ソ連

Last-modified: 2021-01-13 (水) 08:52:01

編集中の為異なる情報があります

概要

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Урааааааа!!
ソビエト連邦(現ロシア連邦)海軍である。
基本的にソ連で建造された船が多いが、一部にはロシア帝国時代のものも含まれている。
二次大戦中は駆逐艦、巡洋艦を中心としており、航空母艦や戦艦は計画のみであるものも多いためゲームでもその特色が出ている

公式説明

使用可能艦種:巡洋艦

詳しい特徴:
▪ 射程が長く、安全な距離から正確な砲撃を放てる
▪ 装填速度は速く、搭載した無数の砲により敵に集中砲火を浴びせることができる
▪ 魚雷は射程が短いものの、雷速が速いため近距離での戦闘にも対応することが可能

通常艦

(駆逐艦は追加を想定してPCのを記載)

 

ソ連編集より行単位で編集可能
icon_DD.png 駆逐艦icon_CA.png 巡洋艦icon_BB.png 戦艦icon_CV.png 航空母艦

プレミアム艦艇

 
icon_DD_P.png 駆逐艦icon_CA_P.png 巡洋艦icon_BB_P.png 戦艦icon_CV_P.png 航空母艦
リスト
Tier艦種名称価格(ゴールド)備考
3巡洋艦オーロラ事前登録特典
5駆逐艦オホトニク2018年2月、バンドル販売
5巡洋艦クラースヌィイ・クルィーム2018年2月23日旧ソ祖国防衛記念日、補給箱報酬
同3月上旬、バンドル販売
6巡洋艦モトロフ6800G

傾向と特徴

駆逐艦ツリー

バージョン1.2でソ連駆逐艦ツリーが実装された。

巡洋艦ツリー

船体が巨大で他国よりも一回り大きく、Tierティア10のモスクワに至ってはアイオワ級並の大きさがある。
その影響もあり隠蔽性も旋回性も悪い。
船体がでかいため当たりやすく、バイタル範囲は艦の大きさに比例して広い。
主砲について口径小さく一発一発は弱いが、弾速、発射レート、砲塔旋回、射程、いずれも高性能で強力。。
余談ではあるが、測距儀がデカい

史実

編集中

ピョートル1世によるロシア海軍創設

ピョートル1世によるロシア海軍創設
ソ連の母体となったロシアは当初内陸国だったので元々は海軍を保有していなかった。
そのロシアに海軍が整備されていったのは、ピョートル1世(在位1682年-1725年)の政策によるところが大きい。


ロシア海軍創設
17世紀末、ピョートル1世は、陸軍のみでのアゾフ海一帯(黒海の北東部の内海)の遠征成功は難しいと考えた。
そこでアゾフ海に注ぐドン川にガレー船などからなる海軍を創設し、ピョートル1世自らガレー船に乗り込みアゾフ海遠征を行った。
その結果、アゾフ海の制海権をオスマン帝国から得た。
これが実質的なロシア海軍の起源となった。


バルチック艦隊の起源
18世紀初頭の大北方戦争中、ピョートル1世は、フィンランド湾最奥部のペテルブルク(現サンクトペテルブルク)と、その北西約30kmのクロンシュタット(コトリン島東部)を得て海軍を編成しスウェーデン海軍を撃破した。
これがバルチック艦隊の起源となった。


カスピ海小艦隊
1722年、ピョートル1世の勅命によりカスピ海に海軍が創設された。
規模は小さいながら、カスピ海はペルシア(現イラン)との国境でもあることから、この小艦隊は幾度かペルシアなどと交戦した。
近年はこの地域に油田があることもあり、カスピ海小艦隊はこの地域の安全保障上の重要な要素となっている。
また、シリアとイラクにまたがる領域を当時実効支配していたテロ組織ISに対して、2015年、カスピ海の巡洋艦からミサイル攻撃を行なっている。

