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Last-modified: 2008-01-29 (火) 15:07:24

 車種はルノー・アルピーヌA310という旧いタイプだった。
 いわゆるクーペスタイルの車だ。エンジンが車体後部に置かれているので、車室がせまい。
 ヘッドライトが角形のものを横に六つ並べて配置してあり、顔が特徴的だった。
 エンジンはV型六気筒の排気量二七〇〇cc、一五〇馬力……だったが、時代に合わせた改造で原動機はモーターとなっている。
 残念ながら、その出力は不明。
 その場で急ハンドルを切って車体を横滑りさせると、シンジの真横にキュッとついて停車した。
 すぐにボンッ、とドアが開かれる。旧い高級車特有の重い音だ。
「シンジ君!!」
 叫びながら車から躍り出たのは、赤いジャケットに身を包んだ女、葛城ミサトである。
 生年月日一九八六年、一二月八日。二九歳。
 特務機関ネルフ戦術作戦部作戦局第一課課長をつとめ、同時に作戦本部長も兼任している。
 いわば、ネルフの戦闘部隊長といったところだった。
 階級は一尉。
 性格はあっけらかんと明るく、誰と接するにも笑顔を絶やさない。
 また酒を好み、昼間から瓶を煽る癖があるところからは、一見すると豪放らい落に見えたが、そのじつ緻密な論理的思考を組み立てることのできる人間である。
 策略家であった。
 が、それは彼女を形作る表面の一部にすぎない。
 その本当の姿はゼリーのような壊れやすい心と、その奥に成熟しきらない幼稚な部分を多く残した人間である。
 逆に、それが彼女に人間的魅力を生み出しているともいえたのだが……。
 ともあれネルフの作戦部長として、シンジを彼女は迎えにきた。
 作戦部長みずからが、わざわざ出迎えにくるというのだからシンジがいかにネルフにとって重要な存在であるかが伺える。
 ただの少年風情に、これほど上級のポストが出向くことは普通では無い。
 彼が司令の息子であるということを差し置いても、だ。
 ミサトはシンジが無事である様子を確認すると、
「あああ、無事でよかったわ……遅れてゴメンね。さぁはやく乗って」
 心底安堵した様子でいった。
「は、はい」
 シンジが乗り込むと、ミサトは彼がシートベルトを締めようとしている間にすでにアクセルを煽り車を急発進させる。
 急加速の重圧にうわっとシンジが声をあげて、あわててベルトを締めた。
「か、葛城さんっ、安全運転してくださいよっ」
「ん~ミサトでいいわよ」
「そうじゃなくって……」
「それよりシンジ君、あなた、さっきのロボットに話しかけられてたわね」
「え?」
「え、じゃなくて。さっきの赤いロボットのことよ。あれ……知り合い?」
 ミサトは急に声色を低くし、しかし頭は前を向いたまま前進しつづける。
 運転中がゆえにシンジの側を向いてこそはいないものの、嘘をつけば承知しないぞ、という文字がその横顔に張り付いていた。
 命の危機にさらされてやっと一息つけたところで、詰問めいた問答をされてシンジは内心ムッとしたが、初対面で、しかも年上の人間に逆らうほどの気概を彼は持ち合わせていない。
 正直に、

 

「知りませんよ、あんなの。けど、僕が待ち合わせていたら後ろから話しかけてきた男の人の声とはそっくりでした」

 と、答えた。
 偽りのない言葉を喋るとき、どんなにコミュニケーションが苦手な人間でも、その態度は堂々としてくるものだ。
 それはシンジとて例外ではなかった。
 ミサトは彼の答えに偽りがないことを確信すると、
(なるほど……とすると、やっぱり正体不明って事ね。やれやれ、使徒だけでも頭が痛いのに余計なモンが現れてくれるわ。
 ただシンジ君と話したってことは、また接触しに来る可能性はあるかも)
 と、心の中で毒づいたが、つぎにシンジに振り向いた時にはそんな様子はおくびにも出さずに、ふっと明るくはじけた様な笑顔になっていた。

