深久デハ1形電車

Last-modified: 2023-01-25 (水) 12:35:46

深久デハ1形電車(しんくデハ1がたでんしゃ)は、かつて深久鉄道に在籍した電車。
1924年(大正13年)に新製された深久初の電車である。

深久デハ1形電車(黒土田鉄道博物館)
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目次

1 概要
2 車体
3 主要機器

基本情報

製造所   :東涼車輌製造
       (現 涼城車輛)
製造年   :1924年 - 1925年

主要諸元

軌間    :1,067mm
電気方式  :直流1,500V
       (架空電車線方式)
最高運転速度:75 km/h

概要

1924年(大正13年)3月15日の深草線千住町 - 浅間堀(現 浅間)駅間電化完成に伴い、全9両(デハ1 - 9)が導入されたのが本形式である。
全車とも両運転台の電動車であり、製造は東涼車輛製造で行われた。

車体

16m級の木造ダブルルーフ車体で、車体塗装茶色一色塗である。
前面形状は切妻構造で、前面窓を5枚備える。5枚窓のうち左右両端には行先表示窓が設置されているのが特徴である。
乗務員扉は設置されていない。客用扉下部にはステップが設置されており、当該部分および客用扉引き込み部分の車体裾が一段下がった形状となっている。
車内乗務員スペースはHポールによって仕切られており、運転台は中央部に設置されている。

主要機器

当時の国産メーカーの技術が未熟であったこともあり、主要機器は輸入品で占められている。

当初連結器は、簡易型連結器を採用し緩衝器(バッファー)を併用していたが、比較的早期に通常の自動連結器へ交換され、移行増備された車両と統一された。

導入後の変遷

電装解除による制御車化

前述のように全車電動車として竣工した本形式だが、デハ7 - 9の3両は早期から制御車代用として運用されていた。
1926年(昭和元年)には同3両を正式に電装解除して電装品をデハ2形に提供し、クハ1形1 - 3と改番された。

地方私鉄への供出

戦災による被災車両は1両も発生しなかった本形式だったが、1947年(昭和22年)から1948年(昭和23年)にかけてデハ4,5の2両が地方私鉄に譲渡された。
これは国鉄63系割り当て車導入の見返りとして、保有車両の地方私鉄への供出を運輸省より指示されたことによるもので、2両とも片毛鉄道に譲渡されている。

大改番による形式再編以降

1950年(昭和25年)に施工された大改番によって、デハ1形がモハ1100形、クハ1形がクハ110形にそれぞれ改称・改番された。

  • デハ1 → モハ1101
  • デハ2 → モハ1102
  • デハ3 → モハ1103
  • デハ6 → モハ1104
  • クハ1 → クハ111
  • クハ2 → クハ112
  • クハ3 → クハ113

モハ1104(デハ6)の動向

本形式で最後まで電車として残存したモハ1104は、戦後は機関車代用として貨物列車牽引に用いられた後、1968年に真久車両製造所の入替車として転用された。
その際、外板の老朽化が著しかった事から、車体外板に鋼板を貼り付け簡易鋼体化が施工された。
こうして外板に鋼板を打ち付けた以外は大きな改造はされず、製造当初の状態をほぼ保ったまま25年余にわたって入替用途に専従したモハ1104は、
深久鉄道初の電車であるという貴重性が評価され、深久鉄道創立80周年記念事業として開園した黒土田鉄道博物館への保存展示が決定し、
1990年(平成2年)に除籍されて、66年に及ぶ車歴を終えた。

現在は深久鉄道創立100周年記念事業として本社社屋隣へ1998年に開園する、深久鉄道記念館?へ移設されることも予定されている。