五、往く先は
ネルフでの停電騒動と、第七、第八シトとの交戦劇からしばらくが経った。
相変わらず第三新東京市は常夏の太陽がてらし、うだるような暑さがつづいている。
ゲンドウは、あれからいまだ答えを出さずに態度を保留していた。
いい加減に竜馬もしびれをきらしている頃だったが、自身の秘密を明かしてしまった以上は待つしかない。
可能な限り、この世界での出来事を変動させずに人類補完計画を阻止しなければならないのだ。
もっとも竜馬がゲッターロボで暴れまくっている時点で、変動もなにもないと考えることもできるのだが……。
竜馬をいら立たせるのはそれだけではなかった。
「ぬるぃ! なによこのおフローーーッ!!」
竜馬がその寝床としている、ミサトのマンションで焼いたイワシを頭からボリボリとかじっていると、風呂場の方からアスカの怒号が響いてくる。
すぐにドタドタと足音がひびいて、弐号機と同じ赤色のバスタオルを巻いた姿のアスカが居間に飛び出してくる。
「シンジぃっ、おフロぬるすぎなのよ!! あんたこんな温度で入ってるわけ!?」
と、彼女はシンジがわざわざ沸かした湯の温度が気にくわなかったらしく、その格好のまま文句をわめきちらしていた。
竜馬やシンジがいるのだからもう少し、羞恥心があってもよさそうなものだが、そういう目では二人とも見てはもらえていないのだろうか。
それはそうと、彼女の希望でミサトの同居人が三人に増えたまではよかったが、問題なのが部屋割りのことだ。
3LDKであり、部屋割りは一一畳ほどの居間に七畳半の和室、六畳の洋室、納屋、そしてミサトのペット、温泉ペンギンの「ペンペン」が住まう、居間に鎮座する巨大冷凍庫という構成だった。
このうち和室がミサト、洋室がシンジ、納屋が竜馬という割り当てだったのだがアスカが増えたことにより、シンジの洋室は彼女に乗っ取られてしまう。
「あんたはペンペンの冷凍庫で暮らしたら?」
などと暴言を吐かれたものだが、そんなことが物理的にも精神的にもできるはずがなくシンジは仕方なく竜馬の納屋をさらに半分に仕切ってもらうことになった。
いかに竜馬が住む場所にこだわらないといっても、もともとせまい納屋がさらにせまくなれば寝るにも息苦しい状態だった。
そのおかげで、竜馬の機嫌は日に日に悪くなっていく始末であった。
「うるせえ赤猿ッ、湯の温度ごときでわめくんじゃねえっ」
赤猿とは、竜馬がつけたアスカのあだ名だ。
だが当然プライドの高い彼女は、これをよしとするわけもない。
しかも、彼女は最初竜馬に嫌というほど脅された恨みつらみがある。
竜馬の言葉に、まさに猿のように顔を真っ赤にさせて怒ると、濡れた足のまま洋室に駆けると例の軍刀を取り出してきて、しゃらん、と抜きはなつ。
「もっぺん言ってみろおっ、タマとったるぅぅーー!!」
「上等だコラ、ちっとばかし将造に鍛えられたからっていい気になるんじゃねえッ」
と、売り言葉に買い言葉となり、もう夕刻なのに二人はそのままベランダに躍り出ると極道映画よろしく、大立ち回りを演じはじめた。
それをビールを片手に、ペンペンを膝の上に抱いたミサトがその頭をぺしぺしとやりながら、
「元気ねぇ」
と、つぶやいていた。
ターミナルドグマでで真実を知った者たちは、これから自分たちを待ち受ける運命に戦慄しているはずだったのだが、どうも竜馬と関わっていると、そう言う気分が抜け落ちていってしまう。
「アスカも、あれから話を聞いたはずなのにへこたれないですね」
と、シンジがいう。
ゲンドウは部外秘だといったが、竜馬の独断でアスカとその保護者である、将造にはこの話が伝わっている。
将造は敷島博士という、竜馬の世界の人間と行動を共にしているし、アスカはその義娘だ。
なにか、切れぬ縁のようなものを感じたのだろう。
話をきいた将造とアスカは驚くどころか「なんて面白そうな話なんだ」と釣り餌にくいついた魚のごとき反応をしめしていた。
精神構造が、普通の人間とは違うらしい。
「ミサトさん。初号機、いや、母さんと僕が、本当にこの世界を滅ぼす原因なってしまうんでしょうか。僕は……最近、この生活が少し楽しく感じていたのに。
