番外編 年越しチキンレース

Last-modified: 2012-05-01 (火) 21:18:11

 空がすこぶる透明な日だった。
 年末から、年始にかけての特別警戒態勢が終わって、警察もやっと年明けを迎えることがで
き、職員たちに安堵の一息が訪れていた頃である。
 世間はとっくに三が日と少しで昨年の疲れを癒し、再び己が戦場たる職場へと戻って新しい
一年をはじめているが、現代日本においてはそういうインターバルが存在しない職種も数多い。

 

 警察官もまた、そのひとつだ。
 特に対レイバー犯罪・事故への切り札である特車二課は他に代替の効くものがなく、若い隊
員たちはその情熱すべてを、職務に注がねばならず、休暇は宝石のごとく貴重な時間なのであ
る。
 しかし、そんな正月明けだというのに、野明は愛車のカブ50を走らせて二課棟へと顔を覗か
せに来ていた。
 もはや職場が家庭と同義なのは、竜馬だけではないらしい。

 が……。

 

「あ、あっれぇ……?」

 野明のカブは、二課棟を目前にして突如とアクセルに反応しなくなり、空しくアイドリング
を残したまま大地へと張り付いてしまった。
 これに野明は一瞬、こいつも休みたいって言ってるのかなぁ、などと可愛らしい想像をして
みたが、すぐに機械が動かなくなるのは単なる故障でありエラーに過ぎない、という現実に目
を戻すと、座席から降り、ギアをニュートラルに入れると押し始めた。

 こういうとき、車重の軽いバイクは楽である。これが竜馬のGPZのような大型バイクだった
ら、ちょっとした坂道に差し掛かっただけでも地獄を見るだろう。もっとも竜馬であれば、重
機でさえ軽々と押していくであろうが。

 

 野明はカブを押し押し、格納庫へと足を運んでいく。遠目からは、すでに今日の整備に勤し
む班員たちの姿が見えるが、みな足早に動き回っており、一人たりともノロノロしている者は
存在しない。
 ひとえに榊整備班長の教育という名の虐待の成果であろう。
 ただし、近頃は竜馬も加害者の一人になっていることを付け加えておきたい。
 誤認防止のため再度書くが、被害者ではなく「加害者」である。

 

 海に叩きこまれるか、空に放り出されるか。ぐずぐずしていれば、特車二課整備員たちはそ
のどちらかを選択しなければならない羽目に陥るのだ。ノロノロしてなど、いられるワケがな
かった。
 彼らにとってみれば鬼が一匹増えてしまった、という塩梅であろう。

 野明は格納庫へたどり着くと、そんな竜馬に声をかけた。彼はちょうどイングラム1号機に
取り付いている最中であり、解放されたままのコクピットから、いつものドスの効いた反応が
返ってくる。慣れはしてもその第一声には、やはり、魂へずしりと堪えるものがある。
 警察官というのは案外、天職なのかもしれない。

 

 なお、竜馬の本来の業務である書類の作成などは、熊耳が彼のサポート役となって以来、ほ
とんど彼女に丸投げしているのが現状である。
 風紀委員かと悪口を言いたくなるほどに決まり事に厳しい熊耳が、竜馬に限っては甘やかし
てしまうのは問題だったが、しかし彼にペンを走らせることによって起きるトラブルを考えれ
ば、優秀な整備能力を発揮していてもらった方が得策だ、と考えることもできた。
 少なくとも後藤隊長はそう考えているだろう。

 

 そんな竜馬が、しかし1号機の調子の良さを「2号機とは大違いだ」と褒めつつコクピット
から這い出る。と、野明が傍らに置いた犬のような姿のカブに、どうした、目を向けた。
 その問いに野明は素直な返答を返す。
――アクセルを回しても進まなくなった――
 と。それだけが、機械好きなのに機械オンチである彼女に解る全てである。

 竜馬は前言撤回したくなりそうな表情を浮かべて、1号機から飛び降りてくる。
 1号機は直立していたはずなのだが、何の問題もなさそうに降りてくるのが恐い。
 感化されやすい野明が一度真似しかけ、必死で遊馬に止められたことがあって、凡人の組織
の中に天才や超人が混ざっているのは良いようで、じつは迷惑なことでもある、という事実を
改めて周囲へ認識させる好例となった次第である。

 

 竜馬がカブを診はじめた。
 野明はそれをなんとなく獣医にかかる気分で見つめていると、すぐに竜馬は故障の原因を突
き止めた……とはいえ、なんのことはない。故障の原因は、単にスロットルワイヤーが断絶し
ていただけだった。
 竜馬が手早くスロットル系統を分解して切れたケーブルを引き出していく。目でみて解るほ
どに錆びており、今の今まで役割を果たしていたことの方が不思議なぐらいだった。
 竜馬が、顔をしかめてたまに油を差すぐらいはしておけ、と文句を言いつつも整備員たちが
緊急の車輌整備用に、と個人で持ち寄ったジャンクパーツの山から、カブに適合しそうなパー
ツを持ってくるとあっという間に組み上げて、ものの数分で修理は完了した。

