豊国神社

Last-modified: 2013-10-05 (土) 16:39:40
 

豊国神社
とよくにじんじゃ
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(参拝日:平成24年5月13日)
住所:京都府京都市東山区大和大路正面茶屋町530mapionlogo.gif
主祭神:豊臣秀吉公
社格:別格官幣社、別表神社
主な祭礼:9月18日(例祭)

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
豊国神社は京都市東山区大路正面茶屋町(市バス三十三間堂前下車北に三百米余)旧大仏殿遺跡地にある。

御祭神は全関白太政大臣贈正一位豊臣秀吉公の御一柱である。

明治八年現在の地を相し、明治十三年造営が成った。当初豊国神社は大阪城外に祠宇造営の御沙汰(明治天皇)があったが、
永年にわたる京都市民挙げての熱願により本社は京都へ御治定になり大阪へは別社を営まれる事になった。

境内摂社貞照神社は大正十四年の創建で秀吉公の夫人従一位北政所、吉子の方を、お祀りしてある。
北政所は世に有名な「おねゝの方」でいわゆる糟糠の妻として、豊公の天下統一の大業には内助の功頗る大きく、
豊公の薨後は東山の高台寺に隠棲され寛永元年六十七才で薨ぜられた。

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↑拝殿↑
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↑耳塚↑
(以下、余談)
京阪電車・七条駅から上がり、正面通を東へ入ると神社が正面にあります。
実は正面通とは、神社の正面ということではなく、方広寺の大仏の正面という意味です。

豊臣秀吉が開眼供養した高さ19mの大仏がありましたが、2年後の慶長地震で倒壊しました。タイミング悪いですね。
遺志を継いだ秀頼が大仏再建を図りましたが、「国家安康 君臣豊楽」の鐘銘事件で徳川家康の怒りを買いました。
結局、大仏や大仏殿は再建されることはありませんでした。
現在の方広寺には、大阪の陣の発端となった梵鐘や大仏の蓮華座や台座などが遺ります。
残っていれば、奈良や鎌倉くらいの有名な観光地になっていたのかも知れないですね。

すっかり方広寺の話になってしまいましたが、大仏殿が建っていた一角に神社が建ちます。
大仏の鎮守社が当地にありましたが、徳川の治世になると廃絶しました。
現在の神社は明治八年創建、明治天皇の命により再興されました。

再建にあたって南禅寺金地院から譲り受けた唐門が遷されました。
それ以前は二条城の唐門、さらに昔は伏見城にあったとされています。
御香宮にある神門も伏見城の遺構とされています。秀吉亡き後も、あちこちで大事に使用されているのですね。