第三新東京市地下に広がる大空洞、ジオフロント。
その広大な空間を拠点とするネルフは、所有兵器たるエヴァを格納するためのケイジと呼ばれるブロックを、本部内に数カ所設けていた。
なおケイジとは、オリの意のことで、すなわちエヴァを拘束するための場所である。
格納でなく拘束という言葉を使うのは、すでに明らかになっているように、この汎用人型決戦兵器と称されるものは兵器ではあっても、無機物ではないからだ。
初号機は人類の始祖リリスの、それ以外は人類になり損ねたモノの始祖アダムのコピー体であり、彼らは有機体なのだ。
生物を機械でコントロールした兵器であるエヴァは、暴走への対処もしなければならないし、維持には相応の処置が必要だった。
このケイジ内ではエヴァを拘束するほか、通常、高濃度酸素水の一種であるLCLを満たすことで、その生体部品腐敗などを防いでいた。
それに対してゲッターロボ。
これはその名が示すとおりの機械で、動力源こそゲッター線という機械すらも自己進化させる超エネルギーであるが、器は無機物にすぎない。
それをLCLに満ちたケイジなどに置けば、まともな整備もままならないのはいうまでもないだろう。
だが、整備はしなければならない。
そこで、普段使用されている第七ケイジを避けて、LCLを排した第八ケイジを専用の格納庫にすることで、ネルフはゲッターの管理にあたっていた。
その第八ケイジに白衣に身を包んだリツコと、いつものボロのデニムジャケットとジーンズという服装の竜馬がいる。
二人はたたずむゲッターを見上げていたが、そのゲッターのカラーリングがいつもと違うようだった。
燃えるような赤色につつまれているはずのゲッター1は、闇のような黒に全身を塗装されて、全身の形状がわずかに変容していた。
その理由は。
サハクィエル戦にて、二度の大気圏突入をサポートも無しに単機で決行したゲッターは機体にダメージが蓄積しており、大がかりな補修が必要をとしていた。
ゲッターは機械としての頑丈さは極めて優秀なのだが(さしたる整備も無しに強力なシトとの連戦を行えるほどに)粗暴そのものといっていい竜馬の操縦に、さすがの耐久力も悲鳴をあげた。
この男は常人が使えば一〇年持つ物を、その半分か三分の一程度で壊してしまう。
ゆえに、ここにきてゲッターロボに対する知識が深まっていたリツコは、補修のついでに強化改造する案を竜馬に持ちかけたのだった。
それを竜馬は最初、改造する分ゲッター戦闘不能の時間が延びることを理由に断っていたが、あまりに必死にせがまれるので、面倒くさくなって承諾した。
結果は、竜馬自身も予想しえないこととなる。
そう。彼は改造されたゲッターの姿に記憶があったのだ。
「こ、こいつぁ……ブラックゲッターじゃねえか」
竜馬がいった。
全身が黒塗りとなったゲッターは頭部の意匠が大きく変容しており、菱形だった目はさらにガラの悪い三角となり、その中には赤く小さな瞳まで浮いている。
マントまで黒い。
アゴの部分には蛇腹になったマスクのようなものが装着されており、どこぞの悪役レスラーのような見た目は、非常に凶悪なものとなっていた。
ともかくも目つきが悪すぎる。赤い瞳の他、人間の白目にあたる黄色い部分もやや赤く血走っていたほどだ。
だがゲッターを禍々しい姿に改造した本人の感想は、まったく違った。
「ゲッターの改造は間もなく終わる。それにしても、なんて美しい……相手を破壊するためだけに特化した機能美。我ながら惚れ惚れするわ」
と、リツコは陶酔するような目でいう。
破壊に特化したの言葉に偽りなく、ゲッターの両腕に生えている三連の刃も巨大化してまるでゲッタートマホークの必要がなさそうに感じるほどだった。
その拳にも、鋭いトゲがメリケンサックをつけたかのように付いている。
格闘戦を重視しているのであろう。
リツコ案による改造であるが、竜馬好みといえた。
「よく短え間に、ここまで技術をたくわえたもんだ。やるじゃねえかリツコ。まあ変形機構を残したとこが俺のと違うが」
「えっ?」
