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Last-modified: 2008-07-07 (月) 20:07:35

・・・

 

 深い暗闇の中で、五人の醜悪なる老人が立ち並んでいる。
 彼らは巨木ほどもある大きさの、中に橙色の溶液が満たされたカプセルを取り囲むようにして、なにやら詮議にふけっていた。
 彼らこそが今まで打倒されるべき存在と目されてきた、ゼーレの幹部達である。
 その内の一人で、もっとも年かさに見える、肥えた老人がいった。

「あの流竜馬という男が来てからというもの、我々のシナリオは狂いに狂った」

 機械仕掛けのバイザーのようなものを着けていて、その目の色をうかがい知ることはできなかったが、歪む口元は彼が不機嫌であることを知るに十分だった。
 さらにその言葉に、他の老人達も連鎖する。

「そう。もはやシナリオも何もあったものではない」
「修正は不可能といっていい」
「ゲッターの出現、碇とネルフの行動、鈴の裏切り、チルドレン候補の全滅……すべて予定外の出来事だよ」
「これ以上だまってみている訳にはいかん。我々は人類補完計画を遂行せねばならぬ」

 と、口々にわめきたてはじめた。
 彼らの信奉する、この世の歴史の全てがつづられたという「裏死海文書」に書かれていない内容の事件が次から次へと起こったのだ。
 ゼーレに大きな焦りが生じ始めていた。

 

 もっとも、たかが古びた本の一冊がこの世の在り方をすべて記述していて、それに従って人間がうごくなどというのは滑稽な話で、そこに書かれていないことが現実に起きることは当然と考えるのが普通だ。
 だが旧約聖書……すなわち、ユダヤ教の聖典を妄信しすぎて、内容を自分たちの都合のいいようにねじ曲げて理解するほどの彼らは、文書こそがこの世の全てであり、その内容を実行する自分たちこそは人類の導き手だと思っていた。

 ゼーレの老人たちは、その計画を無理にでも進めるためにみずからシナリオを変更して人類補完計画を推し進めることを考えていた。
 もはやその時点で、彼らの信奉する文書に何の効力もないことが実証されているようなものだが、それを決して認めようとはしない。

 

 ――ひたすらに人間は神に懺悔せねばならぬ。

 

 それだけが老人達の考えることだった。
 むろん世を生きるにあたって、人が宗教の力を借りることは健全なことだ。
 不毛の大地に、裸一貫で投げ出された人間の心は、なんとも弱いものである。
 そこで己を大きく超える神という存在を創造し、それに付き従えば幸せが訪れると考えることで、あらゆる困難に打ち勝てるのなら、これ以上の健全はない。

 だが、やがて困難に打ち勝って豊かな生活を手に入れたあとも、なお、自分たちの考えたぐう話に囚われてして思考停止するのは、愚かの極みといっていいだろう。
 人間は地球の生物において最も高い知能を得たが、それにおぼれた者の行動原理など、昆虫以下と成り下がるのである。
 だが、彼らがそれに気づくことは永遠にないだろう。

 例の機械のバイザーをつけた老人が、カプセルに手をやり、その中に浮かぶ、銀髪の少年の姿をみつめる。
 その少年はあごが鋭く目鼻立ちは整い、その肉体の彫刻のようなしなやかさは、ほとんど天使といっていいほどだった。
 それを裏付けるかのごとく、

「そろそろ……我々の切り札に目覚めてもらおう。タブリス、我々のシナリオの要よ」

 そういうと、反応したのかタブリスと呼ばれた少年が閉じたゆっくりと目を開く。
 さて、ここでこの物語最後の人物紹介をしよう。
 彼らがタブリスと呼ぶこの少年……もう一つの名を、渚カヲルという。
 今後は、彼をカヲルという名称をもって呼称することにする。

 

 生年月日二〇〇〇年、九月一三日。セカンドインパクトと同日とされているが、これはいつわりだ。
 それ以外の経歴は一切不明。
 おそらく、その本当の年齢は人間など、とうにおよばぬほど、永い悠久の時を生きながらえてきた存在であろう。
 彼はアダムより生まれし最後の子供、最終シトである。
 様々なシトに特殊能力があったが彼のもつ能力とは、アダムおよびリリスのコピー、つまり、エヴァを自在に操ることができる能力だ。

 ゼーレは彼を初号機に、そして残り一二体のエヴァにダミープラグを用いて、人類補完計画の儀式を行う腹づもりであった。
 だが、それにはまだ、倒さねばならないシトが三体残っている。
 それも裏死海文書に書かれたことらしいが、ゼーレは思いのままならないネルフを切って、カヲルによって残りのシトをせん滅、計画を実行する予定だった。
 本来、彼の出番はネルフによってすべてのシトが撃破された後の出来事だったはずなのだが、ゲッター出現からはじまったシナリオの狂いがが、ゼーレの行動を早めた。

 また渚カヲルというのは、ネルフに潜入して最終的にはエヴァを奪取するまでに用いる偽名でもあった。
 すでに彼の戸籍情報は上の生年月日をもって登録され、最後のチルドレンとしてネルフに配属される予定が決まっているのだ。
 いわば刺客である。

 

 カプセルの中に浮かぶ、裸体のカヲルを前に老人達がぶつぶつとつぶやいている。
 異常な光景であった。
 しばらくそのままだったが、やがて、それを戒めるかのごとく、音もなく彼らの背後に近寄った影から嘆息がもれた。

「はあ……これが最後のシトか。結局、行き着く先は人間とは……所詮は太陽系の生物。他愛もない」

 と。

「何者だっ!!」

 侵入者に五人の老人達がいっせいに振り向いた。
 そこにいたのは、

「しょ、初号機パイロットが、なぜここにいる!?」

 シンジだった。
 片腕を失ったが、なおも残った腕で警備についていたのであろう、人間の頭をわしづかみにして、たたずんでいたが、ふと頭をわしづかみにした方の腕を掲げると、その掌に力をこめはじめた。
 めり、と指が肉に食い込むと内部に残っていた血液が噴き出していき、そのまま頭がい骨ごとぐしゃりと砕いてしまった。
 肉に脳漿、頭骨、頭の中を構成する物質があたりに撒き散らされる。
 シンジが手にまみれたぬとつく赤黒い液を、自分のワイシャツにごしごしとこすりつけて落とすとワイシャツがその色に染まった。
 やがてぽつり、という。

 

「あなたたちの人類補完計画を、さらに補完してあげようと思った来たんです」
「……なんだと」
「人類は神に懺悔する必要はない……だが、生命のスープとなってひとつの生命体に変わ
るのはいいことです。なぜなら」

 といいかけて止まったシンジは、切り落とされた方の片腕を老人達の方へ向ける。
 すると、その切断面が波打つようにうごめいて、将造に襲いかかったのと同じ甲殻類のような物体が連なって老人達に襲いかかっていくではないか。
 それは老人達の体にまとわりついて、あっというまに全体を埋め尽くしていく。
 あまりのおぞましさに、彼らは声にもならない悲鳴をあげる。

「それが僕たちにとってもっとも、都合がいいから」

 シンジは五つの人間だったものを無視して、カヲルの入ったカプセルを見上げた。
 彼は、その眼をかっと見開いてシンジをみつめている。今、起こった出来事をすべて見ていたのだろう。その口を半開きにしていた。
 シンジが再び失った方の腕を掲げる。
 すると、今度は一瞬で骨が再生してその周りに肉が巻き付くように生えていき、瞬く間に再生してしまう。
 それを唖然と見ていたカヲルにシンジはにこり、と笑いかけるのだが、その表情のまま、突然カプセルに殴りかかる。
 ごんっ、と鈍い音が暗闇にひびきわたった。

 

 破壊するつもりのようだった。
 一撃で割ってしまう事はできなかったが、もう一発、さらに一発と殴りつけるとカプセ
ルは全体にヒビを走らせて、橙色の液を漏らし、そのあと一気に砕け散った。
 あふれる液体と共に、カヲルがカプセルから解放されていく。
 彼は驚くべきことにふわりと空に浮くと、後ろっ飛びにシンジから間を取るように離れて、ある程度距離をおく。
 濡れた銀の髪をかきあげながら、静かにいった。

「……やあ。予定していたよりも早い出会いだね、碇シンジ君。いや、今は名もなき宇宙からの侵略者か。僕に、なにか用かな?」

 その言葉に、シンジは目をつむった。
 そして「んんっ」と喉を鳴らし、

 

