探査主任: 晴夜
探査期間: CE 4991/8/11 - CE 4991/8/25
使用機: AM-1
内容: 超規模移住が可能な惑星の探索
4991/8/11
宇宙船が静かに発進した。船体を軋ませることなく、ほとんど無音のまま大気圏を超えていく。 アマダレ自由国がこの日を迎えるまでに費やした時間は、決して短くない。 幾度もの議論、無数の犠牲、そして最後の戦争を経て、人々はようやく逃げることを選んだ。 私も、その中の一人だ。 この移民計画は、人類がこの星に見切りをつけた証であると同時に、 どこかにまだ希望があるのではないかという、愚かな願望の現れでもある。 船内のシステムは安定している。推進装置も冷却装置も完璧に動作しており、 農業ユニットでは初期段階の野菜培養がすでに始まっている。食料の備蓄も十分。 水は分子構造を再構築する装置によって生成されており、理論上は数十年分が確保可能とされている。 私たちに必要なのは、「戻る」という選択肢を捨てる覚悟だけ。 この船に、未来はあるのだろうか。 いや、私たちが創るしかないのだ。
4991/8/12
太陽系を離脱したという報告が、管制から届いた。 すでに冥王星の軌道は遥か彼方。銀色のパネル越しに見える星々の距離感はあやふやになっていく。 宇宙空間では、上下も左右も意味を成さない。座標と時間だけが、私たちの存在を証明する。 私はこの船において、「生存可能な惑星の選定と調査」という任務を与えられている。 長距離探査用の機器はすでに始動しており、観測衛星との連携によって複数の惑星候補がピックアップされた。 だが、数字上で生存可能と判断されることと、実際に人類が暮らせるかどうかは、全くの別問題だ。 皆、それぞれの役割を全うしようと努力している。エンジニアは熱交換装置の微調整を続け、 医師たちは宇宙酔いに苦しむ乗員に声をかけ、教師は子どもたちに「地球以外の生活とは何か」を説いている。 私は時折、過去を思い出す。 最終戦争が終わったのは、つい二日前のこと。 あの混乱の中で、彼女は生き延びただろうか。 避難信号を受信できなかったということは、連絡手段が断たれていたのか、それとも……。
思考を切り替えねば。 感情は、科学の敵だ。 しかしそれでも……あの子が寂しさを感じていないといいのだが。
4991/8/13
第一候補となる惑星を発見した。 アクス・ガンマ星系第三軌道上のこの惑星に名称はまだ付けられていない。 一時的に「対象001」と呼ぶことにした。地表は淡い青緑色で覆われており、 雲層の存在も確認された。赤外線による測定では、適度な熱源と回転速度があり、軌道も安定しているようだ。 だが、表層からの観測だけでは信用できない。かつて地球は辛うじて人類を生かしていた。 「生きられる」ことと「生きていい」ことには、決定的な差があるのである。 私はチェックリストを端末に表示しながら、項目を一つずつ潰していく。 ・安定した公転軌道 ・適正な質量と重力加速度 ・自転周期と昼夜の長さ ・気圧、気温、大気構成 ・水資源の有無と純度 ・火山活動と地殻構造 ・風向と大気循環の性質 さらに、惑星に「四元素」が存在していることも重要だ。 私たちは科学的合理主義に基づいて旅をしているが、 同時に、文化的な価値や神話的な希望を捨ててはいない。 調査は明日から本格化する。だがその前に、今夜は少しだけ、 過去のことを考えてもいいだろう。夢の中で彼女に会えたなら、 それだけで、今日は良い日だったと思えるかもしれない。
4991/8/14
今日は、彼女の誕生日だった。祝うためのケーキも、 プレゼントも用意できなかった。それ以前に、彼女が生きているかどうかも分からない。 それでも、私は端末にメッセージを打ち込み、通信装置を作動させた。
「誕生日、おめでとう。」
送信ボタンを押す。応答はない。 電波が届かないのか、あるいは誰にも読めないのか。 この時代、この距離、この空間では、生存確認すら困難だ。それでも、私は送った。 「対象001」の調査は進んでいる。地殻構造に異常はなく、磁場も安定しており、 有害な放射線も検出されていない。明日には、初の着陸調査が予定されている。準備は既に整っている。 「どうか、寂しくありませんように」 私の願いは、ただそれだけだ。
4991/8/15
