」
「しゅうがくりょこお? あー……オキナワね。パパに言ったらね、パパそもそも学校になん
て行ってなかったんだって。行ってたの少年院だって」
 いきなり脈略がない。
「知るかよ」
 と、ミサトは言いかけたが、酔っぱらいに論理が通用しないことは自分自身の経験で身にし
みるほど解っているので我慢した。
「でもね、パパきっと学校なんか必要ないと思ってたんだわ」
「あぁ、そうでしょうね。あれには必要ないわ」
「そーよ! でもパパは凄いわ、組員のみんなは、みんなパパを慕ってる。みんなパパに命か
けてるって言うのよ!?」
「うるせえ」ミサトは次にそう言いたかったが、やはり我慢した。その代わりにヱビチュビール
を全て腹にぶちこむ。
 それでもヱビチュビールは美味だった。
「だからね、あたしさ、なんか修学旅行でうかれてるのが、おかしくなっちゃった」
「ああ、おかしいおかしい……え?」
 どうしてそうなるのかミサトにはよく解らなかったが、アスカは要するに将造の経験したこ
とのない時間を自分だけが独占する、というのは許せないらしかった。

 

「でね、パパに一緒に行こうって言ったんだけど、嫌だっていうから、仕方ないの」
「そりゃそうでしょうけど。で、えー……何が仕方ないのかしら?」
「だから、修学旅行よ! わかんないわねえ!」
(わかんねーのはおめーだ!)
 ミサトは口の内部でだけ叫んだ。
「だから、私は修学旅行いかないの! 待機してるわ! 弐号機で訓練して、シトが出てくる
の待つの! パパの訓練の時はね、しびれ切らした方が死んだ!」
「あら……なんか結果オーライってとこ? けど、いまは私が死にてぇわよ」
「ダメよそんなの! 加持さん、まだあんたのこと全然わすれてないわ。ホントは気づいてた
けど、でも悔しくて、引くつもりなかった。でもパパのおかげで、踏ん切りついたわ。私、もっと
良い人探すもん。だから死ぬなんて許さないから!」
「……」
 話が飛び始めてしまった。
 しかし飛んだ中にも、ミサトが封印しようとした心を、引っぺがすような真理を酔っぱらい
少女は語る。
 修学旅行中止と待機を伝えるのも忘れて、硬直するミサト。
 その背を見ていた竜馬が、首をゴクリとならすと頭をかきつつ、一歩ふみだす。どうやら後
を引き継ぐつもりのようだった。
 これでいて面倒見は良いのである。
「まあなんだ。アスカよ」
「あによバカ」
「うるせえ酔っぱらい。いいか、修学旅行は行かなくていい! ネルフからも正式に待機の命
令が出てるから、安心しろや。なんかシトの影がちらついてんだとよ」
「そうなの!?」
「そうだ!」
「うん、わかった!」
 どこまでわかったのかは、竜馬は聞かないことにした。
「そうか。じゃ、とっとと寝ちまえ」
「うーん……でもお腹、すいた……」
 酔うと食欲が増加する。胃の粘膜をアルコールが刺激するためである。理性を司る大脳新皮
質が麻痺して、暴食に対する忌避感が遮断されるせいもあるだろう。
 個人差はあるが、アスカの場合もご多分には漏れないようであった。
 ちなみにミサトは、これのおかげで終始体重を気にするハメに陥っている。好みが酒の中で
も一番、太りやすいビールだから仕方ないのであるが。
 その点、竜馬も大酒は喰らうが、飲んでいる最中はまったくといっていいほど食物を口にし
ない辺りが、凄まじいまでの酒への耐性と、忍耐力を感じさせた。
 一人の武道家として、無意味な体重増加には並々ならぬ嫌悪があったのかもしれない。
「シンジぃ、なんか作ってよ。カロリーが低いやつ」
「ええっと……冷蔵庫には豆腐くらいしかないよ。冷や奴で良いかな?」
「なんでもいいわっ」

 