「ガンガンガンガン、若い命が真っ赤に燃えて~♪」

 

 と、妙にハイテンションな唄を唱いはじめるから、カヲルは面食らい、おもわず両手をだらりと前にたらしてしまう。
 するとシンジは唱うのをやめ、笑顔でいった。

「歌はいいねえ、リリンの生み出した文化の極みだよね……そう思うでしょカヲル君」
「それは僕が言いたかったよ……でも、すでにその名を知っているとは意外だな」

 渚カヲルの名を知る者は、現時点でゼーレ以外にあるはずはなかった。老人達はシンジの前でその名を一言も漏らしてはいないし、タブリスを渚カヲルとしてネルフに配属する計画も極秘裏に行われていたのだから。
 ゼーレのスパイを続けていた加持ですらも、まだその核心までには至っていない。
 だが、シンジは、

「僕たちは個にして全。そこの年寄りから聞いたんだよ、たった今ね」

 老人達の記憶とも同化したという。
 それにカヲルが眉をつりあげた。

 

「インベーダー……レリエルとバルディエルを喰い、なお僕やリリンすらも食い尽くそうというのか。どん欲だね」
「喰う? それは違うよカヲル君、より優れた生命体が宇宙の覇者となる。それは他の生命体と戦うことなく同化できる、我々インベーダーにこそ相応しい。喰うのではなく一つになるだけさ」
「同じことじゃないか。でも、これをみて確信したよ……そこの死体共がなにを思ってもリリンの力は宇宙に必要だってことを。
 自分で進化することも忘れた君たちのような寄生虫を消し去るためにもね」
「寄生虫よばわりとは……ずいぶんだなぁ、カヲル君。でも、すぐにでも僕たちのすばらしさは理解できるようになる」

 そういうと、シンジは含み笑いと共に空を飛んだ。
 彼は人類補完計画に必要なカヲルを同化し、インベーダーの仲間に引きずりこむつもりだった。
 瞬時にカヲルへ寄って腕を伸ばすと、しかしカヲルもその腕を振り上げてA.Tフィールドを発生させ接触を拒む。
 それを見てシンジがまた嘆息した。

「さすがシト。そのサイズでもこれだけ強力なA.Tフィールドを展開できるんだね」
「A.Tフィールドは心の壁……誰だって持っている。悪いけど君たちインベーダーは好意に値しないんだよ」
「それはどういう意味?」
「嫌いってことさ」
「じゃあ無理にでも好きになってもらおうかな」

 というと、シンジはかつてゲッターロボがサキエルにやったように、カヲルの展開するA.Tフィールドに腕を突っ込むと、力任せにそれを引きちぎりはじめる。

「くっ……」

 

 カヲルの表情が歪んだ。
 彼の想定以上に、インベーダーと化したシンジの力が強大だったのだ。
 必死にA.Tフィールドの強度を維持しようと力むが、じりじりとフィールドをこじ開けられていく。
 カヲルの白い肌に、玉のような汗が滴り落ちる。
 さながら相撲でもとっているかのような勢いだったが、やがて軍配はシンジにあがる。

 ある程度までカヲルのA.Tフィールドをこじあけると後は、せきを切ったかのような勢いで完全にフィールドが破られてしまう。
 カヲルにシンジの魔の手が迫った。
 とっさにカヲルはその手を払おうとしたが、それがまずかった。シンジに触れた瞬間、掌に激痛が走る。
 しまった、と思った時には遅い。
 痛みにひるんだ隙をつかれて、カヲルは腕を掴まれてしまう。
 シンジがニヤリと笑った。
 その細い指先が針のように鋭くなると、腕の肉に食い込み、血がにじんだ。その部分がざわざわとうごめき始め、カヲルの肉体が浸食されていく。

 

「うぐ……ッ」

 カヲルが、全身を締め付けられるような苦痛に呻く。

「……シトもヒトも、インベーダーと一つになる。それが最良の選択なんだ、カヲル君」

 シンジが怪力でカヲルをぐいっと引き寄せ、額と額が接触するほどの距離でカヲルの眼を覗き込んだ。
 カヲルに映ったシンジの眼は、濁って何の生気も感じさせなかった。
 見たくない、とばかりに目をつむる。

「残念、ここまでか……だけど、今の接触でわかったよ。君たちはゲッターエンペラーをそしてエヴァ終号機を異様に恐れているね。それが恐いから今、その主が庇護下を離れた時を狙って同化しようとしてきたわけだ。無様だよ。
 リリンは無限に進化していく。寄生しなきゃなにもできないインベーダーごときが敵う相手じゃないよ。僕を同化したところで、彼らは止められない」

 罵るようにいった。
 カヲルの言葉にシンジはしばし止まったが、やがて、

 

「……黙れ」

 

 と、竜馬やゲンドウあたりが喋ったのではないかと思うほど低いを声をだすと、口を大きく開ける。
 そして中からカサリと何かがうごめいたのが見えると同時に、シンジが食らいつくようにして己が唇で、カヲルの口を塞ぐ。
 と同時にシンジの喉が異様なまでに波打ち始めた。インベーダーが流れ込んでいるのだろう。
 これにカヲルは、

「うぅっ」

 弱々しくうめいた。
 しばらくそのままだったが、やがて喉の波打ちが止まるころになると、反応が鈍くなっていく。
 それを確認したシンジが、掴んだ腕を放して彼から離れる。
 すれば、支えを失ったカヲルがその場にどさりと倒れ伏した。
 シンジが無表情でそれを見つめていたが、倒れたカヲルはぶるりと震えて反応を示したかと思うと、両腕で地面をつかみ、むくりと顔を上げる。
 が、その眼は、シンジと同じように濁っていた。

「じゃあいこうか、カヲル君」
「うん、そうだね、シンジ君……」

 カヲルが、不気味に笑った。

 
 

七、流転

 

「結局、シンジ君は行方不明、か……リツコも戻ってこないし」

 と、自宅マンションで酒をあおりながらいうのはミサトだった。
 例の学校壊滅のあと、ネルフ本部にもどったアスカ達の口からゲンドウをふくめてネルフの職員は事のてん末をすべて聞かされていた。
 その中でも、一番ショックを隠しきれないのは誰在ろう、ミサトだった。
 彼女はシンジとの共同生活を続けていく中で、いつしか彼の保護者であるかのような感覚を心の内にかかえていた。
 母性、というものであろうか。

 だが、ミサトはシンジの危機に瀕してなにをすることもできなかった……激しい後悔の念が襲いかかる。
 実際は彼女の力では到底およばぬことで、何らかの行動に出ていたとしても、それがシンジを救うことにはならなかっただろう。
 しかし、そう簡単に割り切れるものではない。

 

 少なくとも、葛城ミサトという女には、割り切れないことだった。
 テーブルの上にいくらか置かれたつまみを時々口にしながら、大酒をあおるミサトは、うわごとのように先の言葉を何度も繰り返す。
 テーブルの下ではペンペンがエサのイワシを丸呑みにしていた。
 その向かいに座っているのが、竜馬とアスカである。

「ミサト、飲み過ぎだ」

 無愛想に竜馬がたしなめた。
 それが気に障ったのだろうか、ミサトは目をつりあげると竜馬にくってかかる。

「なによッ!! もとはといえば、リョウ君がしっかりシンジ君を見てないからあんなことになるんじゃないっ。彼を守りに来たって、一番最初に言ったのはウソだったわけ!?」

 

 と、ミサトは酔いの勢いも手伝い竜馬に喧嘩をもとめるかのように叫ぶ。
 だが喧嘩っ早いはずの竜馬は、その挑発に乗らない。

「言い訳はしねえよ」

 と、一言いうとつまみを掌一杯にかっさらう。
 そのまま口に放るとろくに噛まず飲み込み、腕を組んで椅子にもたれ掛かると、後は黙ってしまった。
 気まずい沈黙が流れる中、アスカが無言で椅子から下がる脚をぶらぶらさせていた。

 
 

 ……場面は移って、ジオフロントネルフ本部、ゲンドウの執務室へ。
 その異様に広く、ぽつんとその一部に机がおかれただけの空間においても同様の空気が流れていた。
 執務室に居るのはゲンドウと冬月のみだ。
 机の上で二人は将棋を指していたが、ゲンドウが飛車の駒を指に挟んだまま、なかなか次の一手が出てこないようで固まっていた。
 それを見て冬月が、

「碇、息子のことが心配なのは解るが……」

 と、いいかけた時だった。
 その机のかたわらの電話機が激しく鳴り響く。
 すぐに冬月がとった。

 