「……避難命令も出ているのに、外をほっつき歩くなんて怪しいわね。シンジ君、覚えているだけでいいからその男の外見を教えてくれないかしら」
「み、ミサトさん。前見て、前見て運転してください……」
「あっとゴメン」

 

 一息。
 シンジはふむ、と車の天井を見上げると、先ほど自分に話しかけてきた人相の悪い男の事を思いつくままに話す。
 それにミサトはいちいち頷きながら聞いていたが、やがて話が終わると一言、
「ありがとう」
 とだけいうと、ウインクを最後にあとは沈黙した。
 得た情報を自分なりに咀嚼しようとしているのだろう。
 シンジにもそれが見て取れたので、あとは何も話しかけずに黙ってフロントガラスの向こう側を見つめているのだった。
 やがて、車は街を抜けるとネルフの本部までへとたどり着いた。
 車両用の通路を抜けて、ターンテーブルのあるブロックまでたどり着くとその上に停車する。
 ここから、一気に地下へと駆け下りていく。
 ネルフは地下要塞ともいえる施設であった。

 

・・・

 

「碇君……ありゃあ、一体なんだね!? 我々国連の力がシトに及ばないのはよく解った……が、あれも君の新兵器ではあるまい。 見たかあの威力を。今回はシトを撃滅してくれた。 しかしだ。もしあれが我々人類の敵になるとすれば、それこそ世界は終わりだぞ!」
 ネルフ本部。
 その薄暗い地下で、国連軍の制服に身を包んだ老人ががむしゃらにわめき立てている。
 というのも先ほど現れた赤いロボットが原因だった。
 さて。ここから、怪物をその正式な名称であるシトと呼称する。
 シトはのもつA.Tフィールドは、タクティカル型ミサイルの直撃を受けても無傷で、悪あがきで使うつもりでいたN2地雷(核兵器並の威力を有する爆弾、とされる)をもってしても、シミュレーションでは足止め程度の効果しか期待できないことが予測されていた。
 それを、ほとんど数分の内に屠殺するかのような勢いで葬ってしまった赤いロボットは彼らの目には救世主というよりも、悪鬼羅刹のように映った。
 鬼をほうふつとさせる外見もイメージの形成に手伝ったであろう。
 老人のわめきを背にする碇ゲンドウは、それでもなお無言で立ちつくしていた。
 やがて、ゆっくりと眼鏡のズレを直しに手を顔にやる。

 

 碇ゲンドウ。
 生年月日、一九六七年四月二九日生。齢四八。
 この物語における世界を一変させた大異変・セカンドインパクト以前における彼の動向は謎に包まれているが、なにかしら目的をもって研究等に打ち込んでいたとされている。
 このときの旧姓は六分儀であり、その後、碇ユイという女性と出会い結ばれ、碇性となった。この二人の間に生まれたのがシンジである。
 後に彼女とは死別している。
 彼は、このユイという女性には半ば偏執的なまでの愛情を示しており、それを失う事で巨大な衝撃をうけたのは想像に難くない。
 彼女を失ったあとの彼の生き様は、あたかもこのユイを探し求めるかのようであったという。
 現在はネルフの総司令役として動いており、その目的は表はシトの撃退、裏は後に語る人類補完計画の遂行、とされている。
 だが、その本質はエヴァンゲリオンという存在に碇ユイの魂が組み込まれているところからも、実際は、極めて私的な感情による行動であるとも考えられよう。
 要するに彼の目的は、碇ユイの復活そして邂逅、であった。
 だが、その詳細を知っている者は居らず、わずかに感づいている者も、まさか私的感情が行動の根底にあるとは思いもしなかっただろう。
 それというのも、

 

「ご心配なく……そういう事のためにも存在するのが、ネルフです」

 

