「アリャアリャ、ありがたや、叶明神の威徳をもって、虎もやすやす従えたり、皆々いさんでカッピキュー」
これは、享保五年(一七二〇)から当地に伝えられているといわれ、
毎年九月の祭礼に奉納される県指定無形民俗文化財「虎踊り」に登場する和藤内のせりふの一節です。
叶明神は、平家の横暴ぶりを憤った丈覚上人が、上総国(現在の千葉県)鹿野山にこもり、
はるかに山城国(現在の京都府)石清水八幡宮に源氏の再興を願って叶えたことから、
養和元年(一一八一)にそのみ霊をこの地に迎えて祭ったことに始まると伝えられています。
したがって、この神社の祭神は、石清水八幡宮と同じ応神天皇(第十五代の天皇)です。
現在の社殿は、天保八年(一八三七)に焼失した社殿を天保十三年に再建したものです。
再建に要した費用は、約三千両と記録されています。
とくに注目に値するのは、内部を飾る精巧な彫刻です。
作者は、のち名工とうたわれた安房国千倉(現在の千葉県)の彫刻師後藤利兵衛橘義光です。
当時、二十代の若さであったといわれています。
彫刻に要した費用は、総建築費の約七分の一にものぼる四百十一両余でした。
奉行所が置かれ、回船問屋が軒を連ねていた隆盛期の浦賀であったからこそできたことと思われます。
社殿の裏山には、文覚畑と呼ばれている所があり、文覚上人の庵室の跡と伝えられています。
また、社殿の右手下に「明治天皇駐輦跡」があります。
これは、明治十四年五月十八日に明治天皇が観音崎砲台建設の様子を御覧になられた際、
当時この場所にあった浦賀西岸学校の二階の一室に御休息されたのを記念して建てられた碑です。
横須賀市の浦賀港にある2社の叶神社の1社、西岸にある神社です。正式名称はどちらも叶神社です。
こちらは神社の周囲に家々が立ち並び、鳥居が海に面して立地しているわけではありませんでした。
現在の社殿は天保13年(1842)に再建されたものです。
後藤利兵衛という安房国の彫刻師の若い頃の作品で、後に幕府の彫刻師として雇われました。
拝殿の格天井の彫刻は花鳥ですが、まだ当時の日本には伝来していないとされるものも彫られています。
西叶神社の勾玉を東叶神社の守り袋に納めると、さまざまな御利益があるそうです。