連邦からの通信を受信した。 「メリークリスマス」 音声はやや乱れていたが、その中にクリスマスを祝う言葉が混じっていたのが印象的だった。 季節も時間もバラバラなはずのこの宇宙で、それは一種の奇跡のように響いた。 ヴェスナの民。かつて戦火を逃れた人々が、 今、連邦国家としてまとまり、安定した生活を手に入れているらしい。 彼女が昔、こんなことを言っていた。
「もし、連邦を見つけたらちゃんと教えてね。」
その言葉が、ずっと心の中に残っていた。 今日、私はその約束を果たす。通信ログの記録とともに、メッセージを送信した。
「連邦は、生きていたよ。」
探していたものが見つかるというのは、きっとこんな気持ちなのだろう。 それでも、まだ私にはやるべきことがある。
4991/8/16
降下装置が作動し、私は調査機とともに「対象001」の大気圏へと突入した。 外殻に熱が走る。計器は正常。酸素濃度は地球基準でおよそ八十二パーセント。 大気中に有害な浮遊粒子は散見されるが、初期の浄化装置で対処可能だと判断された。 着陸地点は赤道直下の平原。草原のような地形が広がっているが、 地球の草とは成分構造が大きく異なる。塩基配列の違いがそれを明らかにしてくれた。 足元に広がる未知の植物たち。しかしその色は、目に優しい灰緑色をしていて、 どこか既視感を覚えさせる。私はしばらく無言でその風景を見つめた。 この世界には、風があった。音があり、においがあり、重力があった。 当たり前だったはずのものが、今では有難いものになっている。 録音装置を起動し、私は一言だけ吹き込んだ。
「ここには、生きられるだけの静けさがある。」
4991/8/17
「対象001」の地下で奇妙な反応を観測した。地熱では説明できない熱源と、微弱な振動。 さらに、観測ドローンが地下層にて不明瞭な反射音を拾った。まるで何かが動いているような音だ。 無人探索ユニットを投入する準備を進めた後、私は自分の過去のデータベースを読み返してみた。 彼女と最後に話したのは、あの通信塔の裏だった。焼け焦げた空を見上げながら、彼女は笑って言った。
「こんなに燃えてるのに、星は見えるんだね。」
私は何も返さなかった。ただ彼女の目を見ていた。そこにはどんな未来が映っていただろうか。 宇宙に逃げた私たちは、未来を見ているのか、それともただ過去から逃げているのか。 この星の地下に眠る「何か」が、その答えを知っているとは思わないが、それでも、掘るしかないのだ。
4991/8/18
地下への探索を開始。第一層は粘性のある鉱物層で構成されており、 地球でいう「玄武岩」に近いが、そこに多量の硫化化合物が混ざっている。 人工的な構造はまだ見つかっていない。 ただ、一つ気になる点がある。 それは、岩盤の温度が異常に安定していること。 地熱による自然の揺らぎが見られないのだ。 まるで、何者かが「調整」を行っているかのように。 私は慎重に観測を続ける。何かが起きる前に。しかし大方予想はついている。
この惑星は、「生きている」。
ただ単に生物がいる、という意味ではない。 この星そのものが、自律的に私たちを観察しているのではないか。 船内に戻ると、旧地球の通信ログに彼女の名が残っているのを見つけた。 過去の記録。廃墟となった都市部で、彼女の姿を見たという証言が複数ある。 幻覚でも、誤報でも、構わない。生きていてくれ。それだけが、私を支えている。
4991/8/19
この星には、何かがいる。その予想は確信に変わりつつある。 地下から回収された物質に、構造的な規則性が見られた。 自然が作るにはあまりにも整った模様。金属でも鉱物でもない、それは「刻まれたもの」だった。 文明の痕跡か。あるいは、星そのものが知性を持っているのか。 いずれにせよ、私たちは境界線の上に立っている。 この星を「植民地」と見るか、「対話の対象」と見るかで未来は決まる。 私個人の判断では決められない。 だが、私個人の感情としては、この星を傷つけたいとは思わない。なぜか、そう思ってしまうのだ。 夜。自室にて、古い音源ファイルを再生する。 彼女が弾いていたピアノ。拙くて、リズムも一定ではない。しかし確かに、「生きている」音だった。 再生を止めた後の沈黙が、妙に長く感じた。
4991/8/20
報告書を提出した。「対象001は、条件付きで定住可能」と。 だがその後に、私はこう付け加えた。