ネルフでの居場所のなさを感じるのは、別として」
「う~ん。私に聞かれても、ちょっち……加持君があのあと、偵察の対象をゼーレに絞ったみたいなんだけど、よく解らないってとこかしら……」
「そ、そうですよね」
シンジは、はからずして母親と再会した。
それそのものは内心、嬉しさを感じていたことだったが同時に、つきつけられた運命は過酷なものだった。
おそらく、人類補完計画を進めていたゲンドウとても、似たような心境であろう。
「父さん、どうするつもりなんだろう……」
そう、シンジがつぶやいたときだった。
食卓のうえに置かれた、やや古めのプッシュホン式電話がコールを鳴らす。
ミサトがすこし構えてとった。
「……はい、葛城です。あ、加持君」
電話の相手は、ゼーレの偵察に態度を決め込んでから、しばらく音沙汰のなかった加持であった。ミサトの顔が、ぱっと明るくなる。
以下、会話の内容である。
「よう、しばらくぶりだな葛城。元気そうじゃないか」
「あんたこそね」
「まあな。なんせ、心強い味方もついたことだし」
「心強い?」
「史上最強の極道さ」
「げっ……まさか」
「そう嫌ったもんじゃないだろうよ。蛇の道は蛇ってね、俺にとっては居心地が悪いということもないのさ。それはそうと、司令の腹が決まったみたいだぜ」
「ほんと」
「ああ……だがこれ以上のことを本部や電話で話すと盗聴の危険があるからな、こっちで場所を用意させてもらったよ。今晩、そこへみんなを集めて来てくれ。 場所は流君に「例のトコへ集合だ」っていってくれりゃ解る」
「あ、うん……」
「じゃな」
と、そこで加持は通話を終えた。
あとにはツー、ツーと、トーンの音だけが残る。
やや不可解な表情になるミサトが、それを確認して受話器を静かにおくと、まだベランダでアスカと乱闘に興じていた竜馬に顔をむけて、大きく叫んだ。
「リョウ君! 碇司令の態度が決まったみたいよ、今晩、例の所へ集まれって!!」
そうすれば竜馬は頭上に振り下ろされたアスカの軍刀を片腕で受け取めながら応じた。
一歩間違えれば、脳天からざっくりとやられて死んでいただろう。
アスカも仕込み親が仕込み親だけに、一度ケンカを始めると容赦がないのだ。
殺るか、殺られるか、である。
だが竜馬のそれと、アスカのそれでは年季が違う。
アスカが刀の柄に渾身の力をこめて押そうとするが竜馬はぴくりともしなかった。
やがて彼女は、
「くしゅっ」
と、小さくクシャミをひとつする。
水に濡れた状態にバスタオル一枚で大暴れしたせいだ。
それをみて竜馬が、刀をはじき返して飛び下がると、いった。
「おら、遊びは終わりだ。とっとと着替えて準備しやがれ」
「あたしに命令しないでよっ」
「置いてくぞ」
と、竜馬は居間に戻るとボロのデニムジャケットを羽織ると、あとはひとりで外に出て行こうとする。
あわててミサトが引き留めた。
どこに集まればいいのか、まだ聞いていない。
ミサトに問われた竜馬はくるりと振り向いて、
「あ? 知らねえのかよ、例のトコってのは「酔いどれ亭」って居酒屋だ」
といった。
しかしミサトは、
「いざかやぁ?」
と素っとん狂な声をあげた。
電話はもとよりネルフ本部をも遠ざけたい会合だというのに、よりにもよって街の居酒屋でやるとは、どういうことだろうか。
もしスパイがまぎれていたら、情報など筒抜けになってしまうではないか。
そう思って問いただした。
すると、
「そこぁ、岩鬼組で経営してんだよ。必要となりゃ、貸し切りにできる」
そんな答えが返ってきた。
ミサトの脳裏にさきほどの加持の言葉が思い出される。
(なるほど。そういうこともあって岩鬼組に接触したのね)
しかし、だからといってスパイを防げる理由にはならない。
店に潜まなくとも、他に諜報の術はいくらでもあるのだ。居酒屋は密室ではない。
だが、その疑問にも竜馬は快刀乱麻を断つようにして答えた。
「不用意に近づいた野郎は、護衛の組員がぶち殺すから心配すんな」
これにミサトは、
(ムチャクチャだ!!)
