一、流竜馬
――僕には、将来の夢なんてない。いままでも、そしてこれからも。だからいつ死んでしまったって、まったく構わない。
そんな事をつねづね思っていたから、学校で出題された作文にそのような内容を書いたら、先生に怒られた。
なんだよ。夢がないってのが、そんなに悪いことかよ?
少年、碇シンジは揺られる列車――といっても、旧世紀のような車輪式に比べれば、このリニアモーター列車の振動は少ないが――の中で、そんな事を思い浮かべながら吊革につかまっていた。
碇シンジ。彼について、長々と語る必要はないと思うが、一応、書く。
生年月日二〇〇一年六月六日。齢一四、中学生である。
幼少時に母親を亡くしており同時に父親からは見捨てられるのも同然のあつかいを受けたことから、極めて己のカラのなかに閉じこもる性格になった。
本来は聡明な頭脳をもっており、物事を客観的に捉えて多角的に分析する鋭い切れ味をもつ、いわば哲学者的な人間であるのだが、上のトラウマのせいでそれも己の中で終始するだけにとどまっている。
そんな彼を乗せた列車が向かう先は、第三新東京市だった。
二〇一五年のこの物語の中において東京、という地名がついている場所は、われわれの住む日本でいうところの、神奈川県足柄群箱根町周辺と、長野県長野市松代町周辺のふたつである。
なぜ首都圏の機能が分割されて東京都から移動したか、また、第三新東京市がいかなる機能をもった街であるのかは、この書き物を読む方はよく熟知されていると思うので、割愛する。
ともかく、セカンドインパクトが日本という国家の在り方を大きく変えた。
そしてシトなる強大な存在が、人類に牙を剥き、それに対抗するために創り出された特務機関がネルフである。
少なくとも、表向きはそうだ。
ネルフは、エヴァンゲリオンなる対シト用の決戦兵器を所持している。
そのネルフが、ここ第三新東京市の地表から、地下にかけて存在しているのだ。
少年、碇シンジはネルフの代表をつとめる父、ゲンドウに召喚されてそれまでの居住地だった武蔵野を離れ、ここへやってきた。
ゲンドウの目的はシンジ自身だ。
というのも、これもよく熟知されていることだが、エヴァンゲリオンは誰にでも動かせるという代物ではない。
パイロットの資格は一四歳の少年で、すでに母親を失っており、その母親の魂(と規定される存在)が搭乗すべきエヴァンゲリオンに組み込まれていなければならない、という極めて限定的なルールが存在する。
シンジはその資格を満たした少年であり、ゲンドウに見いだされて呼ばれたのであるが、当の本人がこのとき、そんな事実を知る由はなかった。
それどころか、己を捨てた父に対する反応が乱射するように起きてしまって心の整理もつかない状態だった。
(いまさら、なんだってんだ)
吊革を握る拳に、わずかな力がはいった。
……やがて、列車は彼を降ろして走り去っていく。
シンジは駅を出、街に降り立った。
しかし、先ほどから妙な感覚が体から離れない。
すれば、
「なんだ……?」
ウアーッ、と、甲高い警報が街中にこだまする。
つづけざまにその内容を告知するアナウンスが流れ始めた。
「緊急警報をおつたえします。本日一二時三〇分、関東中部全域に非常事態宣言が発令されました。住民の方々はすみやかに地下シェルターに避難してください……繰り返します……」
今、彼のいる第三新東京市に非常事態宣言が発令されたのだ。
場所は、ネルフへ移る。
「正体不明の物体、海面に姿を現しました!!」
「物体、映像で確認」
「メインモニターに映像まわします!」
ネルフ本部。その薄暗い作戦司令室は、かつてないほどの慌ただしさが満ちた空間へと変貌していた。
それも仕方がない。ほとんどの人間は存在こそは予感していても一度も戦ったことのない相手とこれから一戦交えようというのだから。
出現した物体とは、そう。すなわち――
「一五年ぶり、ですな」
「ああ。間違いない……シトだ」
かたわらに立つ初老の男の言葉に、机に突っ伏し掌を組んだ碇ゲンドウはみじかく息を吸い込むと、吐くようにしていった。
「人類試練の時が、到来したのだ」
・・・