「いや……なんでもねえ。こいつでまたひと暴れさせてもらう」
そう竜馬がいったときだった。
ふらりと珍しい人物が第八ケイジを訪れた。
「また、大胆な改造だな」
声の主は、ゲンドウだ。
シトを相手にしていないときや、私生活の様式は組織の人間もほとんど知らないこの男が、作戦中でもないのにケイジに訪れるのは極めて希なことであった。
彼はいう。
「結局、南極で槍は見つからなかった。これもゲッターによるシナリオの変動かね」
「俺は難しいことはわかんねえ。だが、あれは諸刃の剣だ……二つといらねえはずさ」
「まあ、な」
そういうと、ゲンドウは眼鏡のずれを直すと手袋ごしに目を一度こすって、再び竜馬をみた。
「流。一応、礼はいっておく……同時に詫びてもおこう。もしできることなら、シンジに道を示してやってほしい」
「そりゃあんたの役割だろうが」
「だが、私には」
視線をそらし、ゲンドウは迷いをみせる。
酒の席でいったように、まだ、息子に対する畏怖感が消えないのであろう。
それを竜馬が頭から抑えつけて無理矢理、己の方を向かせると貫くようにいった。
「まあ聞け。俺の親父は一岩といってな、ふざけた野郎だった。親父のせいでガキだった俺は死ぬような特訓の日々を送って、実際、何度も死にかけた。
だが、今の俺があるのは、そのおかげでもある。
別にてめえにそう振る舞えって言うつもりはねえが、自分の息子にすら怯えてる野郎に何ができるってえんだ。ちったあ気合入れろ」
そういう竜馬の目に貫かれるゲンドウは、しばらく言葉を失っていたが、やがて彼から離れるように一歩さがると、再び眼鏡を直していった。
「精神論だが……たしかに、それでなければ解決できない問題もあるな。その言葉は覚えておこう」
ゲンドウはきびすを返すと「失礼する」といって第八ケイジから退出していった。
そんなやりとりを交わした直後だった。
喋り終えるのを待っていたかのように警報が鳴り響き、アナウンスはシト出現の報をネルフ本部全体に伝えていく。
竜馬が勇んでゲッターに乗ろうとするが、側で作業にあたっていたメカニックをみて、まだ作業が終わっていないことを思い出す。
頭部のコクピットにぶらさがりながら叫んだ。
「ちっ……最近姿を見せなかったくせによ! あとどれぐらい掛かる!?」
「一〇分だけ頂戴!」
「急げッ」
竜馬が叫んだころ、同じくして第七ケイジのシンジたちも出撃準備に入っていた。
初号機、弐号機、零号機の各パイロットも、それぞれのエントリープラグへの搭乗も済んで、あとは地上へ射出されるのを待つだけだった。
「初号機、発進準備完了」
「零号機、準備完了」
「弐號機プラズマボムス起動。こっちゃいつでもいけるわよ、ミサト!」
「オーケー。今回は珍しく全機稼働してるわね……けど気をつけて。今度の相手はレーダーにも反応しないし、波長もオレンジ。シトとは認識されない相手よ。
けど、間違いなくシトだわ。第三新東京市低空を、微速で進行中……第九シト、作戦上のコードネームはレリエル。
能力が解らない以上、慎重に接触して。可能であれば市街へ誘導してちょうだい」
ミサトがいう。
彼女が見つめる司令部のモニタには、シマウマの柄のような球体がゴウゴウと奇妙な唸りをあげて動いている。
かつての第五シト、ラミエルを思い出させる異様さだったが、別に加粒子砲を撃ってくるわけでも無いし、どうも実体感のない敵であった。
まるで、蜃気楼でもみているかのようだ。
レーダーに反応しないというのもそれを裏付けているようであった。
が、目にははっきりと見えるわけだし、波長はセンサーに感知されるので、間違いなくそこに何かがいる。
「了解……早速、弐號機が役に立ちそうね。ところであの馬鹿は?」
「ゲッターは改造作業が終わってないの。出撃にあと一〇分は掛かる」
「なによ! 普段大口叩いてるくせに、肝心な時に役立たずじゃないっ」
「ぼやいても仕方ないわ。では、各機発進!」
ミサトの号令と共にエヴァ三機が地上へ吐き出されていった。