 と、不敵にいうこの男は、その心の本質な弱さを隠そうとするためか、必要以上に冷徹に振る舞うくせがあった。
 息子同様、物事を天から洞察して動かす能力があり、熟慮もし、同時に英断も辞さないと英雄の要素はあったが、言葉に遠慮がなく切れすぎるのだ。
 カミソリのような彼の言葉は、正確無比であるがゆえに人間のこころを容易に切り裂いてしまい、そのため無用の憎悪を抱かせてしまう。
 我々の世界での例になるが、碇ゲンドウの真逆に位置する歴史的人物を探せば、日本なら幕末時代の西郷隆盛が挙げられるだろう。
 彼は、その政治的能力は他の一流の志士たちに対して劣るところがあったものの、人のこころを捉える、という点においては無類の凄みをみせた。
 彼の信念の底に通っていたものは種々であるが、大きいものを取り上げるならば、巨大なまでの「愛」であり、それを自他共に許容する「こころ」であった。
 このため、多くの志士が彼の言葉・動きに胸を打たれることになる。

 

「西郷のためならば命は要らぬ」

 

 と。
 そしていよいよ最後は熱狂的な信徒たちの手によって、西南戦争が引き起こされることになったのは、よく知られていることだろう。
 それが、西郷が賊将とされてなお英雄の名を轟かせた要因の一部である。
 話がそれたが、ともかく、ゲンドウの弱点は人のこころ、というものの扱いが極めて苦手なことであった。
 その苦手さたるや、息子のシンジよりも酷かった。
 それを補おうと必要以上に冷たく振る舞う彼に、根から付き従う人間は、だれもいなくなってしまう。
 自分の能力ひとつを武器に世の中と渡り合うしかない。不器用なのである。
 能力はあるのに、英雄にはなりきれない。
 しかし、彼の妻のユイはどういうわけか異常に感が鋭かった。
 ゲンドウのベールを見抜き、奥底の心に気づいたからこそ彼と婚姻を結ぶまでに至ったのであるが、他の人間にそこまでの感や洞察力を求めるのは、わがままが過ぎるというものであろう。
 もっともゲンドウ自身、あえて語りたくないところを語ってまで、自分を表現したくはなかったのかもしれないが。
 彼は孤独だった。
 さて。
 場は、再びシンジとミサトへ戻る。

 

・・・

 

「ミサトさん……」
「なに」
「父さん、いえ父は、なんのために僕を呼んだんですか。もう、忘れられていると思ってたのに」
「それは――直接会って、聞いたほうがいいわね」
 ターンテーブルエレベーターに乗り、トンネルをぬけて直接地下へ向かう車の中で、二人はそんなやりとりを交わしていた。
 びゅん、と過ぎ去っていく天井を見つめながらシンジは「これから父のところへ行くのか」という問うた。
 ミサトは「そうだ」と、いうと、あとにこんな一言をつけくわえた。
「苦手なのね、お父さんのこと」
 その言葉に、シンジはしばらく反応を見せなかったが、やがてゆっくりと目をつむるとつぶやくようにいった。
「会ったって……ぎくしゃくするだけなのが、わかっていますから」
 その瞬間、エレベーターはトンネルを抜ける。
 突如として封鎖された空間から、ただっ広い大空間が目の前にぶわりと広がる。
 まるで、この世とはもうひとつの別の世界がそこにあるかのようであった。
 その別世界に迷い込んだような感覚に、一時的な開放感を得たシンジはつい先とはうってかわって明るめの声をあげる。
「すごい。本物のジオフロントだ」
「そう。ぶっちゃけ、ネルフ警備隊秘密基地ってところね。ここは人類存亡の砦となる場所」
 車を乗せたエレベーターはどんどん進み、終点へと向かっていく。
 だが、その途中で空間に響き渡るような大音響で、警報が鳴りはじめた。
 地上で一度、すでに避難警報は出され、それも解除されている。
 すれば、この日二度目の警報は何を意味するのか。
 ところは、ネルフ作戦司令室に移る。

 