「私だ」
「副司令ですか」

 という通話の相手は、加持であった。
 だが受話器越しに彼はいつもの飄々とした調子ではなく、焦りが感じられた。
 それを察知した冬月がいった。

「まて、わかった。要点だけいってくれ」
「助かります。ゼーレの幹部にシンジ君が接触した形跡があるんです。今後の彼らの動向に注意してください、何が起こるか解りません」
「碇の息子が、だと……」

 その言葉に、ゲンドウの手から駒がぽろりとこぼれるのだった。
 通話が漏れ聞こえたのであろう。
 冬月は加持へ身辺に注意するように、とだけいって通話を終えると、受話器をおいてゲンドウの方をみた。
 それに応じたゲンドウが、眼鏡のズレを直していう。

 

「ゼーレが強硬手段に出てくることは予想していたが……これは」
「なぜ、彼がゼーレに接触したか解らんな」
「可能性があるとすれば、インベーダーの手による人類補完計画の発動だ」
「む……碇、それは……そうかっ」

 と、いって冬月がゲンドウの飛車を封じるようにブロックを仕掛けながらいった。
 これに、はてといった表情になったゲンドウが次の手を考えて、駒を手中でもてあそびながら話をつづける。

「流によれば、インベーダーは相手に寄生することでその勢力を伸ばす存在だ。なら彼らにとって人類補完計画発動後の、生命のスープと化した人類は甘い蜜だろう」
「……そのために初号機パイロットに寄生したのか。たしかにリリスのコピーたる初号機を制御下におけば、ガフの扉が開かれた後の世界を自由にできる」
「奴らにとっては人類補完計画など、水飴のプールを手軽に作る方法の程度なわけだ」
「ふざけた話だ」
「虫けら風情の好きにはさせんさ。ここは我々の住みか……む、王手だ」

 

 と、ゲンドウが角を指す。
 それに冬月がうっ、となって止まった。

「……ううむ」

 気づけば、辺りは敵兵に囲まれている状態だった。
 しかし、

「参った」

 とはいわない。
 まだまだ、なにか手があるはずだと長考に入る。
 しばらく腕を組んだまま硬直していると、やがてゲンドウが盤から目をそらして執務室の巨大なガラス張りに首を回した。
 それを見て、冬月が席をたつ。

 

「降参か?」
「いや、喉が渇いた。碇、上の自販機で茶でも飲まんかね」

 降参してたまるか、という表情をする冬月にゲンドウが珍しく吹きだすと、やがて自身も席をたっていう。

「手の込んだ長考だな……まあいい。付き合おうか」

 この現在、時刻は午前の三時半。深夜であった。
 ミサトたちは明日の勤務を考えれば酒を飲んだくれている時間ではないし、ゲンドウたちが、執務室でのんきに将棋を指しているような時間でもない。
 が……無理もないだろう。
 シトの相手だけでも手一杯だというに、それに迫ろうかという難敵インベーダーが現れた上、シンジとエヴァ初号機を乗っ取られてしまったのである。

 

 加えてゼーレをも乗っ取ろうものなら、ネルフは全世界を敵に回さねばならなくなる。先にも書いたと思うが、ゼーレの持つパイプは世界中の至る所に伸びているのだ。
 しかもインベーダーは、現在のところ学校に出現したものや、3号機に寄生した個体しか確認できていないが、竜馬によれば無数に存在する可能性も高いのだという。
 彼らは、眠ることを忘れるほどに極度の緊張状態にあった。
 エレベーターに向かいながら、ゲンドウがいった。

「もう王手だ。再戦にすればいいだろう」

 それに冬月が、

「私は諦めるのが嫌いな性分でね……ついでに再戦という思考も嫌いだ。現実的でない」

 と、いつになく雄弁にいう。
 ただその言葉が、単純に将棋の勝負を指していっているのではないことはゲンドウにも理解できた。
 エレベーターの手前に立つと、その到着を待つ間、静かにいう。

 

「やはり、冬月先生はいうことが違う。なに……私も諦めやしませんよ」

 そういうと、丁度エレベーターがやってきた。
 二人は乗り込み上層を目指す。
 時間が時間ゆえに食堂は閉まっているが、最近設置された冷凍食品の解凍自販機もあるので、茶と共に軽食を取ることもできた。
 夜勤の供としては最良であろう。
 しかも職員価格で購入できるのが助かった。
 もっとも、この二人は飲食に関する金銭を気にするような経済状態ではないのだが。
 そして上層にあがり、茶で喉を潤しながら冬月がつぶやいた。

「……加持君は、突っ込みすぎだ。命取りになるぞ」

 加持は、もともとゼーレ・政府・ネルフの三重スパイだった。
 このうちでもっとも世界への影響力が強いのがゼーレであり、この組織を裏切るということは、すなわち裏切り者の生命が絶たれることと考えてよい。
 まさしく秘密結社といえた。
 ゲンドウが紙のカップをわずかに握りしめる。

 

「彼は、セカンドインパクトを起こした者を恨み尽している。
 矛先は無論、私にもあるはずだ。それでも私に復讐するよりゼーレを叩きつぶすことを選んだ。なら、私にできる償いはその協力に、全力を注ぐことだけだ」

 ゆっくりいうと、カップに口を付けて中の茶を一気に胃へ流し込む。
 熱いうねりが喉を焼いて、ゲンドウはにぶく呻いた。
 冬月がだまってそれを見つめていた。

 

 間。

 

 場面はまた移り、いずこかの日も当たらぬ地下通路へ。
 そこの臭く狭い通路の壁に、寄りかかるようにして加持が居た。
 みれば、体のあちこちから出血している。
 もっとも酷いのは右肩で、その付け根の部分が散弾に撃ち抜かれたのか、ざくろの様になってはじけていた。
 同時に体をめぐるべき血液が足りなくなってきているのであろう。
 そのまま、ずり落ちるようにして床へ転がってしまう。

「ぐ……」

 と、うめく。
 生き残った方の腕で血まみれになったワイシャツの胸ポケットに手を伸ばすと、たばこの箱とライターを取り出し、口にくわえると火を付けた。
 が、すでに煙を吸い込んで呼吸する余力がない。苦しそうに一度だけ吸って吐くと、あとは放り捨ててしまった。
 やがて、ぼそりとつぶやいた。

 

「ちっ。ここまでか……」

 虚空を見つめていたが、しばらくして震える手で携帯端末を取り出すと、血に塗れた指を滑らせながらも懸命に操作をする。
 通信先は、ミサトのマンションだった。
 数コールの後に浮かない声のミサトが相手にでる。
 それを確認した加持は、なるべく息を吸うようにしてから喋りはじめた。

「よお。葛城……元気か」
「あんまり、元気じゃないわ」
「そりゃ、そうか。俺もちょっと元気じゃないんだ」
「か、加持君……?」
「悪ぃ……ドジっちまった。血が出すぎて、もう、動けそうもねえや。最期におまえの声を聞きたいなんて我ながら情けないと思うが、どうしても話しておきたくてさ」

 

 その言葉に、通話先のミサトがふっ、と息を吸ったようだった。
 愁嘆場になりそうだな、と思った加持はそこで彼女がなにか言う前に、我が身が砕けんばかりに苦しいのを抑えて先手をきる。

「葛城、迷わず前へ進め。真実はゲッター線と共にある。俺のカンだがな……それとシンジ君をよろしく頼むと、流君にもいっておいてくれ」
「でも!」
「もし生きていられたら、また、会おう」

 それだけいって通話を切った。
 喋り終えると、残っていた体力を使い切ってしまったのだろう。からん、と手にもった携帯端末を取り落としてしまう。
 己が視界がだんだんとにじみ、ぼやけていくのが知覚できた。
 奇妙な眠気が加持を包んでいく。
 そのとき、彼を見下ろす形で子供ほどの小さな影がぼんやりと映るのが見えた。
 かすれゆく意識の中で、加持はそれをかつて見捨てた兄弟たちの魂だと思い、いった。

 

「やあ……迎えにきてくれたのか?」

 ずい、と影が近づいた。

 
 

 一方、再びミサト宅。
 彼女は通話が切れるや、持っていた受話器を粗々しく叩きつけるように置くと、あとは机に突っ伏した。
 その肩が震えている。
 竜馬とアスカも受話器から漏れる会話は聞こえていた。
 竜馬は腕を組んだままじっと瞳を閉じて瞑想のようになり、アスカは両の拳をにぎりしめて膝の上におき、うつむいていた。
 しかし、すぐに立ち上がった。すたすたと自分の部屋に歩いていき、トートバッグと軍刀を持ち出しながら言う。

