賀茂神社

Last-modified: 2013-10-05 (土) 18:24:35
 

賀茂神社
かもじんじゃ
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(参拝日:平成25年6月16日)
住所:鳥取県倉吉市葵町586mapionlogo.gif
主祭神:別雷神
社格:郷社
主な祭礼:10月11日(例大祭)

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
成立年代不詳。
往古、山城国上賀茂神社の祭神を勧請したと伝えられる。
三大実録の貞観九年(八六七)四月八日の条に「伯耆国正六位上賀茂神授従五位下」とある。

現社地一帯と称し、山下一帯を神坂と言う、貞治(一三六二~一三六七)以後、山名氏が当地を領し、当神社を崇敬した。

神坂の当方に神宮寺が存在し七堂伽藍がそびえ神官僧侶がともに執務したが兵火によって社殿寺院は焼失した。
(近くに駄経寺、小林寺など神宮寺の地名が残っている。)

天文年間(一五三二~一五五五)尼子晴久が再興、慶長年間(一五九六~一六一五)中村伯耆守が神坂の地七十二石を
社領として寄進し神宮寺も打吹山のふもとに建立した。

後中村氏断絶とともに衰微したが、元和三年(一六一七)池田光政が播磨国より伯耆因幡の領主となりその重臣、
伊木長門守が当地の地頭となり当神社を崇敬した。

寛永九年(一六三二)池田光政は備前に遷り、池田光仲が領主となり、下臣荒尾志摩守が当地の地頭となり
社領三十石を寄進した。

貞享四年(一六八七)地頭荒尾秀就が神輿を奉納し旧九月十一日に御幸を為す。(大名行列)
享保四年(一七一九)宗源宣旨により正一位を授けられた。明治維新の際、賀茂皇大神宮から賀茂神社に改称郷社となる。

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↑社殿↑
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↑神門↑
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↑夕顔の井戸↑
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↑稲荷社↑
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↑雷神・降臨のもみの木↑

(以下、余談)
白壁土蔵の町並みで知られる倉吉ですが、その近くに鎮座するのがこの神社です。
拝殿前にかかった出雲大社のような大きな注連縄が印象的です。

京都・上賀茂神社?の神霊を勧請したのが始まりです。
現在では鳥取県で初詣者が3番目に多く、毎年3万5千人以上が訪れています。

参道右側には「ほたるの里」の石碑がありました。
市街地にありながら、蛍が生育できるような豊富な自然が羨ましいですね。