出撃! ネオエヴァンゲリオン!02

Last-modified: 2009-05-30 (土) 13:33:11

【登場! バルディエル!】

 

 アスカは寝起きの頭を掻きながら部屋を出る。
 挽き立てのコーヒーの芳香と、トースターの上がる音。
 正直、昔はこんなものも煩わしいと思っていた。
 しかし今ではこれがなかなか居心地がいい。もう一度頭を掻き、スリッパをぺたつかせながらダイニングに入る。
「おはようー……」
 にこ、と笑いかけてくれる人がいる。たったこれだけの事が、けれど幸せだと気づいたのは「彼ら」のお陰だ。
「おはよう、アスカママ」
 実のところ、他愛ない会話が出来るのは物凄い幸せなのかもしれない。
 表向きは「惣流ユイ」と呼ばれている。戸籍上はアスカの娘になっている。
 しかし彼女は、かつて「綾波レイ」と呼ばれていた。
 そして書類上は「レイⅢ」だった。

 

 エヴァンゲリオン計画は人類に対使徒兵器を与え、同時に、使徒の脅威を再生産した。
 使徒の軍事利用という、「毒を以て毒を制す」計画なんてものをやらかしていた。
 ユイ、すなわち【綾波レイ】は、そして【渚カヲル】はその故にこの世に生み出された。
 使徒とヒトのDNAは酷似している。それを利用し、いわばハイブリットヒューマン、使徒とヒトの中間生物を「生産」しようとした。
 それは一見、成功に見えた。少なくともユイとカヲルは「人類の意図した成功例」になり得た。
 ヒトの形をしつつシトの能力、驚異的な細胞再生能力、知力、体力、時にはATフィールドの展開さえ行えた。
 ために「二人」は限りなくクローニングされ、個体のストックは様々な形で軍事利用に回される「兵器」にされた。
 結果に一部の人間は狂喜した。ヒトはここまで「科学」の勝利を修められた、と。
 しかし、残りは失敗だった。「ヒトの形をしたシト」を造り出してしまった。
「奴ら」は一見人間ではある。違いは血の色が青い事くらいだ。
 しかし中身は使徒であり、ヒトの狡猾さをそのまま、使徒としてヒトに対して行動した。
 破壊。殺戮。それによって発生する諸々の危機。
「奴ら」はヒトの姿で使徒に同じくヒトに危害を与え、その為に使徒ごと殲滅された。
 尤も、今となっては「殲滅したと思っていた」だが。
 だが「レイ」と「カヲル」は残った。そして、それを知ったヒトは二人を、いや2体を殺せ、と叫んだ。
 全てのストックを廃棄しろ、とヒステリックに声を上げた。
 ヒトとは勝手なものだ。その意味ではシトと大差ない。
 だが終戦時、唯一「目覚め」ていた個体を護り抜く為、アスカら戦争の生き残りは出来る限り手を尽くした。
 クローンのストックはどうにもならなかったが、せめて「目覚め」ていた二人を護る為、全力を尽くした。
 だから自爆したファーストチルドレン=レイⅡの後に「再生産」されたレイⅢはユイと名を変え、アスカの娘となった。
 エヴァンゲリオン参號機パイロットとして参戦していたカヲルⅠは「アイダ・ケンスケ」として、当時、アスカらと親交深かった
ネルフ・アメリカ支部に保護される事となった。
 そして、全ては現在に至る。

 

「で、アンタは今日はどうするの? あたしはまた仕事で遅くなるけど」
「今日はミサトママと一緒に、リツコママのところに行ってくる。約束したから」
 カップに砂糖を注いだティースプーンが当たり、かち、と鳴る。
「……そう」
「そう。リツコママも大変みたい。今、締め付けが厳しいんだって」
「そうなのよねー。岩鬼大臣のバカタレが裏で手を回してるみたいで、こっちも色々大変なのよ」
 こく、とコーヒーを一口。苦味が増した気がしてしまう。
「じゃあミサトとリツコさんによろしく伝えてね」
「うん」
 レイは薄く微笑んだ。
 レイが微笑める様になるのに5年かかったが、その時間はとても大切な時間と言える。