と心の中で叫んだ。
あの岩鬼組なら、不用意に近づいたのがスパイであれ罪のない一般人であれ、何のためらいもなく抹殺するだろう。
「MAGIによる市政も、岩鬼組にとっちゃ有って無いようなものね」
「機械なんぞに支配されてたまるかよ」
その言葉に、ミサトはなにか思うところがあったようだ。
ふと、竜馬がエンペラーの主となる前の出来事を聞きたくなった。
「……そうかもね。リョウ君、あなたがいた地球はどんな所だったの?」
「官房長官が勝手に研究所襲撃を命令するような、ふざけた所だったぜ」
「どっちも、どっちだわ……」
竜馬の珍しい世間話を聞きながら、ミサトは急いで支度をはじめる。
普段はずぼらで通っていても化粧、その他の見つくろいを欠くような女ではない。
二人が話している間に、いつのまにかシンジとアスカも支度を調えていたようだ。
シンジは平常心と大きな筆文字がプリントアウトされたシャツに、ベージュのハーフパンツといういでたちで、アスカは、例のスカート部が花のように広がった黄のワンピース姿だった。
二人とも一応、怪しまれないように普段着を着ている。
「ミサトー、早くぅ」
着替えに入ったミサトの和室の前でアスカが急かすと、
「は、早いわねあなたたち」
と、いいながらミサトも急いで身じまいを整えていく。
彼女の服装は紺のタンクトップに、ジーンズといったものだった。
だが、ミサトが和室から飛び出すころには、竜馬はもとよりシンジとアスカも外に出ていってしまっていた。
ミサトは愛車のキーを掴むと、あわをくって追いかけていくのだった。
ところは変わり第三新東京市内、国道上。
度重なる破壊で都市としての機能が麻痺しつつあるこの土地では、あまり多くの交通量はない。
その空いた道路を矢のような勢いで飛ばして走る車が一台あった。
車種はロータス・エランS2。
旧いイギリスのオープンカー型スポーツモデルであり、排気量は一六〇〇cc。
その助手席に乗っていたのは、ゲンドウだった。
珍しく地味な色の背広に身を包んでいる。私服なのだろう。
ドアの縁にひじをかけて過ぎゆく景色をみながら、運転席側に向かって話しかける。
「加持君。君も、物好きだな」
「車はいいですよ。走ることで自らは限りなく静止に近づき、世界は動き出す」
と、答える加持の姿はいつものよれたワイシャツとスラックスであった。仕事着と私服が同化しているのだろう。
スパイとしては、身なりから人物を想像できないようにすることで重要な意味がある。
加持の言葉に、ゲンドウは薄ら笑いをうかべていった。
「世を見渡す心境になれるということか。それは私に対する皮肉かね」
「とんでもない」
「……ああ。すぐ邪推するのが私の悪い癖だ。しかしその邪推ついでにいうが、どうも行く先が、あけぼの亭の方角とは違うようだが」
あけぼの亭というのは、第三新東京市内の料亭の名だ。
政治家の会合などにも使われる事のある場所で、ゲンドウも懇意にしている。
なお、幕末の頃から京都に同じ名の料亭兼宿場があり、こちらは坂本の方の龍馬にとってゆかりのある場所である。
だが加持の握るハンドルは、あけぼの亭とはまったく違う先を目指していた。
「そりゃそうでしょう。だって行く先は酔いどれ亭って居酒屋なんですから」
「な、なに?」
「料亭なんざじゃ、息苦しくて仕方がない。ここはぱっと一つ、居酒屋でやろうと思いましてね。勝手に予定変更させてもらいました」
「正気か……それでは情報がだだ漏れになる」
「ご心配なく。酔いどれ亭は岩鬼組が直接経営してるところですから。ただの居酒屋なんかじゃありません」
「……」
加持の説明にゲンドウは一瞬、息につまったような感覚を覚えた。
なにしろ岩鬼組は、ネルフにとってはアスカを奪還しようと戦争沙汰まで引き起こした相手である。
その実力、凄まじさはゲンドウが一番よくわかっていた。
「明日には命がないかもしれんな」
そう、いった。
だが加持はからからと笑ってハンドルを切る。
もうすぐ目的地だった。
「今日は組長の客人という扱いですから大丈夫。そのあたりの仁義は通す方々ですよ……見えてきたな。おや、もう集まってる」
ゲンドウの心配をよそに、エンジンを吹かす加持の目に酔いどれ亭の姿があらわれた。
姿形は、木造で旧い日本家屋を模したような、いかにもといった風情だった。
だが、そこかしこに、物々しい機械や蒸気を吹く正体不明の何かが覗いていて、単なる木造の建築物でないのは確かである。
