第六章 GETTER ROBO

Last-modified: 2013-05-23 (木) 22:05:20

「ひでぇもんだ……」

 

 黒いレイバーとの一戦から数時間後、第二小隊の格納庫にて――。
 バラバラに「惨殺」された、もとはイングラム3号機だった構成品を視て周りながら、榊が
つぶやいた。
 今まで無敵といってもよかった竜馬に操られる3号機が、特車二課史上最悪の痛恨撃を受け
て帰ってきたのだ。
 むろん、被害を被ったのは3号機のみならず、1号機は片腕損壊、2号機はいつもの通り頭
部大破といった有様だが、それは整備班の努力で何とかなるレベルだ。しかし、竜馬の機は違う。

 

 さながら、だるま落としでもされたかのように、頭・胴・脚が綺麗三つに切断されているの
である。力で叩きつぶしたのでないことは、凹凸のない切断面も物語っており、3号機を斬った
敵の得物が、常識では考えられない程の鋭利さを有していることが伺えた。
 シゲがその切断面を軍手で撫でながら、榊が言ったのと同じ言葉をつぶやく。

 

「……ダメですね。背骨をばっさりやられちまってますから、ユニットごと交換しないと、ど
うにもなりません」
「ここまでやられりゃ素人でも解る。シゲ、チェックリスト作っておけ。明朝一番でメーカー
に修理へ出すぞ」
「了解! でも、竜馬ちゃんをここまでメタクソにできるのに、1号機と2号機は無事、って
わけでも無いですけど、一応自力で動ける程度だっていうのは……やっぱり遊ばれたんですかね」

 

 シゲが悔しそうにいう。
 イングラムの性能を、最大限に引き出している竜馬が手も足も出せなかった、ということは
相手になった黒いレイバーは、今までの常識を空の彼方へぶっ飛ばしてしまうほどの化物であ
るという事に他ならない。
 いや、むしろ、本当にレイバーがやったことなのか? という疑問さえ付きまとう。
 今現在の技術で造られるレイバーがどんなに高性能だったとしても、イングラムとて最新鋭
の機体だ。しかも操縦員のうち一人は、その持てる性能全てを発揮させられる実力者であり、
残る二人も厳しい訓練を積んでいる。

 

 そのイングラム三台を、単騎で相手取ったうえ、壊滅に追い込む事ができるなど、常識以前
にレイバーが持っている威力の範疇とは言い難い。
 そもそもレイバーというのは、その名が示す通りに労働者……すなわち、新世代の重機たる
側面が強く、武器としての価値は二次的なものに過ぎないのだ。
 つまり陸戦兵器として捉えたときのレイバーは、決して戦車のような代物ではなく、あくまで
「戦う事もできる重機」であり、後方支援を司るものに過ぎなかった。
 それだけに、黒いレイバーの暴れぶりは、特に技術者の目には信じがたいものがある。
 だが、

 

「気にくわねぇが、それが真実だろうな」

 

 ふらり、と格納庫に現れた竜馬がいった。
 いつになく物静かだったが、瞳にだけは闘志とも憎悪ともつかぬ炎が燃え上がって、見る者
すべてを萎縮させてしまいそうな光を放っていた。
 さしもの榊も、サングラスがなければ思わず眼を反らしてしまいそうな迫力だったが「なに
をくそ、こんな若造に」と勇気を奮い立たせる。
 シゲなどは、すでに脂汗が全身に吹き出ているのが見てとれるのだ、ここで整備班長が怖じ
気づいたら示しが付かないではないか。

 

「……よう、竜の字。ずいぶん派手にやられて来たじゃねえか」
「今度ばかりはな」
「珍しく殊勝な態度だな」
「榊、聞きたいことがあるんだけどよ」
「褒めた矢先にてめえは、班長と呼びやがれクソガキ! ……で、なんだ」
「レイバーってのは、空飛ぶような物じゃねえよな?」
「あたりめぇだ。飛行機やヘリが空飛ぶのは、それなりの理屈があって飛んでんだ。どこの世
にレイバー飛ばそうって発想するバカがいやがる」

 

「なるほどな。とすりゃ、レイバーで無理にやろうとしても、せいぜい大ジャンプするぐらい
が関の山ってところなわけか」
「ま、無理矢理やればそうなるだろうな」
「そうかい。そんだけ聞けりゃあ御の字だ、ありがとよ」
「待ちな、なんでそんな事を訊く?」
「……信じる信じないはあんたの勝手だが、今度の敵は空を飛んで逃げたんだよ」

 

 呆気にとられる榊とシゲ、山田を初めとする整備員諸氏を尻目に、竜馬はキャットウォーク
の上に上がっていった。
 そういえば、誰も彼が大型拳銃で撃たれたことを気にしていない。
 もはや竜馬が頑丈であることには、隊内の信頼があるのだろう。
 そんな彼は、キャットウォーク上の第二小隊オフィスを通過して、隊長室へと歩を進めてい
ったのだった。
 ガラス張りになったオフィス内から野明たちの視線が注がれたが、それには片手をあげるだ
けで応じた。
 応じるだけ、竜馬もマイルドになったものだといえよう。
 竜馬は隊長室へ到達すると、ドシドシとノックをしてから、応答を待たずにドアを開けた。
中には後藤と南雲、それに熊耳が居たが、全視線がばばっと侵入者へと集中する。
 竜馬の姿をみとめた南雲が、彼の性と階級を叫びながら席を立ったが、ギロリと向けられた
視線に射貫かれると、そのまま着席してしまう。
 凡人が目力で勝てる相手ではない。人の姿をした魔獣なわけだから、いわば狼に対峙した犬
のようなものといえる。
 どうどう、と後藤が南雲の背後にまわって背を撫でた。その光景は、すくみきった愛犬と、
それをなだめる飼い主のようだった。

 

「……で、どうした流よ。熊耳のことについてだったら、さっき言った通りだ」

 

 後藤が言ったのは、例の熊耳がエコノミーを強奪してしまった件である。この警察官にある
まじき超不祥事は、しかし彼女自身の口から後藤へと告白された。
 その一言を聞いたとき、さすがの後藤も一瞬へたり込んだのだが、ふとエコノミーの周辺に
居た篠原重工社員が、遊馬にとっては実の家族も同然の、実山家の人間だったことを思い返し
て策略を打った。
 遊馬の家庭環境を利用したのだ。
 というのも、遊馬の父である篠原重工社長、篠原一馬は経営者として有能であるが、家庭人
としては最悪の部類に入る人種であり、遊馬にとっての父親として機能をほとんど果たしてい
ない。本人がどう思っているかどうかは別として、だが……。

