草津八幡宮

Last-modified: 2013-10-20 (日) 23:25:14
 

草津八幡宮
くさつはちまんぐう
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(参拝日:平成25年7月21日)
住所:広島県広島市西区田方1-11-27mapionlogo.gif
主祭神:品陀和気命、息長帯比売命、帯中津日子命
主な祭礼:9月最終土・日曜日(草津氏神祭)
webサイト:草津八幡宮

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
古来、この草津、古江の地は深い入江であって天然の良港をなし、
神武天皇、神功皇后の伝説を多く残している。

社伝によれば、推古天皇御宇(五九三-六二八)宮島の厳島神社とほぼ時を同じくして、
この入江の奥に多紀理姫命を海路の守護神として祀ったのが当神社の創祀という。

八幡神の奉斎の時期については、諸説が社伝として残り定かではないが、鎌倉時代に武蔵国渋谷郷(現、東京都渋谷区)
から当地に所領を得て来往した社家始祖(右衛門大夫または右京大夫と伝える)が宇佐八幡宮?より勧請し、
古くより当地に祀られていた「多紀理の宮」と合祀して八幡宮を創建し、後に力箭八幡宮と称したと言われる。

また一説によると、宇佐八幡宮?の社人、宇佐彦が土佐に赴き、
七代目の渋谷右衛門大夫という者が当地に来り、宇佐八幡宮より金交石の御分霊を戴き、
これを宇佐来山麓に勧請したとも伝えられる。その後、大永四年(一五二四)に修造する。
なお、往古は当社の崇敬範囲は己斐より廿日市に至る沿岸部一帯に及んでいたという。

昭和六年、近郷六箇村の氏子により境内地の造成と共に総ての社殿が再建造営された。
相殿神の宗像三女神の内、市寸島姫命と湍津姫命は明治二十五年厳島神社より御分霊を
神馬にお乗せして正式に勧請され、素盞嗚命、倉稲魂神、金刀比羅神は明治末期の神社統廃合の折、
合祀されたものである。

なお、古くは社殿は海浜の近くにあったと伝えられるが、再建の度に高所へ遷され、
現在では力箭山の中腹に鎮座している。

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↑拝殿↑
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↑末社・戎神社↑
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↑神輿庫↑
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↑市街地遠景↑
(以下、余談)
広島市西区の高台、山頂には草津緑地のある丘陵地帯に鎮座します。
広電草津駅のある市街地から、喘ぎながら急坂の階段を登ると社殿に着きます。
189(ひやく)段の石段があり、飛躍・避厄に通じる御利益があるとされています。

創建は古く、飛鳥時代の終わりに宇佐八幡宮?を勧請したのに始まるとされています。
中世には力箭山八幡宮と呼ばれていました。往時は神社のすぐ下まで海でした。
隣接して久遠山海蔵寺があります。裏の山道を通ることで寺院に出ます。