「正体不明機、ジオフロント地表に接近!!」

 

 広大な司令室の、ひときわ巨大なメインモニターに、さきほどシトを葬った赤いロボットが再び街に現れて、しかもネルフ本部に急接近している姿をはっきりと映していた。
 司令室全体に不安の色が広がっていく。
 たとえシトを倒してくれた、という行動があったにせよ、まったくネルフ側があずかり知らぬ存在である。
 あのロボットが、今度はその標的を自分たちに変えないとは誰にも断定できなかった。
 国連の人間たちはすでに用済みとなり、退散している。
 あとは自分たちでなんとかするしかないのだ。
 そんな中、碇ゲンドウは相変わらず椅子に座って机に突っ伏しながら、考え事をしているようだった。
 その姿が悠長にみえたのか、後ろから補佐の冬月コウゾウが近づいて是非を問う。
「どうするんだ、碇」
「初号機を、起動させる」
「迎撃する気か? まだ敵と決まったわけではないぞ」
「あれは、我々のシナリオには無い存在だ……ゲストに用はない。ご退場願う」
 ゲンドウの指令が飛び、瞬く間にエヴァンゲリオン初号機(以下、初号機)が発進用意に入る。
 地下のジオフロントから超高速エレベーターによってエヴァ初号機が、地上に吐き出された。
 目標は正体不明の赤いロボットの撃滅だ。
 エヴァ初号機のパイロットは蒼い髪の少女、綾波レイである。彼女に関する詳細は後述するが、今、彼女はその全身に大きなダメージを抱えていた。
 本来ならば、戦闘に出られる状態ではない。
 だが、ゲンドウは躊躇しない。
 今この場での目的はネルフの任務遂行上、邪魔になる者の排除だった。
 初号機が地上に出た時、すでに赤いロボットはその真上にまで達していた。
 すかさず初号機が手にもったパレットライフル――エヴァ専用の火器。形は巨大な突撃銃で、同じく巨大な劣化ウラン弾を使用する――を空へ向けると、一気に弾をばらまいていく。
 銃撃と廃莢の二つの轟音が街に響いた。
 狙われたロボットは回避行動をすると思われたが、予想を裏切って背中から生えているマントをボディの全身をくるむようにしてまとい頭だけ露出した形になると、そのまま初号機につっこんできた。
 マントがバリアの役目を果たしているのか。
 劣化ウラン弾は命中しても弾かれるだけで、しかも爆煙があがるせいでカムフラージュの手助けをしてしまう。
 その爆煙を突き抜けて、ロボットが吼えた。
 赤色の光線が、マントにくるまれた体中から発射されると初号機におそいかかる。
 命中した光線が、A.Tフィールドを一時的に無効化する。
 A.Tフィールドを破ったのではない。消してしまったのだ。
「俺の邪魔をするんじゃねぇ!!」
 そのまま巨大な弾丸となった赤いロボットが、初号機にぶち当たる。
 ぐわん、と凄まじい衝撃が走り吹っ飛ばされた初号機は、背後にあったビルの一群を爆散させながら大地にはり倒されたところで、やっと止まった。

 

「ぐ、ぐぅぅ……!!」

 

 コクピット内のレイが激痛のあまりに呻く。
 エヴァンゲリオンは、操縦に直接人間の神経を用いるために機体がうけたダメージが、そのまま痛覚として人体に伝わってしまう欠点があった。慣れていなければ、簡単に失神してしまう。
 くわえて、この大けがである。レイに次の行動をエヴァに取らせる余裕は、もうなかった。
 初号機を吹っ飛ばしたロボットは地上に降り立つと、マントを引っ込めて腕を組み、仁王立ちの構えをとった。