地上に出、すぐにリフトオフし初号機、零号機がビルディングのそびえる大地を揺るがして前へ踏み出す。
弐號機はリフトオフすると、右肩の直立コンテナに内蔵されたプラズマボムスの唸りと共にふわりと宙に浮き上がっていく。
どこがどうなっているのか、プラズマボムスによる稼働は同時にエヴァに空中を制す能力までをもたらした。
なお、號の表記は敷島が勝手に名付けたエヴァンゲリオン號という名称から、アスカがその文字を気に入ってそう呼称しているものであり、正式には弐号機・改の扱いだ。
弐號機はレリエルに感づかれぬよう、ビルの谷間をゆっくりと舞うように飛ぶ。
「こちら弐號機。先行して隊の目になるわ、弐號機からのデータをよく見て動いて」
「初号機、了解」
「零号機了解」
そういうと、アスカは弐號機を急浮上させてビル街の真上に飛び出ていく。
すぐに視界にゼブラ模様の球体が現れて、弐號機が身構えるが、レリエルはなにもしてこない。
アスカが眉をひそめる。
「こちら弐號機、おかしいわ。敵に動きがない……まるでこっちを誘ってるみたい」
「……仕方がない。初号機、零号機は待機。弐號機は空中から威嚇射撃して様子を見て」
「了解ッ」
ミサトの指示に従って弐號機が手に持ったパレットライフルを発射する。
レリエルはよけることもなく、劣化ウランの弾丸は全てが命中していった……が、命中したはずの弾丸は、まるでホログラムの映像でも撃ったかのごとく、レリエルをすり抜けてその後ろにあったビルを破損させただけで終わってしまう。
「な、なにそれぇッ……!?」
アスカが悲鳴をあげる。
だが、これでなにかを直感したように、
「シンジ、ファースト、下がって!! 嫌な予感が――」
叫ぶが、それと同時にレリエルが動く。
いや、消えた。
テレビモニタの電源を落としたかのようにふっ、と空間から姿を消すと、次の瞬間にはレリエルは後退しようとしていた初号機の頭上に迫っていたのだ。
「く、こいつっ」
レリエルの接近に焦るシンジは、その手に持った専用拳銃を連射して球体に攻撃を加えるが、やはり弾丸がすり抜けていってしまってダメージを与えられない。
と、レリエルがそれを待っていたかのように初号機に降下してくる。
シンジはそれから離脱しようとするが、しかし思うようにエヴァの足が動かない。
――なんだ!?
と思って足下を確認すると、道路があるはずの地がなくなり、真っ暗で巨大な影が広がりつつあった。
突然、足の下に巨大な沼が現れたかのように、その上のなにもかもが、黒い影の中に飲み込まれていってしまう。
シンジはあわてて脱出しようとするが、掴むものがなくどうにもならない。
「しまった……くそ、ミサトさんっ、あのゼブラ模様はフェイントです! 本体は、こっち……」
そういう間にも初号機の体が半分に埋まり、シンジの悲鳴があがる。
弐號機が跳んだ。
「シンジ!」
沈む初号機を救出しようとするが、この時点になってレリエルの球体からその子分のようなものが次々と飛び出して弐號機、そして零号機にまとわりついていく。
どうやら、子分の方には実体があるようだった。
「ちっ、邪魔よ、離せええっ」
「駄目、動けない……!」
その様子が作戦司令室のモニタにもはっきりと映っていた。
ミサトが狼狽する。
このような人知を超えた状態でどうしろ、とも言えるはずがなかった。
ただ、ひとつ希望になるものは。
「そうだ、ゲッターは!? まだゲッターは出られないの、第八ケイジにつないで!!」
「はい!」
ミサトの叫びにマコトが応答した。
すぐにモニタには第八ケイジの様子が映しされ、漆黒のゲッターの姿が浮かびあがる。
すでに発進準備は整っているようで、ゲッターの背には外が機体と同じ黒い、内が真紅に染められたマントがたなびいていた。
その呼びかけに応答したゲッターから通信が入る。
だが、モニタに映った人間は竜馬でもリツコでもなかった。
「ふ。出撃……」
そういうのは、いつもの黒い制服に身を包んだままのゲンドウであったのだ。
ミサトが飛び上がらんばかりの声をだす。
