片埜神社

Last-modified: 2013-06-02 (日) 17:15:35
 

片埜神社
かたのじんじゃ
かたの.jpg
(参拝日:平成25年4月29日)
住所:大阪府枚方市牧野阪2-21-15mapionlogo.gif
主祭神:建速須佐之男大神
一宮:(称)河内国一宮
社格:式内小社、郷社
主な祭礼:10月15日(例祭)
webサイト:片埜神社

かたの1.jpg
↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
交野台地の一角、牧野阪に鎮座する当社は、延喜式内社の古社であり、素戔嗚尊・菅原道真公を主神として
十一柱の神々を奉祀している。

第十一代垂仁天皇の御代に出雲の国の豪族「野見宿禰」が「当麻蹴速」との相撲に勝ち、その恩賞にこの辺り一帯を拝領し、
出雲の祖神「素戔嗚尊」をこの地に奉祀して、土師氏の鎮守としたのが草創である。

その後、欽明天皇の勅願をもって「片埜神社」と称し、平安中期の村上天皇天徳四年に野見宿禰の後裔
「菅原道真公」を併祀した。

平安時代は広大なる神域・神領と宏壮な社殿を有し、官幣の社として社運隆盛を極めたが、
戦国の争乱で幾度かの兵火にあい荒廃していたのを、豊臣秀吉が修築した。

大阪築城の際には艮(東北)の方位に当たる此の社を、錦城の鬼門鎮護の社と定めて尊崇し、
今も天守閣と当社が互いに艮の方位上で一線に結ばれ相対している。

さらに、慶長七年(一六〇二)豊臣秀頼は片桐且元を惣奉行として、本殿・拝殿・築地・経堂・別当などを大造営した。
現在の本殿・南門がそれである。特に本殿は、桃山建築の粋として、国の重要文化財に指定されている。

往古、この附近は交野ケ原と呼ばれ、王朝時代大宮人の遊猟の地として歌枕になり、
また、桜の名所で世に聞えたところでもある。

「落花の雪に踏迷ふ片野の春の桜がり」とある太平記の一節には、ここ交野ケ原を詠んだものである。

なお、「交野の御社」「一ノ宮」と尊称されて来たこのお社は、河内国の北部地方における第一の名社で、
桃山時代より、大阪鬼門除・方除・厄除等で知られ、特に家相方位の守護に霊験あらたかな神様として、
一般に尊信厚く、遠近からの祈願者が絶えない。

かたの2.jpg
↑拝殿↑
かたの3.jpg
↑稲荷大神↑
かたの6.jpg
↑依姫社↑
かたの4.jpg
↑石造灯籠↑
かたの5.jpg
↑鬼面↑
かたの7.jpg
↑伝阿弖流為・母禮墓↑
(以下、余談)
京阪牧野駅からほど近い場所に鎮座します。
交野天神社と同じく、交野市ではなく枚方市に鎮座しています。
片埜(片野、交野)は当地方の古称で、出雲の豪族・野見宿禰が当地を拝領し、素盞嗚尊を祀ったことに始まります。

一時は兵火により衰退しましたが、豊臣秀吉により復興されます。
大阪城の鬼門除けの神社として崇敬され、神社では鬼が象徴・守り神として信仰されています。
御朱印や絵馬には鬼が描かれ、節分では「鬼は内」と唱えます。

隣の牧野公園には、アテルイ・モレの墓があります。近年は毎年慰霊祭が行われます。
NHKで『アテルイ伝』が放映中なのであちこちにポスターが貼られていました。
社務所ではアテルイの御守を授与していました。