 

 その頃。
 赤木リツコはこのところ、毎日の様に続く徹夜のお陰で不機嫌だった。
 しかし昔の戦友、そして「娘」が訪ねてくるなら、そうも言っていられない。
 顔を洗い、メイクを直し、いつ来てもいい様に身なりを整える。
 だが、その「余裕」は不機嫌な形で断ち切られる事になった。インタフォンが無粋に鳴り響いたからだ。
「赤木博士、首相からお電話です!」
「待たせておきなさい。朝からジジイのつまらない世間話に付き合いたくないの」
 あの弱気な男には本当、辟易する。何も出来ないくせに他人の優位を取りたがって。
 それとも、実は自分に論破され、罵倒されるのが趣味なのだろうか。それはそれでゾッとする話だ。
 白衣を新しいものに取り替えながら研究室に戻ろうとする。
 そこに、やたらプレスの効いたスーツの男が明らかに自衛隊の一群を連れ、現れた。
「赤木リツコ博士ですね」
「無礼ね。部外者は立ち入り禁止よ」
 紋切り型の一言に男は笑い、胸元から折り畳んだ紙を取り出す。
 見せつける様にリツコの目の前に広げ、実際に見せつけた。
「本日現時刻を以てネルフ日本研究所は全活動を停止。全施設、及び、研究結果の凍結を命じるものとする!」
「何を言い出すの!」
「事実です」
 男はにやりと笑う。
 広げられた紙は立派な書類で、防衛省大臣の署名と捺印が記されている。リツコは思わずひったくった。
 間違いない。正規の命令書だ。しかも既に発効している。
「どういう事なの! 使徒が再来した今、この研究所の停止は」
「これは政府の決定です」
「……首相に確認します! 電話させなさい!」
「首相は現在、病気療養中です」
 しまった、とリツコは心の中で歯軋りした。あの耄碌老人の電話を取っていればよかった。
 せめて本人と話をしていれば違う道があったかもしれない。
「どきなさい!」
「あなたも療養が必要ですか?」
 自衛隊員の銃口が一斉に突きつけられる。
「……あなたたち、権力に屈したのね……!」
 それ以外は言えず、リツコは歯軋りした。

 

 トウジは思わず唸った。
 想像以上にダメージが来る。
 走る、座る、攻撃する。その細かな動きのたびに露骨なフィードバックが容赦なく来る。
 いかに昔、鍛えていたといっても女のアスカにダメージが出たのも道理だ。トウジも弱音の一つも吐きたくなる。
 しかし。
「こ、んのぉ……ジャジャ馬があ! ワイの言う事をさくさく聞かんかいっ!」
 ポジトロンマシンガンを構える。
 ターゲットが迫り出す。
 引き金を引く。
 100ミリ弾が射出され、補正を受けた照準は的を粉々に粉砕した。
 続いて現れるターゲット。
 ショルダーから迫り出すプログレッシブナイフを取り、構える。
 突進する。胃から苦い水が上がってきそうだ。
「ぐおぅ……口ん中が苦くなるわっ!」
 一閃。ターゲットは真っ二つに切断された。

 

 研究室のおのれのデスクで、「戦果」をモニタリングする男は、にやり、と笑った。
 これはいい研究材料だ。

 