シンジは、やかましくシェルターへ避難しろとアナウンスががなりたてる街中をゆく。
だが、彼は避難するわけにはいかなかった。
「くそ、こんな時に待ち合わせだなんて」
いつ死んでも構わない、といっても生き物の本能として死の恐怖はある。
シンジは恐怖をのんで待ち合わせ場所に指定されている、古代ローマの円形劇場風にデザインされた、駅前広場まで足をむけた。
その名の通り円形にカッティングされた階段に、腰を下ろす。
「ちぇっ。こうなりゃヤケクソだ……けど、緊急避難だなんて。まさかまた戦争でも? そんなそぶりは全然かんじなかったのに」
ぶつぶつとやる。
辺りに誰もいないので話を聞くこともかなわず、シンジを己の憶測のみで緊急事態の内容を予測する。
そうでもしていないと不安をまぎらわせなかった。
そうこうしていると、今度はキィン、と、空気をつんざくような音が轟と空から響いてくる。
なんだ、とシンジは頭を上げると、遠くに豆粒ほどに見えていた戦闘機があって、それがぐんぐんと近づいてくる。
ついにはその機底が確認できるほどの低空へ下がって、彼の頭上を通り、いよいよ轟音は激しくなっていく。
その凄まじさにシンジは思わず耳をふさぐと、あっ、という間に戦闘機は消え去っていってしまった。
ほっと耳をはなした直後、今度はどこから発射されたのか、ミサイルが彼の頭上を通り過ぎていく。また轟音が鳴る。
ミサイルは巡航ミサイル、いわゆるトマホークである。
そのなかでも最新に位置するタクティカルII型と呼称されるものだ。
高性能だがコスト高ゆえに廃止された、以前のブロックIII型の性能を大きく上回り、かつ、コストは初代タクティカル型とほぼ同じから、やや抑え気味程度という性能を誇るものだった。
現時点では最強のトマホークといえる。
これだけの装備を使用しているというだけでも、容易ならざる事態が起きている事が予測できたが、軍事知識のないシンジにそんな事ができるはずも、また、その余裕があるはずもない。
ただ、ミサイルという破壊兵器が頭上を通り過ぎる様に、目を見開いて硬直するのみであった。
そしてトマホークは続けざまに三発飛来すると、箱根の山の方へむかって飛んでいく。
やがて、ドワォッ、と爆裂して激しい轟音と振動が街を襲った。
同時に、もうもうと立ちあがる煙の中から、巨大で奇っ怪ななにかが、ぬぅっと音もなく山に現れる。
それは人型をしていた。
まるで、昔ばなしの見越入道が現実の世界にあらわれたようだった。
薄っぺらくなった、人間の頭蓋骨を顎だけ外してモデファイしたような造形の妙なものが胸に張り付いていて、頭部そのものはない。
まるで頭のない真っ黒のインナースーツに、ドクロを意匠した飾りを全身につけたような妙な怪物だった。
「な、なんだよあれ……」
シンジはぶるりと震えた。
限りなく人型に近いのだが部分部分が異なるそれは、生理的嫌悪感をシンジの心理にもよおす。
ヒトは己の構造に近いモノに、愛情、あるいは恐怖を抱くのだ。
たとえばヒトの姿を模したヌイグルミは愛らしいが、これがヒトを襲うといったホラー映画などがよく見られるのが、良い例である。
それに突然、それまで音信不通だった父に呼び出されたかと思えば、今度は戦争まがいの光景を見せられ、さらには怪物を見せられたのだ。
少年には酷すぎる状況といえた。
しかし、そんなシンジをさらに追い打ちするかのように、
「おい」
と、低くドスの効いた声色が彼の背中にふりかかった。
「ひぇぁっ!?」
山に現れた怪物に気を取られているばかりだったシンジは、予期せぬ話しかけに飛び上がって尻餅をついた。
すぐに、ばっ、と後ろを振り向くが、さらに悲鳴があがる。
声の主は、シンジの身長の倍はあろうかというほどの大男だった。
その異様なまでにつり上がった目には眼光鋭く、服装はあちこち破れまくって半袖状態になったデニムジャケットとぼろぼろのジーンズをまとった姿である。
露出した肌は丸太のように太い筋肉で覆われていて、まるで凶悪な犯罪者を思わせるような風貌だった。
シンジには、先ほどの怪物よりも恐ろしくみえた。
「わめくんじゃねぇ、ガキが」
