星田神社

Last-modified: 2013-10-05 (土) 17:14:33
 

星田神社
ほしだじんじゃ
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(参拝日:平成25年4月29日)
住所:大阪府交野市星田2-5-14mapionlogo.gif
主祭神:表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長帯姫命
社格:村社
主な祭礼:10月17日(例祭)
関連:境外摂社(星田妙見宮) 

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
当神社の創建の年月は詳らかではありませんが、伝えによると、現在本殿の住吉四神をお祀りしたよりも遥か以前に、
ここに一本の大杉があって、そこに当地の氏神として、当地方の交野物部の御祖である櫛玉饒速日命(交野大明神)を
お祀りいたしておりました。

その後、宝永年間(一七〇四~一七一一)惣社である磐船神社の御分霊をお遷ししてお祀りするにおよび、
交野大明神のお社よりも大きな神殿が建てられることとなりました。

それ以前、交野社は古宮と呼ばれるようになり、また大杉も枯死したので、その芯を御神体として、
お祀りするようになりました。それは鎌倉か、室町の時代か、いずれにせよ当社最古の神であります。

西井長和氏所蔵の天文四年(一五三五)の奥書のある神明帳には、この交野大明神の名が記載されております。
また文化二年(一八〇五)の三浦蘭阪著『川内奬撫古小指識』には、
当神社に正平ら二十一年(一三六六)の銘の石塔があったと記されております。

また八幡社はもと新宮山の頂上にお祀りされていましたが、明治維新の神仏習合整理によって、明治七年九月に
ここに遷されたものであり、昔は山城の男山八幡宮を本宮、こちらを新宮と云われました。

平安時代、このあたりは石清水八幡宮の寺領荘園となり、この地域の守護神として八幡宮の御分霊を新宮に
勧請したのに始まります。

明治五年に村社となる。また、明治39年十一月に星田妙見宮(小松神社)が星田神社境外末社となりました。

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↑社殿↑
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↑神楽殿↑
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↑摂社↑
(以下、余談)
交野市星田の住宅街の中にある住吉四神を祀る神社。隣接して星田寺が鎮座します。
星田寺の十一面観音立像は星田神社の古宮の北にありましたが、明治の神仏分離令の際に現在地に移りました。

伝説によると、住吉四神を祀るはるか以前、一本の大杉を交野大明神としてお祀りしていましたが、
杉は枯死したので、その材を用いて小祠(のちの古宮)を建て、饒速日命をお祀りしました。
蘇我氏と物部氏の争いの最中、御祭神は津守氏(物部氏系統)が崇敬していた住吉大社?の神々を祀りました。

境外摂社の星田妙見宮(正式名称は小松神社)が南東へ約2kmのところにあります。