 トウジはとぼとぼという感じに通路を歩く。
 結果に不満はない。
 もちろんネオエヴァンゲリオンにも満足している。
 単に腹が減ったのだ。3時間ぶっ続けでピーキーな機体をぶん回し、疲れただけだ。
「うおぅ腹が痛ぇ……肉食わせぇー……」
 思わず言ってしまう。それくらい空腹だ。とぼとぼと歩き、突然。
 通路の向こうから爆発音が鳴った。
「な、んや?」
 見てしまう。
 今の爆発の為か、向こうは暗くなっている。
 それ以上に、壁だの戸だのに「危険」「近寄るな」「近寄ったらサヨウナラ」「バカヤロー」等々、様々な罵倒が
赤ペンキでびっしり書かれているのが異様だ。
 しかし、人間とは「ダメ」と言われれば余計気になる生き物なのだ。これを西洋では「好奇心は猫を殺す」と表現する。
 その通り、トウジは物凄く気になった。
「……何や?」
 ゆっくり近付いていく。普段なら素早く近付くのだが、腹が減って素早く動けない。
 不意に横開きのドアが開いた。
 昔のコントを思わせる、ひどく煤けた男が出てきた。白衣が真っ黒で、咳き込みながら黒い煙も吐き出す。
 眼鏡が黒いのは煤けた為か、サングラスなのか、よく判らない。
 ただ、少々老けているな、程度しか判らない。
 しかし、持っているのが明らかにマシンガンなのがちょっと怖い。
「……オッサン、だいじょぶか?」
 男がぎろっ、とトウジを睨んだ。そして歯を見せて、にやっ、と笑った。かなり怖い雰囲気だ。違う意味で。
「よお、少年」
「……何や」
「これはな、俺が開発した劣化LCL弾マシンガンだ。細胞を活性化させるLCLの働きを逆転させる事で使徒の再生能力を阻害する。
 ただ、少々引き金が甘くてな。指の動きと連動させるか、貴様の脳波コントロールとシンクロさせるか、悩んでいる」
 何の事だか判らない。トウジは首を傾げ、男はまた、にやっ、と笑った。
 トウジの悲鳴が通路に響いた。
 男がいきなりトウジに抱きつき、すがりつき、撫で回しはじめた。
「ひー! 何すんのや、ワイにそっちの趣味はないでぇ!」
「ふっ、イイ肉体だ。エヴァを食い殺せるのはお前と俺の息子たちくらいだ。くくっ……」
「やめいぃ、どこ触っとんねん! つか腿を揉むな! 腕も触るな、ワイは可愛い女の子が大好きなんやー!」
 どつっ、と鈍い音が響いた。
 アスカの、恐ろしいほど的確なピンヒールキックが男を粉砕した。
「何やってのよ、トウジ」
「や、助かったでぇ……お婿に行けんくなるかと思うた……何やこのオッサン」
「碇博士よ。死海文書の研究とエヴァの兵器開発にかけてはトップレベルの能力を持つ人。ちょっとアレだけどね」
「ちょっとなんか、これが」
 2階から落とされたアマガエルの様にぴくぴくする男を思わず拝んでしまうトウジに罪はない。たぶん。
「そんなものは放っておいていいわ。来なさい」
 博士とも呼ばれる男をそんなもの呼ばわりし、手の仕草で「ついてこい」と言う。
 トウジはついていこうとし、不意に、男が妙に素早い仕草で立ち上がったので少々驚いた。
「ううむ、やはり引き金が甘いか。しかしこの男の肉体の反射速度ならば微細な動きも案外可能な様だ。
 モーションキャプチャのプログラムを少々変更すれば何とかなるかもしれん」
 何やらぶつぶつ言いながら、先ほどの爆発の場所へと戻っていく。もうトウジに興味がなくなったのだろうか。
 トウジは男の事を忘れて歩き出す。
 しかし、トウジはまた悲鳴を上げてしまった。男はいきなりUターンして、物凄く素早く戻ってきた。
「おい少年」
「な、ななな、何や!」
「腹が減ったらいつでも来い。ラーメンくらい食わせてやる」
 にやりと笑う。そうして同じくらい物凄く素早く、今度こそ爆発した部屋に戻って行った。
 ドアが閉まった瞬間、もう一度、更に爆発音が聞こえたのは、聞こえなかった事にした方がよさそうだ。
 途轍もなく、しかも悪い意味で機敏な動作に、トウジは頭文字Gの昆虫を連想してしまった。汚れて黒かった事もあるので。

 