 ……翌朝。 
 いつまでもアスカが起き出してこないので、ミサトに起床促しを命じられたシンジがうんざ
りするほどのノックを繰返したあとで、彼女の部屋へと進入する。
「うっ」
 途端、酒の臭いが鼻についた。
 ベッドがこんもり盛り上がっている。よく見ると、小刻みに震動しているのが解った。どう
やら目が覚めてはいたらしい。
 シンジは不審に思い、おずおずと近づく……。
「あの、アス、カ……? ミサトさんに言われて、起しにきたんだけど……」
「嫌……あたし、もう、だめ……生きていけない……死にたい……」
 どうやら、昨日の酩酊状態における記憶を、断片的にフラッシュバックさせ続けていたらし
い。
 アルコールを多量摂取すると、大脳は麻痺する。そのため当然、記憶も確実なものでは無く
なるが、かろうじて覚えている部分だけでも正常に戻った脳が支配する人格からしてみれば、
噴飯ものの場合がほとんどである。
 大脳新皮質による支配がなければ、人間も獣と変わらない。そんな醜態を自分がさらしてし
まうなど、多感な一四歳の少女にとって無間地獄といえただろう。
「あ、でもさ、なんか昨日のアスカ、楽しそうだったよ。いつもより」
「うううう……」
 フォローしようとするが、何を言っても醜態の記憶しか呼び起こせないらしい。アスカは
いっこうに起き出す気配がなかった。
 どうしたものか、とシンジが困り果てていると、
「酒呑みレベル1ってとこねぇ」
「わぁっ!?」
 いつの間にか背後に近づいていたらしい、ミサトがぬっとシンジを横切った。そしてこんも
りともりあがって、小刻みに震動し続ける布団をポンポンと叩く。
「安心しなさい。みんな、そうやって大人になっていくのよ」
「うるさいうるさいうるさい!! もう放っておいて!」
「そういう訳にもいかないでしょ、待機任務なんだから。ネルフへ行くわよ」
「やっぱり修学旅行に行きたい」
「だめよ」
「うううう……」
 その後、総員でなんとかアスカを部屋から引きずり出すと、各々通勤用の車へと向かった。
 すぐにマンションの駐車場から、竜馬のバイク、スズキGSX1300R「隼」が、その名に違わぬ
速度で飛び出してくる。
 後部座席にはシンジ。
 つづいてミサトのクルマ、フェラーリ328GTSがフルオープンの状態で、隼を追うように発進
していく。助手席には俯いたままのアスカである。
 タイヤがすり減っているのか、ちょっとしたコーナーでもスキール音を奏でていた。
「箱根なんだし、たまには走りにいきてぇもんだな」
 途上、ノーヘルの竜馬がいった。
 彼に限っては、必要ないであろう。バイクよりはるかに危険な乗り物・ゲッターロボを自在
に動かせる男である。
「行けばいいじゃないですか」
 アライの最上級ヘルメットに護られるシンジが、竜馬の背に抱きつきながら、もごもご叫ん
だ。風切り音が邪魔で叫ばないと会話にならない。
「相手になる奴がいねぇんだよ。こんな時勢だからな、ノンキに峠攻めてる奴なんか、ほとん
どいねえのさ」
「なるほど」
「お前も歳になったらバイクの免許を取るといい。まずは原付からだな」
「僕が、ですか?」
「ああ」
「運転できるとは思えないですよ……あんまり興味も、ないし」
「自分で動かしてみりゃ意見も変わる」
「そうかなぁ。ゲッターやエヴァに乗って、楽しいと思ったことはないですよ」
「あれは鉄の棺桶と、ママの腕ン中みてえなもんだ。どっちも極端すぎんだよ。死ぬ間際と赤
ん坊の体験してなにが楽しい。俺たちが生きがいを感じるのは、その最中を走り抜ける時間なんだ」
「はあ……」
「だからバイクはいいぜ。こいつはエンジンを抱いて走る。こっちが主役になれんのさ」