「小娘はすっこんでやがれっ。おい、地下にこもってる人間トカゲ共、聞こえるか!?」

 ロボットが、エヴァとネルフ地下、ジオフロントの存在を既知していてそれを指摘してきた。
 作戦司令室に動揺がはしる。

「俺は敵じゃねえ!! だが、また攻撃しやがったら今度は全員まとめてぶっ殺す!!」
 ロボットは、仁王立ちして怒気をはらんだ声で、本当にジオフロントまで届くだけの大音響で上記の言葉を絶叫していた。
 あまりの音圧に、周囲の接近した構造物の表面がビリビリと震え、すでに亀裂に走っていたものはわずかに割れるほどだった。
 もし人間が側にいたら間違いなく鼓膜が破られていたであろう。
「碇……」
 作戦司令室。
 ゲンドウの側に立った冬月が、脂汗をにじませて呻くようにいった。
 あまり刺激するな、ということであろう。
 その威力はさきほど見せつけられたばかりである。
「仕方があるまい……我々の事をそこまで知っているとは、気に掛かる。話ぐらいは、聞こう。回線を開け。あの大声を止めさせるんだ」
 と、ゲンドウの指令が飛ぶとすぐにロボットにコンタクトが取られた。
 幸いにしてロボット側も、こちら側と同等の通信機器を内蔵しているようでメインモニターにぱっ、と人の顔が映るのだった。
 ロボットはどうやら人間が操縦する機械であって、シトのように自立した存在ではなかったようだ。
 それを見て、ネルフ職員にふっと安穏の吐息が漏れる。
 こうも、人というのは外見でモノを判別してしまうものなのだろうか。
 ただ……その中において、ひとりだけ異なる反応を示す者がいた。

「い、ひぃッ……」

 と、悲鳴をあげたのはオペレーターのひとり、伊吹マヤだ。
 物静かだが、病的な潔癖のある女で、とかくグロテスクなもの、暴力的なものを極度に嫌った。
 モニターに映ったのは、そんな彼女が苦手とする、般若面のように恐ろしい表情をした男だったのだ。
 じっさいは鼻筋は通って線もするどく、醜いどころか美形の類に入るのだったが、とにかく目つきが凶悪すぎた。
 その男が、低い声色でふたたび語りはじめる。

「俺は流竜馬ってモンだ。おめえらには、ちっと用があってここまで来た。要求がある……今、おめえらのトコにさっきの白い服着たガキがいるはずだ。そいつに会わせな」

 ロボットは腕を組んだまま、なおも仁王立ちしていた。

「司令……あんなこといってますが、どうします」
「要求をのまなければ、ここら一体をチリと化するといわんばかりだな。いいだろう……言葉が通じんシトよりはマシだ。初号機を回収させろ」

 

・・・

 

 その後、赤いロボットを降りた男、流竜馬はネルフの案内に従ってジオフロントに降り立った。

「ここが――テメエらの秘密基地か。で、ガキはどこに居んだ」
「そう急がないでほしいものね。これだけ広いのよ」

 竜馬を道案内するのは、ネルフの頭脳ともいえる技術開発部技術庁の赤木リツコだ。
 生年月日、一九八五年一一月二一日、三〇歳。
 女ながらに背は高く、また美人である。白衣を着ていたが、その下に身につけている服装は身体のラインにぴたりと沿ったもので、そのグラマラスな体型ともあいまって匂うような色気を感じさせた。
 頭髪を金に染めているのも特徴だ。
 例えるなら往年のマドンナといったところか。

 が、それよりも重要なのはわずか三〇歳という若さで、彼女がネルフの技術部の長をつ とめているということだ。
 国連軍でさえも扱えないようなエヴァンゲリオンをはじめとする、特殊技術のかたまりの数々を容易に扱うことからも、彼女がいわば天才的な感覚をもっていることがわかる。
 しかしそれでいて不思議なのは、これほど人員の揃っているネルフという組織において彼女が何でも屋的な役割をこなすことだった。
 プライドも決して低くない彼女が、その役割に不満を漏らさずにいるのは謎であったがともかく、彼女はそういった経緯で竜馬の案内役となっていた。
 いや……ひとつ、危険な役を買って出た理由があった。