 作戦指揮室は今日も忙しい。入ってくる情報を整理・解析する者、他支部と連絡を取り合う者、その他。
 全員が忙しく仕事に勤しみ、アスカはマヤに通信回線を開かせる。
 トウジは先ほどの訓練結果のレポートをシゲルに提出、結果が出されるのを待つ。
 真正面の大きなモニターにやや年嵩の男が表示された。
「はぁい、冬月先生。そちらの居心地はいかが?」
【相変わらずだ。君たちも相変わらず綺麗で嬉しいよ】
「忙しくて老ける暇がないんですよ……フィフスも元気?」
 トウジはモニターを見る。
「なあシゲルはん、あのジーさん何モン?」
「爺さんって……まぁ若くはないけど……冬月副司令だよ。もと、ここの副司令で、今は北米のアメリカ支部の副司令だ」
「へー。どこ行っても副司令なんか」
「ああ。日本支部は一度、解体されてしまったからね。もと司令も今じゃ単なる博士だし、赤木博士は」
 モニターの顔が老人から若者に変わった。
 綺麗だ。一瞬、男か女か悩んだが、聞こえた声で男だと判った。
【やあセカンド。元気そうだね】
「お陰様でね。嫌でも元気よ。アンタも元気そうで何よりだわ、フィフス」
 シゲルが男の名を教えてくれた。
 本当はフィフスチルドレンの渚カヲルと言うそうだ。しかしアメリカ支部ではアイダ・ケンスケと呼ばれているらしい。
 トウジは面倒そうな話は聞かない事にした。それに、名前が何であれ、彼もまたチルドレンなら、それでいい。
 要するに、この綺麗な男は仲間らしい。それで充分だ。
【そう見えるなら何よりだよ。君も大変だと思うけど、そちらには新しいパイロットが選出されたって言うじゃないか。
まあ少々、アレだという話だけど】
「アレって何や、アレってな」
 前言撤回。トウジは思わず荒い口調で言ってしまう。
 判ったのか、綺麗な男は視線の向きを変えた。
 トウジは、男は綺麗だが、ひどく色素が薄い事に気付いた。髪は銀色というより白だし、眼は真赤だ。
 いわゆるアルビノというものかもしれない。綺麗だが、それだけに異形感が際立ってしまう。
【やあ、新しいチルドレンくん。ネオエヴァンゲリオンを無事に動かせているそうだね。
 後輩が元気で活躍してくれて、嬉しいよ。多少、野蛮人であっても】
「あぁ?!」
 思わず言葉尻を上げてしまう。
 トウジの面構えの悪さに、男は声を出して笑った。
【いや失敬。君の猛々しさがなんとも懐かしくてね……好意に値するよ、「彼」の様で】
 唐突に画面が乱れる。
 ノイズが走り、男の目線が険しくなって画面の外を見る。
 ぶつっ、と音が妙に大きく鳴り、画面は唐突にブラックアウトした。
「どうしたの!」
「北アメリカ支部との通信が途絶しました! 衛星情報取れません!」
 マコトの声が引き攣って響く。
「別衛星の回線情報は!」
「司令、情報来ました! 使徒、及び量産型の襲来です!」
 ざわっ、と司令室に緊張が走る。
 オペレータの解析が続く。
 トウジは気付いた。アスカの腕から何とも言い難い緊張が感じられる。
「襲来規模は!」
「解析中……ワシントンDCにシャムシェル他、多数の量産型を確認!
 その他、衛星軌道上にラミエルを確認。各地に超長距離砲撃を加えています。
 アメリカ支部にも甚大なダメージ発生、バルディエルが出撃態勢に入ると思われますが」
 アスカが歯軋りするのが判った。
 トウジは「バルディエル」の名は判らないものの、歯軋りの理由は少し判った。
 2以上対1だ。分が悪い。
「おいオバ、もとい、司令!」
「……なに?」
「今すぐワイをアメリカに行かせぇ!」
「アンタ、バカ? そんな事、出来る訳ないでしょう!」
 アスカはぴしゃりと言い放つ。
「使徒の襲来が予測される今、アンタを日本から離す訳にいかないわ! アンタには日本防衛の任務があるのよ」
「大勢対1じゃナンボ何でも不利や! そりゃあの男はいけすかんけど、だからて無視る訳に行くかいな!」
「アタシだって無視したくないに決まってるでしょう! フィフスはアタシの仲間よ、放っておくなんて出来る訳ないでしょうに!」
「行け、少年!」
 先ほどの煤けた男が言い放つ。全員は、オペレータも、アスカも、トウジまで、思わず男を見てしまった。
 まだ薄汚れて煤だらけだが、ひどく威厳と重みに溢れる声だった。
 碇ゲンドウ。もとネルフ日本支部司令。その威厳までは錆ついていないらしい。
「こんな事もあろうかと開発していた飛行ユニットがある。これを装備すれば長距離飛行移動が可能だ」
「ほんならオッサン、あの野郎んところに行けるんかい!」
「貴様次第だ」
 碇はにやりと笑い、眼鏡の位置を直す。
 白衣は煤をはたいたのか少し綺麗で、しかし眼鏡はやはり黒っぽい。どうやらサングラスのようだ。
「そんなもの、いつの間に……それの開発予算申請してたのね……お陰でよそが削られたのよ……」
 アスカの声が呆れている。呆れつつも喜色が見える。やや苦笑いをしつつトウジを見た。
「さくさく行っておいで。さっさと終わらせるのよ!」
「応っ!」
 トウジは片腕を上げて応えた。
 地鳴りがひどい。揺れで吐き気がしそうだ。冬月は若く見える男に対峙する。
 この男は変わらない。昔のままだ。
 いや、内面は大きく変わった。まさに「成長」している。そこは特筆すべき変化だ。
「済まんな」
「僕はこの為にいるんでしょう? 遠慮は要りません。命じてくれれば、それでいい」
「君はもう兵器ではない」
「その言葉だけで十分です」
 カヲルは微笑む。
「非難は全てこちらで処理する。君は」
「行ってきます」
 カヲルは歩き出す。
 冬月はただその背を見送る。もう一度「済まんな」と、悔恨の様に呟いた。

