前田利次

Last-modified: 2020-10-11 (日) 21:41:39

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生まれ

ふりがな、まえだとしつぐ
生没年1617年-1674年、初代富山藩主、通称淡路守、百塚侍従

どんな人?

前田利家の4男利常と徳川秀忠次女珠姫との間の次男幼名千勝丸。秀忠とおごうの孫です。つまり徳川家康と浅井長政のひ孫に当たる人物です。

おいたち年表

1617年0歳前田利常珠姫夫妻の次男として誕生!幼名千勝丸
1639年 23歳 父利常隠居により、10万石を分けられ初代富山藩主になる。また百塚に城を建設する許可を幕府から得るが金銭不足のため断念。富山城を借用する事にする(当時富山城は加賀藩のものであった) 
1645年 29歳 兄光高急死享年31。3歳の甥綱紀が加賀藩本家藩主になる 
1658年42 歳 父利常死去享年66。利常に代わり16才のおいの加賀藩主綱紀の後見となる  
1660年44 歳 弟利治死去享年43。またこの年今まで加賀藩から、借用していた富山城を加賀藩との領地交換により正式に居城とする  
1674年58 歳 飛騨との国境争いがおこり、事態打破の為に江戸登城したが、7月7日に江戸城内で突然倒れ発病し、同日そのまま死去。享年58。死因は中風と言われてる。7月20日に富山に遺体が帰ってくる。その後次男正甫は百塚に城を建設できなかった父利次の菩提を弔うため百塚が見渡せる長岡霊廟を建設した 

逸話

●富山藩主になってからは建設予定地の百塚に城を築けなかったり、洪水に度々合ったり。本家から要らない家臣を押しつけられたりして、借金地獄になるなど苦労が絶えなかった。そのため利常珠姫夫妻8人(3男、5女)の子供の中ではもっとも苦労した子供と言われている。また、早世が多かった前田利常球姫夫妻の息子の中ではもっとも長く生きた
●兄光高とは非常に仲が良く、大人になってからも二人で舟遊びするなど親密な関係だった。

関連のある人々

●男性、前田利常1593-1658(父)、千勝丸1642-1643(長男)、前田正甫1649-1706(次男)前田光高1615-1645(兄)、前田利治1618-1660(弟)、
●女性、珠姫1599-1622(母)、宗姫(正室)1626年-1648年、梅子(長女)1640年-1677年、亀鶴(姉)1613-1630、小暖1616-1617(姉)、満姫1620-1700(妹),富姫1621-1661(妹);夏姫1622-1623(妹)、

祐筆の人物批評

富山藩の基礎を築いた知られざる名君

祐筆

●一番手・・・歴史大好き人間