「この天体は私たちを『見ている』。もしこの場所に降り立つならば、 私たちは『住まわせてもらう』という意識を持たねばならないだろう。」
この言葉を信じてくれる人がいるかどうかは私には分からないが、 それでも確信している。簡単には見えないだけだ。 ここには確かに存在している。文明ではなく、意思が。知性ではなく、気配が。 宇宙のどこかで誰かが待っている。 この天体も、そうなのかもしれない。 そして、彼女も。 私は、彼女が信じたものを、信じ続けている。 信じ続けられるうちは、生きていける。今はそれだけで十分だ。
4991/8/21
最終的な調査の結果、この惑星⸻新天地は、移住に適していると判断された。 大気は人間の呼吸に適し、土壌には農耕に必要な栄養素が含まれている。 気候変動も比較的安定しており、水資源も豊富だ。地下に眠る鉱物資源の存在も確認された。 文明の基盤となる全てが、ここには揃っている。 私はこの星に名を与えることにした。
『トイネン』。
古語で「再生」「第二の始まり」を意味する言葉だ。 私たちが失ったものすべてを、ここでもう一度取り戻すための名だ。 明日、いよいよ入植が始まる。民たちは希望に満ちた顔で荷造りをしている。 ここにいる全員が、新しい歴史の一歩を踏み出すための準備をしている。 だが、私は心の奥底にもうひとつの使命を抱えている。 それは私個人の、誰にも言ったことのない使命。 この旅が始まる前から、ずっと私の胸にあり続けた想い。 それについては、明日、記そう。
4991/8/22
今日、民たちは無事にトイネンへの移住を完了した。 広大な平原に設けられた仮設都市は、まるで一夜で生まれた命のように、 活気と熱気に包まれていた。子供たちは新しい土地に興奮し、大人たちはこの星に根を張る覚悟を静かに胸に秘めていた。 私は国の管理者に命じた。「この国を、繁栄させよ」と。 彼は即座にそれを了承し、口元に微笑みを浮かべてこう言った。 「ならばこの国には、この名が相応しい。アマダレ自由国、と。」 その瞬間、私たちはひとつの「国」となった。 星の上に、新たな旗が立った。 そして私は、ついに最後の使命を果たす時が来た。 それは、「彼女に会いに行く」ということ。 それだけが、私に残された唯一の使命。 この星に民を導く者として責任を果たした今、私は再び宇宙へと身を投じる。 向かう先は地球。 かつて私たちが住んでいた、サミダレ平和主義共和国連邦。
4991/8/23
本日より、地球への帰還が始まった。 共に帰る乗員は三百を超す。各分野の研究者や外交官、 あるいは再定住を希望した者たち。中には、地球の空気をもう一度吸いたいと言った老人もいた。 航行ルートは安全圏を通り、最短距離で帰還する設計になっている。 所要時間はおおよそ二日。順調にいけば、明後日には地球圏に突入するはずだ。 私が彼女に送った通信は、たった一言。
「帰る」
これで十分だ。 この想いを表すことができるほど、この世の言語はまだ発達していない。
4991/8/24
帰還の途上にある。今のところ、航行は極めて順調だ。 人工冬眠装置も安定して作動しており、同乗者たちは静かな眠りの中にいる。 しかし、宇宙という場所は、人知の及ばぬ何かを孕むものだ。 外部センサーが、時折微弱な信号を感知する。 宇宙ゴミか、あるいは未確認の物質か。 ありふれた誤作動で済むかもしれないが、 油断はできない。遭難の可能性がゼロになることはないのだ。 私は操縦席で、静かにモニターを見つめ続けていた。 そして、ふと願う。彼女が迎えに来てくれればいいのに、と。 勿論それは叶わぬ夢だ。 だが、この無音の宇宙はそんな夢すらも許すほどに広大で、寛容である。
4991/8/25
ようやく、地球がその輪郭を現した。 蒼く、美しく、そして懐かしい星。私たちがかつて生き、争い、愛し、別れた故郷。 このまま無事に帰れるかはまだ分からない。最後まで気は抜けない。何が起こるか分からないのが宇宙だ。 だが私は決めている。 必ず、彼女に会う。 たとえ遭難したとしても。 どんな形であれ、どんなに傷ついても、帰る。 あの言葉を、直接伝えるために。 「ただいま」と。
4991/8/26