「い、碇司令!? なにやってんですかそんなとこで! こんな時にッ!!」
「非常時だ、私がベアー号パイロットをつとめる。敵は未知なのだ、ゲッターがフルパワーで稼働できる方が望ましい」
「し、しかし……」
言いよどむミサト。
そこへ竜馬が割り込んでくる。
「なんでもアダム喰ったから平気だとか、わけわかんねえこと抜かすから乗せた! おう、喋ってる時間はねえッ。ゲッター発進するぞ!!」
竜馬が叫ぶとミサトの返答を待たずに、ゲッターがケイジの天井を突き破って飛び上がっていく。
次から次へと内壁を破壊しながら、発進用エレベーターをも超えた速度でみるみる内に地上へ登り上がって地上から空中へと突き抜けて躍り出た。
すでに初号機は完全にレリエルの球体の下部に広がる、黒い影に飲み込まれて周辺のものと共に消え去っていた。
竜馬が叫んだ。
「アスカぁッ、俺は影に突入する! その間きっちり仕事してやがれ!!」
その言葉に反応し、弐號機がぐっ、とその首と四ツ目をゲッターへ向ける。
同時にアスカが悲鳴のような応対を示した。
「戻れる保証もないのに、なに馬鹿いってんのよおっ!! 馬鹿竜馬!!」
「うるせえ赤猿! 穴があったら突っ込むのが男ってもんだろうがっ」
そういうとゲッターは一度上空へ跳ね上がってから影に向かって急降下していく。
「へっ、また京都に行っちまうかもな!!」
叫ぶと同時に、ゲッターが水面に落ちた鉄球のような勢いで黒い影の内に突入して消えた。
「げ、ゲッターロボ……ロスト」
その様子をシゲルが報告する。
「バカな……」
冬月がうめいた。
だが、まだレリエルの子分が残っている。
ミサトが我に返ると、再び指示にはいった。
「レイ、アスカっ。とにかくそいつらをなんとか振りほどいて離脱してっ」
「今やってるわよ!」
弐號機がまとわりつく一体を両手で絡め取ると、そのまま力任せに握りつぶす。
ばしゃっ、と赤い液体が散って砕けた。
やはり生物なのは確かだったようだ。
さらにまとわりつく他の子分をふりほどき、弐號機は零号機の側へ飛んで首を引っつかむと、子分共を払い落としながら離脱する。
感覚をダイレクトに受けるレイが苦しんだが、それを気にしている余裕はない。
さらに飛び、零号機を回収ポイントの上に落とすとシャッターが開いて回収されていった。
「ナイス、アスカ! あなたも早く後退して」
ミサトがいうが、アスカはまだ引かない。
「駄目よ。この子分共をなんとかしないと、ジオフロントまで追ってくるわ」
そういうアスカが子分共を引きつけながら弐號機を天高く舞い上がらせ、全身を蒼く発光させはじめる。
すれば右肩に内蔵されたプラズマボムスがひときわ大きな唸りをあげていき、ついには電光が弐號機の体を走りはじめた。
両腕を大空へぐわりと振り上げると拳が大きく開き、そして掌と掌の間に空間を揺るがす放電が発生していく。
その状態のままアスカが叫んだ。
「プラズマサンダーッ!!」
それと同時に、弐號機はのけぞるように振りかぶってから、弾けるような勢いで両の腕を迫る子分共に向かってつきだす。
瞬間、いかづちの轟音と共に空気を裂いた稲光が敵に迫り、子分共を瞬時に消し炭と化しながら本体のレリエルをも貫き、残ったエネルギーが周囲のものを破壊しながら爆散していく。
飛び散る街の破片が上空から降り注ぎ、それを防ぐために弐號機はA.Tフィールドを展開するほどであった。
まるでゲッタービームの掃射を見ているかのようだった。
だが、爆発が収まるころになっても、レリエルはいまだ健在であった。
どころか、何らプラズマサンダーの影響を受けていない。
物質による攻撃は通用しない、ということであろう。
加えてレリエルの攻撃手段は本体に見せかけた球体でのフェイントと、影とみせかけた本体での飲み込みときている。
脅威の相手だった。
幸いなことはレリエルに、これ以上の追撃を行う様子がないことのみである。
プラズマサンダーで大量のエネルギーを消費した弐號機も活動限界が迫り、これ以上の戦闘は不可能であろう。