 

 カヲルはシートに背を預ける。
 LCL溶液を通じて、封印されていたエヴァンゲリオンとシンクロする。
 指を少し動かすと、紺色のエヴァンゲリオンも同じ様に動く。
「やあ、僕。久し振りだね」
 格納庫から溶液が排出される。
 モニターの向こうで整備員が合図を出す。
 ケージが開く。
「さあ、行こう」
 がくんっ、と揺れ、打ち出された。

 

 ヒトに造られしシト、渚カヲル。
 使徒をコピーして造ったエヴァンゲリオンの参號機。
 一度はヒトに反旗を翻そうとした両者がヒトの側についているのは、ひとえに、初號機パイロット碇シンジの「説得」のゆえと言える。

 

 絆。誰かを想うヒトの心。陳腐な言葉で言えばその程度の「感情」をシンジはカヲルに託し、カヲルはそれらを最初は嘲笑い、だが最後は信じた。
 その為にカヲルは使徒化した参號機、今はバルディエルを駆り、ヒトの陣営にいる。
 終戦時のヒトの醜さに絶望しながら、それでもなお自分を護ろうとしたシンジたちを信じて。
 シンジが、チルドレンがヒトを信じ、護ろうとするなら、カヲルもそうする。
 それがシンジとの「約束」だから。
「行こう、僕。いや……バルディエル」
 カヲルとシンクロするバルディエルの背に金色の「翼」が羽ばたく。
 ATフィールドを思うがままに展開するバルディエルは、ワシントンDCに向けて飛び立った。

 

