杉田八幡神社
住所:神奈川県横浜市磯子区杉田5-2
主祭神:誉田別命
主な祭礼:8月25日(例祭)
↑鳥居↑
(由緒:現地案内板より)
天寿五年、源頼朝公が陸奥守として其の子義家公と勅を奉じて、奥州の安部貞任を討ち、宗任を降し、
山城の国石清水八幡宮を勧請し、頼義は相模国由井郡に鶴岡八幡宮?を義家は武蔵国杉田郷に杉田八幡宮を鎮祭し、
永く源家の武運長久を祈願した。康平六年八月である。
天寿五年、源頼朝公が陸奥守として其の子義家公と勅を奉じて、奥州の安部貞任を討ち、宗任を降し、
山城の国石清水八幡宮を勧請し、頼義は相模国由井郡に鶴岡八幡宮?を義家は武蔵国杉田郷に杉田八幡宮を鎮祭し、
永く源家の武運長久を祈願した。康平六年八月である。
後年、建久三年、右大将源頼朝公より社領を授けられ、久良岐郡の総社と定められたものである。
それより四百八十年を経て延宝二年、甲寅の年に時の領主間宮左衛門尉信寅が社殿を再興し、
永一貫三百文の田園及び山林を寄贈し、久良岐郡十二ヶ村の総社と定めらる。
元文五年九月、間宮氏他に移住するに至り、当神社も衰退し後、明治六年村社に列せられ今日に至る。
↑社殿↑
(以下、余談)
海浜地区が埋め立てられて工場・埠頭となっている磯子区杉田の住宅街の中に鎮座します。
横浜市の神社では非常に多い、「磯子区 杉田幼児園」が併設された神社となっています。
「いただきま~す」の後に、お昼ごはんを食べる賑やかな園児たちの声が聞こえてきました。
江戸初期からの「江戸はじめ」狛犬が一対残っています。
口と鼻が少し出ていて、大きい丸い目が特徴的です。横浜地域有形文化財に指定されています。
昔はこのあたりは梅の名所だったらしいですが、その名残を近くの妙法寺に残しています。