「アスカ、本当によくやってくれたわ。今度こそ後退よ」
「うん……でもミサト。こういう時は後退じゃなくって転進っていってよ! 弐號機、転進します!!」
弐號機がいそぎ回収ポイントに向かう。
場は、沈黙に包まれるのだった。
・・・
「ここは――」
ふと、シンジが目を開ける。
レリエルの影に飲み込まれてからどれほどの時間が経ったのか……それすらも解らなかったが、ともかくも自分は生きている。
シンジは周りをみた。
プラグ内に居るのは確かだったが、周りはなにも映っていない。
「……」
シンジはそれを確認すると、ネルフ本部との通信や、ソナーによる探知を試みるのだがどれも効果を成さない。
「どうなってるんだ……」
困り果ててつぶやいた。
それは誰も答えてくれるのことのない疑問……の、はずだった。
しかし。
「ココハ、別宇宙ヘノ扉デモアル場所」
何者かの声が、初号機のプラグ内に響いてくる。
だが通信機器によるものではなくシンジの頭の中に、直接響いてくるような声だった。
「誰!?」
シンジが頭を振ってプラグの中を見渡すが、狭い空間だ。
なにかが発見できるはずもないし、映される外界はあいかわらず黒一色だ。
そんなシンジをあざ笑うかのように声はつづいた。
「ボクハ、レリエル。碇シンジ、君ニ知ッテモライタイコトガアッテ呼ンダンダ」
「シトに……言葉を使う知恵があったの」
「シトモ色々。目的モ様々。ボクノ目的ハ君二、ゲッターノ真実ヲ知ッテモラウコト」
「ゲッターの……わかってるよ。ゲッターは時天空を倒すための兵器。時天空を倒さなければ、僕らのやってきたことは全てに無駄になってしまう。だから僕は……」
「ダガ……コレヲ見テモ君ハ、ソウイッテイラレルカナ」
「うわあっ……!!」
その会話を境に、シンジの目の前が白く光りはじめる。
あまりのまぶしさに何も見えなくなってしまい、しばらく目を閉じたままどうすることもできなかった。
やがて、開けてきたシンジの視界に、なにやら赤黒い色が映っていく。
最初それはぼんやりとしか見えなかったが時間が経つにつれてはっきりとしていき、次第に知覚できるようになった。
気づけばシンジはエヴァのプラグから降りていた。
いや、エヴァそのものがどこかへ行ってしまっている。
そして自分が、腰の位置にまで液体に浸かっているのに気づく。
その正体は、
「うっ……! 血だ……これ、血の海が……うぐっ」
むわっ、と吐きたくなるようなほどに強烈な血の鉄分の臭いがシンジの鼻孔に充満して脳を刺激する。
視覚にもどす黒い血液がプラグスーツを染め、引き上げた掌からぼたぼたと、それがしたたり落ちていく。
シンジはたまらず胃の中のものを全て外に戻してしまう。
今朝に食べたトーストから、飲んだコーヒーまで全てが混ざったものというものを、吐き出してからシンジは顔をゆっくりとあげる。
辺りを見回した。
すれば、永遠にどす黒い血の海がつづき、その水平線ならぬ血平線がみえた。
見上げれば、黒い太陽がそびえて空は不気味なほどに赤く夕焼けしている。
「何もない……なんだよここ、血の海がどこまでも続いてる」
発狂しそうになる朱一色の世界にくじけそうになるが、シンジは脳裏に竜馬の顔を思い起こした。
想像の中の竜馬は、血の海よりも恐ろしい形相をして自分を睨んでいる。
(あ、あいつより恐いものが他にあるもんか)
人でもない物に負けてたまるか、と勇気をふるいおこして前へすすむ。
だが粘性のある血液が進む脚にからみつき、足からつたわってくるのはコケの生えた石の上をあるいているような感覚だ。
思うように前へ進めない。
「くそっ……」
シンジが呻く。
だが、そうこうしていると遠目になにか物体が蠢くのがみえた。
「なんだ」
目をこらしてそちらを見る……すると。
「あ、あれは、僕……?」
シンジの見る先に、ぽつん、と学校のワイシャツとスラックスに身を包んだ自分がうつむき加減で立っているのがみえた。
むろん、白いはずのワイシャツは血に染まってそのままの色へと変貌している。