「ねえ、流さん、だったわね。ちょっと聞いていいかしら」
「なんだ」
「あの、赤いロボットのことだけど……」
「ゲッターロボなら、テメエらにどうこう出来る代物じゃねえぜ。間違っても破壊しようなんざ思わねえこった」
「そんな事は聞いてないの。あれは……あれはゲッターロボっていうのね!? あんな無茶苦茶なメカを、私は今まで見たことがない!! 凄い!!
 触ってみたい。動かしてみたいバラしてみたいッ!!
 いいわ、あなたの用件が終わってからでいいから。ちょっと詳しくゲッターロボについて聞かせて頂戴!!」
「な、てめえっ!? うお、敷島のジジィみてえな顔してくっつくんじゃねえっ」

 彼女、赤木リツコには多少なりともマッドサイエンティストの血があった。
 本来はもっとクールな振る舞いをする女なのだが、今は未知の技術を目の当たりにしたことでその血を抑えきれないようだった。
 やがて、いくつかの通路の抜けた後にやっと作戦司令室にたどり着いた。
「碇司令、流氏をお連れしました」
「……ずいぶんと遅かったな」
「なにせ危険だと思いましたので、注意しながら」
 ふとゲンドウがリツコの隣の竜馬を見やると、なぜか疲労したような顔でこちらを睨んでいた。
 ゲンドウはそれを見て、まばたきをひとつするのだった。
「まあ、いい。わかった……」
「おう……おめえがここのボスだな。さっさとガキに会わせてもらおうかい」
「そうだ。私がネルフ総司令、碇ゲンドウだ……君の目的の人物は、今にくる」
 ゲンドウがそういうと、ちょうどのタイミングでまた司令室の扉が開かれた。
 薄暗い部屋に通路の明かりがわずかに差し込むと、その逆光の中からミサトに連れられ たシンジが現れる。
 二人とも、肩で息をしていた。
 ゲッターロボと初号機が激突した振動が地下まで響いたのを感じて、ここまで走ってきたのであろうが、それにしても息の上がり方が尋常でない。
 まるで、フルマラソンのあとのランナーのようだった。
 道に迷ったのであろう。ミサト自身も、まだネルフの施設になれてはいなかった。