 人々が逃げ惑う。
 ヒトに造られたシト、量産型がシャムシェルに従い、街を蹂躙する。
 シャムシェルの振りたくる「触手」がビルをなぎ倒す。ハイウェイを抉る。
 爆風が街を舐め、ホワイトハウスの白い壁が赤い炎に浮き上がる。
 生々しいほど赤く、大きく裂けた口蓋を醜く歪め、量産型が闊歩する。
 そのうちの1体が唐突に弾けた。
 量産型が、シャムシェルが一方向を見る。
 金色の「翼」を広げたバルディエルがゆっくり降り立ち、避難中の子供は歓声を上げた。
 同じく避難中だった大人は悲鳴を上げたが。
 カヲルの、逃げろ、という声に子供は応えて走る。ありがとう、と、大きな声で言い残して。
 量産型が腕を差し上げ、腕の先端が奇妙に歪む。しゅるしゅると伸び上がり、色を変え、瞬く間に歪んだ形の「槍」が出来上がった。それを構え、口が大きく開く。笑ったのかもしれない。
「やあ、出来損ないの僕たち。【はじめまして】かな。それとも【久し振り】かな。でも」
 バルディエルの「翼」が消える。
「ここで【さようなら】だ」
 肩のパーツが開き、パーツが射出される。上空で合体、スマッシュホークが形成される。
 凶悪な刃を軽々と構え、駆け出す。
 量産型が突進し、次々に屠られる。鈍い銀色のボディを染め、べちゃべちゃと辺りに青い「血」が飛び散る。
 バルディエルの感じる感覚がカヲルにも伝わる。
 バルディエルは「自分の仲間」量産型、ヒトの手によるシトの抹殺を悲しんでいる。
 だが歓んでいる。
 殺戮を。それによってもたらされる勝利、自らの生存を。
 それらの感情がダイレクトにカヲルに伝わってくる。
 同時に、「仲間に」葬られる使徒の困惑が伝わってくる。
 同じシトなのに、なぜ、と。
 ヒトに造られしシトがなぜ同じシトを、と。
「僕は使徒じゃない」
 カヲルは呟き、量産型を切り刻む。
「僕はシトじゃない。ヒトだ」
 時折、降り注ぐラミエルの超長距離砲撃による破壊の閃光が街を照らす。
「僕は使徒じゃない! 僕は貴様らとは違う!」
 量産型が突き立てようとする槍を砕いたその瞬間、シャムシェルが滑る様に接近した。
 カヲルのスマッシュホークの刃がシャムシェルに狙いを定めた。
 ラミエルの砲撃の光が両者を照らし上げた瞬間、バルディエルの足元ががくっと揺らいだ。
 切り刻まれたはずの量産型、青い「血」に塗れる腕がバルディエルの脚に絡みついた。
 カヲルはATフィールドを展開する。
 腕が弾け、なお絡みつくしつこい分を踏みつけて外そうとし、その一瞬が隙となった。
 燃え上がり、破壊される街にバルディエル咆哮が悲痛に轟いた。
 シャムシェルの触手がバルディエルの胸に突き立てられ、青い体液が勢いよく迸る。
 シンクロするカヲルに激痛が走り、堪らず悲鳴を上げ、バルディエルも咆哮する。
 斧を振り回し、触手は切断される。しかしもう一本、そして再生する一本がバルディエルに迫る。
 避けようとしても、そしてATフィールドで弾いても、地べたに転がる量産型の腕が、ボディがじわじわ再生をはじめ、バルディエルの動きを封じようと絡みつく。にじり上がる。
 俊敏さが徐々に奪われ、打ち据えられ、バルディエルは自身の体液で青黒く色を変えていく。
 シンクロするカヲル自身も血を吐く。全身が痛みで痺れ、眩暈が、耳鳴りがする。
 抵抗の斧が虚しく弾き飛ばされ、遂に膝を突いた。そのボディに量産型の「残骸」がするするとまとわりつく。
 コクピットでカヲルは歯軋りする。動けない。ATフィールドも展開できない。
 シャムシェルの触手が迫る。
 しかしその瞬間、シャムシェル上部でATフィールドが軋み、真っ二つに叩き潰された。
 返す刃が容赦なく切り刻む。びちゃびちゃと体液、青い血が飛び散る。
【ボケェ、何やっとる! シャキッとせんかいっ!】
 懐かしい、と思える声だった。カヲルは必死にATフィールドを展開、反転させる。
 バルディエルを束縛する量産型の破片が擂り潰され、肉片となって飛び散る。
 シャムシェルを叩き斬ったネオエヴァンゲリオンは、なおもがくシャムシェルの「部品」から紅いコアを掴み出し、握り潰した。
 光の十字架が立ち上る。その輝きに照らされる様に量産型のコアが弾け、辺りに「血」が飛び散る。
