母智丘神社

Last-modified: 2013-10-06 (日) 23:15:42
 

母智丘神社
もちおじんじゃ
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(参拝日:平成25年8月14日)
住所:宮崎県都城市横市町6691mapionlogo.gif
主祭神:豐受毘賣神、大年神
社格:県社
主な祭礼:4月23日(例祭)

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
本社は、創祀の年時を詳にせず、往時より石岑稲荷明神と称し、古く地方民の尊崇頗る厚きを致せる社である。

社地は丘阜の頂に在るを以て持尾と書せしを、後世に至りて母智丘と改書したのである。
該頂上には巨大なる岩石多数累列せるに依り、一に石無縫又は石岑の名に呼ばれたのである。
社殿の後方に二穴ある、左方を白御毛津、右方を赤御毛津と称せり、往年同所に久保田賓楽院(現社司の祖先)
鬼塚光明院交々祭祀を営み、神意を受けて庶人の祈願吉凶を判し、五穀成就諸病息滅、就中家畜の保護蕃蕃殖に
神駿ありとし、餐者少なからざる霊地なるを、時の地頭三島通庸が之を聞き社殿を興し、木田九郎を
鹿児島より招きて祠官となし、神がかりに依り(人に憑りて神意を傅ふるもの)神託を受けしめ、
祭神豊受昆責なりと云、且誕生の霊跡と称せり。

通庸は各所よりの参拝道路を拓きて、奏者の便を策り、社下正面八町の道路両側に、桜樹を併植し、
屡々自ら参拝して敬神の範を一般民衆に示せり、於い茲に社観大に整ひ居りしが、明治三十三年七月二十日
炎上の厄に罹り、さしも壮厳なりし往時の俤を失ひ、現時の社殿は、仝一二十六年二月の再興にして、
其規模狭小なるも、祭時即ち四月二十三日の例祭には、遠く鹿児島絲下並懸下各所より参集するもの、
絡祥として絶へざる而己ならず、境域参道等に充満、奏客咽嗔、其盛況他に見を得ざる殷賑である。

明治四年四月四日郷社に、同年今五月二十五日縣社に、累進したるは、
是三島通庸が捧げたる至誠の偉大なる力に興かりし所である。

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↑拝殿↑
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↑陽石↑
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↑陰石↑
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↑石峯稲荷大明神↑
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↑稲荷大石↑
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↑都城市遠景↑
(以下、余談)
大隅国(鹿児島)と日向(宮崎)の国境付近にある丘陵上にある神社です。
都城盆地が見渡すことが出来ます。これは火山の噴火によって都城湖が埋められて出来た地形です。
霧島山系の豊富な地下水と霧が発生しやすい気候から、お茶の栽培が盛んです。

山頂には陰陽石と呼ばれる巨石があり、古くから磐座として信仰を集めてきました。
付近から土器や石器が見つかっており、古来から祭事が行われていたことが裏づけられました。
割裂神石の割れた石の一部は東霧島神社にあるとも言われています。