いや、そもそも木に見えるものが本当に木材であるかどうかも疑わしかった。
まあそれはともかく……。
加持の車のヘッドライトが、その駐車スペースとなっている区画にすでに集いつつあった竜馬の乗ってきたバイク「隼」を照らし出す。
時速三〇〇キロ以上で走れるスーパーバイクである。
ちょうどその後部座席から、シンジが飛び降りたところだった。
さらにその横にミサトとアスカを乗せたオープンカーが停車している。
加持はゆっくり車を進めると、隣に横付けして停車した。
ミサトが運転席から加持に顔をむける。
笑顔であった。
「丁度ね、加持君」
というが、当の加持の目線はミサト本人よりも車体に注がれているようだった。
その理由は、
「また買ったのか。しかもフェラーリ328とはなぁ」
「アルピーヌじゃどう頑張っても、リョウ君に置いてけぼりにされちゃうのよ」
「隼が相手じゃ、それでも辛いだろ。せめてテスタロッサにしときゃよかったのに」
「それじゃ如何にもって感じで嫌じゃない。それに乗ってて息苦しいのよ、あれ」
この通りである。
フェラーリ。知らない人はいないであろう。ミサトのものは、そのなかで328GTSというやや旧いモデルであり、性能よりも運転の軽快さを重視したオープンカーであった。
それにしても、普通の車に乗っている人間がだれもいない。
すべてが異様な重低音でアイドリングしていたのだった。
やがて、加持が車から降りるとゲンドウもつづいて降りると、あとは自動的にそれぞれ店の戸をあけて入店していく。
その入り口には、リツコとレイを従えた将造が待ちかまえていた。
「地獄の一丁目によう来たのう。これからでけー戦争の話をするそうじゃねえの!」
といった。
それにゲンドウがしかめっ面をして、
「部外秘だったはずだが……」
と、アスカを見たあと、加持をちらりとサングラス越しに見た。
だが彼はどこ吹く風だ。
その代わりに、将造がゲンドウのむなぐらを掴むと
「いいか。日本は、いや地球はわしのシマじゃけえ……シマの人間達を全滅させるようなことは、命を張ってでもさせん。それが、」
将造、ぐっ、と力をため、
「それが、シマを預かるドンのつとめだからじゃあッ!!」
叫んだ。
ゲンドウを上下左右に揺さぶりながら、大口をあけて唾を飛ばす勢いである。
要するに、人類補完計画の阻止に俺たちも参加させろという事だ。
ゲンドウは将造からなんとか離れると、咳き込みながら、
「あ、ああ、わかっている。君たちがどういう存在かは……迷惑とはいっていない」
「わかりゃあ、ええんじゃ」
そのやりとりの後、それぞれは畳の座敷に通されていった。
なお、配置としては二〇畳ほどの座敷に大きな座卓が二台おかれ、床の間中央の上席に将造が座り、左片面にゲンドウ、竜馬、リツコ、の順に並んでいる。
その向かいが上席寄りにシンジ、アスカ、ミサト、加持の順だった。
他に客はいないようで、加持のいう通り今日は完全な貸し切りの状態だった。
準備は整っていたようで着席すると、すぐに料理や酒が振る舞われていく。
一応、やくざらしく将造の仕切りで軽い仁義切りのような挨拶が終えると、あとはゲンドウの舞台となり、それぞれは今後のネルフの動向を彼より聞いた。
まず、人類補完計画の阻止は絶対として、その方法だ。
いますぐ全勢力をもってゼーレを叩いてしまうということも考えられたが、竜馬やレイがいう、歴史を必要以上に動かすことは、宇宙が消滅する原因にも成りかねないという説明から極力、歴史の改変を無しに進めることとなった。
もとより裏死海文書なるものの、内容通りに進んでいる世界だ。これから起こる事がある程度予測できる分、対策そのものは講じやすいといえた。
だが、人類補完計画が実行されてしまうぎりぎりまでタイミングを見て、最終段階においてゼーレを含めた、その配下の組織から人員までを一掃しようというのである。
実行するには極めてむずかしい計画だった。
阻止計画を有利に進めるべく、味方を多く引き入れようとすれば、ゼーレにたちどころに感づかれることとなるし、味方が少なければ、その戦力でいかに彼らのシナリオに従ったふりをしつつ、反撃するかが問題になる。
そうなれば、
「結局は、ゲッターに頼らざるを得んか……」
ゲンドウがいった。
だが、加持がそこで手をあげた。
「エヴァを改良して戦力の増強につとめてはいかがでしょう」
といった。