 

 その代わりとなったのが、篠原重工の前進、篠原製作所の時代から経営者の片腕として技術
者を勤める実山剛という男で、現在八王子の工場長である。
 レイバーショーに来ていたのは、その息子にあたる実山高志という人物で、彼が遊馬にとっ
ては義理の兄のような相手であると、後藤はどこかからか耳にしていた。

 

 ……ここまで書けばもうお解りかと思われるが、要するに事件の一部始終を目撃した実山高
志の口封じを、遊馬へ「お願い」という名の命令をしたのである。
 跳ねっ返りの遊馬の性格を考えれば、普段なら後藤の命令といえど突っぱねた可能性が高い
が、黒いレイバーの登場と、熊耳の豹変、そして3号機を完膚無きまでに破壊された竜馬が漂
わせている、並々ならぬ殺気という三点に何か因果を感じたらしい。
 勘が良いというのかも知れないが、ともかく遊馬は、後藤の指示へ素直に従った。
 つまり熊耳の暴走は、篠原社員と特車二課隊員の、極一部しか知らない秘密になったのだ。

 

 その結果、熊耳は事件後数時間が経過した今なおもって、何食わぬ顔で隊長室に在室できて
いるのであった。
 篠原重工にとっては少なくない損失だったろうが、特車二課にしてみれば、エコノミーの役
立たずぶりをアピールできた上、警察上層部にも篠原重工上層部にも、今後のパトレイバーに
関しては、イングラム以上の性能を持った機体が必要である、と知らしめる事ができたのだか
ら、ある意味もうけものといえよう。
 3号機の大破は、手痛いダメージではあったが。

 

「俺が来たのは、そのことについてじゃねえ」
「そうなのか。じゃ、何なんだ」
「あんたらには話しておこうと思ってな。あの、黒いレイバー……いや、機体だが」
「なにか、心あたりがあるのか?」
「あるなんてもんじゃねえよ。あれは、レイバーじゃねえ。姿形こそは異なるが、あの飛び方
、あの無茶苦茶な武器の出し方。間違いなく、ゲッターロボだ」
「あの黒いレイ、いや、黒いヤツが、流の話にずっとあったゲッターなのか。しかし、たしか
ゲッターってのはもっとデカイんじゃなかったか? ビルぐらいに」

 

「今まで俺が見てきたゲッターはな。だが、レイバーサイズに合わせて縮尺したゲッターを造
ることも、技術的には不可能じゃない。もちろん、性能はだいぶ下がっちまうだろうが、それ
でもレイバーなんざメじゃねえぐらいの戦闘力は発揮できるぜ。
 負けた事の言い訳するつもりはねえが、俺の3号機が手も足も出なかったのが、何よりもの
証拠だ。空まで飛んだしな」

 

「なるほど……確かに一理ある。と、いう事は我々と敵対している組織に、君の世界の技術を
もった人間が関与している可能性が高いわけだ」

 

「そうなる。だが……」

 

 竜馬は、以前に武蔵の亡霊と会った時の事を思いだしていた。武蔵は、この地にインベーダー
が紛れ込んでいると言い放ち、それらを打倒するための人間をゲッター線が選んだのだと、
この状況を説明していた。
 自身は警察官としてこの地へ降り立ち、そしてもう一人。神隼人――天才的な頭脳と常軌を
逸したセンスを持ち、早乙女博士以外で唯一、ゲッターの開発をやってのける男。

 

 インベーダーを倒すためにゲッターロボは必要不可欠だ。それを造るためにやってきたと考
えるのは容易だが、ではなぜ竜馬と敵対する組織に所属しているのか?
 竜馬は、武蔵は気の良い友人として信用しているが、隼人は同じ友であっても、状況次第で
はいつ寝首を掻きに来てもおかしくはない、油断のならない相手と認識している。
 そうでなくても、元居た世界では、殺人の罪を押しつけられるという裏切りをされているの
だ。

 

 全面的に信用するわけにはいかなかった。
 ただひとつ確実なのは、隼人がこの世界でゲッターロボを造っている、ということだ。それ
はレイバーショーで出現した黒いレイバーを見ても明らかで、さらに、先日のブロッケンとの
戦闘でも隼人は竜馬と闘っている。ここから、彼が地球防衛軍と関わりを持っていることは確
かといえよう。
 しかし、だ。
 地球防衛軍などは、しょせんはテロリストという、自らのイデオロギーを暴力で示さんとす
る集団に過ぎない。隼人にとってみれば、過去に同じ事をやっていたから、水は合うのかもし
れないが、現在の彼にとって価値あるものではないはずだった。
 この世界でゲッターを造り、インベーダーを倒そうと思っているのなら、もっと巨大で、
もっと資金や人員に融通の効く組織に身を置かねば、とてもやっていられないはずなのだ。
 そこまで考えて、竜馬はふと簡単な図式を思い出す。
 テロリストがただの暴力装置だとするなら、それそのものの思考能力は低く、なればこそ、
それを使用することで利益を得る組織・人間が居て、それこそが真の暴力装置に他ならない、
ということを。
 その正体は時として大企業であったり、政府であったりさえもする……という真実を。

 

 では現在、地球防衛軍を駒として、利益を得ているのは誰か? 環境保護の名の下、
バビロン・プロジェクトを妨害することで、利益を得ている連中は果たして何なのか。
 アカに洗脳された連中か、それとも白人の手先どもか。

 

 いや、そもそも、環境保護の云々がただの建前であったとしたら?
 現在レイバー業界において懸念されている事項は、バビロン・プロジェクト終了にともなう
国内需要の減少である。レイバーは一台で様々な仕事をまかなえる、いわば「スーパー重機」
だが、大規模工事でない限り、現場には普通の重機があれば十分である、とする考え方もいま
だ根強いのだ。
 それを先延ばしにするために、誰かが自作自演をやらせている可能性も考えられた。
 そういえば、隼人の乗っていたレイバーはブロッケンという、ドイツ製の数少ない軍事用レ
イバーだったが、当時はロールアウト直後の、まっさらな新品だったと刑事たちから聞き及ん
でいる。

 

