石清水八幡宮

Last-modified: 2013-12-07 (土) 23:42:38
 

石清水八幡宮
いわしみずはちまんぐう
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(参拝日:平成24年5月13日)
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住所:京都府八幡市八幡高坊30 mapionlogo.gif
主祭神:八幡大神(誉田別命、比大神、息長帯姫命の総称)
社格:官幣大社、別表神社
巡礼:神仏霊場巡拝の道81番
主な祭礼:9月15日(石清水祭)
関連:日本三大八幡宮(石清水八幡宮 筥崎宮 宇佐神宮?)
webサイト:石清水八幡宮

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↑楼門↑
(由緒:パンフレットより)
平安時代始めの貞観元(八五九)年南都大安寺の僧行教は、
豊前国(現大分県)宇佐宮にこもり日夜熱祷を捧げ、
八幡大神の「吾れ都近き石清水男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、
同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが当宮の起源であります。

そして朝廷は翌年同所に六宇の宝殿を造営し四月三日に御遷座されました。

天慶二(九三九)年に起こった平将門・藤原純友の乱の折には、
朝廷よりご請願があり八幡大神様の御神威をもって速やかに平定されて以来、
国家鎮護の社として朝廷の御崇敬は益々篤いものとなりました。

天皇・上皇の御幸や御幸は、円融天皇(第六十四代)の御参拝以来実に二四〇度にも及び、
伊勢の神宮に次ぐ第二の宗廟とも称されました。

男山は、木津・宇治・桂の三川の合流点を挟んで天王山と対峙する位置にあり、
京・難波間の交通の要衝であります。

また、南北朝時代の大小の戦い、羽柴秀吉と明智光秀の天王山の合戦等でよく知られる
政治上の重要な拠点でもありました。

こう交通・政治上の要の地に御鎮座され、我が国を平和と繁栄に導く神として多くの人々に崇められ、
現在では八幡大神を祀る神社は、全国津々浦々に約四万社にもなります。

明治初年には官幣大社に列せられ、男山八幡宮と改称されました。

しかし『石清水』の社号は創建以来の由緒深い社号であるため、
大正7年には再び「石清水八幡宮」と改称され、現在に至ります。

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↑社殿↑
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↑エジソン記念碑↑
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↑山麓の頓宮↑
(以下、余談)
京阪電鉄・八幡市駅からケーブルカーに乗り換えて向かうと、そこは男山山頂です。
山頂からは、眼下の淀川合流地点や対岸の大山崎町を望むことが出来ます。

神社は宇佐八幡宮?へ参詣した大安寺の僧・行教に、
八幡神が「我すべからず都近くに移座し国家を鎮護せん」と神託を宣したことに始まります。
最初は、対岸の山崎郷に社が置かれますが、再び神託により男山に移されました。

都の裏鬼門(南東方向、鬼門は比叡山)を守護する王城守護の神、水運の神として崇敬されました。
伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟とされ、天皇・上皇・法皇などの参詣は数100回に及びました。

源義家が元服をし、「八幡太郎」と称するなど源氏の篤い崇敬を受けました。
武神・弓矢の神・必勝の神として崇敬され、足利氏・徳川氏・今川氏などが氏神として信仰しました。

個人的には、お宮参りに参詣した神社であり、3,4年に一度程度は初詣に行っている神社ですので、
非常に思い入れがあります。年始に破魔弓を授かり、実家の祭壇にお供えしたことを覚えています。