手力雄神社
住所:岐阜県各務原市那加手力町4
主祭神:天手力雄神
社格:郷社
主な祭礼:4月28・29日(例祭)
webサイト:手力雄神社
↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
御祭神手力雄神は、信濃国戸隠大明神と同神で、往古は佐良木郷八ヶ村の山中に祀られていたのを、
後に現社地に奉遷され、佐良木郷の産土神として崇敬された。
御祭神手力雄神は、信濃国戸隠大明神と同神で、往古は佐良木郷八ヶ村の山中に祀られていたのを、
後に現社地に奉遷され、佐良木郷の産土神として崇敬された。
文明(一四六九~一四八七)の頃、薄田源左衛門藤原祐貞が厚く崇敬した。
永禄年間(一五五八~一五七〇)織田信長公が当神社に戦勝祈願をし、その成就の後、
各務野原近里千三百町歩を社領に付し、宝物等を寄進した。
その後も旗本坪内・徳山等諸氏の崇敬も深く、数百年来八ヶ村の氏子等により神事・祭礼・造営・修復等
変わりなく奉仕され今日に至り、現在は那加地区総社として崇敬されている。
織田信長公が戦勝祈願をしたことから、今日では勝運・開運厄除けの神として
スポーツ関係各種団体等の必勝祈願の参拝者で賑わっている。
↑拝殿↑
↑境内古墳↑
↑織田信長公弓掛桜↑
↑織田信長公的場桜↑
(以下、余談)
国道21号線を鵜沼方面から走ってくると、航空自衛隊岐阜基地が左手に見えてきます。
それを過ぎたあたりで国道から外れて、JRや名鉄の線路を越えると神社に着きます。
織田信長と縁のある神社で、稲葉山城攻めの戦勝祈願を行い、戦勝後に広大な社領を寄進したといいます。
寺社を容赦なく焼き払うイメージのある信長としては珍しいですが、これは各務原の寺を焼き払ったところ、
霧が立ち込めて体の自由が利かなくなり落馬したことから、神罰を恐れたためだそうです。
この故実から、現在も武運長久、特にスポーツ関連の団体からの崇敬を集めています。
岐阜市にも手力雄神社があります。
起源には、当地の有力者が分祀したことによる説と、朝廷の宮中の祭神(天手力雄神)を分祀した説があります。
所在する市こそ違うものの、両社は数㎞しか離れておらず、社名も一緒ですので、混同に気を付けたいです。
同日に両社の御朱印を頂きましたが、どちらのものだったか小一時間悩みました・・・