 いくら隼人とはいえ、ただのテロリストが、そんなものの提供をおいそれと受けられるか?
中国やロシアといった水面下での敵国から来たものならまだしも、ドイツである。
 また、そのブロッケンを造っているのはシャフトだ。
 シャフトはいわゆるグローバル企業では無く、多国籍企業であり、同じ名の企業でも置かれ
ている国ごとに別会社である……というのが表の顔だ。

 

 とはいえ、シャフト同士である事に変わりはない。
 もし、隼人がシャフトに関連していたとすれば、SEEからブロッケンを密輸し、先の事件を
引き起こすなど朝飯前であろうし、それらで得たデータを基に、レイバー的なゲッターロボを
造るにしても、研究機関から工場に至るまで、動きやすいだろう。
 なにしろシャフトは、世界の主要国家に本社を置く、多国籍企業なのだから。

 

 ここまでの考えをまとめれば、地球防衛軍を煽動しているのがシャフトグループで、そこへ
隼人が乗っかっていると結論づけることもできた。
 荒唐無稽な推論に過ぎないといえばそれまでだが、そもそもシャフトはレイバー産業におい
ては、新参も新参のはずなのに、妙に高性能なレイバーを世に送り出してくる。
 ひょっとすれば人々が預かり知らぬ世の中の裏側で、様々な組織同士が、繋がりあっている
のかもしれなかった。

 

「後藤さんよ。これは《俺たち》の事だから、今まで黙っていたが……こうなったからには説
明しておくぜ」
「隠さなきゃならん事が多くて大変だな、お前さんは」
「余計なお世話だ。俺は以前、ブロッケンの搭乗員と取っ組み合って、その正体を見た。そい
つは俺の居たのとほぼ近い世界から来た人間だ。名は神隼人! 元ゲッター2パイロットよ」
「……おいおい、そんな重要な事をいきなり言われてもだね。なぜ今まで黙っていた、ってい
うのは今言ったか」

 

「ここに居る連中は知っての事だが、俺と隼人は異世界の人間だ。ヤツが動いているなら日本
の警察なんぞにどうこうできはしねぇ。知らない方がスムーズに行くと思っただけさ。
 だが、これを言ったのは裏付けがとれたからでもある。俺と熊耳は、レイバーショー会場で
車から銃撃を受けたが、その連中っていうのがな……隼人と、俺を撃ちやがった丸眼鏡と、もう一人」

 

 くるり、と竜馬の眼が熊耳のそれを重なった。
 するとそれまで所在なさげに部屋の隅にいた熊耳が、顔をあげる。

 

「……リチャード・王。香港における、『地球防衛軍』のスポンサーと目される男です」
「なるほど。つまり、神隼人と地球防衛軍は繋がっとる、と言う訳だな? しかし、それほどの
人間が頼るにしてはちょっとばかり、規模が小さすぎやしないか」
「おう。それは俺も考えていたぜ。だがよ、ブロッケンってのがシャフト製だったろ?」

 

 竜馬は一区切りして、先述の黒幕がシャフトにある、という推論を後藤をはじめ、この場に
いる人間全員に説明しはじめる。
 どこかから、すきま風が躍り込んで来る。と、まるでそれに反応したかのごとく、置かれて
いたダルマストーブ上のやかんが、警笛を鳴らした。
 やがて話を聞き終わると、後藤がタバコを吸いたげに唇を動かすのだった。

 

「……なるほど、面白い話じゃないの」
「信じる、信じないはてめぇらの勝手だがな」
「いや。俺も薄々は感じていたんだ。なにせ、一回目のブロッケンからおかしかった。奴ら、
あれほどのレイバーを密輸しておいて、何故わざわざ二課と対決するのが目的のような態度を
とる? 腕組みして待ってたんだよ、アイツは。しかも三回とも、第一小隊が不在のときに出
てきた」

 

「後藤さんは、犯人が第二小隊が目当てだったと言うの?」

 

「というよりも、イングラムが目当てだったと考えると、つじつまが合う。ご存じの通り、現時点
では最新鋭のレイバーであり、戦い方次第では、警察仕様のまま軍事用レイバーを撃退する
ことも出来るほどの性能だ。その稼働データには相当の価値がある」

 

「その学習データが、あの黒いレイバー……じゃなくて、ゲッターロボに活かされたわけ? 
でも、流巡査の話では、レイバーとは文字通り次元が違う技術で構成されている機械だったよ
うに思えるわ。役に立つのかしら」

 

「逆だな。隼人にとっちゃ、レイバーは原始的といえど未知のメカだ。とりあえずその最新鋭
と戦って性能の限界値を知りたかったんだろう。俺が思うに、あの黒いヤツはレイバーに、
ゲッターの技術をブチ込むための、プロトタイプか何かに過ぎねぇ。
 ひょっとすると性能は据え置きのまま、レイバーサイズのゲッターを造ろうとしているのかも
しれないぜ。ゲッターはでかすぎるんでな。目立たずにやるには、レイバーに偽装するのが
一番手っ取り早いはずだ」
「そうか……ところで流よ、その隼人って男の顔はどんな感じなんだ? 写真か何か持ってないか」
「ヤツの写真なんか持ち歩く趣味はねぇが、似顔絵ぐらいなら描けるぜ」

 

 言って、竜馬は警察手帳を取り出すと、余白部分に隼人の顔を書き込んでいく。
 尚、ここのところ続発している警察官不祥事(特車二課含む)は警察官の匿名性に問題があ
るとして、その対策に、二〇〇二年度からはバッジケース化した新手帳が支給される予定である。

 

「警察手帳を雑に扱うのは関心せんなぁ」
「あんたに言われたかねぇよ……ホラ、これが隼人だ」

 

 言って、ずい、と印籠のように見せつけると、どれどれと残る南雲と熊耳の二人も、のぞき
込みにくる。そこには、竜馬以上に目つき鋭く、そして竜馬とは真逆の冷徹さを感じさせる男
の顔があった。

 

「……意外な人間に、意外な才能があるものね」
「絵がうまいのね流くん。私とは大違いだわ」
「ほんと。こりゃ画家でもやってけるんじゃないかね、と。ふぅん、これが神隼人か」

 

 後藤が思慮のため頭をわずかに垂れた時だった。ドンドン、と隊長室の扉を叩く音が室内へ
へと響いた。

 

「申し訳ありません! 泉、篠原巡査であります!」
「入れ」

 

 後藤が言うと、どわぉ、と二人が入室してきた。相変わらず、学生気分が抜けないような二
人である。

 