とにかく物体が見えたことでシンジはそちらへ歩を進めるが、やはり血に足をとられてなかなか前へ進まない。
それでも気力のままに前進していくと、ある程度近づいて大きく見えるようになったところで、血の海の中から誰かがはい上がってきた。
それは……
「ミサトさん」
髪までも血にまみれているが、たしかにミサトであった。
一糸まとわぬ姿でいることにシンジは血の海にいることも一瞬わすれて赤面する。
だがミサトは突如、悪鬼羅刹のごとき表情に顔を歪ませると制服のシンジに腕を振り上げて襲いかかっていく。
プラグスーツのシンジが、あっ、と思った瞬間だった。
しかしうつむいていた制服のシンジはとっさに顔をあげるとミサトの手をはらい、片腕でその首を鋭く掴みあげると、凄まじい力でつり上げていく。
ミサトは苦しそうに抵抗するが、力が違いすぎてどうにもならないようだった。
「な、なにをしてるんだッ……やめろっ!!」
シンジが止めようとするが、ある程度近づくとどうやっても進めなくなってしまう。
さらに制服のシンジは残りの腕をすっ、と引っ込めると貫手をミサトの下腹部に放つ。
それは彼女の肉を裂いて貫き、さらに腕をぐるりとねじってまわしながら引き抜き、途中で中の腸を引きずり出してしまう。
すでに、ミサトは絶命していた。
制服のシンジはミサトの骸をどこかへ放って、血の海に沈める。
そして、手に残った腸に喰らいついて瞬く間に噛みちぎり、一部をその胃へと収めるとあとはさきほど持ち主にやったと同じように、放って捨てた。
その様子を黙ってみているしかなかったシンジが震えている。
怒と哀の感情が高ぶって彼を支配した。
「よくもミサトさんを……ッ!!」
そう叫ぶと、制服のシンジがこちらへ気づいて首を曲げた。
顔には薄ら笑いが張り付いていた。
彼は、静かに口をひらく。
「ようこそ、僕。気に入って貰えたかな、この世界は……」
と、自身とまったく同じ声で話しかけてくる。
それに嫌悪感を感じるシンジが、激高して、
「ふざけるなあっ!」
叫ぶが、もう一人のシンジは相手にならない。
ふっと鼻でわらうと、血にまみれた指をぺろりと舐めていった。
「だって……これが僕たちの望んだ果てにある世界じゃないか。ゲッターと共にあるという未来を選んだ、僕たちの」
ケタケタと笑う。
さらに彼はつづけた。
「君は流竜馬と出逢ったことで運命を変えた。だけど、その変わった運命は変わる前の運命よりも、もっと残酷で血なまぐさいものだった。
この血の海は進化のために、ひたすら殺し合いを続ける人々の流した、膨大な血だまりさ。これがゲッターに関わった生命の末路だ」
「そんな……」
「嫌なの?」
「嫌だよこんなのっ。だって……地獄じゃないか、これじゃあ……」
シンジは血まみれの手でその頭をかきむしる。
血が髪にまとわりついて、まだらに赤く染めていく。
そんなシンジをみながら、もう一人の制服のシンジが、つぶやくようにいう。
「そう。なら、また未来を変えればいいんだ。流竜馬がやったようにね。
まだ間に合うよ……今から運命の歯車を元に戻して人類補完計画を発動させれば、僕らはLCLという一つの生命になって安息の時が得られる。こんな地獄で苦しまなくても済むんだ。そのためには、流竜馬を抹殺しなきゃならない」
誘いかけるかのようにいう。
シンジはしばらく目をつむって思考したが、やがて、
「……だめだ」
といった。
それを受け手制服のシンジの顔が歪む。
「酔いどれ亭でみんな約束したんだ、人類補完計画は阻止するって。それに竜馬さんは地獄のような未来を変えるためにゲッターエンペラーも支配するって言っていた。
だまされないぞ、お前は僕じゃない……レリエルだな。この世界も幻覚だ」
毅然といった。
さらに表情を歪ませる制服のシンジがはあ、と大きくため息をひとつつく。
次の瞬間、瞳の中の黒目が猫のように細まった。
うっ、とそれを見たシンジが息につまる。
制服のシンジは、その細い黒目でシンジを睨み付けながら無表情にいった。
