明治32年7月、屯田兵第三大隊第五中隊九十九戸が入地、
練兵場の一角に開村記念標を建て、天照皇大神を奉斎、
15日入隊式が行われました。
これが士別開基、士別神社のご創祀で、この日が例祭日に定められました。
明治35年、名越源五郎中隊長は社殿建立を屯田兵に議り、現・九十九山に
共同作業で祠を建立、例祭日に鎮座祭が行われました。
開拓が進むにっれて住民も増加し、祭典には興行物も数々かかり、
近隣町村からの人出で賑わうようになりました。
明治45年、九十九山に明治天皇遥拝殿が建立され村民多数参列遥拝式が挙行され、
その後拝殿として使用されました。
大正4年士別町制施行、町勢の進展めざましく、公認神社待望の世論が高まり、
7年創立出願、翌8年創立許可、村社に列格しました。
越えて大正13年、根元文敬町長を会長に士別神社造営会が発足、
御造営事業が始まり、15年本殿竣功、新殿に遷座されました。
昭和3年ご大典の慶事、士別開基30年に際会、拝殿工事が開始され、
全町民氏子の熱烈な奉賛によって、昭和5年竣功し御造営事業が完了、
現社殿の完成をみました。
昭和14年、東山神社(無願社)を合祀、翌15年紀元二千六百年を記念して昇格出願、
17年郷社にご昇格、引続き県社への諸条件が完備しましたが、大東亜戦争終結、
社格は廃止されました。
戦後、神社制度が変革、昭和21年神社本庁所轄の法人となりました。
昭和35年以降10年毎に式年大祭を斎行、平成11年には御創祀百周年、
21年には百十周年を奉祝、それぞれ記念事業を実施、愈々森厳さを増し、
士別の鎮守さま、安らぎ幸せの守り神として崇敬されております。
士別は羊のまちとして有名で「羊と雲の丘」「めん羊牧場」ではめん羊を見ることが出来ます。
士別駅周辺は農産物の集散地として発展しました。多数のレンガ造りの農業倉庫が立ち並びます。
自動車の耐寒試験場も多く、トヨタ・ダイハツ・ブリヂストン・ヤマハ発動機のテストコースがあります。
その士別の九十九山に鎮座する当社は近隣の神社と比べると、広大で大規模でした。
神社入口付近にある弓道場の周辺には大勢の学生さんがいました。市内唯一の弓道場らしいです。
網走神社や滝上神社にある「聖徳神社」がここにもありました。
大正13年、士別工業組合が現位置に木標を建て、翌年に木造流造の社殿が竣功しました。
工業文化・美術工芸の守護神として、工業関係者からの崇敬があつい神社です。
火防の神、日本武尊を祀る栃木県古峯ヶ原の古峯神社の御霊を「古峯滝尾神社」にお祀りしました。
昭和29年に士別市制を記念して霊碑が計画され、翌年に建立されました。
一方、温根別町南線に富山県から移住した団体が、故郷の龍尾神社を分霊しました。
しかし、地域の過疎化が進んだことから、平成7年に古峯神社として合祀しました。
本殿は大正10年建立の龍尾神社を移築改修、社号は昭和30年建立の古峯神社碑を移設したものです。
昭和3年、柿岡曲馬団の打上花火の落下によって、帝国製麻の士別製麻工場が全焼しました。
消火の最中に殉職した士別消防組の霊魂を祀る「殉難碑」があります。
たくさんの石碑が神社にありますが、個人的には「獣魂碑」が北海道らしく印象的でした。
家畜の霊魂を弔うため昭和9年に畜産関係者が南町に建碑、昭和56年に移設されました。