 砲撃の音を聞きながら、カヲルは眼の前、ヒトの造ったヒトガタを見た。
 背に展開していた光の翼が消える。ATフィールドとは違うらしい。
【君は……確か】
 ディスプレイにパイロットが映る。幾らか顔色が悪いような気はするが、気のせいだろう。
【助けてやったんや。礼くらい言ったらどや】
【……ありがとう。君は】
【おう、鈴原トウジや。日本から飛んできてやったでえ】
 偉そうな物言いにカヲルは少し笑ってしまう。本当、「誰か」に似ている。
【さて、色男を助けたら次はアレやな】
 ネオエヴァンゲリオンが天を仰ぐ。
 時折、上空から光の「弾丸」が降り注ぐ。そのたびに街が破壊され、燃え上がる。
【ところで、鈴原君はどうやってここまで来たんだい? ネオタイプはATフィールドを持たないはずだけど】
【碇博士ちゅーオッサンがランドセル背負わせてくれたんや。これ使うと空も飛べる、ちゅうてなぁ】
 データを送信させ、ざらっと見る。
 よく判らないが、搭乗者の精神力を推力に変換する機構なのは判った。
 と、いうか、その程度しか判らない。どちらにしてもATフィールドではないが、意思の力を物理的な力に変換するという意味では似ているのかもしれない。もしかしたら。
 しかし、精神力を食われながらも使徒を叩き潰すとは、この男は本物の獣だ。
 カヲルは苦笑するしかない。自分もバケモノとよく言われたが、この男はもっとバケモノだ。
【……さすが碇元司令。尊敬に値する人だ】
【それ本音か?】
【まさか】
 二人で意地悪く笑ってしまう。
 その時、トウジの通信ディスプレイが鋭い音を鳴らした。
【トウジ、そっちが終わったらすぐ戻りなさい! 使徒出現、急いで!】
「って、ちょい待ってや! こっちにもう一匹残っとんのやでぇ!」
 思わず焦ってしまう。
 カヲルばかりは静かに笑った。
【大物がいなくなったら後は僕が何とかする。もう大丈夫だ、君も日本に帰るといい】
【アホ抜かせ。お前一人で宇宙まで行く気かいな、乗り掛かった舟や、助太刀くらいしたるわい】
【僕は大丈夫】
 ホワイトハウスに近付く。
 木立の一角に無造作に腕を突っ込み、引き出す。
 鎖がじゃらっと鳴り、地べたが盛り上がる。
 吸血鬼でも入っていそうな形のまさに棺桶が引きずり出され、蓋が開く。
 中にはエヴァサイズの、明らかなライフル。それも、かなりでかい。
【何や、コレ】
【ポジトロンスナイパーライフル、エヴァの切り札だ。出力が大きいので大気圏内の敵には使えないが、圏外なら何の問題もない】
 トウジがディスプレイ越しに怪訝な顔を向けている。カヲルは少し笑った。
【助けてくれて、ありがとう】
【ま、仲間やしな。イイ男すぎてちょいといけすかんけど】
 トウジは頬を掻き、そして、にんまり、と笑った。
【何ぞあったらワイを呼べ。手が空いてる時はいつでも手助けしたるわ】
 うん、と応えるカヲルを見届け、トウジいわく「ランドセル」飛行ブースターが光の翼を羽ばたかせる。
 ネオエヴァンゲリオンは東の空に消え、それを見届け、カヲルは視線の向きを変える。
 バルディエルとのシンクロは大気層を抜け、引力圏を脱し、視界を遥か虚空へと広げる。
 星の煌く真空空間に、いた。正八面体の、地上に向けて光の槍を振り下ろす硬質の使徒。
 ライフルの銃口が向けられる。シンクロによる微細な照準が躊躇わず、誤らずに「敵」を指し示す。
 ラミエルが気付くのが判った。こちらに悪意が、敵意が向けられる。
 カヲルは引き金を引くのを躊躇わない。
 ラミエルはヒトに堕したシトの抹殺を躊躇わない。
 ほぼ同時に発射する互いの「敵意」が閃光の姿で天空を、地上を狙う。
 カヲルは笑った。
 接近する閃光が磁場を持ち、互いを干渉し、ほんのわずか屈折する。
 宇宙空間の1ミリは到達地点、地上ではメートル単位まで屈折し、バルディエルの頭上を越えて背後の木立を炎上させる。
 屈折さえ計算に入れていたカヲルの射撃は正確にラミエルのボディを射抜いた。
 宇宙空間に光の十字が広がり、その輝きは、地上に今しも姿を現そうとしていた朝日を押しのける様に地上を照らし上げる。
 カヲルは満足げに微笑んだ。