「ちょっと散歩にいってくる」

 それにミサトは答えず竜馬が、

「……気をつけろよ」

 と短く答えた。
 アスカはうんというと、玄関で靴に履き替えると外出していく。
 それを見届けた竜馬も椅子を立ち上がると、

「俺は寝る」

 といって納屋の自室へと消えていった。

 

 戸を開くと、極度に狭いながらも、うまいこと仕切りで分けて竜馬とシンジの両人が使用していた部屋が現れる。
 竜馬はふとシンジが寝ていた布団を見ると、すでに戻ることのない主を待つ、DATの再生機やレコード盤や、チェロが寂しげに置かれていた。
 なお、DATというのはデジタル・オーディオ・テープの略称であり、むずかしいことを省いて説明すれば要するに従来のカセットテープよりも高音質を求めることのできる音声メディアである。

 

 さらにレコード盤だが、これは管理や使用に際して神経を使わないと、すぐに盤を痛めてしまう不便なものなのは実際レコードを使用した経験のある方には覚えがある、と思われるが、じつはCDよりも音質は優れている。
 というのも通常のCDのフォーマットでは、人間の可聴域を超える聞こえない領域の周波数は容量の無駄としてカットされているがレコードはアナログゆえ、それらを全て収録しているからだ。
 視聴者にとっては、より自然の音に近い感覚が得られる。
 といってもそれは先述の通り、すでに旧規格となって久しいCDでの話で、昨今の新種メディアはその限りでない。
 となれば、あとは、こだわりの問題でしかなかった。
 こういう少し踏み入った音の世界が、シンジの趣味のひとつだったのであろう。

 

 多少、余談だったか。
 が、シンジは人付き合いが苦手ゆえに、逆に音楽という人間の感情がこめられて奏でられる時間に、何か深く感じ入るものがあったのではないかと考えることもできる。
 彼自身は、チェロを弾いたりマニアックな再生機で音楽をたしなむことを「なんとなく続けたから」の一言で済まして、本人も納得してしまっているフシがあるが、人間の心は何となくで済むほどに単純ではないはずだ。
 普通の少年として生まれて年齢を経れば、あるいはこういう趣味人として生きる道もあったかもしれない。

 

 むろん、竜馬がそんなわずらわしい感情など考えることはない。
 どすんと汚れに汚れた我が布団に寝っ転がると、腕枕をして天井を見、やがて目を閉じた。
 しばらくそのままにしていると、閉じたはずの納屋の戸がすっと開く。すでに居間の電気は落とされて光が差し込んでくることはなかったが、風が動くのを感じた。
 ミサトであろう。
 竜馬は、だが、目を開けずにそのまま動かなかった。
 ミサトはいよいよ近づいてきた。
 それでも黙っていると、彼女はその手を竜馬のごつい腕の上にのせてくる。
 この時点で、竜馬は目を開いた。
 そして、

 

「ふざけんじゃねえぞ」

 

 と、低くいった。
 ミサトがビクリと反応するが、かまわず続けた。

「なに考えてやがる」
「ご、ごめんなさい……そんなつもりじゃ……」

 ミサトが身を引くと、すぐに竜馬が身を起こす。
 太い首をゴクリと鳴らし、横目でミサトを見ながら立ち上がっていう。

「おい、てめえのフェラーリの鍵をとってこい」
「えっ」
「いいから早くしろ」

 竜馬はそういうと、黙って玄関へ歩いていってしまう。
 仕方なくミサトは言われたとおりに愛車の鍵を探して手にとると、すでに消えた竜馬を追って階下へ降りていった。
 そしてマンションの駐車場にたどり着くと、そこには竜馬のバイク、隼がエンジンの唸りをあげて、フェラーリ328GTSの前で待っていた。
 ミサトがおかしな顔になる。

 

「なんなのよ」
「いいからさっさとエンジンかけてついてきな」
「ま、待ってよ。暖気しないと……」
「そんなもん走りながらやれ」

 竜馬にいわれて、ミサトは渋々車のドアを開くと中に滑り込むように乗り込んだ。
 そして鍵を差し込みエンジンに火を灯す。
 旧い車ゆえに始動に手間取っていたが、やがてグオン、と独特の重低音が響き渡る。
 それをみて竜馬はバイクを外に向けて発進させていく。
 あわててミサトもギアを入れ、その背を追いかける。

 

 竜馬は誰も走ることのない国道に出ていくと、最初はゆっくりと四〇キロほど速度で流すように走っていき、やがていくつかの交差点を経たあとに、どこまで続く長い直線の道へと躍り出て、そこで停車した。
 バイクから降りてミサトに近づいていくと「俺の横に並べ」と手で指図した後に、ニヤリと笑っていった。

「チキンレースしようぜ。曲がりに差し掛かる前、早くブレーキかけた方が負けだ」
「なっ……嫌よ、そんなこと!」
「やれ」

 竜馬はいやがるミサトにどすん、とシートの横に拳を突いて脅す。
 いつになく凶悪な表情になっている竜馬に恐怖を覚えたミサトはうめきながらも、了承してハンドルを握った。

 

「よし」

 というと竜馬がバイクに戻る。
 そしてお互いに並ぶと、竜馬が三本指を掲げて、アクセルを、一吹かしする。
 三回吹かしたらスタートしろという意味であろう。
 さらに二回目が吹かされ、三回目が吹かされた直後ミサトの車が急発進した。
 わずかに遅れて竜馬がつづく。

 始まってしまえばもはや後には戻れない。
 気を抜けば大クラッシュを起こして次には命がないだろう。
 ミサトがハンドルを持つ手に集中した。

 互いに超高性能車である。
 みるみる内に速度が上がって延々と続いているはずの直線の終わりが、あっという間に見えてきた。
 竜馬がミサトを追い越していく。

 

「……さすがハヤブサ。ゼロ加速がハンパじゃないわね」

 と、舌打ちしながらミサトもアクセルを目一杯に踏んでいくと、次第に迫るビルの壁が巨大になっていく。
 ちらりと前を行く竜馬をみるが、まだ止まる気配がない。
 すぐにミサトの感じる限界地点が迫ってきた。
 死の恐怖が彼女を支配する。

(……もう、ダメッ)

 瞬時に脚を踏み換え、ブレーキペダルを車がスピンしないように踏み込んだ。
 ぐっ、とシートベルトに体を押さえつけられ、辺りに派手なスキール音を撒き散らしながら車が速度を減少させていく。
 やがて停止して、

(リョウ君はッ!?)

 

 と、顔をあげた。
 しかし竜馬のバイクは止まらずにビルの中心へと突っ込んでいく姿を最期に衝突し、空に舞い上がってその身を包むカウルとフレームを砕きながら散った。
 ドンッ、と爆音が響く。ガソリンに引火したのだろう、深夜の街に紅蓮の炎があがる。
 それを見るミサトの眼が大きく開かれて、悲鳴があがった。

「嫌ァァァッ!!」

 頭を抱えて絶叫する。
 だが、ぬっとドアの横に人の気配を感じて、頭を向けてみると、

「隼人のようにはいかねえか……許せ、ハヤブサ」
「はぇ!?」

 

 いつの間に脱出したのだろうか、竜馬が破片で切れた頬からつたう血をぬぐっていた。
 すかさずミサトがシートベルト解除して外に飛び出すと、ふわりと舞って平手が竜馬の頬に飛んだ。
 竜馬は微動だにしなかった。
 パン、と乾いた音が鳴る。

「……いてえ」
「何が「いてえ」よ馬鹿!! どうしてこんな無意味なことするの、死んだらどうするつもりだったわけ!?」

 かなきり声でいうミサト。
 だがその問いに竜馬は答えずに、逆に彼女に聞いた。

「恐かったか」

 

 そういうと、ミサトはいよいよ激情し、竜馬の胸ぐらへ掴みかかった。
 目を、竜馬のようにつり上げ、腹の底から怒りを吐き出すように、

「当たり前じゃないッ!!」

 と叫ぶと、竜馬はふっと息をはいて、

「なら、まだ大丈夫だな」

 と応じた。ミサトが「えっ」となるが、そのまま竜馬がつづける。

 

