国中神社

Last-modified: 2013-10-05 (土) 17:11:44
 

国中神社
くになかじんじゃ
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(参拝日:平成25年4月29日)
住所:大阪府四條畷市清滝中町4-48mapionlogo.gif
主祭神:國常立命
主な祭礼:10月16日(例祭)

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↑社殿↑
(由緒:パンフレットより)
当神社の創建時の記録は現存しておりませんが醍醐天皇の御代延長五年(九二七年)に選定された
延喜式神名帳には河内国讃良郡鎮座と記録されており古くから当地域の産土神として崇拝されてきました。

国中と云う名の如くこの地域の中心として所謂る四神相応の御鎮座地として最適な処であった事が
今日でも明白であります。

東に生駒山・飯盛山の麓より流れくる清滝川に沿い西に大阪平野を見晴らかし、
南に浪速の港より奈良の都へ通じる清滝街道に接し、北には清滝古墳群の丘陵地に囲まれた景勝地でもあり、
御鎮座地が一度も移動した記述はありません。

この歴史ある悠久の神域は私達の祖先が幾多の苦難を乗り越え今に継承されて来た努力を考える時
この「心のふるさと」鎮守の杜は絶やす事なく次世代に引継ぐ事がこの地域に住む私たちの責務でもあると思います。

尚当神社は明治以前にこの地域の人達は口伝ですが別名大蛇宮と称していたとの記述がありますが、
何故大蛇宮なのか確定的な資料は見当りません。

又旧社殿の建築年代についても詳細は判明しませんが建築様式上から推定すると延宝(一六七三年)頃の建築である
と推定されていますが、安永八年(一七七九年)江戸幕府による社殿改修許可を得て改修された記録に続き、
天保三年(一八三三年)にも回収した記録がありますが、その後については昭和二十九年一月(一九五四年)
本殿の屋根・神具庫の修理に続き昭和四十年(一九六五年)拝殿の改築・本殿の修理の記録があります。

又社務所については平成六年三月(一九九四年)焼失につき平成七年五月(一九九五年)に再建され
社殿・神具庫については近年に至り荒廃が進み維持管理が難しくなり氏子崇敬者の皆様のご協賛を得て
平成十二年十二月(二〇〇〇年)社殿・末社(小宮さん)・神具庫を大改修すると共に玉垣建立境内の整備も併せて
実施し今に至っております。

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↑地車倉庫↑
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↑神牛↑
(以下、余談)
大阪府と奈良県境の清滝峠へ向かう国道163号線と、大阪外環状線・国道170号線と交差する付近に鎮座します。
この辺りが大阪平野の市街地の東端になり、生駒方面は山越えの急な坂道が続きます。

延喜式神名帳所載の歴史ある神社ですが、創建時の由緒は不明でよく分かっておりません。
平成十二年に社殿などが整備されています。なぜか境内に樹木は少なく、土砂の法面が剥き出しでした。

御祭神についても定かではなく、近世では菅原道真公が祀られていたとの記述が見られます。
現在は国常立命が御祭神ですが、明治の神仏分離の際、社格を上げるために変更したのではとの説があります。
古来は大蛇宮と呼ばれていたとの記述がありますが、詳細についてはよく分かっておりません。

ちなみに、宮司さんは普段は忍陵神社にいらっしゃるそうです。