小松神社(星田妙見宮)
住所:大阪府交野市星田9-60-1
主祭神:表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長帯姫命
社格:村社
主な祭礼:10月17日(例祭)
関連:本社(星田神社)
webサイト:星田神社と星田妙見宮の公式ホームページ
↑社殿↑
(由緒:パンフレットより)
当社の縁起によりますと、平安時代、嵯峨天皇の弘仁年間(八一〇~八二三)に、弘法大師が交野へ来られた折、
獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、佛眼仏母尊の秘宝を唱えられると、天上より七曜の星(北斗七星)が降り、
その三ケ所に分かれて地上に落ちたと言います。
この時よりここに「三光清岩正身の妙見」として、祀られるようになったと言います。
当社の縁起によりますと、平安時代、嵯峨天皇の弘仁年間(八一〇~八二三)に、弘法大師が交野へ来られた折、
獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、佛眼仏母尊の秘宝を唱えられると、天上より七曜の星(北斗七星)が降り、
その三ケ所に分かれて地上に落ちたと言います。
この時よりここに「三光清岩正身の妙見」として、祀られるようになったと言います。
現在もこの伝説は当地に残っており、星が地上に落ちた場所として、一つは星田傍示川沿いの高岡山東の星の森、
もう一つが、この星田字乾にある降星山光林寺境内、そして今一つがこの妙見宮であり小松神社の御神体であります。
そしてこの三ケ所の一辺が八丁あったところから「八丁三所(はっちょうみどころ)」と言われるようになりました。
平安時代には「神福寺」と称されており、河内長野の天野山金剛寺の古文書には
「嘉承元年(一一〇六)九月二十三日、星田神福寺」と見えます。
また『東和久田系図』延宝六年(一六七八)には、「采女迄三代妙見之別当ショクニシテ御供燈明捧ゲ御山守護
致由候諸也」と記されており、応永九年(一四〇二)生まれの和田出雲安直・将藍安道・采女安国の三代にわたり、
当宮の別当職であったことが分かります。天文四年(一五三五)神明帳には、小松大明神と記されています。
↑織女石↑
↑三宝荒神社↑
↑稲荷大神摂社↑
↑龍王社↑
↑交野市遠景↑
JR学研都市線星田駅や京阪交野線私市駅の南東部に広がる郊外の住宅街を過ぎると、
生駒山麓の山並みが近づいてきたところに妙見山があります。ここに鎮座するのが妙見宮です。
長い石段を山頂まで登ると、弘法大師の修行を行い七曜の星が降りたという磐座が鎮座しています。
その磐座の織女石(妙見石)の後ろにもいくつかの巨石が見え、なかなかにダイナミックな光景です。
この日は天気がよく、後ろを振り返れば、遠く大阪市内までの市街地が一望できました。