「人間が本当にやべえのは、死ぬのが恐くなくなった時だ。なにしでかすか解ったもんじゃねえからな」
「あんたはどうなのよ!」
「俺は常になにしでかすか解んねえから、いいんだよ」
「くっ……」
「加持の後追いでもしそうな感じだったんでな、試してみた。が、俺の考えすぎだったようだ。悪ぃな」
「私があのまま突っ込んでいったら、どうするつもりだったのよ」
「おまえが死ぬだけだ」
「……最ッ低!! このゲス!」
「後追いなんかされたら、寝覚め悪くてしかたねえんだよ。だったらフェラーリと一緒に派手に散ってくれた方がまだマシってもんだ」
「……」

 

 あくまでマイルールの世界でのみ生きる竜馬の言葉に、ミサトは疲れを感じて黙って車に乗り込んでしまった。
 どうせ脚を失ったから竜馬も乗ってくるだろう、とそのまま待っているが、いつまでたっても助手席のドアは開かれない。
 それどころか竜馬は、

「どうした、帰らねえのか」

 と、きょとんとした顔でいってくる始末だった。
 あきれてミサトがいう。

「どうしたって、リョウ君バイク壊しちゃったでしょ。乗らないの」

 というと、

「おお、なかなか度量あるじゃねえか。怒って帰るかと思ってたぜ」
「早く乗れッ」

 

 ミサトが一喝すると、竜馬が乗りづらそうにして助手席に滑り込んできた。
 当たり前だがフェラーリの車にサルーンの様な乗り心地はない。
 やがて転回すると、再びマンションに向けてもどっていく。見れば既に日が昇りかけている時間であった。

「……帰ったら出勤の準備ね」

 ミサトが漏らすのだった。

 
 

 一方、彼らが深夜の街を暴走している最中、アスカは軍刀を片手に、機能の生き残っている繁華街をさまよっていた。
 あからさまな凶器を手にうろつく少女に、すれ違う者は恐れおののき、だれかは通報もしているようだったが、それは意味を成さない。
 なぜなら彼女が刀を持ち歩くことは黙認するよう、各機関へ指令が飛んでいるからだ。

 アスカがいく。
 既に将造によって心身ともに鍛えられたその精神は、若干一四歳にながらも強固なものとなっていたが、それでも自身が想った人間が死ぬのは耐えきれなかった。
 自暴自棄になるほど追い込まれはしないが、自宅で寝るような気分にもなれない。
 つまらなさそうに歩いていく。
 そうしてしばらく街を往くと、その視界に見覚えのある顔が飛びこんできた。

 

「あ……菅原さんに、高倉さん」

 と、彼女が呼ぶのは岩鬼組の重臣ともいえる二人だった。
 彼らはなにやら困った顔になっていて、アスカを見つけるとぱっと駆け寄ってきた。

「おお、姐さん! ちょうどええところに」
「どうしたの」
「若と、ついでじゃが敷島のじじいがどっかに消えよりまして。姐さんと一緒かと思ったんじゃが知りませんかのう」
「知らないわ。ねえ、パパまで消えちゃったの……?」

 

 アスカが度を失う。
 まさか将造に限って、と思うが加持の死を伝えられた直後である。
 それも、加持と将造は互いに連絡を密に取り合っていたという事実もある。
 あるいはその余波で、将造も命を狙われたのでは……と弱気になるのも仕方なかった。
 菅原と高倉は、アスカも将造の行方を知らないとみると、二人で「一旦、事務所へもどるか」と合点して、アスカに向いて頭を下げる。

 

「とにかく、わしらは若い衆を総動員してさがしますけえ」
「姐さんも心配でしょうが、いまはお勤め、頑張ってください」
「う、うん……」

 アスカが答えると、二人は風のように走っていってしまった。
 街往く人々は、強面の男ふたりに頭を下げさせる少女は何者だ、という目で彼女をみつめていたが、しかしその本人は雑踏の中で独りたたずむのみであった。

(嫌……あたしを独りにしないで。どうしてママもパパもあたしを捨てちゃうの……)

 そう思っても、答える者はだれもいない。
 悔しそうに握りしめた軍刀を見ると、夜の闇に紛れるように走り出すのだった。

 

・・・

 

 やがて、夜が明けた。
 結局アスカも出勤前にはマンションに戻ってきて、ネルフへ出向く準備を整える。
 登校は、もちろんない。
 すでに校舎が消滅してしまい、他はこの地に通うべき場所がないのだ。
 まさか、エヴァのパイロットが他県に転校するわけにもいかないだろう。そんな余裕はない。
 だとすれば、彼女にのこされた仕事はネルフにおいて、万が一のシト襲来にそなえて待機することのみであった。

 ミサトは竜馬のおかげで多少は覇気を取り戻しているが、やはり生気がなかった。
 作戦司令室全体に、暗く落ち込んだムードが漂っている。
 そんな中のことだ。

「……フィフスチルドレン?」
「うむ」

 

 と、ミサトの疑問に答えるのは冬月だった。
 冬月がいうに本日付で、損失したシンジの代わりにエヴァ初号機のパイロットとして新たな人材が送られてくるのだという。
 それにミサトが首をかしげた。

「言いたくないのですが、第壱中学校の子たち全員がチルドレン候補だったんでしょう。それが全滅したのにどうして……登校拒否児なんて居なかったはず」
「それが、どうやらゼーレから直接、送り込まれることになった。名を渚カヲルという。 レイと同じく過去の経歴が一切不明のチルドレンだ」
「……どうも、臭いますね」
「やはりそう思うかね。昨日、加持君から連絡があってな……ゼーレに初号機パイロットが接触した可能性があるといっていた」
「加持君が……」
「……ああ。下手をすれば、ゼーレはインベーダーに乗っ取られている可能性がある。とすればそれが送ってくるチルドレンは」
「刺客そのものの可能性が高い、と」
「まだ確定ではないがな。監視は怠れん」

 

 そんなことを話していると、だんだんと時間が過ぎてフィフスチルドレンがやってくる時間になった。
 これを迎えるためにミサト、竜馬とアスカが動員される。
 ゲンドウ、冬月、レイ、マヤ、マコト、シゲル、他オペレータ各員が固唾を呑んでフィフスチルドレンを連れてくるのを待った。
 竜馬とアスカがミサトに随行したのは、万が一、カヲルがインベーダーの刺客だった場合を考えて、それが牙を剥かないように、あるいは剥いても即座にせん滅できるように用心したためだ。

 

 それゆえ竜馬にはサブマシンガンが持たされている。
 アスカはいつもの軍刀だ。
 さらに、ゲンドウと冬月を含めた各員も武装して、なんとも物々しい待遇であった。
 それを受ける側のカヲルも雰囲気はしっかりと感じ取っていたようで、竜馬に出会うなり苦笑いしていった。

「やあ、あなたが流竜馬さんだね。ウワサ通り、凄そうな人だ」
「なぜ俺を知っている」
「流竜馬、ゲッターロボのパイロット。この業界じゃ知らない人はいないよ……失礼だけどあなたはもう少し、自分の立場を自覚したほうがいい」
「けっ、口のへらねえ小僧だ」
「それが僕の取り柄みたいなものだから」

 

 というと、カヲルはまた笑顔を作ろうとするが、竜馬の顔を見続けるとすこし苦しそうな表情になって額をおさえた。
 どうしたの、とミサトが覗きこむ。
 それにカヲルは、

「くっ……い……いや、なんでもないんだ」

 といって平静を装うが、それは誰の目に見ても異常があるように見える光景だった。
 アスカが吐き捨てるようにいった。

「こんなのでシンジの代わりになるの?」

 と。
 そのものずばりである。
 だが、そこで落ち着きを取り戻したカヲルがアスカを流し目でみる。
 そして、

「シンクロテスト。してみれば解るさ」

 いって、後は黙った。これにアスカは表情を変えずに、しかし、

 ――いけすかない野郎っ。

 と思ったが、それを口に出せば自身のストレスも相まって大騒動を起こしかねないと、こらえた。
 やがてカヲルは作戦司令室に通されてゲンドウをはじめ、各員に挨拶を交わした後に早速、初号機でのシンクロテストを行うこととなった。

 

 カヲルのプラグスーツは黒一色。細身のその体に張り付く黒色は、よりその姿を細くみせて、彼の端正な顔立ちと共にミステリアスな印象をもたせた。
 同時にアスカとレイもプラグスーツに着替えて、各々のエヴァに乗り込んでいく。
 やがて、シンクロテストが始まった。
 リツコがいないので、技術部のサポートとリツコに師事しているマヤを中心にその行方を見守る。