男は、尻餅をついたまますくんでしまったシンジを、そのつり上がった目でギロリと睨みつける。
そしてふい、と目玉だけ怪物の方へ動かした。
「あれが見えねえのか。死にたくなきゃ、ここからとっとと失せな」
「で、でも」
「死にてえなら勝手にしやがれ」
それだけいうと、男はくるりとシンジに背を向けてどこかへ消えてしまった。
一方、トマホークをつづけて三発も食らった怪物は、なにも感じないとわんばかりにゆっくりと、またぐようにして山を降りていく。
市街にでるつもりのようだった。
「そんなっ」
それを見てシンジが驚愕した。
ミサイル、という物がどれほどの破壊力をもつ代物なのかは、近くの時代に戦争があった彼には、現代の我々よりも感覚的に理解がしやすかったであろう。
だが、トマホークを撃った方はもっと動揺していただろう。
圧倒的な破壊力をもつはずの兵器が、まったく通用しないのだから。
周辺を旋回していた戦闘機はつぎつぎと撤退していく……敵わない、と見たのである。
だが、あわれにも一機が進路を怪物の腕にふさがれて、そのまま爆散してしまう。
またしても響く轟音だったが、今度はあまりにも市街に近かったために四散した戦闘機の破片があろうことにシンジの頭上へ降りかかってきた。
「わ、わぁああぁああ……っ!!」
シンジはもんどりうちながら、なんとか立ち上がると破片から逃げようとする。
だが、航空燃料の爆発エネルギーによってはじき飛ばされた破片の速度に人間の足が勝るはずもない。
瞬く間に頭上へせまる巨大な破片。シンジは、死を覚悟した。
――ああ、死ぬな。
直前、シンジの思考を妙な冷静さが支配した。
自分でも理解できなかった。ただ、それまで感じていた恐怖が、なぜかまったく霧散してしまったのだ。
固く目をつむったシンジの視界はそのまま、永遠の暗闇に閉ざされる……はずだった。
だが。
「……」
いつまで経っても、意識がブラックアウトしない。
シンジは恐る恐る目を開いてみると、赤い光が飛び込んでくる。強烈な色彩に思わず、うっ、と唸ってまた目をとじかけるが、脳に喝をいれて阻止する。
そして何が起こっているのか確かめようと、その首を天空に向けた。
「ろ、ロボット!?」
赤い光の正体は、巨大な人型をしたロボットの掌だった。片膝をついて、腕を出し、シンジを破片からかばうように覆っていた。
怪物とは違って、完全に人間の姿を模している。怪物と違うのは、まるで鬼のように巨大なツノが二本、頭に生えていることだった。
姿だけではない。そのカラーリングも、頭部から肩にかけては真紅、丸太のような胴体は白く、腰は黄色、手脚は白に赤のラインが走る、と地獄の鬼そのものであった。
見ようによっては、怪物よりも凶悪に見えた。
ロボットが、その首をシンジの方へ動かす。
もはや起こっている事態に、脳の処理が追いつかなくなったシンジがぼけっとしていると、その耳に先ほどのドスの効いたあの声が大音響であたりに響きわたった。
「だから邪魔だっつってんだろガキィィィ!! 今すぐ俺から一〇〇キロ離れやがれぇッ」
無理な注文をいうロボットは、おもむろにぐわり、と立ち上がると、つぎに、
「ゲッタートマホーク!」
と短くさけぶ。
するとロボットの両肩、対に突起になっている箇所から突然、巨大な斧が一本ずつ現れ、それを左右の手で勢いよく引き抜いた。
ゲッタートマホークというのが、その名称なのだろう。
むろん、今度はミサイルではなく本物のトマホークである。
どう見ても肩に内蔵にするには物理的に無理がある大きさだったが、原理は不明だ。
しかもそれどころか、
「トマホゥゥク! ラッシュ!!」
ロボットは続けざまに叫びながら、手に持ったゲッタートマホークを力任せに怪物めがけて放りなげると、さらに肩からゲッタートマホークが生えて来、それを次から次へと投げつけていく。
腕力、というか出力が凄まじいのか、ただ放っているのにゲッタートマホークはそれこそ先ほどのミサイルよりも速いのではないかと見える速度で飛んでいく。
およそ、一〇本は連射したであろうか。
最初の数本は、ビキッという音と共に怪物の周囲に現れた、赤い半透明の六角形に弾かれてしまった。
