第七十三次世界大戦とは西暦4958年に起きた旧アマダレ自由国(以下、自由国と呼称)とアルブァナ帝国(以下、帝国と呼称)の戦争です。
事の発端
西暦4958年に旧ソビエト世界社会主義共和国連邦(以下、連邦)とメルダ民国との間で武力紛争が勃発しました。(いわゆる「メルダ紛争」)
紛争の直接的な原因は、西暦4958年、連邦の最高指導者がメルダ民国内の難民キャンプを視察中に何者かによって暗殺された事件にあります。
この報を受け、連邦の副指導者は即座に声明を発表。
暗殺はメルダ民国政府による周到に計画されたテロ行為であると断定し、
国民に報復を強く訴えました。そして、外交交渉の余地なく、連邦はメルダ民国に対し宣戦を布告しました。
宣戦布告後、連邦軍は圧倒的な兵力をもってメルダ民国へ侵攻を開始しました。
国境線では野砲、重砲、多連装ロケット砲による猛烈な準備砲火が数昼夜にわたり続けられ、
その後、航空部隊が主要都市やインフラ拠点に対し絨毯爆撃を敢行。
焦土と化した地上を、機械化歩兵大隊が次々と突破していきました。
連邦軍の猛攻の前にメルダ民国軍は組織的抵抗力を失い、首都は陥落しました。
しかし、首都制圧後、衝撃の事実が連邦内部からもたらされます。
最高指導者暗殺は、メルダ民国の陰謀などではなく、政権奪取を狙った連邦副指導者自身が画策した狂言だったのです。
この事実が暴露されると、連邦内は大混乱に陥り、副指導者は国家反逆及び戦争扇動の罪により逮捕されました。
副指導者の逮捕と戦争の真相露見により、メルダ紛争は突如として終結を迎えました。
欺瞞によって引き起こされた戦争の責任を認め、連邦新政府はメルダ民国に対し公式に謝罪。
莫大な賠償金の支払いと、焦土と化した国土の復興に全面的に協力することを約束しました。
しかし、この一連の事件は、地域大国である連邦の権威を著しく失墜させ、
国際社会に大きな力の真空を生み出しました。
そして、その混乱と弱体化を見逃さなかったのが、
かねてより領土的野心を抱いていた帝国です。
帝国はこの紛争の混乱を好機と見なし、長年対立関係にあったメディナ・アメリカ合衆国に対し正式に宣戦布告を行いました。
この動きは、ただの外交的緊張を超え、世界規模の破局を呼ぶ導火線となったのです。
しかし、宣戦布告を快く思わなかったのは国外だけでなく、帝国内では反戦デモが多発しました。そこで、帝国軍はデモ隊に向けて記憶処理用の弾薬を大量に発砲しました。しかし、その発砲もあり帝国各地で大規模な暴動が起きました。暴徒は警察署および刑務所を襲撃し、武器などを奪取しました。帝国の発電所の爆発で、大規模な停電が発生しました。
自由国はplanΧの実行を宣言しました。当初は、帝国とその同盟国の完全破壊を目標としていましたが、旧ソビエト世界社会主義共和国連邦(以下、連邦と呼称)外交官が自由国へ平和的解決を進言したことにより、その対象を狭めました。自由国は帝国の完全破壊を目標とし、同年8月10日午後5時の実行開始を宣言しました。
連邦軍の行動
連邦は、数十億の国民を宇宙船に乗せ、避難させました。(作戦「夜明け」)
残った一部の連邦軍が第二日本国を壊滅状態にさせました。また、帝国の現地で自爆を行い、大停電を起こしました。これにより、帝国の核兵器の修復は不可能となりました。
帝国の皇帝が民衆に殺害されても、連邦軍は構わず作戦「落日」を実行しました。
零式軍の行動
自由国の零式軍は第七十三次世界大戦と称し、planΨ-6を始めました。160師団をコディアック共和国に、250師団をメディナ・アメリカ合衆国に侵攻させました。
メディナ・アメリカ合衆国、メルダ民国を滅亡させました。
連邦軍が第二日本国を壊滅状態にさせ、防御力を失わせたところで50師団を送り、滅亡させました。
コディアック共和国の降伏を受け入れ、自由国の同盟国としました。
零式軍はZs-2675を使用し、帝国を滅亡させました。
被害
これにより、南アメリカ大陸、オーストラリア大陸及び周辺の島、日本列島が失われました。
インタビュー
連邦兵士A:
私は第16歩兵大隊の狙撃兵として従軍していました。 我々は主導者の仇を討つために、メルダの地へと足を踏み入れましたが、見渡す限りの砂漠と荒地でした。 狙撃ライフルのスコープで周りを偵察しましたが、赤い土と岩ばかりが目に写りました。 だけど装甲車が先行して進むと、メルダの兵士が仕掛けたであろう即席爆弾が炸裂し、土の中からメルダの殉教部隊が飛び出してくるのです。 私は狙撃兵なので、落ち着いて相手を撃ちましたが、メルダ兵たちの近くにいた兵士たちはまさに恐怖に襲われていたことでしょう
連邦兵士D:
俺はその時、ニコライと一緒にクソ暑い中、スコップで掘った穴の中で見張りをしていたよ。 ニコライからタバコを貰おうとしていた時に、メルダの殉教集団達が真正面から襲ってきたんだ。 その時は20人位だったか……俺はすかさず、相棒の重機銃をぶっぱなしてやった。 するとあっという間に奴さんたちがキャベツのように弾けていきやがった。 だが最後っ屁と言わんばかりに手榴弾を投げてきやがった。 俺は無事だったが、爆発でニコライの片目に破片が刺さって、失明してしまったよ……だけど、アイツは言ってた。 「片目だけで済んでラッキーだった、命あるだけまだマシさ」
メルダ民兵C:
共和国連邦の主導者が死んでしまわれた時、これは大変な事になったとみんな思いました。 そして案の定、連邦の大軍が侵攻してきたのです。 我々も、メルダの地を守るために武器を持ちました。 我々は砂漠の民でありますので、ゲリラ戦は得意でした。 ある時、連邦の補給部隊を攻撃しました。 最前列の装甲車にロケット砲を撃ち込み、燃え上がった装甲車により身動きがとれなくなった補給部隊のトラックをAKなどで撃破し、壊滅させました。 私達は投降してきた連邦軍を捕虜にしていた所、私の足元に兵士が倒れていたのですが……その兵士はとても若かった…私の息子と同じくらいでしょうか…… その兵士は腹部を撃たれていたようで手の施しようがありませんでした……私は「何か言い残すことはないか?」と聞いたところ、ただ一言…「母さん」と……… 私は、とても悲しくて、しばらくその場で泣いていました
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