 しばらく、マヤは各機のシンクロ率の度合いを示すグラフに見入っていたが、その目がみるみる内に驚愕の色に染まっていく。
 初号機のシンクロ率がバネのように跳ね上がっていくのだ。
 既にその率は八〇パーセントを超えていた。

「信じられない」

 と、マヤが思わず漏らす。
 レイは初号機を起動させるに足るシンクロ率を得るまでに七ヶ月の時間を要し、アスカも記録はないが、弐号機を自在に動かせるようになるまで、それなりの時間が要ったのは想像に難くない。
 即日に動かせたシンジでも、シンクロ率は四〇パーセント止まりだったのである。
 それが、この得たいの知れないチルドレンはいきなり八〇パーセントの数値をたたき出してみせ、なおも、その率は上昇していくようだった。
 作戦司令室の人間たちが固まる。
 ミサトが爪を噛みながら思案にふけっていた。

 

(これほどとは……ゼーレお墨付きだけあって、天才児なのか、それともやはり)

 渚カヲルは、インベーダーと化したシンジによって取り込まれたゼーレからの刺客か。

 というのがミサトも含めた全員の思惑であった。
 プラグ内にモニターされる映像の中のカヲルはそれを知ってか知らずか、目を閉じながら不敵な笑みを浮かべているのだった。
 不気味な沈黙が流れる……。
 誰かがそれに耐えかね、口を割ろうとした、その時だった。

「……あっ。こ、駒ヶ岳付近にパターン青の反応!!」

 と、レーダーに異変を察知したシゲルが振り向いて叫ぶ。
 それと同時にコンソールを操作するマコトが、その周辺の映像を作戦司令室のメインスクリーンに映し出した。
 ネルフの全体に、総員第一種戦闘配置の指令が飛び回って警報が鳴り響き、新たなシトの姿が明らかになる。
 どうやら、山岳の上に浮いていることから飛行能力があるようだった。
 ただ、

「なんだ、あのビラ付きのまんじゅうみてえな野郎は……」

 

 それを見て竜馬が変な声をだす。
 そういうのも無理はない。今までもシトは生物とも機械ともつかない、妙な姿をしたものばかりだったが、今回のシトもご多分に漏れず、奇っ怪な姿をしていた。
 全体像は首のない人間、といった感じで最初のサキエルや、イスラフェルと同型ともとれるスタイルをしていたがそれらと違うのは、凄まじいまでの寸胴だということである。

 竜馬がまんじゅうと称したのんは、この辺りからであろう。
 胴長で、あるのだかないのだか解らない魚のヒレのような脚がちょろりと生え、さらに腕に当たる肩から下も、蛇腹に折りたたまれた、紙のようなものがひらひらしているのみだった。
 お世辞にも強そうといは言えない相手である。
 だが、竜馬は言う。

「ああいう、ふざけた格好のやつに限ってとんでもねえ野郎だったりするもんだ」

 

 このシトを、ネルフは第十一シト・ゼルエルと名付けた。
 倒すべき敵を確認した作戦司令室はにわかに喧騒につつまれ、パイロット達も出撃準備に入っていく。
 隊の構成は飛行可能なゲッターと弐號機による同時攻勢。
 バックアップはネルフの戦闘部隊によって行われる。
 初号機は、カヲルの信頼性から待機。零号機はその見張りとして同じく待機だった。
 万が一ゲッターと弐號機が敗北するならば、飛び出していく算段だ。

(うちの最強の二体。まず、そんなことは無いと思うけど……)

 とミサトは思ったものの、迫るシトから感じる威圧感に、ただごとならぬ不安感を隠しきれなかった。
 各ケイジからゲッターと弐號機が出撃していく。
 空に飛び上がって一気にシトのいる方向へと向かって直進していく。
 先手必勝である。竜馬が叫んだ。

 

「アスカ! まず俺が弾幕を作る。そいつを壁に近づいてA.Tフィールドを中和しろ」
「わかったッ」

 そういうと、空に浮かぶゼルエルの姿がみえてきた。
 竜馬が照準をそれにあわせて、叫んだ。

「トマホゥゥゥク、ブーーメランッ!!」

 ドシュン、とゲッターの肩から巨大な戦斧がいくつも飛び出し、ゲッターはそれを器用に指に挟んでつかむと一気に敵に向かって放り投げた。
 回転するゲッタートマホークの大群が襲いかかり、ゼルエルはA.Tフィールドを展開。
 それがバルディエルと同程度のものならば、弐號機の力を借りずともフィールドを突破できる算段だったが、竜馬も新しい敵相手にそこまで油断はしない。
 予想通り、襲いかかったトマホークは玩具のようにはじき返されてしまった。

 

「やはりダメか」
「あんたにばっかり手柄取られてたまるもんですか!」

 と、トマホークを壁にゼルエルに取りついた弐號機が自身のA.Tフィールドを展開してゼルエルのフィールドを中和していく。

「よーしっ。見てなさい、こてんぱんに……」

 といったときだった。
 ゼルエルの頭(人間でいうところの首もと辺り)らしき、頭骨もどきの目の穴がぎらりと光った。
 それを見た竜馬がとっさに、まずい、と感じ弐號機に向かって跳ね飛んでいく。

「アスカ、離れろッ」

 

 そういうが、途端に腕の蛇腹な紙のようなものがしゅるりと動き、弐號機に巻き付く。
 アスカが気味の悪さに悲鳴をあげた。

「なにこれぇッ!! やだ、離れられないっ……」

 そういう間にもゼルエルの目穴の光りはいよいよ、大きくなっていく。エネルギーチャージ完了といった風体だった。
 その光景に、かつてのラミエルを思い出した竜馬が叫ぶ。
 ゲッターが弐號機に迫った。

「アスカッ!」

 そしてゲッターが弐號機を跳ねとばすのと、ゼルエルの目穴から怪光線が発射されるのは、ほぼ同時だった。
 間一髪。
 なんとか光線の軸から外れて二体は山辺に激震と共に転がるが、外れた怪光線が一瞬で光軸にあった山間部を蒸発させながら空間へ消え去っていくのが見えた。
 強い。
 かつて竜馬が戦ったラミエルの加粒子砲をかるく上回る威力だった。
 それを目の当たりにした弐號機がゲッターを引っ張り起こしながら、ゼルエルから距離を取るように後退していく。

 

「なんて威力なの……竜馬。うかつに接近するのは危険だわ、離れてっ」
「うるせえ、俺は敵に背中見せるのは好きじゃねえんだよッ!!」
「ちょっと竜馬!?」

 アスカの判断はこの場では賢明といえたが、今の攻撃で竜馬の闘争心にめらめらと火がついてしまったらしい。
 ゲッターが弐號機の制止を振りほどいて、再びゼルエルに激突していった。
 その頭部に蹴りをみまうと、一瞬、よろけたゼルエルにがっぷりと組み合う。

「この野郎、ぶっ殺す!!」

 と、語気もあらくコクピットでレバーを荒々しく倒す竜馬。
 ゲッターの全身が唸りをあげて、ゼルエルを潰そうと覆い被さっていく。
 だが。
 ゼルエルは蛇腹の紙のような腕を横に伸ばすと、それを一度細切れにしてから再度あつめて人の腕を形作ると、ゲッターの両腕を引き離すように掴んだ。
 力比べの様相になる。
 だが、ゲッターのパワーに自信のあるはずの竜馬の顔がうかない。

 

「ぐ、ぐぐ、ぐおおおお……ッ!!」

 額に血管をうかべて力むが、ゲッターの腕はぎりぎりとゼルエルに引きはがされていくとやがて、バキン、とその関節に異常な音が発生して、血液のようなオイルがゲッターの腕の節から噴き出していった。
 ゼルエルの力は彼の想像を超えて恐ろしいまでの領域にあったのだ。
 だが、それに竜馬はコクピットで口の両端をつり上げて不気味に微笑む。

「け、やるじゃねえか……久しぶりだぜてめえみたいなのはッ!」

 と威勢はいい。
 しかし次の瞬間、ゲッターはその両腕をゼルエルにもがれて衝撃で後ろに吹き飛ばされていく。
 それでも竜馬はゲッター最大の武器を叩き込むべくレバーを全力で倒して叫んだ。

「ゲッタアアアッ! ビィィィイィイムッ!!」

 

 のけぞって吹き飛ばされるゲッターの腹から、球体がのぞいて極太の光が溢れるようにゼルエルに直進していく。
 一矢でも報いてやるという竜馬の闘志がそのままぶつけられたものだった。
 ゲッタービームは先ほどの怪光線のお返しとばかりに、ゼルエルを包み山を砕いて貫いていく。
 が。

「ゲッタービームが……ッ」

 吹き飛ばされるゲッターを救おうと寄るアスカが、ゲッタービームの洗礼をあびてもビクともしない敵の姿を見て、言葉につまった。
 さらに次の瞬間、ゼルエルの目穴が光った。
 怪光線である。
 だが、

 

(早い!?)