それにゲンドウはむずかしい、といった後につけくわえていう。
「まず予算の問題がある。それに、改良といってもどうするつもりだ」
もっともな疑問だった。
そもそもエヴァは完成されている存在である。これ以上の性能強化は、根本からエヴァというものを考え直さなければなるまい。
そんな問題に、リツコから提案があった。
「そこですが……」
と、言いかけたがその途端に座敷のふすまをぐわらりと開けて、フランケンシュタインの怪物のような老人が現れる。
敷島博士であった。
彼は座敷の中央にずい、と進むと、なぜか手に抱えたサブマシンガンのようなものを天井にかかげながらいった。
「あっと待ったぁ、その先はワシに説明させるがいい。ええか、わしもこの赤木君の協力でエヴァンゲリオンなるものの詳細がちっとは解ってきた。
なかなか面白いが、兵器としては破壊力とケーブル断絶の際の稼働時間に問題がある。 そこでじゃ、内部電源をプラズマボムスに切り替えることで出力・稼働時間共に大幅に増大させる。
この設計図を見よ! なづけてエヴァンゲリオン號じゃあ。うわははははッ」
と、敷島は興奮しながらいう。
よくみるとサブマシンガンは安全装置が解除されていた。
撃たれてはかなわない、とばかりにほとんどの人間が身を引きはじめる。
リツコが勝手に外部の人間に、エヴァの機密を話していたという問題を、誰もが問題として提起することを忘れさせてしまう迫力だった。
なお、プラズマボムスとはおそらくプラズマエンジンの一種であろう。
プラズマとは、気体・液体・固体のどれにも属さない状態の物質をさし、たとえばゲッター線のような一個のエネルギーのことではない。
そしてプラズマエンジンとは、主に宇宙機などに使われる推進用エンジンであり、その推進剤を極高温化させた事で発生するプラズマを推進力として用いるものだ。
しかし、このシステムは要するに燃費を極限に追求したもので、単に出力の点でいえば化学燃料を燃やした方が、よほど高出力を追求できる。
が、ひらひらと舞う、いまどき珍しい紙の設計図を手に取ったゲンドウがそれを一読すると緻密なプラズマボムスの構造が記してあった。
書かれていた発案者の名が「神隼人」となっており、どうやら敷島による発明ではなかったようだったが原子炉より高出力を発揮し、なお従来の化学燃料よりも信頼できるシステムであった。
それは、
(これはすごい。たしかに、これなら稼働時間の問題は解消できるうえ、エヴァに本来以上の力を発揮させることもできる。あとはエヴァそのものが耐えられるかどうか)
と、自身も科学者であるゲンドウに思わせるほどだった。
しかし、懸念もある。生産やコストのことだ。設計はできても実際に造るとなると、膨大な資金が必要になってくる。
「……予算がおりまい。新しい設備も必要だ。無理にやればゼーレに感づかれてしまう」
と懸念を示したが
リツコが、
「一基だけなら既に」
と割り入った。
どこでどうやって資金と設備を調達して造ったのかゲンドウにすら想像できなかったが敷島と岩鬼組をみていると、やれて不思議ではない気分になってしまう。
じっさい、一基つくっているのだ。
ゲンドウはひとこと「そうか……」と答えただけであったが、十二分に驚愕しているのが固まった姿勢から読み取れた。
敷島はつづける。
「まだまだあるぞ! 現行のエヴァの専用火器は手ぬるい。まず、通常兵器でいくならこの設計図のようにN2弾頭を用いた、ミサイルマシンガンくらいは欲しいなあ。
月ぐらいはふっとばせるようにせにゃあ、つまらんではないか!! あ? なんじゃ、将造、なにをするっ」
だんだん暴走しはじめる敷島に呆れた将造が「ひっこんで護衛でもしていろ」と彼を持って退場していった。
一同、唖然としている。
しばらくして将造が戻ってきても、まだ場が沈黙していて、それからさらに一分ほど経ってから、ふたたび口を開いたのはミサトだった。
「……まあN2マシンガンは論外として、プラズマボムスは良さそうですね。でも一基だけか。どのエヴァに搭載するべきか」
この言葉に真っ先に反応したのがアスカだった。
「はい!! 弐号機にください。聞けば、なんか初号機はわけわかんない力があるし、零号機だって乗ってるのがファーストじゃないファーストなんて、反則じみてるわ! 私だけおいてけぼりなんて、嫌よっ」
といった。
いささか子供じみた、というより子供だから仕方ないのだが、そんな理論を展開するアスカに、しかしミサトは同意した。