「やれやれ……ゲッター線に触れた人間は、みんな意思が強くなって困るよ。本来の君はか弱く、シャボン玉のような儚い子だったはずなのに」
「なにっ」
そういうと、制服のシンジの姿がぐにゃりと崩れて球体のレリエルに変わる。
はっ、とするシンジ。
と同時に視界が一気にプラグ内のものへと戻っていく。
「やっぱり幻覚だった……くそ、僕を元の世界に返せ!!」
「ドノミチ、エンペラー二感ヅカレレバ終ワリダ。シカシ、人類補完計画ノ要デアル君ヲ手放シハシナイ。碇シンジ」
その言葉と共に、シンジの足下を何かがカサリ、とうごめいた。
一方、同じ時刻に黒い影に飛び込んだゲッターは、凄まじい速度で影の底を飛んで進んだがいくら行っても暗闇が続くのみで何もない。
たまりかねて竜馬が怒号を発した。
「どこだここは!? シンジの野郎はどこにいきやがったぁッ!!」
その叫びに、ジャガー号のリツコが答える。
なにか思い当たるフシがあるようだった。
「いや、そんなはずは……でも、あるいはディラックの海。流君、ここは負のエネルギーが無限につまった空間で理論上は……」
「俺のわかるように言え! いけどもいけども果てがねえってこたあ、異次元なんだろ。
敵も味な真似しやがる……だが、これなら規模のことを考えなくていいわけだからな、こっちも遠慮しねえぜ! 来やがれエンペラーッ!!」
竜馬がゲッターエンペラーを呼んだ。
すれば、突如としてブラックゲッターの視界が真っ赤に染まり、いままで暗闇だったはずの空間がみるみる内に赤だけの空間となっていく。
リツコもゲンドウも、なにが起こっているのか理解できなかった。
それも無理はない。
竜馬は、今このとき一つの宇宙と同じだけのサイズに進化したエンペラーを、無限空間へ呼んだのだ。
無限なだけにエンペラーがはみ出してしまうことはないが、人間の知覚力でその大きさを測り知ることなどは到底、不可能なことだった。
ただ、その体色である赤の色が視界の全てとなっていくだけである。
竜馬がいう。
「リツコ、ゲンドウ。もはや目など役にたたん、心でエンペラーをイメージしろ」
「イメージだと」
「ああ。目を閉じてエンペラーの事を考えろ。そうすりゃ心で空間を見ることができる」
なにをいっているか解らない。
今度はリツコとゲンドウが「我々の解るようにいってくれ」と叫びたくなったが、ともかく今はいわれたままに目を閉じて、エンペラーが無限の世界を往く姿を想像してみる。
すると。
「こ、これはッ」
「すごい。流君のいっていた、ゲッターエンペラー……なんて途方もない」
二人の脳裏に、エンペラーのイメージが流れ込み、その存在を知覚させていく。
見えたものはゲッターロボの顔。
それもとてつもなく巨大で、それのみで宇宙すらも飲み込むほどの大きさの、ゲッターロボの顔だった。
だが人間は対比物がないと、対象の大きさを判断できない存在だ。
だからエンペラーは彼らのイメージのなかに、宇宙を風船にたとえて、そのなか一杯につまった状態の自分を想像させた。
さらにその風船をやぶり、別の世界にまで浸食するイメージだ。
「エンペラーの力でシンジを探す。すでにシンジはゲッターの記憶と共にある、どこにいようとこの繋がりさえあれば、必ず見つけ出せる!」
「……まさか、シンジをゲッターに乗せたのはそのためか」
「それだけじゃねえ。感じてみろ、エンペラーと共にある存在を」
「むっ」
そうすると、果てしないエンペラーの側に同じように宇宙を破裂させて進む紫色の、なにかがイメージされる。
考えてみれば、それはエヴァ初号機と同じ感覚であった。
初号機は大口をあけ、つぎつぎと宇宙を飲み込んでいく。
「これは……エヴァだと」
「そうだ。これはエヴァの果てにある可能性の一つに過ぎないが、少なくとも人類補完計画を切り抜ければこの世界にも、無数の未来が生まれる。
だが、それにはシンジに生きる意思がどうしても必要だ。見ろ、すぐにおぼろげになっちまう。野郎に何か起きてるんだ」
「見つかったのか」
「ああ。一定の方向にシンジの存在を感じる。いくぜ!!」