黒海艦隊とクリミア戦争

黒海艦隊とクリミア戦争

クリミア・ハン国併合、黒海艦隊設立
1783年、エカチェリーナ2世はクリミア・ハン国を併合し、クリミア半島を得た。
黒海の制海権の要となるべきクリミア半島と半島南西部のセヴァストポリ港を得たことはロシアの地中海進出や南下政策にとって計り知れない意義を持つものだった。
ポチョムキン=タヴリーチェスキー公爵は、勅命によりクリミア半島とウクライナの黒海沿岸部分の統治を進めた。
それとともに、クリミア半島南西部の軍港都市セヴァストポリを要塞化し、黒海艦隊を設立した。
東ローマ帝国の後継者を自認するロシアにとって、軍港セヴァストポリ要塞と黒海艦隊は、オスマン帝国を破りコンスタンチノープル及びローマ帝国を再建する野望のための布石だったとも言われている。
だが、それを抜きにしても黒海から地中海へ進出する拠点としてのセヴァストポリと軍事力としての黒海艦隊は、ロシアにとって非常に重要な意味を持つものであった。


クリミア戦争
黒海を挟んで北方のロシアと南方のオスマン帝国とは、16世紀から第一次世界大戦に至るまで、幾度となく戦争を行なっている。
これらを露土戦争といい、個別には第○次露土戦争という。
その中で1853年~1856年の露土戦争は特に有名で、クリミア戦争として知られている。
この戦争で、ロシアはオスマン帝国の他に英仏伊とも黒海やクリミア半島で戦った。
この戦争は工業化後進国ロシアが敗北した。1856年、黒海は非武装地域と定められ黒海艦隊は武装解除された。
1871年ロシア黒海艦隊の再武装が認められた。しかし黒海艦隊が地中海へ出ることは許されなかった。
黒海艦隊はいつか地中海への進出を夢見てクリミア戦争で壊滅した軍備を再建していくことになった。

極東のロシア海軍と日露戦争

極東のロシア海軍と日露戦争
シベリア小艦隊
江戸時代末期頃の極東ロシア海軍戦力はシベリア小艦隊などと呼ばれている。
カムチャッカ半島を拠点としており規模は極めてささやかなものであった。
原住民対策、輸送、未開地の探索などが彼らの主な役割であった。


プチャーチン遣日全権使節
そんな頃、米国のペリー艦隊が日本を開国させるために日本へ向かっているとの情報がロシアの知るところとなった。
米国に遅れをとるまいと、皇帝ニコライ1世はプチャーチン中将に4隻の艦隊を与え、日本と交易開始及び国境確定の交渉のため本国から日本に向かわせた。
プチャーチンはシーボルトとも親交があり知日家であった。


極東のクリミア戦争
さてペリーの黒船来航に日本が揺れていた頃、ロシアはクリミア戦争でイギリスやフランスと戦争中であった。
むろん、極東でもロシアは英仏と戦争状態である。実際には英仏連合の艦隊がカムチャッカ攻撃を目指して北上の動きを見せた(1854年)。
ちょうどその頃プチャーチンの4隻の艦隊も日本近海に到達した頃であった。
プチャーチンは艦隊をその防衛にまわすこととし、自身は別の船ディアナ号で江戸幕府との交渉に向かった。
カムチャッカではプチャーチン艦隊の増援を得てもなお英仏に対して劣勢だったが、懸命に防戦し英仏艦隊の撃退に成功している(ペトロパブロフスク包囲戦)。