 

 その風景を野明が「名医をここに見たり」という顔で突っ立っていると、どこかからか整備
員たちが集ってくる。女っ気のない職場だから、野明が手持ちぶさたにしていると、男どもが
餌を嗅ぎつけたアリのように寄ってくるのだ。
 もし彼女の両親が見たら、気が気でないだろう。

 集ってきた整備員たちは、どれもが本来非番であるはずの日を自主返上して出勤してきた野
明と同類の身ばかりであった。そんな彼らは、野明が原付であるカブに乗っていることに目を
付けた。「俺も原付に乗ってるんだよ」アピールを張り付けて……。
 ただし彼らは自己所有の財産、趣味としてはもっと排気量が多く、価格の高い車輌を持って
いる。それをアピールには一切用いないのだ。

 

 なぜなら、イマドキのナンパは、クジャクの求婚のように、オスがメスに派手さを見せつけ
て惹くよりも、いつも理解していて欲しい、キモチを分かち合って欲しい、という女特有の心
理を突いた方が成功率が高いということを日本の男子諸君は学習したからである。

 また、メスの方も無策な消費癖のあるオスには将来性が低い、あるいは無い、ということを
バブル期にはしゃぎすぎて、破産した年寄りどもの背を見て学習し、金もないのにバカ高い車
を乗り回すような男へむらがる真似を、日本の女子諸君が忌避するようになった結果である。

 すなわち、総じて文明の度合いは進歩しているのだった。
 ただし、それが野明へは一切通用しないものだ、という真実には誰も気づいていない。

 

 この場に置いて野明狙いの整備員達は、はかなくも竜馬に蹴散らされる。
 しかしそれは想定済のことだ。休みを自主返上するほどの連中である。その程度の事では、
可愛い彼女をつくってデートをしたい、という欲求を諦めるわけがなかった。
 彼らは談合を起こし、野明をデートに誘い出す権利獲得を、チキンレース開催によって決定
せしめんとしたのである。
 チキンレースとは競争者同士が車に乗り、障害物に向けて一斉発車しぶつかるギリギリでブ
レーキを踏む。その中で、一番最後までブレーキを踏まなかった者の勝ち、というなんとも野
蛮なレースのことだ。
 だが今回、使用される車輌は野明にゆかりをもって、すべてカブとされた。
 すこしでも平和的に見えるように、工夫がもたらされているのだ。意味がなくても工夫はあ
らゆる物事を美しく見せかける。
 向かう先は二課の敷地内から、東京湾。

 

 しかし普段、曲がって止まる性能の鋭い、スポーツ車に乗る彼らはひとつの見過ちを犯して
いた。カブのようなビジネスバイクのブレーキシステムは、性能よりもかかるコストを重要視
したものであり、必要最低限か、あるいはそれ以下の内容しか持っていない。それこそ、速度
を乗せてからの緊急停止などはまったく不得手なのだった。

 そのため、チキンレースの結果はブレーキが間に合わず、総員東京湾下へと落水。
 寒空の海に溺れかけた連中の引き上げには、太田の2号機が動員され、やがては榊班長によ
る綱紀粛正・大叱責というオマケがついてきた。
 野明がそれを見てもいなかったことは、もはや書き記すまでもあるまい。

 

 後日、彼らの努力あらため無駄は省みられることなく、野明は遊馬に連れ出され、とても遅
い初詣という名のデートを喫することとなってしまった。
 相手は篠原重工という、巨大企業の御曹司である。まだ未熟だが頭はよく、度胸もそれなり
にある。交友関係も案外広い。そして女遊びをする性格でもない。たとえ本人がその立場を嫌
っていたとしても、逆立ちしたって勝てる相手ではない。

 そんな現実をつきつけられて、彼女のいないチキンレース組は勝負になる前から完全敗北に
身を沈めることとなり、また、それのみではなく、おしおきとして、竜馬が船長の二課高速船
「きょむとうちきり丸」に乗せられてハゼ釣り漁業へと駆り出されることとなった。
 憧れの彼女持ちへの道は遠い。

 

「お前ら、項垂れてねえで気合いれろ! 女なんざ、ハゼと同じぐれぇいるだろうが」

 

 竜馬の叱咤が飛ぶ。
 そんなこと言えるのはあんたが意外とモテるからだ、とは口が裂けても言えないが、竜馬が
婦警人気の高いことは事実であった。ワイルド好きにはたまらないのであろう。濃い目だが美
形であるという事もポイントだ。
 この様に、たとえ竜馬であっても満腹の人間には、饑餓に苦しむ者の気持ちなど解りはしな
いのだ。
 悩める男の辛酸を満載して、船は旅立つ。帰りは夕方だ。お迎えは太田のイングラム2号機
である。
 嗚呼、いつしか女の子に出迎えてもらいたい。

 

 特車二課の一年は再びはじまっていく。

 

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