宮崎県護国神社

Last-modified: 2013-10-14 (月) 22:03:15
 

宮崎県護国神社
みやざきけんごこくじんじゃ
みやざきけんごこく.jpg
(参拝日:平成25年8月15日)
住所:宮崎県宮崎市神宮2-4-3mapionlogo.gif
主祭神:護国の英霊
社格:護国神社、別表神社
主な祭礼:4月10日(例大祭)
webサイト:宮崎県護国神社

みやざきけんごこく1.jpg
↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
全国各道府県の護國神社は殆ど明治維新の当時に招魂社として創立され戦前より慰霊の祭儀が行われていた。

しかし本県は、明治維新の当時、小藩分立の状態であった等の事情もあって、
県内全域の御霊を祀る招魂社は創立されていなかった。

そこで県としては移設のできる小さな社殿を造り、毎年祭場を設営して県下全戦没者の招魂祭を執り行って来た。

昭和十六年十二月大東亜戦争の勃発により戦没者の数が非常に増加し、
護国の英霊に対する県民の感謝恚敬仰の念いよいよ深まり、県民の要望に応えるため、
当時の知事をはじめ各界の代表者数十名が設立者となって宮崎県護國神社建設奉賛会を組織し、
昭和十八年四月二十三日内務大臣の許可を得て宮崎市下北方の高台に鎮座地を定め建設工事に着手した。

しかしながら建設途上において昭和二十年八月十五日の終戦を迎え、
日本が連合国の占領下におかれるとともに当時の宮崎軍民政部長官マスマン少佐の厳命に
より建設を放棄するの余儀なきに至った。

その後講和条約の発効をみるに至り護國神社再建の要望が澎拝として起こったので
昭和二十八年四月宮崎県護國神社再建奉賛会を組織して県民の浄財をつのり
神社の再建に着手し昭和三十年三月竣工同日鎮座祭を斎行し今日に至る。

みやざきけんごこく2.jpg
↑拝殿↑
みやざきけんごこく3.jpg
↑遺品館↑
みやざきけんごこく4.jpg
↑慰霊碑↑
(以下、余談)
宮崎市街地の鎮守の杜にあります。宮崎神宮と東隣しています。
明治維新直後に創設された他の都道府県の護国神社と違い、終戦後の昭和30年に竣工しています。
それまでは、小さな社殿で毎年慰霊祭が執り行われていました。

スーツ姿もしくは、礼服姿の方が次々と参拝に訪れていました。
この日は8月15日、終戦記念日です。この後に式典が行われるのでしょうか、椅子が並べてありました。
参拝されている方は60~80くらいの方ばかりでしたが、年齢の違う私も物故者に手を合わせました。