 さきほどよりも発射までの動作が短いのだ。
 焦るアスカが倒れるゲッターを引きおこそうとするが、間に合わずゼルエルの怪光線が二体をつつんでいく。
 アスカはとっさにA.Tフィールドを展開してゲッターを守ろうとするが、ラミエルの加粒子砲よりも威力の高い怪光線である。
 防ぎきれるはずもなく、まともに直射をあびてしまう。

「キャアアァアアァッ」

 アスカの悲鳴がひびいた。
 やがて、照射が終わるころには弐號機は全身をズタボロに溶かされていた。
 弐號機がぐわらりと崩れ落ちていく。
 かろうじて首筋のプラグだけが守られた程度という有様だった。

 

 ゲッターの方は弐號機が影になったおかげで、致命傷を免れていた。しかし、やはり満身創痍となっている。
 それでもなお立ち上がった。
 竜馬がアスカに通信を入れる。

「アスカ、生きてやがるか」
「……くぅぅ……へ、平気、こ、これぐらい……っ」
「まだ飛べるか」
「プラズマ、ボムス……まだ動くわ。でも、戦闘はもう……」
「動けりゃいいぜ。俺が囮になる間に退けッ!!」

 というと、竜馬は返答を待たず弐號機をゼルエルの正面から外れるように蹴り飛ばすと同時にゼルエルに突撃した。
 突撃ばかりで果たして利口な戦法とはいえなかったが、こうなってしまった以上は離脱する間にも怪光線に撃ち抜かれてしまうだろう。
 助かるためには、スキを作らねばならなかった。
 それにはどちらかの犠牲が必要だ。
 両腕を失い、そこからオイルを吹き出す痛ましい姿のゲッターが、ゼルエルに再び肉迫していった。

 

 その様子が、作戦司令室にもはっきりと伝わっている。
 彼らは最初ゲッターと弐號機があまりにあっけなく敗れる様を信じられない、といった風だったがすぐに現実に戻って、初号機と零号機の発進許可を求めた。
 よろしいですね、と確認するミサトにゲンドウが応じる。

「やむを得ん。初号機と零号機を発進させろ」

 というと、すぐにミサトが手をふって采配ふるった。

「エヴァ両機はただちに発進、零号機をバックアップに初号機を前衛に出せ」
「りょ、了解ッ」

 ミサトの指示を皮切りに、オペレータたちが機械の駆動部品のようになって動く。

 

 そして視点を戦場へ戻そう。
 両腕を失ったブラックゲッターがゼルエルに激突する寸前、竜馬がレバーを引き戻すように操作し、

「喰らいやがれ!!」

 と、上半身のイーグル号が分離した。
 ゲッター本体のダッシュと、ゲットマシンのロケット噴射の二段加速による勢いでもってぶち当たり、イーグル号がスリングショットの弾のごとく弾かれ飛んだ。
 瞬間、どうっと盛大な音が響いてゼルエルがゆらめき、バランスを崩し横転していく。
 そのスキにイーグル号がゲッターの体に戻り、再びブラックゲッターと変じて大地に降り立つが、まるで体力の尽きた人間のように立て膝をついてしまう。

 もはや、これ以上の戦闘はできそうにもなかった。
 コクピットのコンソールには機体各部のダメージが限界に達していることをパイロットに伝えており、外から見てもあちらこちらから溢れるオイルと共に放電を起こして今にも爆発してしまいそうな状態だった。
 だが、竜馬はコンソールの警告を無視してゲッターに最後の力を振り絞らせると、ふわりと舞い、起き上がろうとするゼルエルにボディプレスを見舞った。
 すれば敵が一瞬ひるみ、同時にゲッターは転がり落ちて仰向けの状態になる。

 

 即座に竜馬がコクピットから脱出するが、逃げるつもりではないようだった。
 彼はとなりに伏すゼルエルの巨体を横目にゲッターの胸を滑って降っていき、そして腹にたどり着くと、その一部にある小さな突起を押した。
 と同時に、いくつかのボタンが並べられたパネルが顔をあらわす。
 竜馬がそれを操作しながら、

「追い詰められた人間が、なにをするか見せてやるぜ」

 といった。
 その姿は、先の将造の行動を思い出させる。
 将造は学校にてインベーダーをせん滅するために、ゲッタービームガン炉心の融解を実行したが、竜馬は同じ事をゲッターそのものでやろうとしているのだ。
 フルサイズのゲッター炉心が自爆すれば、その破壊力はどれほどのものになるかは見当もつかないしそれによる被害も予測できない。
 しかも、だからといってゼルエルを撃破できるとは限らないのだ。

 

 自爆すれば竜馬自身の命も同時に吹き飛んでしまうだろう。それでも彼はミサトが指摘したとおり、我が命を少しも惜しむことなくそれを実行していく。
 竜馬の瞳に銀河のような渦が巻いた。
 だが、自爆コードの入力まであと少し、というところで、あろうことかゼルエルが体勢を立て直していってしまう。
 竜馬が憎々しげにゼルエルを睨んだ。

「チッ、少しは遠慮しやがれってんだ」

 というが、それしきで行動を待ってくれるほどシトも甘くはない。ゼルエルにしてみれば相手は今まで散々シトをいたぶってくれたゲッターとその操縦者だ。
 どうして遠慮をしなければならないのか、というところだろう。
 ゼルエルが起き上がり、ゲッターを見下した。
 竜馬が見上げる。
 すると頭蓋骨もどきが貼り付いたようなゼルエルの顔が、気のせいか竜馬をあざ笑っているように歪んでみえた。
 まるで、

 

 ――思い知ったか。

 

 と、ゼルエルがいっているようであった。

「……いい気になってんじゃねえぞ、コラ」

 竜馬が反撃するように、ニタリと表情を崩す。
 凄惨な顔だ。
 それは婆娑羅や阿修羅がこの世に降臨すれば、おそらくこういう表情をしているだろうと思わせるほどのものだった。
 するとゼルエルが一瞬動きをとめた。シトにも恐怖の感情があるのだろうか。

 と、思っているとその背後が爆裂して凄まじい音が鳴り響いた。
 それに反応したのだろう、ゼルエルはくるりと体を反転するように振り返ると、離れた場所にパレットライフルを構えた零号機の姿があるのが見えた。
 どうやら、発進が間に合ったようである。

 

 さらに零号機が弾幕を張って相手を牽制すると、次にはゼルエルから死角となっている山陰の部分から初号機が射出されて空を舞った。
 初号機に弐號機のような飛行機能はないが、リフトオフする前から機体の拘束を解除して射出時の反動を利用したようだった。
 空中でケーブルを強制排除すると、その勢いのままゼルエルに降りかかってくる。
 カヲルの声が響いた。

「下がった方がいいよ流さん」
「来るのが遅えんだよ!」

 応じた竜馬がゲッターのコクピットに再び駆け込み、地を滑るようにして離脱するのと初号機がゼルエルに衝突したのは、ほぼ同時だった。
 竜馬がコクピットに収まりながらゲッターを後退させながら叫ぶ。

 

「組み付くな! てめえじゃ初号機のパワーは引き出せねえ!!」

 シンジでなければ、無理だ。
 そんなニュアンスを含めた言葉だったが、それにカヲルは、

「どうかな」

 というと、プラグの中で悶えるような仕草をみせた。
 同時になにか黒いものがカヲルの口から吐き出されていって、やがてプラグを満たすLCLに溶けるように広がっていく。
 その間、初号機はゼルエルに組み付いたまま停止しており、相手はこれを機と見て再び怪光線の発射準備に入る。
 だがその瞬間、初号機が自身の頭を抱えたかと思うと、顎の拘束具をみずから引きちぎり、

 

「ギャアアアアァァ……ッ」

 と、悲鳴のような咆吼をあげた。
 そして次には怪光線を発射する寸前のゼルエルの頭を掴むと、それを力任せにねじりあげて引っ張っていく。
 ゼルエルが抵抗して紙のような腕を伸ばすが、それも初号機の余った方の腕につかまれれうと本物の紙細工のように破られ、地に放り投げられていく。