日露和親条約、ヘダ号
プチャーチンは江戸幕府との交渉ではペリーのような威圧的な交渉テクニックは使わず、信義と礼節により友好的に信頼関係を築く道を選んだ。
滞在した下田では安政東海地震に遭い、大津波によりディアナ号が大破、ロシア使節団に死傷者がでた。
ロシア使節団は自身が被災者でありながらも、津波にさらわれ漂流した日本人を救助したり、医師らを派遣し被災住民の救護活動をおこなっている。
津波で自力航行不能となったディアナ号は修理のため戸田村(現沼津市)へ曳航中に波浪等ではかなく沈没した。
その様子を目撃した沿岸の住民は総出でディアナ号乗組員全員を救助した。
この出来事はロシア使節団側の航海誌に感謝の言葉とともに記録が残されている。
このようなことが積み重なりロシア使節団と幕府側や付近住民との友情は育まれていった。
また川路聖謨とプチャーチンは厳しい交渉の過程で互いに認め合い尊敬し合うようになっていった。
日露和親条約(日魯通好条約)はこのようにして締結されたのである。
なお、条約には日露の択捉島と得撫島の間を国境とすることで合意している。
これは現在の日本の北方領土主張の根拠の一つになっている。
ディアナ号を失ったプチャーチンは帰るための洋式帆船を戸田村の大工に建造してもらい、洋式船の建造技術を日本に伝えている。
プチャーチンは日本人の造った洋式帆船「ヘダ号」に乗って帰っていった。

太平洋艦隊
1860年ロシアは沿海州を清国に割譲させてウラジオストクを手に入れた。
これによりロシアは極東に本格的な最新鋭の艦隊戦力を駐留させることが可能になった。
さらに1897年には旅順港を手に入れ、ウラジオストクとともに極東の海軍戦力の二大拠点とした。
ロシア帝国はこれらの拠点に対してバルチック艦隊の一部を順次派遣し太平洋艦隊を組織していった。

新興国日本の台頭
一方、極東では日本が近代化と富国強兵政策を推進し、連合艦隊が日清戦争で清国海軍を破るなど台頭し、急速に脅威を増していた。
また、ロシアは極東を南下する政策、日本は朝鮮半島から大陸への進出を志向しており、両国の衝突は必然だった。
そして三国干渉、日英同盟もあって日露関係は急速に悪化していった。

日露戦争
日露戦争は遼東半島と満州の権益をめぐる争いなので、日露の陸軍による旅順要塞攻防と奉天会戦が最終的な決め手となった。
一方、日本と朝鮮半島との平坦の確保が日本の勝敗の帰趨を決めることから、対馬海峡をはじめとする制海権の確保と維持が重要だった。
そういった意味で、黄海海戦、日本海海戦に代表される日露双方の海軍の勝敗の重要性で特徴ある戦争だったといえる。
日本はこの戦争で、ロシアほどの強国と陸海軍のどちらでも互角以上に戦える国力を持っていることを国際社会に証明し、世界を驚嘆せしめた。
一方で、ロシアは太平洋艦隊とバルチック艦隊の相当な戦力を喪失することになった。
しかし、ポーツマス講和条約によって、ロシアの南下政策の南限と日本の大陸進出の北限を定めて合意できたことから、戦後の日露関係は好転した。

 
World War I、革命、内戦

World War I、革命、内戦
戦艦ポチョムキンと巡洋艦オチャーコフでの叛乱
日露戦争中の1905年1月に発生した血の日曜日事件を契機に、1907年頃に収束するまでロシア各地で暴動などが相次いだ。
ロシア海軍の黒海艦隊でも、1905年6月にセヴァストポリとオデッサで戦艦「ポチョムキン=タヴリーチェスキ公」で叛乱が発生し、同年11月にはセヴァストポリで建造途中のボガートィリ級防護巡洋艦「オチャーコフ」でも叛乱が発生した。

 

極東帰りの将校
日露戦争を経験した極東帰りの海軍将校たちは、戦後ロシア海軍の改革と再建に努力した。
ウラジオストク巡洋艦隊の司令官だったカールル・ペトローヴィチ・イェッセンは、敗戦の責を負って一旦左遷されたが、その後バルチック艦隊副司令官を務めた。
旅順艦隊の防護巡洋艦ノヴィークと戦艦セヴァストポリの艦長だったニコライ・フォン・エッセンは、イェッセンが退役した後の1909年にバルチック艦隊司令長官に就任し、艦隊の改革と再建に尽力した。
その後第一次世界大戦を指揮し、1915年に大戦の結末を見ることなく肺炎で急死した。
エッセンの後に防護巡洋艦ノヴィークの艦長を務めたマクシミリアン・フョードロヴィチ・フォン・シューリツは、戦後ペテルブルクに戻りバルチック艦隊での辞令を受ける予定だったが、セヴァストポリでのオチャーコフの叛乱により、急遽黒海艦隊へ転任し、叛乱後のオチャーコフやその他の艦船の動揺を沈め秩序を取り戻す任についた。
シューリツは黒海艦隊でいくつかの艦船の艦長を務めた後、バルチック艦隊司令長官エッセンに請われてバルチック艦隊に戻り、新設された機雷敷設艦分艦隊の司令として新兵たちを鍛え上げた。

