上宮天満宮

Last-modified: 2013-11-24 (日) 10:49:48
 

上宮天満宮
じょうぐうてんまんぐう
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(参拝日:平成25年7月13日)
住所:大阪府高槻市天神町1-15-5mapionlogo.gif
主祭神:菅原道真命、武日照命、野見宿禰命
社格:式内小社、郷社
主な祭礼:2月25-26日(天神祭)
webサイト:上宮天満宮

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↑鳥居↑
(由緒:神社webサイトより)
日の神、武日照命の天降って鎮座された、此れの太古の杜、日神山一帯は弥生人の住居跡として銅鐸も出土し、
南北に並ぶ四古墳のうち、中央の円墳上には式内古社の野身神社が在る。

此地は「日本書記」が古代祭儀としての埴輪や相撲の逸話を記した野身宿禰を
千数百年も前から斎き祀ってきた島上郡野身里である。

彼の率いる祭祀者一族、土師氏は何百年か後に菅原道真、大江匡房始め平安時代に於ける史学、
文芸学者たちを次々に生み出すが、殊に右大臣にまで昇った道真公は、
然しその後天皇廃立に関わったとされ九州へ追放される。

その死後百年近い頃、正暦四年(九九四)に正一位左大臣の位を遺贈する勅使として菅原為理が太宰府へと赴いた。

御霊代など奉じての帰途、芥川を遡り当地の上田部(市役所西)に上陸し、領主近藤氏の城館に宿った。

ところがいざ出立となると輿が動かず、これを先祖と共に留まりたい霊意と排察して、
里人が日神山上に天満宮本殿を造営し改めて三神を併祭し奉った。

実際の創建はこれより五十年も早く、京都北野社?鎮座以前であり、全国天神社のうち二番目の古社とされている。

戦国の天正年間、豊臣秀吉は当社参道「天神馬場」に本陣を置き、明智勢を山崎天王山に討った。

その戦勝を感謝して、後に秀吉は社殿を美々しく修造する。

江戸初期には高槻藩主永井直清が拝殿を設け大鳥居も建立、時の天台座主親王天松院宮筆の神額を奉納した。

古来、近郷の三島地方はもとより遠く京都、大阪始め北攝能勢や北河内方面の崇敬を集め今に至る。

例祭「初天神」は、延々と露天の連なる京阪神きっての民衆的大祭である。  

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↑竹本殿↑
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↑拝殿↑
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↑狛犬↑
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↑四社殿↑
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↑厳島神社↑
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↑春日神社↑
(以下、余談)
JR高槻駅北側の市街地と住宅街が混在する賑やかな一帯に、ぽつんとある緑豊かな小山に鎮座します。
神社の前の道路はマンションが林立し、道路は混雑しているのに、坂を上がるとまるで別世界です。

太宰府天満宮についで、「日本で2番目に古い天満宮」を称しています。
現在の境内は綺麗に整備されていて清清しいですが、以前はそうではなかったようです。

10数年前、宮司さんが息子に刺殺されるという痛ましい事件が起きます。
1996年には安土桃山時代から続いた社殿が放火により焼失します。2002年に日本初の竹製の本殿を再建します。
境内にマナー啓発の掲示板があり、平成8-18年の不法行為を糾弾、その後の防犯対策の成果を挙げています。
上記の放火後、貴重な文化財を失った神社は神経質になり、ようやく今の景観を取り戻したのでしょう。

本殿前左右の狛犬は、宝暦九年(一七五九年)に作られたもので高槻市内最古のものです。
獅子舞の獅子頭に似た四角い顔と毛筋を表現した上宮型狛犬、
その改良型として三輪神社の三輪型狛犬(大明五年・一七八八年)があります。

府道で分断されていますが、昼神車塚古墳が神社東側にあります。
古墳から多数の埴輪が見つかり、当地は埴輪技術集団である土師氏の拠点であることが分かりました。
ここの埴輪は太田茶臼山古墳と今城塚古墳と同じ窯で焼成されたことが分かっています。