「言葉はともかくとして、まあもっともね。エヴァのパイロットとしての技量は彼女がトップだし、底上げを図るにはいいかもしれないわ」
ということだ。
ただ、それに少しうつむき加減だったシンジの顔に気づいたアスカが、
「もっともシンクロ率じゃ、シンジには負けてるけどさ……」
と、最近のシンクロテストでの結果をネタに、フォローを入れる。
本来はそんなことを気づかう性格はしていないのだが、やくざ社会で妙な序列の感覚を身につけた彼女は、立場的バランス調整の術をかつて以上にこなせるようになっていた。
やがてゲンドウが場を制した。
「まあいいとしよう。赤木博士、できるか」
「ええ。ゲッター炉心に比べれば圧倒的に制御しやすい逸品です。もしも量産に成功すれば発電所なんていらなくなる。エネルギー革命が起きるでしょうね……。
もっとも、きっと発明者は平和利用なんて頭の隅にも考えていないでしょうけれど」
「ん。おいリツコ、隼人を知っているのか?」
と、それまで会話に加わっていなかった竜馬がいった。
どうやら、プラズマボムスの発案者に深い関わりがあるようだった。
「ええ、敷島先生と交流していたとき、一度会ったことがあるわ。 でも「竜馬って奴に後のことは頼むぜと伝えてくれ」と私にいったあと、どこかへ消えてしまって。そういえば言い忘れていたわね。ごめんなさい」
「隼人はもとより、いつから敷島のジジィと知り合いになってたんだよ」
「あれだけ異常な機動のヘリを見せつけられたら、一度は会ってみたくなるわ」
彼女がいうのは、イスラフェル戦で将造が乱入してきた時に乗っていた、ヘリコプターのことである。
たしかに敷島本人も「ゲッター並の機動性を追求した~」と、わざわざスピーカーを通して大演説していたくらいだから、自信作だったのだろう。
「そんなもんか、科学者ってえのは……しかし」
竜馬は、隼人という人物のことを思い返していたようで、笑いながらいった。
「野郎、相変わらずスカしてやがる。どこからどうやってここまで来たのやら」
この男が、まるで旧友に再会したかのような笑みを浮かべるのは、今までにもないことだった。
そして。
この後もゲンドウを中心に、議題はいくつかに分けて話し合われたが、基本となる趣旨はすでに出た。
ゲッターとエヴァによる戦力を中心に、これまで通りシトの撃滅を行うのと同時に、人類補完計画の最終局面による発動を絶対阻止すること。
簡単に説明できるが、実行は困難である問題だった。
だが、やるしかない。
総員で意思を固める時間であった。
固まれば、あとは居酒屋にふさわしく酒に飲んで呑まれての饗宴に染まるのみである。
最初こそはシラフの状態で、ゲンドウという上司が手前にあることもあって、竜馬と将造以外は、ややぎこちない風を崩さなかったが、酒が回ってくるにつれて、それぞれ本性をあらわしはじめる。
まず、もっとも酒量の多いミサトがとなりに座っていた加持にからんだ。
「あたしはね、もうね、三佐なのよ。あんたごときに、こけにされるおぼえは、ないんだから、ぬぇっ」
「おいおい、ハナから飛ばし過ぎだぜ葛城……帰りどうすんだよ」
そんな具合であった。
ちなみに本人のいうとおり、ミサトはイスラフェル戦のごたごたの後、急遽三佐に昇進している。
通常軍隊でいうところの少佐にあたる。
とりたてて何かしたわけではないのだが、ゲンドウの「階級が高いほうが動きやすかろう」という配慮でそうなった。
いや、竜馬の面倒を見続けた功労としては不足だったかも知れないが……だいぶ、ゲンドウも動きが変わったといえよう。
そのゲンドウは、酒に口をつけず喧騒にも触らず、独りもくもくと出される料理に口をつけているだけだった。
息子のシンジも同様である。
他はすでに騒ぎはじめているのだが、この二人のみはA.Tフィールドを張っているかのごとく、その体の周囲において空間が静かだった。
それを見つけたアスカがシンジにからむ。
なお彼女は将造と共にいる間に、未成年のくせの酒の味を覚えてしまったらしい。
「どうしてアンタはいっつもそう、じめじめ暗いのよぉキノコ生えちゃうじゃない」
「や、やめてよアスカ……僕は、あんまり好きじゃないんだよ、こういうの……」
「うるさいうるさいっ。加持さんはミサトにべったりだし、ゲッターのせいで弐号機の活躍は奪われるし、呑まなきゃやってらんないわよぉッ。だからアンタも呑むのッ!!」
