東霧島神社

Last-modified: 2013-10-27 (日) 21:58:03
 

東霧島神社
つまきりしまじんじゃ
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(参拝日:平成25年8月14日)
住所:宮崎県都城市高崎町東霧島1560mapionlogo.gif
主祭神:伊弉諾命
主な祭礼:3月春分の日(例大祭)
関連:霧島六社権現(東霧島神社霧島東神社霧島神宮狭野神社霧島岑神社?)※現在は五社

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↑参道入口↑
(由緒:パンフレットより)
東霧島神社は霧島六所権現の一つで「延喜式」に登場する霧島神社が当社であるといわれる古社であります。

東霧島神社は霧島盆地・諸県地方を代表する奉斎山岳信仰の祈りの宮として祀られ、第五代孝昭天皇の御世に
創建されたと伝えられる。

その後、第62代村上天皇の御世、応和3年(西暦963年)京都の人、天台宗の僧、性空上人が巡錫参篭し、
噴火出土で焼失し、埋没した神殿を再興されました。

江戸時代になって東霧島大権現宮と唱えるようになりました。

御祭神は建国の祖とたたえられる伊弉諾尊を主祭神として地神5代の天照大御神より神武天皇に至る皇祖を合祀し、
ご神宝十握の剣を御奉斎申し上げております。
 
御祭神は日本国土を生み給うた父で、国造りの神・国家の御守護はもちろん、広く農・工・商すべての開運・福寿・治病・
航海・縁結び・安産など世の中の幸福を増進することを計られました人間生活の守護神であらせられます。

特に、霊界の主宰人としてのご霊威は最も高く、古来より式内名社として尊崇されているほか、
中世よりは厄除け開運の霊験あらたかなる権現様と親しく呼ばれているほど、根強い庶民信仰の代表的な神社であります。

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↑神殿↑
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↑神門↑
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↑神輿↑
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↑神石↑
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↑幸招大楠↑
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↑幸招大楠の通路↑
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↑御池↑
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↑梵鐘↑
(以下、余談)
JR吉都線・東高崎駅付近の旧高崎町に神社はあります。
霧島山系の支脈で東に延びる長尾山麓にあるので東霧島権現と称したといいます。
物のはじ(端)のことを「つま」といい、「東霧島」と書いて「つまきりしま」と読みます。
霧島連山からはかなり離れていますが、これは噴火により現在地に遷座したためです。

参道に鬼の置き物が居ることに驚きます。ちょっとチープな出来ですが・・・
その後ろに続く石段はゴツゴツしており、かなりの急坂です。少し湿っていて危なかったです。
これは鬼が一晩で積み上げたという「鬼岩階段」で、修験者たちは念仏を唱えながら登ったそうです。

その傍には、大きな刃物で真っ二つに切られたような割裂神石があります。
神石を母智丘神社に人夫をもって運ぼうとしたところ、
激しい雷雨が轟き、数ヶ所に落雷し、死者まで出たといいます。この事から雷神石と云われます。

1000年を越す幸招大楠はあまりに大きく、写真のフレームに収めるのが大変です。
楠の根元には洞があり、ここを右3回、左3回とめぐり、乳水・龍神水を頂くと無事に安産と云われています。

先程のゴツゴツした石段を汗を流しながら登りきると、樹齢400年の杉の木があります。
自然に折れた姿が龍に見えるそうですが、正直に言ってよく分かりませんでした・・
趣のある神殿には、第19代当主・島津久家公が寛永2年(1639年)に奉納した神輿がありました。
島津公が奉納した神輿は鹿児島県も含めて残っていない貴重なものです。

他に、県内で2番目に古く、藩主記銘のうち島津藩で鋳造された唯一の梵鐘があります。
廃仏毀釈により鹿児島・長崎と転々しましたが、昭和56年(1981)に東霧島へ郷帰りしました。