「どうしたんだ」
「い、いえ、お茶をもってまいりました」
「二人がかりでか」

 

 竜馬が突っ込むと、野明と遊馬が盆を持って満面の笑顔のまま、脂汗を流し始めた。
 野次馬に来たければ、もう少しまともなウソをつけば良さそうなものを、そうできないのは、
二人の良いところであり悪いところでもある。

 

「い、いや、竜馬さんならいっぱい飲むかなぁって。多めに、ほら……って、あれ? なんで
手帳なんか見せつけてんの?」
「ちょっと、気になる人物がいるもんでな。そうだお前ら、ビッグサイトでこんな人相したやつを見なかったか」

 

 ずずい、と手帳を後藤たちから入り口方面へ回すと、隼人の凶悪な顔つきが、野明と遊馬へ
向けられた。
 だが二人がそれに示した反応は、怯えるでもなく、竜馬の絵心に驚くでもなく、知り合いを
発見したときの表情だった。竜馬の眉がぴくりと動く。
「あれ……これって、あの人だよね。ねぇ遊馬」
「ああ、そうだな。これ神さんだ」
「何っ見たのか!? どこでだっ!!」

 

 神という響きを耳にした瞬間、竜馬が二人へ食ってかかる。ひぇぇ、とヒグマに相対した釣
り人のようにおののく野明と遊馬に、しかし竜馬は容赦せずに詰問するのだった。

 

「答えろ。どこで隼人を、この男を見た」
「え、えと、一回目は都内のゲーセンで……二回目は、ビッグサイトの時に。あの、ほら、竜
馬さんと熊耳さんが一緒に休憩所に来たでしょ。その直前に」
「くそっ。やはりヤツだったのか!」

 

 ぐわり、と竜馬は手帳をフロアに叩き付けようとする。だが直前で思い直したのか、隼人の
顔を描いたページを破って後藤に手渡すと、制服のポケットの中に無造作に仕舞い込んだ。
 その様を見て、後藤がしみじみ、
「流も大人になったもんだねぇ」
 と、つぶやく。
「うるせぇ!」

 

 案の定、罵倒が返ってきた。

 

「おい、野明!」
「はひっ!?」
「お前、隼人はシャフトの社員だとか言っていたな!?」
「う、うん。言った……です」

 

「よし! 話が繋がったじゃねえか。野明と遊馬は隼人に二度会い、そして俺はブロッケンか
ら降りた所と、熊耳を銃撃した車に乗っている所を目撃したんだ。
 隊長さんよ、こんだけ証拠があがってりゃシャフトにガサイレできるぜ」

 

「うん、松井さんたちに連絡は入れておこう。が……ちと、尻尾をつかむには弱いなぁ」
「なんでだよ」
「確たる証拠が無いんだよ、目撃証言ばかりで。それに話を聞いていると、その神隼人って男は、
そうとうのやり手だ。ヘタをするとシャフトに勤務していても《逆幽霊社員》をやっている可能性だって考えられる」
「逆幽霊社員?」
「要するに在籍はしていないかもよ、ってことさ。どうも神隼人ってのは、金儲けとか、自分
の生活のために働いているんじゃなさそうだ。流を見ているとよく解るよ。つくづく度し難い
けどな」

 

 後藤はたばこを探して制服をまさぐるが、ふと隊長室は禁煙だったことを思い出して、懐に
つっこんだ手を所在なさげに取り出した。
 一同に、しばしの沈黙が流れる。だが長くは続かなかった。
 熊耳がふと、なにかをひらめいたようなのだ。
「待って。ねえ流くん、あなたモンタージュも描けるかしら」
「ん? ああ、やって出来ねぇこともないが」

 

「それならリチャード・王の似顔絵も描いてもらえない?」

 

「……なるほど、隼人本人は無理でも芋づる式を狙うって手はあったな。だがよ、香港で『地
球防衛軍』の資金源だったってほどの奴なら、警視庁にもファイルぐらい来てるだろ。そっか
ら写真引っ張ってきた方が、早いんじゃねえか?」

 

「写真、残ってないのよ。神隼人ほどでは無いにせよ、素性の解らない犯人なの。それで……
私が研修に出ていた時代の、香港警察もとうとう逮捕ができなかった」
「なんだと?」

 

 竜馬に当然の疑問がわき上がる。
 ここまで聞いていれば、誰でも「それなら何故、一介の巡査部長に過ぎない熊耳が、その顔
を知っているのだ」という疑問をもつのが普通だ。
 だが、後藤と南雲はそのことについて、特に頭をかしげたりはしていない。そういえば熊耳
巡査部長は「島流し先」とまで揶揄される特車二課には、不釣り合いなほど優秀な人材である
が……。
 ここで勘の良い遊馬が、あっと口をぽかり開ける。なにかに気づいたらしい。
 野明の左肩を、己が上腕でつつくとサッと敬礼をつくって姿勢を正し「あ、では自分たちは
業務に戻りますので!」と言ってから、強引に野明の細い腕を掴んで退出しようとする。

 

「泉、篠原、待て」
「えっ」
「まあいいから、ここにいなさいって」
「は、はあ……それなら」

 

 一息置いてから、後藤はふと熊耳に目配せをする。
 その目は「どうかな?」と聞いているようだったが、やがて熊耳は決心したかのようにして
一歩、部屋の中を進む。

 

「第二小隊の皆には、知っておいてもらった方が良いでしょう。私は研修時代当時、リチャー
ド・王と個人的な付き合いがありました。もちろん、その正体を知ったのは彼が私の前から姿
を消した後、だったのだけれど」

 

「そ、そうだったん……ですか……」

 

「そういう訳で、私はリチャード・王の顔を判別できます。整形されていないのも、先日の事
で証明できる。泉さん、篠原さん。あなたたちがビッグサイトで会ったシャフト社員、たしか
複数人だったわね」
「あ、はい。でも……リチャードとか、王って名前の人はいませんでしたよ。なあ野明」
「うん。私たちが会ったのは、その神隼人って人と、内海さんって人です。
 それと一人、小さい子を連れてるんですよ。アラブ系っぽい、肌が浅黒くて、変な関西弁で
しゃべる。名前はなんだけっけな……なんかメカザウルスみたいな名前の……そうそうバドと
か言ったっけ。これがまた無茶苦茶ゲームのうまい子で」

 

