縣居神社

Last-modified: 2013-10-05 (土) 15:55:19
 

縣居神社
あがたいじんじゃ
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(参拝日:平成25年2月9日)
住所:静岡県浜松市中区東伊場1-22-1mapionlogo.gif
主祭神:賀茂真淵大人命
社格:県社
主な祭礼:3月4日(生誕祭)、4月第1日曜日(勧学祭)

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↑一の鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
当神社の創立は天保十年、御祭神の崇拝者である浜松藩主水野忠邦公を始め、高林方郎其の他の人々が東西に奔走して、
現在の東伊場町賀茂神社の境内に勧請し奉ってからであります。
即ち天保四年九月四日水野忠邦より「縣居翁霊社」の碑文と「天保癸巳八月末学領主侍従源朝臣忠邦」の裏書を得て、
天保六年一二月二九日に建碑を終り、同十年三月二十二日高林方郎祝詞を奏上して、御遷座の儀を終えました。
その後門人孫門人機会ある毎に、社前に額づき献詠よくその誠を披瀝したのであります。

明治十六年正四位を賜わり、越えて十七年四月二十二日縣居神社と改称せられ、明治三十八年従三位を贈られるや、
近郷在住の者は言うに及ばず、全国の老若男女の社参絶えることなく、報賽の誠をいたしたのであります。

大正四年 大正天皇の御大典に際して有志者相謀り縣社(旧社格)昇格の出願を計画し、
先ず同七年十一月二七日独立移転の許可をえ市有地一千余坪の寄附を受けて社地にあて、
同九年三月二十一日に独立仮移転、更に県下の有志者及び小中学校生徒の零細な浄財をもって造営の工を起し、
大正十三年十月二十八日に工事完成して、賀茂神社境内に「縣居神社遺趾」の碑を残して、
遷座祭を斎行したのであります。

昭和三年十一月二日多年の希望が達成して縣社に列せられ、同十日神饌幣帛料供進社に指定されました。
しかし残念ながら、この御社殿は戦災により焼失致しました。
戦後三十八年を経て漸く御造営に着手し、全県下の神社の協賛を得て昭和五十九年四月十五日、
現在の御社殿に遷座されたのであります。

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↑鳥居・拝殿↑
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↑拝殿↑
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↑賀茂真淵記念館↑
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↑燈籠坂↑
(以下、余談)
東海道・国道257号線から分岐する雄踏街道から坂道を上がったところに建つ神社です。
街道沿いにある元の鎮座地は、賀茂神社の境内となっており、整備されています。

坂道を上がって縣居神社に着くと、隣に賀茂真淵記念館がありました。
恥ずかしながら、賀茂真淵という人を詳しく知らなかったのですが、江戸時代の国学四大人のひとりとされ、
中国の儒学が幕府の官学とされていた時代に、国学を樹立したそうです。門下生に本居宣長がいます。

国学四大人はそれぞれ賀茂真淵(縣居神社)、荷田春満(東丸神社?)、
本居宣長(本居宣長ノ宮?)、平田篤胤(彌高神社)に祀られています。
あまり聞いたことがない人が多いですが、後の尊王攘夷・皇国史観の思想・文化に影響を与えたそうです。