我々は地球への帰還を果たした。 しかし、それが完全な成功であるとは、とてもではないが言い難い。 大気圏突入時に姿勢制御装置が故障し、着陸は想定を遥かに超えた衝撃を伴った。 機体は軌道を外れ、地上へ叩きつけられるようにして墜落。結果として、宇宙船は再起不能となった。 そして、ここはシベリア。 極寒の大地。周囲は雪と氷に閉ざされ、 通信も途絶えた。救援部隊が到着するまでには、最低でも数日はかかる見込みだ。 まず考えるべきは体温の維持。 幸い、救命装置の一部が稼働しており、非常用のヒーターと毛布は確保できた。 だが、それだけでは限界がある。自然の中で生き抜く覚悟が必要になる。……と、その時。 壊れたラジオから、雑音交じりの声が聞こえてきた。 「シベリアはいいなぁー!この冷たい空気!たまらん!」 ……何だ。 明らかにこちらの声ではない。地元の人間か。それとも別の生存者か。 「……ん?何かあるな。宇宙船?ボロボロじゃないか。……誰かいる? まさか、帰ってきたのか?」 その声は、まるで独り言のように続いた。だが、明らかにこちらに向けられている。 「とりあえず、連絡だ。」 外部との接触の可能性。それだけで、この冷たい空の下に、わずかな希望の光が差し込んだ気がした。
4991/8/27
生きるために、私はシベリアの凍った海へ向かった。 幸いにも一部の氷が薄く、開けた水面を見つけることができた。 釣り糸を垂らし、簡易的な道具で魚を釣った。 炙って食べてみた。 雪の上で、手のひらで温めながら、じっくり焼いたそれは、 今まで食べたどの料理よりも美味しかった。飢えと寒さ、 極限状態の中での一口。その温もりと脂の旨味が、体の隅々まで沁み渡った。 彼女にも、この味を伝えたい。あの日、彼女が作ってくれたスープの味を、ふと思い出す。 再会の時、話すことは山ほどあるだろうが、まずは、この魚の味から語ってもいいかもしれない。
4991/8/28
今日は、宇宙船の周囲を探索した。 白い森を抜けて歩くこと数キロ。そこで、私は驚くべきものを見つけた。 二十世紀のロシア建築。レンガ造りの廃墟、 錆びた鉄扉、崩れかけた階段。そのすべてが、 時間の中で風化しながらも確かに残っていた。 中には、古い日記のようなものもあった。 読解はできないが、確かに人がここに生きた証が刻まれている。 人は何度でも、この地に戻ってくるのだろうか。 たとえ時代が違っても、たとえ星を越えても。 静かに宇宙船へ戻ると、空には北極星が輝いていた。 今夜は、ぐっすり眠れそうだ。
4991/8/29
今日、ふと気づいた。 これは遭難ではない。旅行であると。 そう考えると、なんだか全てが楽しくなってきた。 シベリアの寒さも、雪の中での食事も、 過去の遺構との出会いも、すべてが旅の思い出になっていく。 もちろん命の危険はあるし、極限状況であることに変わりはない。 ただ、人の心は状況によってではなく「解釈」によって動かされる。 ポジティブな思考こそが、私たちを前へ進ませる。 この雪の中にも、未来へ続く道がある。 そう信じて、明日も歩こう。
4991/8/30
救援部隊が到着した。 雪煙を巻き上げて現れたのは、多脚式の探査機と輸送ヘリ。 私たちはその光を見た瞬間、誰からともなく歓声を上げた。 再び、文明の手が私たちに届いた瞬間だった。 救助隊員は私の肩を叩き、「よく生きていた」と笑った。 こうして、私の長い旅は終わった。 これにて、『帰還日記』は幕を閉じる。 もしかしたら、後日談を書くことがあるかもしれないが、これが最後の記録になるだろう。 ……ふと、視線の隅に動く影があった。 一人の男がいた。 灰色の毛皮を纏い、雪の中からロケットの残骸を拾い上げている。 彼はそれをじっと見つめ、何も言わず、 そのまま、どこかへと消えていった。 まるで、物語の「続きを待つ者」のように。
4991/9/30
彼女との再会を果たした。 帰還から一ヶ月。検査や隔離期間、報告書の作成、尋問のような聴取、 あらゆる手続きが終わった後、私はついに彼女のもとへ向かった。 待ち合わせ場所は、あの頃と変わらない首都駅前の噴水広場。 彼女は、そこに立っていた。変わらぬ姿で。 風に揺れる長い髪。優しくも少し照れくさそうな微笑み。 「……おかえり。」 その一言だけで、全てが報われた気がした。 あの旅が、全てこの瞬間のためだったのだと。 言葉よりも先に、私は彼女を抱きしめた。 まるで、宇宙の果てからようやく辿り着いた真の重力に触れたように。
4991/11/11