「内海、か……面白いね、仕事中に子供なんて連れてくる社員っていうのは」
「内海ってのはひょっとすると偽名かもしれねぇな、神隼人と一緒にいたとすれば、リチャー
ド・王であるという可能性は高いぜ」
「そうね。だからリチャード・王の似顔絵に、その内海という社員の顔が一致すれば……」

 

 熊耳の眼に光が宿る。竜馬は、それを受けて再度ペンと手帳を手に取るのだった。どうやら
お互い、因縁の相方持ちなようだ。
 熊耳は「リチャード・王の身体的特徴を語っていく。
 身長およそ一七五センチ。あごが四角で、着用する眼鏡もおなじく四角いフレームの古臭い
もの。顔じたいが笑ったようなつくり……。

 

 竜馬は熊耳からの証言を基に、彼女への確認を繰返しながら、モンタージュ画を仕上げてい
く。そのペンさばきも見事なもので、普段、横暴を具現化したような姿とは似ても似つかぬ、
静かに、集中した態度で、描き上げてゆく。
 そういえば、武道家の中には芸術を敬愛する人間が少なくないが、竜馬もまた、そういった
人種のひとりなのかもしれなかった。

 

「む。出来たぜ。こんなもんでいいか、熊耳」
「……ええ、完璧よ、まるで写真みたいだわ。皆、見てみてくれる?」

 

 熊耳が手帳を受け取り、竜馬製のモンタージュ画を公開する。
 そこにあったものは、

 

「これ……内海さんだ。間違いないよ」

 

 野明の断言であった。

「これは」

 後藤が顎をさげる。
 目撃証言だけでは弱い……というのは、あくまでそれが単発であった場合の話だ。同じ日時
に同じ場所で、しかも複数人の目撃者がいるのなら、それは強力な証拠となる。
 もっとも、それを信じるあまり、過去には集団で催眠状態に陥った証言者たちの言葉に、捜
査をかき回されてしまったという事例もあるが、これは一種の宗教環境におかれた人間の精神
状況の考慮を軽んじたゆえの失敗である。
 いまはそれを鑑みて捜査方法も進歩しているし、なにより今回の目撃者は、自己をはっきり
と確立し、意志薄弱者などとはほど遠くなければならない、警察官の証言である。

 事実はともかくとして、警察官とはそういう存在であると規程されており、警察自身がそれ
を否定することなどは有り得ない。
 これは警察法によって定められている真実である。
 もしも、警察が己を否定するという事が起きれば、それはもはや警察組織というものを規程
する国家が音を立てて崩壊をはじめている時、という事になるのだ。
 とりあえず、現状の日本国はまだ大丈夫なので、竜馬たちの証言ならばSEJに食い込むだけ
の材料となるだろう、と後藤は判断するのだった。

・・・

 翌日の夜。
 品川区東八潮一・二番に設置される潮風公園にて、建設中の《スーパーレイバー像》を見上
げる、ちらほらと散らばる影の中、ひとりの男が缶コーヒーのプルタブを、きりりと引き抜い
ていた。

「……懐かしいもんだな、この缶も」

 切り取ったタブを小指にかけ、くるくると回して、隼人はコーヒーを口にいれる。めずらし
く感傷的なのは、夜の都会の海辺というシチュエーションのせいだろうか。

 現在、缶飲料はそのほとんどが、タブを引いて開口してから押し戻す、ステイオン・タブ方
式になって久しく、隼人の居た世界においてもそれは変わることがなかったが、ここでは、ま
だ旧来のプルタブ方式が主流らしい。
 同じく携帯電話はおろか、PHSでさえ高級品であり、せいぜいポケベルが儚い市民権を得て
いる程度だ。
 レイバー開発に、他に回るはずだった金のほとんどが流れてしまったのだろうか?

「まあ、おかげで『素体』をつくるには事欠かないがな」
「なにをブツブツ言っているんだ、神。迎えに来たぞ」
「車、変えたのか。四菱のダンサー……ライバル企業の車とは、手堅いじゃないか黒崎」
「あたりまえの事をしたまでだ」

「グリフォンの水中航行は問題なかったか?」
「それについては大丈夫だ。まさか警察も空を飛んだレイバーが、そのまま海に潜って県外
へ逃げ出すとは考えていなかったようでな」
「そんなことはどうでもいい。俺にとって重要なのは、グリフォンの水中機動に関するデータ
だけだ」
「どうでもよくないだろう」

 振り向く先には、隼人と同じように車のキーを指にかけ、まわす黒崎の姿があった。
 その表情はあまり冴えたものではなく、出来ればお前など迎えにきたくはなかった、とでも
言いたげな雰囲気を醸し出している。
 それも無理はないだろう。
 なぜなら、黒崎がこんな時間に自らハンドルを取って隼人のため、敵の本拠地そばの台場ま
で車を回してきたのは、緊急事態が起きたからだった。
 それも恐らくは隼人がらみの……。

 どういう経緯かは解らないがこの日の昼、SEJ本社ビルに警察の捜査が入ったのだ。内容は
もちろんビッグサイトの件についてで、しかも企画七課、内海を直接指名しての捜査だ。
 なんでも、事件現場で内海の姿を見たという警察官の証言が相次いだ、というのだ。
 だが企画七課の表向きの顔は、娯楽・ビジネス用のハードおよびソフトウェアの企画立案、
製作販売を担う部門であり、レイバーに関してはせいぜいOSのアプリケーション開発で関与し
ているに過ぎない。
 いくら事件現場とはいえ、全国・海外から数万人の人間が来場している中、単に事件現場に
居たというだけで、さっそく捜査の対象になるなど無実であれば考えられまい。
 ということは、昨日のビッグサイトでの大暴れで、案の定ぼろぼろと機密をこぼしてしまっ
たわけだ。

(この男はなにを考えて、あんな馬鹿げた事を強行したんだ。課長の《手段》のためなら《目
的》は選ばないという、悪いクセに便乗までして……)

 黒崎は、苦虫を噛みつぶす思いだった。
 あれだけの大騒ぎを起こしておいて、なんらその尻尾をつかめないほど、日本の警察は無能
ではない。
 どこかからか企画七課がもつ、真の姿を掴み取ったのだろう。
 刑事がSEJ本社に乗り込んできた時、偶然その場に居合わせた徳永専務が「内海は茨城県土
浦へ出張中である」と、誤魔化すことでなんとか茶を濁すことはできたが、同時に、社の恐れ
ていたことが事実になったと、役員のトップに認識されてしまったのだ。