「理屈になってない……」
「いいから飲めっ」
と、まずシンジが強制的に酒を注いだコップに口を付けさせられた。
ゲンドウがそれをちらり、と見るがなにもいわない。
それになぜか、将造がからんだ。
酒癖の悪い人間ばかりである。
実際に遭遇したらたまったものではないだろう。
「うお、オッサン! どーしょんならぁっ。おどりゃーオセがそがあな風にしょーるんじゃあ、いかんけぇ飲まんかい。こーいう時ぁ、飲んでつばえりゃええんじゃあ!」
酔いのせいか、完全に広島弁になっている。
ゲンドウには将造が何を言っているか、半分ほどにもわからず、
「……標準語で話してくれ」
と呻くようにいった。
訳せば「大人がそんなでどうする、飲んで騒げばいいんだ」という意味になるのだが、将造が聞き入れるものではない。
「じゃかあしいやあッ!!」
というと、アスカがシンジにやったように無理矢理ゲンドウをひっ捕まえると、その口に入ろうが入るまいが一升瓶を逆さに、浴びせるように飲ませようとする。
この義親あってこの義娘ありといったところか。
さすがにゲンドウも酒に衣服をずぶ濡れにされてはかなわないと思って、それを受け取って飲みに入ったが、さほど強くないのであろう。
数杯、コップを空ける内には言葉数こそ変わらないものの、明らかに顔が赤くなって動きがふらふらと、怪しくなっていた。
みれば、シンジも同様であった。
すでに頭が回っていないうえに、あうあうと、ろれつも回っていない。
そのシンジが、サングラスをぬぐうためにそれを外したゲンドウと目があった。
ゲンドウがサングラスを手に持ったままの体勢で、
「……なんだ、シンジ」
と聞くが、シンジは答えずにしばらく父の目を見続けたあとに、突如、ぐわっ、とゲンドウに躍りかかると、すがりつくようになって叫んだ。
「なんだよぉ!! 見てちゃいけないかよ! 僕は、僕はっ、父さんを見返してやりたいのと認められたいってだけでゲッターにもエヴァにも乗ってきたのに、父さんはいっつも変な顔して命令するばっかりで!!
竜馬さんにいわれたんだ、無視したら殴ってでも応答させてやれって。今日こそ殴ってやる、前歯折ってやるぅっ……」
と流れるように喋って拳を振るおうとするが、酔って動きが定まらずにそのまま、ゲンドウからずり落ちて畳の上にはいつくばるだけだった。
隠れて酒を飲むような悪ガキでもないシンジにとって、強烈なアルコールによる酔いの症状は耐え難いものだったのだろう。
ゲンドウはしばらくの間、そんなシンジを黙って見ていたが、やがてサングラスを置くと腕を差し出して我が息子の身を起こしてやりながら、
「私が……お前の側にいても、お前を傷つけてしまうだけだ。だから私の背を見るのはやめろ。自分の足で地に立って歩け。私自身も、そうしてきたのだ。それに、今のお前には他に心の支えになる人間が、いるだろう」
といって、向こう側の席でなぜか騒がず静かに飲んでいる竜馬や、逆に騒ぎまくるミサトを見ていった。
だがシンジは、
「うるさいっ!! そんな理屈なんか聞きたくない!! 父さん以外は父さんにはなれないんだ、どうしてこんな僕にもわかる簡単なことがわかんないんだよ!」
と、泣きわめいた。
その涙が雨のように畳の上へ落ちいき、い草を濡らしていく。
だが、これにゲンドウはどうしていいか解らず、うろたえるばかりだった。
普段なら、これすらも冷淡に突き放す演技をするだろうが、酒はそういう演技力を人から奪いさっていく効能がある。
それは、場合によって最悪の事態への引き金にもなるが、逆にわだかまりのある者同士が腹を割って話すための道具とも成り得るのだ。
やがて後ろで静かに座っていたレイがふわりと立つと、ゲンドウに寄っていった。
「あなた」
発した言葉はそれのみである。
それだけいって、またレイは下がってしまう。
だが、ゲンドウは固まって反応を示すとコップに一杯、酒を並々と注いで一気に飲み干し、再びシンジに目を戻す。
この際、酒の力を借りて喋ろうというのだろう。
ゲンドウは半目になっていった。
「情けない話だが俺は……お前が恐かった。どう接していいのかそれすらも解らなかった……シンジ。今度、釣りにでも付き合ってくれ。もう少し、落ち着いたらな」
それだけいうのが精一杯だったのか、後に言葉はなかった。
シンジも何も返さない。
ただ、ゲンドウの独白の後には親子三人だけの空間ができていたことはたしかである。