そういうと、ブラックゲッターが赤の空間を突き抜けて飛んだ。
すぐにそれは真っ暗闇へと戻るが、しかし、その中に一点だけ光る場所があるのが見えてきた。
「あれだッ」
竜馬がいった。
瞬く間に近づいていき、初号機の姿が見えたかと思うとすでにゲッターはそれを抱きかかえるようにして飛んでいた。
初号機は、まるで胎児のように丸まっていた。
ゲンドウが呼びかける。
「シンジ!」
だが反応はない。
すかさず竜馬がさけぶ。
「とにかくここから出るぞ、もう一度エンペラーを呼ぶ!」
「待って」
と、リツコが竜馬を止める。
あまり余裕のない状態で水を差されたようになった竜馬が、不機嫌に「なんだ!」と応えるが、リツコは躊躇なくいった。
「私をエンペラーに預けて。呼んでいるのよ、来いって!! あれはずっと私にささやき続けたゲッターの声だわ!」
エンペラーが呼んでいる。
それを操るはずの自分ですら聞かなかったゲッターの声を、リツコが聞いた。
こんな空間でウソをいう意味はないし、エンペラーも何の意味もなく彼女を呼ぶはずがない。
竜馬はわずかな思考時間の後、腹部のジャガー号のハッチを開放した。
それをモニター越しにリツコが見つめている。
眼が、透き通っていた。
「必ず戻るわ。約束する」
「ああ」
そういうと、再び視界は赤で一杯になる。
エンペラーが来たのだ。
リツコはコクピットからプラグスーツ姿のまま飛び出し、やがて赤い空間に吸い込まれ消えていった。
「よし、俺たちも戻るぞ」
リツコがエンペラーへ行ったのを見送ると、竜馬は気を取り直して操縦レバーを握る。
そんな彼に、今度はゲンドウが語りかけてきた。
「……すっかり、リツコ君は君と心が通じているようだ」
彼女の親の代から利用するだけの愛人とした者に、ついに愛想をつかされた。
ゲンドウは、自嘲めいた表情でそういったのだ。
だが、竜馬は中年のそれなど相手にしない。
「ぐだぐだ言ってんじゃねえ! 悪いと思ったなら土下座でもして殴られとけ!」
それだけいうと、あとは「帰るぞッ」といってレバーを倒した。
すれば、赤い空間が一瞬、ねじれたかと思うと瞬時に光が広がり空間を突きぬける。エンペラーの力が、レリエルの空間に作用したのだ。
やがて青い空が見えてきた、次の瞬間。
ぶわっ、とどす黒いものがゲッターの頭から降りかかってくる。
無限空間をレリエルごと切り裂いて、その球体の内部からゲッターと初号機が再び第三新東京市の上空に現出していく。
レリエルの空間は影が入り口で、球体が出口だったのだろうか。
外からは攻撃が通じなくとも、内部は別だというのであろうか。
それらは、結局わからずじまいだったが、ゲッターはレリエルの血しぶきを撒き散らしながら第三新東京市を赤く染めていく。
「げ、ゲッターロボ出現! 初号機も健在です。で、でも、うう、うぇぇっ……」
と、その様子を直視するマヤが血まみれのゲッターの姿に耐えきれず、椅子をずらして屈むとコンソールにかからないように、胃液を戻していた。
他の人間も、唖然としている。
初号機が影に飲み込まれ、ゲッターがそれに突入していったと思ったら、そのあと大した時間も掛からずにゲッターは球体の方から初号機をかかえて現出したのだ。
「なにが、どうなってんの……?」
だれも解るはずもなかった。
ゲッターが初号機をゆっくりと地に降ろす。
「とりあえずシトはぶっ潰せたか……シンジ、生きてるだろうな」
竜馬が初号機に通信を試みた。
すると、意識は回復していたのであろうか。反応があって、竜馬のイーグル号のモニタに彼の顔が映った。
それは少し生気の欠けたような表情であったが、たしかに彼は生きていた。
シンジが答える。
「……ええ。大丈夫、です。竜馬さん」
その姿はむろん、ゲンドウのベアー号にも映っていた。
「シンジ」
と、彼も呼びかける。
「大丈夫だよ。父さん……助けに来てくれたんだね。でも、もう大丈夫」
その声と共に、初号機が起き上がって街のエヴァ回収ポイントに向かって歩行する。
はっきりとしない結末だが、一段落ではあった。