 したがって、この先グリフォン関連の研究開発は良くて凍結、悪ければ得られた技術の内、
金になる部分だけを吸い上げられ、あとは当該スタッフともども闇の中だ。それは左遷や懲戒
解雇などという生やさしいものではない。
 文字通り、闇の中へ葬り去られるのだ。
なぜならブロッケン関連の仕事をはじめとして、企画七課とシャフト・グループのやってき
たことは日本国への反逆行為あるいは侵略行為に等しく、騒乱罪か内乱罪……下手をすれば外
患罪の対象となりかねない。
 そんな連中を抱えていたと発覚すれば、SEJのみならず、主たる本社を置く、各資本主義国
家からシャフト・グループは閉め出される恐れがある。その社会的損失は計り知れず、シャフ
トに関与していた世界中のパートタイマーから、政治家に到るまで、あらゆる層の人間が影響
を受けてしまう。
 未曾有の事態を招くぐらいなら、グリフォンに関与した人間を消して、なにもかも無かった事に
してしまう方が天文学的に安全な指数をたたき出せよう。

 そして、それを実現するための掃除屋をシャフト・グループは飼っている。
 名はシャフト・セキュリティ・システム、通称SSS(スリーエス)。日本では知られていないが、
香港をはじめ、東アジアの各国では人命など雑草程度にも思わないという、なりふり構わぬ
非道ぶりで悪名高い、警備会社の皮を被った私兵である。
 さしもの企画七課もそんな連中に付け狙われれば、無事では済むまい。

 黒崎は、助手席に乗せた隼人を常磐道経由で土浦研究所へ回送しながら、そんな恨み辛みを
つらつらとぶつけ続けた。だが当の本人はけろりとしたままだ。
 いつも冷静を心がけているはずの感情が、つい昂ぶる。

「神、忘れるなよ。お前を拾ったのは内海課長だって事を」
「忘れちゃいない。だから早々に土浦へ帰って、課長をお守りしようじゃないか」
「レイバーショー後に居残りたいと言い出したのは、お前だろうっ。SSSが動き出しているん
だぞ!」
「ほう、そいつはずいぶん早かったな。やはり専務に刑事が接触したのがまずかったか?」
「そうだよ。すべてはお前の責任だぞ」
「起きてしまったことは仕方がない。それに俺には色々と、やることがあるんでな」

「あの巨大なオモチャの建設を見守ることか? あれだって企画七課が関わっている以上、
もう続けられないと思うがね」
「そうでもない。俺には色々とツテがあるのさ」
「ふん……飛ばすぞ、課長が心配だ」
「そうしてくれ。ところで黒崎、グリフォンの準備は整えてあるだろうな?」
「すべてお前の指示通り、組立てたままコンテナに収めてある……いつでも土浦を脱出するこ
とが可能だ」
「ならいい。グリフォンさえあれば、あとはどうとでもなる」

・・・

 焦る黒崎と、動じない隼人を乗せた車は制限速度を大きく超え、常磐道を駆け抜けていった
が、東京から茨城への道のりは、高速道路を持ってしてでも短いものとは言えない。どうして
も小一時間はかかってしまう。
 だから、時間をロスし過ぎたのだろう。やっと辿り着いた土浦研究所では、すでにSSSの車
輌が包囲をするように、そこかしこに並んでいる光景を見せつけられる事となった。
 黒崎がいらだたしげにハンドルを叩く。
「くそ、遅かったか!」
「なに心配はいらんさ。何のために俺が、バドを直々に教育したと思っているんだ」
「なんだと?」

 隼人の言葉に黒崎は訝しんだが、その意味を咀嚼する前に、土浦研究所の出入り口を護って
いる防弾ガラス製のドアが激しく砕け、鼓膜をたたく音と共に爆風が走った。
 同時に何人かの人陰が吹き飛ばされていき、爆煙が収まると奥から長髪を振り乱したバドが、
パイロットスーツを身につけたままの姿で飛び出して来、わらわらと走り寄って来たSSSの
隊員に空へ跳んで襲いかかった。

 瞬間、身の毛もよだつような絶叫が辺りに響く。
 バドが右手の甲に装着していた、かぎ爪のようなものでSSS隊員の顔面を、額から顎までざ
くりと引き裂いたのだ。闇夜に鮮血が撒き散らされ、頭を抑えて喚く腹に鋭い蹴りをたたき込み、
肉の砲弾と化して敵を巻き添えにすると、返す刀で後ろに迫った男の脇腹を抉った。

 バドに狙われた隊員は制服を朱に染めて、悲痛なうめきをあげながら場に転がる。
 その様を見た隊員たちが、それぞれサプレッサー付の拳銃を取り出して構えるが、一瞬で肉
迫したバドに奪い取られ、瞬く間に手を撃ち抜かれていった。
 後に残るは死屍累々の様相である。
 死神のようなバドの高笑いがこだまする。
 まるで先日のビッグサイトでの大暴れを、そのまま縮尺して演じたかのような一幕だった。

 そんな殺陣を、車内から悠然とながめていた隼人が「まあまあの出来だな」とつぶやく。
 なにが「まあまあ」だ。対する黒崎は、ハンドルを握る手を振るわせていた。

「に、人間じゃない……」
「人間だぜ。鍛えればバネって言うだろう」

「そんな次元の話か! 神、おまえはいったい何者だ!? 突然、課長の前に現れたかと思えば
わけのわからない技術を持ってきたり、あまつさえバドをバケモノに仕立てたり!」

「喚くなよ、あんたらしくもない。眼前に起こっている事実は、どうあろうと事実として受け
入れて動くのが、仕事人ってもんじゃないのか」
「……貴様は規格外だ」
「そうかね。七課の連中は全員、規格外だと思っていたが。ま、そんなことよりこの場の脱出
が先だ。俺はグリフォンを運び出してくる、このまま鹿島港へ向かうぞ。そしたら、さんぐり
あ号にグリフォンを積んで船便にて東京へ戻る」

「それから、どうするつもりだ」
「そいつは俺の考える事じゃない、内海課長の采配次第さ」
「そんな事を言って、お前は……」
ふと黒崎が顔をフロントガラスに戻すと、倒れている隊員たちを踏みつけながら車へ走りよ
って来る、返り血でまだら模様になったバドと、人身事故の現場に出くわしたサラリーマンの
ような表情をして、人肉の海を避けて歩いてくる内海の姿が見えるのだった。