 

 マトリエルが巨大な目玉から吐き出す光が辺りを容赦なく焼き尽くす。
 自衛隊が応戦するが焼け石に水だ。それどころか攻撃が悉くATフィールドに弾き返され、被害ばかりが拡大する。
 ディスプレイで観る事しか出来ないアスカは歯軋りする。せめて弐號機の封印さえ解除出来れば、
法や国に何と言われようと出撃できるものを。
 自分は師団が、街が蹂躙されるのを指をくわえて見ている事しか許されない。その思いが焦燥になって身を焼く。
 それはネルフのスタッフも同じ事だ。せめて人的被害を最小限に食い止めるしか出来ない。必死に住民を誘導させる。
 だが、それだけだ。人々の嘆きが拡大するだけだ。ゲンドウは無言のままモニター画面を凝視している。
「……ったく、何をチンタラやってんのよ、バカトウジ!」
 アスカはあまりの腹立たしさ、苛立たしさに、つい叫んでしまう。
 その時。
【少しはワイの都合も考えいっ!】
 通信が入った。同時に通信ディスプレイにトウジが映った。顔色が悪い。
「戻ったの!」
【おう! 人使いの荒い女は嫌われるで、司令!】
 空中で翼が消え、落下する。同時に斧を構え、落下エネルギー込みで一気に突きかかる。
 加速の力で、ATフィールドを強引に貫通した刃は使徒に突き立てられた。
 背後から突き抜けた刃が目玉を割り、涙に似た勢いで、どっと血が溢れる。
 ネオエヴァンゲリオンはマトリエルの返り血に青くまみれつつも素早く身を退き、プラズマ銃を構える。
 マトリエルが蠢きつつもネオエヴァンゲリオンに向き直る。割れずれた目玉がまたたき、光を放とうとする。
 トウジの眼は見逃さない。躊躇わずレバーを引く。
 辺りをプラズマの閃光で青白く染め上げながら、無数の閃光の弾丸が撃ち貫く。もうATフィールドも張れないのか全てがヒット。全体がぶるぶるっと震え、ぐずぐずと形を崩し、剥き出しなったコアに最後の一撃。
 光の十字架が立ち上り、撤退をはじめていた自衛隊員は畏れの声を上げた。
 画面の中でネオエヴァンゲリオンが尻餅を突く。さすがのトウジも疲れたのだろう、顔色が悪い。
 だが、まだ不敵な笑みを浮かべているのを見るに、疲労以外のダメージはないらしい。アスカは苦笑してしまう。
「まったく、なんてヤツかしら……お疲れ様、トウジ」
 赤い髪を掻き上げる女を見ながら、その隣で腕を組むゲンドウもまた笑っていた。