速谷神社

Last-modified: 2013-10-20 (日) 22:41:21
 

速谷神社
はやたにじんじゃ
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(参拝日:平成25年7月21日)
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住所:広島県廿日市市上平良308-1mapionlogo.gif
主祭神:飽速玉男命
社格:式内社(名神大社)、国幣中社、別表神社
主な祭礼:10月12日(例祭)
webサイト:速谷神社

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↑楼門↑
(由緒:パンフレットより)
御鎮座の年代は詳かではないが、安芸国の人々が御祭神の薨後、
その恩徳を敬慕して、奉斎した千七百有余年前の古社です。

嵯峨天皇の弘仁二年に「名神」となり、清和天皇の貞観年間に、神階を従四位上にまで進められた。

醍醐天皇の延長五年の『延喜式』によれば、当社は「名神大社」に列せられ、
国家鎮護の神様として毎年月次、祈年、新嘗の三祭に神祗官の奉幣にあずかり、
当時いかに朝廷の崇敬に篤かったかがわかる。

延喜式所載の安芸国三社(速谷神社、厳島神社、多家神社)のうち、
当社のみがこの殊遇を受け、安芸・備後国はもとより、山陽道でも最高の社格を誇った。

朱雀天皇の承平五年、藤原純友の乱に、朝廷は騒乱平定を当社含め全国十三社に祈願され、
まもなく乱が鎮定したので、神階を正四位下に進められた。

室町時代より当国桜尾城主たった藤原親実以下歴代の城主、戦国大名の大内義隆、毛利元就、
さらに広島藩主の浅野光晟以下歴代藩主らが当社を篤く崇敬して、
神宝社領を寄進し、社殿の造営修復を行った。

大正十三年、「国幣中社」に列格。昭和二十一年官制廃止により、神社本庁所属の「別表神社」となる。

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↑拝殿↑
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↑神門↑
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↑斎館・神楽殿↑
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↑車祓殿↑
(以下、余談)
1700年余の歴史ある安芸国総鎮守、延喜式では厳島神社より格式高い神社でした。
しかし、その後は衰退して速田明神、二宮速田明神と社名を変更しています。
厳島神社の摂社のような扱いでしたが、明治初年に現在の社名に復しました。
なんと当時は郷社だったとか。それから顕彰・昇格運動が起り、大正14年には国幣中社へ列せられました。
安芸国一宮からよく分からない状態にまで転落したものの、再び貫禄を取り戻すという流れは興味深いですね。

交通安全祈願の神社として全国的に知られ、遠方からも訪れます。立派な車祓殿がありました。