 ――土浦研究所を脱出した大型コンテナ車三両! 鹿島港に向かった! 水戸支社の部隊は
追従不能! くりかえす、土浦研究所を……

 SSSの無線が、ディーゼルエンジンを唸らせて轟然と走り去るトラックの尻を見ながら、が
なりたてる。
 SEJが画策した内海一派の始末は、初戦において失敗に終わったのだ。
 その報せは、同時に東京・SEJ本社にも届いていた……。

・・・

 一方、都内SEJ本社である。
 役員室では、定時をとっくに過ぎてビルの照明をことごとく落とされても、夜勤を決行する
徳永が、同じく居座る取締役の平光を従えて、執務机を怒りのままに叩いていた。
 信じられない。
 精鋭のSSSが、たかだかサラリーマンの寄せ集めごときに突破されるなど、あってはならな
いことだ。いくら黒崎のような、ボディガードを抱えていたとしても……。

「くそう……内海め、開き直るつもりか!」
「窮鼠猫を噛む、という諺の通りになってしまったな。どうする、徳永専務?」
「どうするもこうするも、追跡させるしかないだろう。事が公になれば、破滅させられるのは
俺たちの方なんだ」

 徳永は興奮した様子で、執務机に置いてあったミネラルウォーターのペットボトルをかっさ
らうと中身を全部、胃に入れる。これもシャフト・グループの製品である。
 ラベルには、企画七課も開発に関与しているテレビゲームの懸賞が、華やかに宣伝されてい
た。徳永はそれを睨み付けると、太い指で押しつぶしてゴミ箱に投げ捨てる。
 と、コール音が鳴った。
 まるで、ゴミ箱の中にスイッチでもあったかのようなタイミングで、外線が呼び出しをかけてきた
ので徳永は忌々しげに受話器を拾って、耳に押し当てた。

「はい役員室、徳永です……あ、これは社長。こんな時間にお疲れ様です……はい……ええ、
はい……え? な、なんですと!?」

 徳永の素っ頓狂な叫びに、平光が座っていた席を立ち上がる。社長が勤務時間外に役員室に
電話をかけてくるとは容易ならざる事態だが、そのうえ受けた方の役員が叫ぶとは、一体なに
があったと言うのか。
 平光はもともと細い目をさらに細めて、徳永が通話する様を見入った。

「警察庁長官から社長に? では、すでに事態は警察に知れ渡っていると! え、違う? あ
くまで、情報のリークは警察庁に留まっているので、摘発される恐れはない……いったい、ど
ういう事でしょうか」
――私にもよくわからないんだよ。だが、君たちが勝手にやった黒いレイバーの件に関して
は、とにかく警察上層部は目をつむってくれる……と言うより、企画七課の自由に任せ、邪魔
をしてはならぬという内容の通達が、さきほどあったんだ――

 受話器の奥から、がなり立てる声が平光の耳にまで入る。その意味は理解できるが、意図が
まったく解らなかった。
 警察庁は、警視庁ならびに全道府県警の運営に関わる、いわば警察自体の本部といったよう
な性格の組織(ただし管理業務は各都道府県の公安委員会が担う)だが、それが犯罪者を野放
しにしろと指示してくるとは、わけがわからない。

「では、SSSも撤退させろと」

 ――SSSまで出動させていたのか!? まったく君たちはどうしていつも……まあいい。すぐ
に命令を取り消してくれ。そしてしばらくは企画七課との付き合い方を監視するにとどめ、余
計な刺激を与えない事だ。いいな、専務――

「……解りました……はい。ええ。お休みなさいませ」

 通話が終わると、徳永は受話器を呆然と置いた。そして、マラソンを終えた直後のランナー
のような顔で平光の向かいのソファに、どさりと沈み込むのだった。
 その、まるで何かが燃え尽きてしまったかのような姿に、平光が焦って寄り添う。

「おい専務、しっかりしろ!」
「あ、ああ……平光常務、話は聞こえていたか?」
「あらまし程度にはな」
「そうか。どうも、我々のあずかり知らぬ所で、なんらかの意思が介在しているようだ。だが
企画七課の連中にそんな事ができるとは到底思えん」

「……そういえば、内海が素性のわからん人間を一人、勝手に雇っていたが……」
「いくら奴に色々パイプラインがあると言っても、警察庁まで動かせるものか! 関係ない」

「だが、内海は香港の極東マネージャーとも関わりがあるぐらいだぞ。やつら鹿島港に向かっ
たようだが、さんぐりあ号に逃げ込む腹づもりなんだろう。あれも極東マネージャーの管轄に
ある船のひとつだからな。東アジア地域の経済を一手に握る連中の手が入れば、あるいは」

「そんな事がありうるだろうか」
「俺はありうると思う。たとえば、極東マネージャーを通じ、朝鮮総連あたりのルートを使っ
て、警察庁に働きかけるとかな」

「総連……そうか、パチンコ業界か!」
「企画七課は、ちょっと前までけっこうな勢いで遊戯台の開発も行っとっただろう。その繋が
りで総連に多少の顔見知りがいたとしても、おかしくはない」

「そういえば警察庁や、警視庁からの天下りも多いと聞く。俺が言うのもなんだが、かなり悪
どい連中だそうだな。たしか北朝鮮の資金源でもあったか」
「うむ。それにシャフト・コリアだって、表向きじゃ無関係を装っとるが、韓国から北朝鮮方
面へ、いろんなものを横流しとると言う噂もある。しょせん同じ民族だしな……お互いにシン
パがおるんだろう。内海なら、その流れを利用する事ぐらいはやりかねん」

「むう。長期的な視点で考えれば内海は、やはりここで消しておくべきなのだろうが」
「社長の言う事を無視するか?」
「そういう訳にはいくまい。今は俺もお前も、それなりの所帯持ちだ。昔みたいな無茶はできん」
「なら早く連絡を入れろ。SSSの奴らは放っておけば暴発するぞ」
「わかっている」

 徳永の深いため息がもれた。この男は、かつて会社を食い物にしてまで登り詰めた人物だが
人生も半分以上を過ぎた今、若い人間と競争するほどの気力は、失せてきているのかもしれな
い。
 平光は項垂れた徳永の首筋を無言で見つめて、自分の禿頭をつるりと撫でた。