「い……碇司令っ。外で、また、戦闘があった、みたいですが、これは、どういう――!?」

 切れ切れの言葉で状況を把握しようとしたミサトだったが、最後まで言い切る前に部屋の人間の中に、見慣れない顔がある事に気づく。
 ものすごい太い眉毛と、三角の目が天を突かんばかりにつり上がった、凶悪な人相をした男が、目の前にいる。
「あ、あなた……誰?」
「葛城一尉、しばらく君は黙っていろ。場が落ち着いたら説明する」
 状況を飲み込めず、目を白黒させるミサトにゲンドウがしかめっ面をすると、苦い声でいった。
 明らかに不機嫌でいるのがわかる。
 およそ特殊な事態でもない限り、感情を表に出さないゲンドウが怒っているのを見て、ミサトは覇気を無くしてしまった。
 それほどまでに珍しいことだった。ゲンドウが感情を露わにするというのは。
「は、はっ……」
 ミサトが従って下がった。
 それに頷くと、今度はミサトの隣で息も絶え絶えになっているシンジに顔をむけた。
 シンジは動くのも辛そうだったが、久々の父親との再会に複雑な表情をつくる。
 しばし沈黙の時が流れたが、やがてゲンドウは口を開いた。
「久しぶりだな、シンジ」
「父さん。今更、僕に何のようがあって……」
「本来ならそれを今から説明する予定だったが……事情が変わった。おまえの知り合いが来ている」
「知り合いって、まさか……」
 わざと、目をあわせないようにしていたシンジだったが、そうまで言われてはもはや知らんフリはしていられない。
 ゆっくりとなるべく、時間をかけるようにして首を回していく。
 その先には、
「おうガキぃ。生きてたか、手間ぁかけさせやがって」
「あなたは、さっきの……」
「そうだ。俺は流竜馬だ。ガキ、いや、碇シンジ。てめえに用があって来た!」
「な、なんで僕の名前を」
「んな事どうでもいいだろう。それよりも――」
 竜馬はそこまで言いかけたが、突然、オペレーターの青葉シゲルが監視していたレーダーに異変を察知したらしく会話を中断させるように大きな声を出した。
「取り込み中すみません!! レーダーに反応が! パターン青、シトですっ。
 またシトが出現しました! 位置、駿河湾海上……こちらへ急接近しています!!」
「なんだと!?」
 もっともはじめに反応して叫んだのは、いままで黙ってゲンドウの後ろについていた冬月だった。
 細いその目を大きく見開かせて、
「ばかな、こんなシナリオはあり得ん」
 と、ひとり言をぶつぶつとやっている。
「ちっ! 邪魔が入ったか、しつけえ野郎だぜ!!」
 すれば竜馬はざわめく部屋をきびすを返し、真っ先に飛びだそうとする。
 言葉は上のとおりだが、心なしかその表情には愉悦の感情が浮かび上がっていた。
 戦うのが楽しくて仕方がない、といった風情だった。
 だが、それを快く思わないゲンドウが竜馬の行動を咎める。 
 当たり前のことだ。機密が満載のネルフ内部を、素性もわからぬ人間に動き回られたら 、なにが起こるかわかったものではない。
 スパイの可能性もあるのだから。
「流竜馬。勝手に動くな」
 ゲンドウは低くいった。
 だが、竜馬はそれよりも低い声で応じる。
「あぁ? 俺に命令するんじゃねえ」
「動くなといっている」
 言葉ではなんともならぬと思ったのか、ゲンドウは懐から拳銃を取り出す。セーフティは解除され、いつでも発射できる用意であった。
 作戦司令室に一瞬で静寂がもどった。
 緊張した空気が流れる。
 しかし、竜馬はそれをみて恐れるどころか、嬉しそうに口の両端を、その目と同じように、にんまりと天へつり上げていった。
「……ヘッ。やってみろよオッサン」
「二度はいわんぞ」
「上等だ!!」
 その叫びと共に、ドワッと銃口が火を噴いた。
 誰もが、竜馬が撃たれた、と思った瞬間だった。
 ほんの数メートルの距離で拳銃の弾丸を避けられる人間など、存在するはずがない。
 だが。
「なに!?」
 ゲンドウが目を見開く。竜馬が、いまその瞬間までいた場所にいない。
 次の瞬間で、ザッと
「遅えってんだよッ」
 竜馬がゲンドウの後ろに天井から落ちてきた。
 ゲンドウの居る場所は、作戦司令室の中でも最も高い位置になっているところだった。
 目測でも成人の数人分はありそうな高さである。
 竜馬は、一瞬でさらにその上の天井まで移動してしまったことになる。
 人間業ではない。
「ぐあっ!」
 竜馬はすぐさまゲンドウの腕を、最初のシトにやったのと同じように掴んでねじりあげると、銃を強奪する。
 そしてそのまま下へ投げ飛ばしてしまった。
 ゲンドウはシンジのいた方向に落とされ、彼に抱きとめられる形で崩れ落ちる。
「と、父さん……」
「ぐ……貴様、た、ただではすまんぞ」
 その言葉と同時に、入り口からSPと思われる黒服に身を包んだ男たちが数人乱入してきた。
 彼らは迷いなく竜馬へ銃を向けると、一斉に発射しはじめる。
 職員たちの悲鳴が上がる。
 伏せる者、かばう者、逃げまどう者、様々だった。
 職員たちには戦闘訓練の施されていないことがよくわかる。
 だが、竜馬は――

 