これも説明は不要だろう。A.Tフィールドである。
このA.Tフィールドがさきのミサイルをも無力化していたのだ。
だが、最後の二、三本で耐久力の限界を迎えたのであろうか。ゲッタートマホークの切っ先がA.Tフィールドに亀裂を走らせた。
それを確認したロボットの黄色く菱形につり上がった目が光る。
やや姿勢を低めて、
「ゲッッターーーッ! ウィングッ!!」
と叫ぶと同時に、背中にスーパーマンがまとう様なマントが生えてくる。
これも原理は不明だ。
ロボットはその場から跳ね上がるようにして怪物に向かって「発射」していった。
数百メートルは離れていたが、瞬時に怪物に肉迫する。
しかし弱ったといはいえA.Tフィールドはまだ健在で、密着は阻止されてしまった。
だが、ロボットはそのまま、A.Tフィールドの亀裂に太い腕をつっこむとを掴むと力任せに引っ張りはじめる。
「バリアごとき引っぺがしてやる! おおぉりゃぁああっ!!」
地獄の底から響いてくるような雄叫びと共に、ロボットはその巨体を振るわせてA.Tフィールドを、バキバキと引きちぎっていく。
引きちぎったところからすかさず、もう片方の腕を突き入れると、その腕から生えている回転ノコギリのようなものを勢いよく回しながら、斬りつけるようにして殴りかかっていく。
ぶわっ、と、どす黒く赤い血が噴き出した。
A.Tフィールドの下は、普通の生物とそう変わらないのであろうか。
怪物は妙な悲鳴をあげながら抵抗するが、どうやら力ではロボットが上回っているようだった。
怪物はぎりぎりと掴まれ、身動きが取れない。
そして、
「逃げんじゃねえっ」
ロボットは怪物の細い腕を掴むと、凄まじい勢いでねじりあげていく。
そのまま柔道の一本背負いの要領で怪物を仰向けに地面に叩きつけると、ロボットはその上に馬乗りになって、これでもかといわんばかりに執拗に殴りつづける。
一撃、二撃、三撃、四撃。
撃ち込まれるごとに怪物からおびただしい量の血液がまき散らされていく。
とくに、胴体の中央、赤い球体の部分へ攻撃を加えるといっそう怪物は苦しんだようだった。
それに気づいたのか、
「おらァ!! てめえが有機物ならぶっ殺す! メカなら……」
ぐわりと腕をふりあげ、
「ぶっ壊す!!」
勢いよくハンマーを打ち付けるようにして叩きつける。
ばきゃっ、と球体が砕けて飛散した。
怪物は異様な痛みを感じたのだろうか、ひときわ激しくビクンと反応して跳ね起きると、その細長い腕でロボットに巻き付くようにして密着する。
直後、割れた球体からまばゆい光が放たれ始める。
おそらく自爆する気であろう。
いよいよ光が全体を包みはじめたとき、ロボットが再び叫んだ。
「オープン・ゲット!!」
その瞬間、ロボットは一瞬粘土のように形が崩れた後に三機の戦闘機(のように見える物体)に分離して怪物の束縛を離脱すると、その上空でまた集まり、再びロボットの形に変わる。
物理法則もなにも無い。
そして肩に手をやると、またしてもゲッタートマホークがにょき、と生えてくる。
それを手にとると両手で構えて一気に怪物に向かって急降下する。
先ほどの突撃よりも速い。
ほぼ瞬間移動である。
「止めだッ!!」
斬、と一閃。
ゲッタートマホークは怪物を貫き大地へと突き刺さる。
すれば、その切っ先が大地を割って穴が走りながら開いていく。
いくつもの建築物が巻き添えになりながら、つぎつぎと倒壊していって、ごうごうと空間が唸りはじめた頃には、すでに怪物は真っ二つに両断されて果てていた。
後ろ下がりにロボットが離脱すると、直後に怪物はまき散らした内臓と血液を残して、大爆発を起こす。
その爆炎は、遠く離れた街からも見えたほどだった。
異様な臭いと煙が立ちこめる中、浴びた返り血がボディの赤色と混じり、まだら模様になったロボットは一瞬、シンジの方を振り向くと、そのまま虚空へと飛んで消えてしまった。
戦闘は、終わったようだった。
「……た、助かった。でもあの声、さっきの人……?」
そういい、ほーっと空をみつめたままのシンジ。唐突な展開の連続に脱力してしまったようだ。
そんな彼に向かって一台の車が、猛速で目の前まで走ってきた。