惑星トイネンとの通信に成功した。長距離通信システムが調整され、 アマダレ自由国のリーダーと定期的に連絡が取れるようになった。 彼はかつての部下であり、今では一国の主。 画面越しに見る彼の姿は、責任と誇りに満ちていた。 「この国は、あなたが蒔いた種から芽吹いたものです。」 「今では学校もあり、芸術も芽生えています。」 私は彼に伝えた。「私は今、地球にいるが、心の一部はそちらにある」と。 彼はうなずき、穏やかな表情でこう答えた。 「私たちは、あなたの背中を見てきました。だから、これからも進みます。」 宇宙は広い。だが、思いは距離を超える。 そう信じられる通信だった。
4991/12/25
あの日、出発の日から、四ヶ月が経った。 いま私は、普通の生活を取り戻している。 クリスマスの今日は、街がイルミネーションで彩られ、 広場の中央には巨大なクリスマスツリーが立ち、 子どもたちは歌を歌い、大人たちは笑い合っている。 私は、ただそれを眺めていた。 平和とは、こういう風景を言うのだろう。 パーティーの後、彼女に呼び出された。 二人きりの時間。少しだけ緊張する。 彼女は小さな箱を差し出した。 「……これ、あなたに。」 開けると、中には何も入っていなかった。 ……いや、そう見えただけだ。 その瞬間、彼女が静かに言った。 「わたし自身を、あなたにあげる。」 それは、プレゼントだった。 ラッピングされた思い出ではなく、 これから共に紡いでいく未来の象徴。 私は箱を閉じて、彼女の手を取った。 「じゃあ、これはずっと大事に持ってる。」 クリスマスの夜空に、雪が舞った。 かつて旅した星々よりも、この瞬間が、 どこよりも輝いていた。
VE 5005/0/15 記録者:あまだれ
彼は、コールドスリープに入った。 目覚めるのは、およそ千二百年後。 彼の願いはただ一つ。新たな人類の姿を見届けること。 地球は今、平和と秩序を保っているが、 技術の進歩はとうに限界を迎えた。 彼は、それを超えた存在を、自分の目で確かめたかったんだと思う。 別れの言葉は、少なかった。 「また、会おう」。それだけで、十分だった。 私も、不老不死であるこの身が、彼と再会することを信じている。 スリープポッドの中で静かに眠る彼の顔は、まるで少年のようだったな。 私はそのガラス越しに手を当て、微笑んだ。 「千二百年なんて、きっとあっという間だよ。」 世界は変わる。人も、言葉も、文化も、記憶も。 けれど、私たちの約束だけは変わらない。 今日から私は、彼の眠りを守る者となることにした。 歴史を見届けながら、文明の揺らぎを感じながら、 彼が目覚めるその日まで、独り…いや、仲間と共に生きていく。 彼が目を開けたとき、世界がどれほど美しくなっているか。 その日を想像するだけで、胸が熱くなるな。 これは終わりなんかじゃない。 長い旅の、ほんの一瞬の幕間。 また、彼に会える。 それだけが、今の私の救いなんだ。
VE 6205/3/0 記録者:晴夜
ゆっくりと瞼を持ち上げると、見慣れない光が差し込んできた。 冷却液が引いていく音、遠ざかっていく心音のモニター音。 私は、生きている。 コールドスリープポッドの扉が開くと、まず感じたのは、空気の柔らかさだった。 懐かしさと、未知が混ざったような匂い。 誰かがそっと手を差し伸べてくる。 彼女ではなかったが、どこか彼女に似た面影のある、若い女性だった。 「おかえりなさい、旧世代の方。」 その言葉に、私は微笑んで応えた。 ここが、千二百年後の地球。 私は想像していた。天を貫くビル群、宙を舞う交通網、 脳波で動く装置、完全なるAI管理社会。そんなSFで見たような未来を。 だが現実は違った。彼らの服装は、二十世紀のものに似ていた。都市の姿も、近未来ではない。 だが不思議と「温かい」。無機質さではなく、手触りのある美しさがそこにあった。 一見、過去に戻ったような生活。 けれど話を聞けば、彼らは重力操作技術を持ち、 光通信を超えた意思伝達法を使い、生死さえ自在に操る医療技術を手にしていた。 つまりこれは過去の形をしながら、未来の核を持つ、新たな人類の姿だったのだ。 私は理解した。 未来とは、ただ先鋭的であれば良いというわけではない。 彼らはきっと一回転して、優しさや、土の匂いや、手作りの温もりに戻ってきたのだろう。 これもまた、ひとつの進化か。 私は心の中で、そう呟いた。 そして、
彼女に会いたいと、強く思った。