「雑魚どもはすっこんでろ!!」
 激高して手にもった銃をブンとSPの一人に投げつける。まるで、ゲッタートマホークを投げたようだった。
 その速度が凄まじく投げつけられたSPが避けきれない。鉄の塊を頭に直撃されて、その場にどう、と倒れ伏す。
 だが衝撃で暴発した弾丸が運悪くそのSPの頭部を撃ち抜いてしまう。
「ぎゃっ」
 血液と共に脳髄がわずかに飛び出る。
 即死であった。
 その隙をついて、竜馬は残ったSPの元へ走り、一人の顔面に正拳突きを喰らわせると飛び上がってもう一人には鋭い蹴りを放つ。
 血しぶきが飛び散った。
 そして、

 

「おらァ!!」
「ぎゃあッ」
 と、最後の一人に強烈な頭突きをかまして昏倒させてしまう。
 竜馬は瞬く間にSPを全て倒してしまったのだ。
 職員全員が、その漫画のような光景にシトの事もしばし忘れて唖然としていた。
 その中を竜馬は走り、父を抱きとめるシンジの腕をつかむ。
 ゲンドウが支えを失ってずり落ちた。
 シンジがああっ、というが相手にならず、
「いくぜシンジ、出撃だ!!」
「く……しゅ、出撃って、な、なんなんだよ!」
 言葉が荒くなる。さすがに、シンジも目の前で肉親に暴力を働かれて感情が高ぶりを隠すことができなかったのだ。
 まだ、彼が心の奥底から父親を憎み切れてはいない証拠だろう。
 だが竜馬はそんなことを気遣うような男ではない。
「敵が来たなら、ぶっ潰すに決まってんだろ。てめえもゲッターに乗るんだよ!!」
「ゲッターって、あ、あのロボット? あんた一人でやれよ、なんで僕が……」
「うるせぇ!! どっちみちてめえはエヴァとかってのに乗らなきゃなんねーんだ。だが、あれにはいつでも乗れる。今は、おめえを記憶させなきゃならねえ。ゲッターに!!」
「なに訳の分かんないこと……」
「いいから来いッ」
「うわあっ! 放せ、放せよぉ!!」
 シンジは人さらいに抵抗するかのごとくもがいたが、竜馬の怪力の前には赤子も同然……いや、それ以下だった。
 糸でも扱われるかのように、シンジはするすると引きずられながら、作戦司令室を退出していく。
 後に残された人間は、もはや唖然とするしかなかった。
 その中で、真っ先に気を取り戻したのはレーダーの光にシトの接近を警告された青葉シゲルであった。
「し……シト、なおも接近!! すでに第三新東京市内に侵入していますッ」
 その言葉に部屋にいた人間すべてが現在の状況を跳ね起きるように思い出し、ぱっと散って個々の持ち場に戻っていく。
 そして冬月とリツコに支えられて、立ちあがったゲンドウがうめきながらも指令を飛ばしはじめた。
 だが、

 

「肝心のパイロットが、さらわれてはな……」

 

 冬月が苦しげにつぶやいた。
 その通りである。あくまでシトに対抗できるのはエヴァであり、そのほかの兵装などはエヴァをサポートする存在に過ぎない。
 それだけでシトと戦闘をするなどというのは、紙の上に描いた餅のような事だった。
 ゲンドウも苦々しげにつぶやいた。
「レイはもはや戦闘には耐えん。このうえは……」
「あのゲッターとかいうのに頼るしか、なさそうですね」
 次の言葉をいいよどんだゲンドウの言葉を継いだのはミサトだった。
 どうやら、事態をしばらく観察していることで起きた事をある程度察知してしまったらしい。
「全職員に通達だ。流竜馬の進路を開けさせろ。……葛城一尉。君はものわかりが良くて助かる。私は、さきほどの暴力で声を出すのが苦しい。この場の全指揮を任せる」
「解りました。しかし、なぜあの男はシンジ君を……」
「……」
 ゲンドウはその質問には答えず、冬月とリツコの腕を離れると、よろよろと高台の席へと戻るのだった。

 
 

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