「なんだと……あれはっ」

 離脱しながら、その初号機の姿をみとめる竜馬がつぶやいた。
 たしかに初号機の行動の一部に、シトに対して真の力を解放して当たったことがあるのをユイの知識を得た竜馬も覚えていたが、それはあくまでシンジが命の危機にさらされるという状態に、ユイが反応した結果のはずだった。
 しかし、いま初号機に乗っているのはシンジでなくカヲルだ。

 

 どういうことだ、と竜馬が思う間もない。
 初号機はうなり声を発しながらゼルエルの頭を引っ張っていき、その下にあった赤黒い肉ごと餅のように伸ばした挙げ句に、ぶちぶちと音をたて引きはがしてしまう。
 同時にぶわりとその血液が噴水のように撒き散らされる。

 それを浴びた初号機はいよいよ大きく顎を開けると、まさに人間のそれと同じような歯をのぞかせて顔のあった部分へ噛み付き、そのまま頭をふって食いちぎった。
 激痛が走ったのであろう、ゼルエルがびくんと跳ねる。

 すれば初号機は、肉食獣のように次々とゼルエルの表面に手をかけては破り、露出した内壁に鋭く歯を突き立てて喰らっていく。
 その姿は飢えた獣の、そのものといっていい。
 初号機は得物をあっという間に喰らいつくしていき、ものの数分でゼルエルは骨と皮だけの骸と化して果てていた。
 やがて食事を終えた初号機がゆらりと立ち上がった。
 そして、

 

「フフフ……これでS2機関の取り込みは完了したか」

 と、プラグの中でカヲルが笑うのだった。

 その状態のまま数分……いや、数秒だろうか。
 間が流れた。
 変貌した初号機の姿に、倒れた弐號機の中でアスカが唖然としている。
 竜馬は初号機から少し離れた場所で、腕を失いながらも仁王立ちするゲッターの中で、口を真一文字につぐんで初号機を睨んだままだ。

 そして作戦司令室の人間たちは、マヤが初号機の姿に耐えられず嘔吐したのをはじめ、その他も眉をひそめて光景をみつめていた。
 だが、なんとか気を取り直したマヤがひとつの異変に気づく。

 

「……あれ。初号機のシンクロ率が……そんな、どうして!?」

 と混乱するようにいう。
 エヴァに起こった異変ならリツコが対応するのだが、本人がいない。
 ミサトが代わりにマヤによって訳を問うが、しかし返答を待つ必要はなかった。
 なぜならマヤが監視するエヴァ各機のシンクロ率を表示するモニタを覗き込むと、そこに信じられない数値が浮かび上がっているのが見えたからだ。
 その数字は、

 

「シンクロ率、ゼロ……」

 

 であった。
 あわててミサトがメインスクリーンに映る初号機を見返すが、それは、いまもなお口を半開きにしたまま虚空を見つめてゆらめいている。

「あり得ない……」

 ミサトがうめいた。
 専門家でないにせよ彼女もエヴァに関する基本的な知識はある。
 エヴァは、パイロットとのシンクロがあって初めて動くものだ。

 その率がゼロでは、パイロットが乗っていないのも同じことである。本来なら、起動することもかなわないはずだった。
 では、なぜ目の前の初号機は動いているのだ。
 ミサトが思考をめぐらしていくと、やがて一つの結論に達していく。

 

(彼を初号機に乗せてしまったのは失策だった……やはりフィフスチルドレンの正体は)

 その答えを口にしようとすると、以心伝心したのか離れた竜馬やアスカまでもが彼女と同じことを一斉に叫んだ。

「インベーダーか!!」

 と。
 そういうのと同時に、プラグの中のカヲルが高笑いをはじめる。
 その通りだ、と認めているようにいった。

「ハハハハ……甘いねえ、君たちは。僕を見かけるなり射殺すればよかったのに」
「いまからそうしてやるぜ」

 竜馬がいう。
 それにカヲルがなおも笑い、

「その満身創痍の姿で、どうやって僕を止めるつもりだい。零号機は役にたたないよ」

 と、零号機を指さした。

 

 すると、さきほどまでライフルを構えていたはずの零号機が、その場にへたり込むようにしてうずくまっているのがみえた。
 別にゼルエルに攻撃されたわけでもなければ、機体に故障があったわけでもない。
 だが、その異常はプラグの内部、つまりパイロットが示していた。

「あ、あぐっ……」

 レイがLCLの中で四肢を抱えるようにして震えているのだ。
 その様子は作戦司令室からも確認できた。

「どうしたの、レイ!」
「私じゃ……ないわ。ユイさんが……碇ユイの魂が……」

 ミサトの問いかけにレイが呻くように答える。
 ユイが苦しんでいる、という答えにゲンドウがハッとした。

「初号機の中は現在のユイがいる……もし初号機がインベーダーに乗っ取られれば、未来のユイへ影響が出る」

 

 顔面蒼白となっていうゲンドウ。
 緊迫する中で、初号機が数歩あるいてから腕を振り上げた。
 そして、

「人類補完計画を阻止しようとする未来の彼女は邪魔なのさ。だから眠っててもらうよ。そして、本来の碇ユイは僕たちの奴隷になってもらうとしよう……ねぇ、シンジ君」

 と、カヲルがシンジの名を呼ぶ。
 すれば、初号機の肩の装甲板がうごめいたかのように見えたあと、粘土のアニメーションでも見ているかのように、人の姿が形作られていって、やがてそれは制服を着たシンジへと変じていく。

「おつかれさま、カヲル君」
「てめえ、シンジ!!」
「竜馬さん久しぶり……友達ができたんだ、紹介するよ。彼は第一四シト、タブリス。
 またの名を渚カヲル」

 

 かつてと何ら変わらぬ面影に、しかし邪悪な笑みを浮かべた彼が初号機の上でいった。

「それじゃあ、仕上げにロンギヌスの槍を土産に貰おうか」

 その言葉と同時に、地鳴りが響くと地下から何かを砕くような響いて、それがだんだんと大きくなると、やがてネルフの施設の一部を下から貫いてロンギヌスの槍が空へ飛び出していく。
 ぎゅんと飛び、初号機の手の内に収まった……かと思えば、次には初号機の背からオレンジ色の光が発して、背に十字に形にA.Tフィールドが現れる。
 さらに形を変えて左右に四対の菱形の羽根となり、それに揚力を得たのか同時に初号機が空に浮かび上がっていく。
 初号機の肩に乗るシンジが肩を上げて笑った。

「これでよい。あとは一二体のいけにえを用意するのみよ!」

 それにカヲルも同調して、

「我らの計画はもはや達成される。人間共は残るシトを相手に遊んでおればよい!」

 

 といった。
 二人とも唐突に口調がかわった。
 それにおかしい、と竜馬が思う。インベーダーに寄生されていようが、言動のベースになるのは寄生された人間はずなのだ。
 シンジとカヲルがこんな古めかしいしゃべり方をするはずがなかった。
 やがて竜馬がなにかに感づいたように、ボロボロのゲッターを無理に飛ばしながら初号機に向かって叫んだ。

「コーウェン、スティンガー! まだ生きてやがったかあッ!!」

 そう呼ばれたシンジは、口が張り裂けるのではないかと思うほどにニタリとなり、

「あの時いっただろう、我らは不滅だと! 今更気づいても遅い、ロンギヌスの槍によって真の力を得た初号機は止められん」

 と、カヲルと共に言葉の音を重複させながら、迫るゲッターを初号機の腕の一振りで跳ねとばすと、ぐんと高度をあげていく。
 小さな点と化していく眼下の竜馬達を見下しながらシンジがいう。

「さよなら竜馬さん。あなたに逢えて楽しかったです」

 

 と、シンジらしい言葉づかいに戻って竜馬とゲッターをあざけながら、そして虚空へ消えていった。
 あとに残されたのは、地に叩きつけられて転がるゲッターと焼死体のような弐號機、そしてうずくまったまま動かない零号機だけだ。

 みな、消えゆく初号機を見つめているしかなかった。
 それが完全に消え去ってしまうと、やがて雨の数滴が降り注いだあとに、ばっと降り出していく。
 辺りに無惨な敗北感が漂った。

「……現時刻をもって戦闘終了とみなします。ゲッターと、エヴァを回収して」

 作戦司令室でそれを見つめながら、ミサトが力なくいうのだった。

 

・・・

 
 

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