・・・

 そして、再び舞台は内海一派へと移る。
 彼らはSSSの追尾を見事に振り切り、茨城県の最東南端、鹿嶋市神栖市の港湾へとたどり着
き、出港する事に成功していた。
 グリフォンを含め、主要な物資のすべてを東京へ持っていける算段だ。

「いやー、さっきはちょっと驚いちゃったけど、さすが隼人くんだね。まるでバドが時代劇に
出てくる用心棒みたいだったよ。どうやったらあんな訓練が出来るんだい」

 さんぐりあ号の甲板では、潮風を浴びる内海が横に隼人を置き、心底楽しげに自分の見た光
景を思い出して、身振り手振りをしながらはしゃいでいた。
 非常識な事態に直面した時に、それを拒絶したり思考停止するでなく、楽しい事として受け
入れてしまう思考回路を持っているらしい。まるで子供だ。
 じっさい、隼人は子供に取り合わない大人のように、

「そいつは企業秘密ってやつです」

 と、軽く受け流している。内海もそれ以上は、詮索しなかった。
 そんな二人の背へ、船内からあがってきた黒崎が吹き付ける飛沫を払いながら、とげとげし
く言葉をぶつけた。

「課長……SSSの事ですが、奴らはかならず東京港で待ち伏せをしてきます。おそらく、レイ
バーを持ち出して。どうやってそれをかわすつもりですか」
「うーん。そうだなあ、やっぱりここは先制攻撃をしかけたい所だねえ。先んずれば人を制す
ってね。ちなみに出典は『史記』ね♪ 知ってた黒崎クン?」

「先制攻撃っ、て……まさか課長」
「うん。隼人くんも同意してくれたんだけどね、グリフォンをデッキに立たせて入港しようと
思うんだ」
「なんですって!? そんな事をしたら、たちまち警察に感づかれてしまいます!!」
「でも、それ以外に確実と言える方法がないよね?」
「しかし!」
「黒崎、心配するな。イングラムは全滅させたんだ、しばらく警視庁の機動隊はレイバーに対
して決定的な鎮圧能力をもたん。第一小隊の96式改なんぞは粗大ゴミだしな」

「警視庁にはヘリもある。上空から追跡されたらどうやって逃げる」

「通常より潜行時間を延ばせるアクアユニットを取り付けておいた。
 なにかあったら海底を這って逃げればいい。海保の装備でもグリフォンには追いつけんよ。
また、万が一自衛隊に頼ったとしても、手続きの時間を考えれば余裕で国外へでも逃亡できる」

「と、言うわけなのさ」

 内海が隼人の言葉をひきついで、最後に「承知してもらいたいな、黒崎くん」と説得するよ
うに、しかし自信満々の表情で迫った。
 こうなるとテコでも課長は動かない事を、黒崎はよく知っている。もう何度吐いたか解らな
いため息をついて、彼は頷いた。

「仕方ありませんね……だが神、せめてグリフォンをさらけ出すのは、入港に間に合うギリギ
リのタイミングではじめろ。それぐらい、お前なら出来るだろう」
「ああ、それは任せておけ」

・・・

 そして、その約束通り隼人は入港の直前になってからという慌ただしく、わずかな時間でグ
リフォンをコンテナから引きずりだし、戦闘態勢へ移行させた。
 だが。

「……あれ?」

 接岸する東京港には、内海たちを待ち受けるものが荷受けのためにアイドリングするフォー
クリフトと作業員以外、影も形もなかった。夜の、静かな港湾そのものだ。
 一度「始末」の依頼を受ければ相手の命を取るまで、執拗に追い掛けてくると言われるSSS
が向かい撃つ事すらせずにいるなど、ありえるだろうか?
 おかしい――。
 そう訝しむ内海と黒崎を尻目に、ひとり黒い海を見つめる隼人がおもむろにレシーバーを取
り出して口に寄せた。

「どうやら撤退していったらしいな、工作はうまく行ったか。さて……バド、用意しろ。武蔵
の予言がただしければ、話していたこの日この時間に『敵』が来るはずだ」

 隼人の言葉に、後甲板のコンテナ上で立て膝をついていたグリフォンが、頭を頷かせる動作
をみせた。
 了解、と言う意味だろう。
さんぐりあ号が港に接近する。
 接岸のためにスクリューが停止され、フィンスタビライザー(横揺れ防止装置)を格納する
と船が大きく揺れはじめる。
 そして船首バウスラスター・船尾スタンスラスターを作動。さんぐりあ号は、海を泡立てな
がら横移動でゆっくりと接岸していく……。

 だが隼人が違和感を感じたのは、その時だった。
 迎えに出ているはずのフォークリフトの数がやけに少ない。それに、普通であれば走り回っ
て接岸作業に奔走しているはずの作業員たちが、揃ってこちらを見つめているのみで、まった
く動こうとしないのだ。

 次の瞬間、ハッと顔をあげる。
 レシーバー。

「バド! 飛び降りて岸の連中を一掃しろ!!」
「なんやって!?」
「言った通りだ、速くしろっ」

 隼人は答えを待たず、着ていたジャケットの裏からベレッタM93Rを取り出すとデッキから舞
い上がって、東京湾の夜空へ躍った。
 降下しつつ三点バースト。
 作業員めがけて叩き込み、同時に倒れ伏した頭めがけて、まがまがしいスパイクの仕込まれ
たブーツを突き刺すように踏みつけた。
 ぐしゃ、と肉と骨、血の爆ぜる音が響く……だが、悲鳴はどこからもあがらなかった。
 それどころか、周囲の作業員が一斉に隼人の方を向き、比喩でなく文字通り顔を蠢かせてい
るのだ。
 隼人が舌打ちした。

「くそ、けっきょく厄介な兵隊に待ち伏せされていたってわけか!」

 その言葉と共に、一斉に隼人を包囲する作業員たちの首がもげ落ち、残った椎骨を押しのけ
て目玉付の触手が幾重にもなって襲いかかる。
 さらに無人のフォークリフトまでが、カウルを突き破って露出した触手を振り回し突撃して
きたが、そこでやっと動いたグリフォンがリフトを叩きつぶし、隼人の周りにいた連中を次々
に踏み殺していった。
 だが、挙動が落ち着かない。動揺しているのだろう。
 隼人が再びレシーバーを掴んだ。

「バド! もたもたするな《インベーダー》との戦い方は、教えたはずだ!!」

つづく

 

表題へ 真ゲッターの竜馬がパトレイバーに乗るようです
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