そして辺りを見れば、懇意のグループがすでにできあがっていた。
アスカと将造、そして仲の良い舎弟二人ほどが一グループ。
文太とか健とか呼ばれていたようだった。
もう一つは、加持とミサトだ。
こちらは元恋人同士である。焼けぼっくりに火がついた、ということ以外は書く必要もあるまい。
それを傍目に見る竜馬はすこし気だるそうに「夜風に当たってくらあ」と、座をたっていった。酒に強いのであろう、もう二、三升はゆうに飲み干していたはずだが、さして足がふらつくこともない。
外に出ようとすると、護衛にいた組員が「竜兄ィ、おもては危険じゃあ」と止めるが竜馬は「俺は平気だ」と相手にしない。
仕方なしに組員も道をゆずる。
竜馬の性格は、その呼ばれ方から察しても岩鬼組に知れ渡っているのであろう。
彼がの行動が一度実行に移ったら、だれにも止められない。
外に出ると、すでに日は落ちて辺りは電灯だけが照らす闇夜となっていた。
竜馬は店を離れて、近くの電柱に背を持たれたまま、どかりとその場に座り込んだ。
夜空を見上げれば雲ひとつなく星々が輝いていて、竜馬はそれをじっと睨んだまま黙りこくる。
彼のいう、ゲッターエンペラーや時天空に関する事でも考えているのであろうか。
しばらくそうしていると、ふと電灯の光に自分以外の影が映し出されるのがみえた。
「危険だっていわれてるのに」
そういう影の正体は、リツコだった。
体に張り付くようなブラウスに、タイトスカートといういつもの服装である。
さらに寄る影に、竜馬はぴくりとも動かずに答えた。
「愁嘆場は嫌ぇだって、前にもいったろう。あんなのは見てられねえや、こう見えても俺の精神は繊細なんだよ」
「ウソでしょ?」
「わざわざケンカ売りに来たのかてめえ」
その言葉に竜馬が機嫌を悪くするが、立って掴みかかるような、普段の勢いはなかった。さすがに酔いが回っているのであろう。
だがリツコは、
「……見てられないのは、私だって同じよ」
顔をそむけるようにしていった。
結局、ゲンドウの心は碇性の人々にあることを、再度見せつけられたのである。
すでに彼とのことは過去のこととして捉えていても、あまり気持ちの良い光景とは、いえまい。
酔いが全身に回っている今なら、なおさらである。
竜馬はそれを見、
「だから、外に出てきたのか……しょうがねえやつだ」
というと、竜馬はむくりと起き上がって、リツコの身を片腕でくるむ。
そして、ふっ、と彼女の唇をふさいだ。
思いがけぬ竜馬の行動にリツコは最初驚いて硬直したが、その体温を四肢に受け、感じると、自身の両腕をその広い背中に回すのだった。
やがて、二人は静かに離れた。
しばらくそのままだったが、ふとリツコが不安げな表情になった。
気がかりがあるといったような様子だった。
彼女はいう。
「流君、ゲッターエンペラーの話」
「それがどうした」
「この世界ですべき事が終わったら、あなたははるか未来へ帰ってしまうんでしょう」
「ああ。ここでの事は、いずれやる、でけえドンパチの下準備も下準備だ」
「私たちの苦悩も、ゲッターから見ればミジンコの争いも同然ってことか……ねえ、私が最後まで生きていられたら、一緒に未来へ連れていってよ」
リツコの言葉に、竜馬はすこし考えたあとにいう。
「エンペラーの戦いに参加するってことになるぜ。その意味、解ってんだろうな」
「もちろん。でも、私はあなたに必要としてもらえるなら、何だって耐えてみせる」
「……ある意味大したやつだな、おめえ。そこまでいうなら俺の側に居な」
「ありがとう。もし、あなたが来なければ、私はたぶん、陰惨な人生をたどるしかなかったと思う。流君……」
そこまで会話すると、店の方から将造が走ってきた。
竜馬とリツコが消えたことに気づいたのだろう。
おそらく二人を通した組員は、将造に絞られに絞られたに違いない。
拳をふりあげながら将造が叫ぶ。
「くぉらあっ!! 似合わんロマンスなんぞしよって、外に出よったらわざわざこもった意味がないじゃろうがバアタレ!!」
その言葉に、竜馬はいつものように「うるせえ、この野郎」と啖呵を吐きながら戻っていくと、リツコも肩をすくめて店へ戻ろうとする。
ただその途中で、ふと嫌な予感が頭をかすめたのを忘れなかった。
――なんだかみんな、ずいぶん良い方向へ向かっているけど、幸せの次に不幸がやってくるなんて、下手な詩歌のようにならないといいんだけど。
そう、思うのだった。