 

シベリア小艦隊
1913年、シューリツは再び極東へ異動となり、シベリア小艦隊の司令長官となった。
日露戦争後、極東は引き続きウラジオストクを母港としていたが、艦隊の規模は元のシベリア小艦隊となっていた。ロシア中央で相次いだ暴動や叛乱の影響をうけて、この艦隊でも1907年に叛乱が起きていた。
シューリツは、第一次世界大戦直前に、この艦隊で砕氷船とともに北極海航路をとおってウラジオストクからアルハンゲリスクへ到達させる探検航海を成功させている。
第一次世界大戦でのシベリア小艦隊は、アジアのドイツ海軍と交戦したり、地中海へ派遣されたりしている。
1915年から1917年にかけて、北極海小艦隊設立のためにシベリア小艦隊の一部の艦船を派遣した。これは後の北方艦隊の原型となった。
1917年、二月革命により成立した暫定政府への忠誠の宣誓をシューリツは拒んだ。そのため彼は罷免され予備役となった。
シューリツはロシア内戦のどの勢力にも関わることなくLugaの街で独身のまま静かに慎ましく過ごしていたが、1919年に秘密警察に暗殺された。

 

第一次世界大戦
第一次世界大戦では、バルチック艦隊はドイツ海軍と、黒海艦隊はオスマン帝国海軍と対峙することになった。
バルチック艦隊の司令長官エッセンは積極策を志向していたが、陸軍が塹壕戦で長期膠着状態に陥ったことなどから、ロシア伝統の機雷敷設戦術を主とすることになった。
黒海では、オスマン帝国側にドイツ海軍の新鋭戦艦・巡洋艦が参入したことで苦戦したが、前弩級戦艦エフスターフィイや防護巡洋艦などが健闘し、弩級戦艦インペラトリッツァ・マリーヤ級戦艦の導入もあって盛り返した。

 

革命

 

ロシア内戦

 
ソ連海軍、World War II

ソ連海軍、World War II

冷戦時代

冷戦時代

ソ連崩壊、現在

ソ連崩壊、現在

余談

ゲーム開発をしているWG社はベラルーシ共和国(白ロシア共和国と呼ばれた旧ソ連邦構成国)が創業の地であり、同会社別ゲーム(戦車のWoTや飛行機のWoWP)の傾向から見るに多種多様な艦に乗れるだろう。
史実では海戦ではなく護衛や対地支援等の裏方仕事が大半だったため影が薄いがこれを機会に知っては如何だろうか。
ロシアなので海には長距離に渡って面しているが、緯度が高く北極海が中心なので、冬はもちろん年中凍り付いてしまうので、艦船は砕氷船のような分厚い氷を破壊しながら航行する船が多い。
参考:PC版WoWSwiki

情報提供

ソ連ツリーへの情報提供はこちら

感想

  • 個人的には装填早くて火力が高いので強い印象 -- 2018-01-23 (火) 21:19:10
    • Урааааааа!!! -- 同志ヴェールヌイ? 2018-01-23 (火) 21:29:41
  • PC版の情報は一旦非表示にしてます。編集する方はPC版の情報を参考、編集してBlitz版に適した情報にして下さい。 -- 管理人 2018-02-06 (火) 22:13:45
  • ハバロフスク、キエフが強い(♡_♡) -- _JP_Reirichan? 2019-07-04 (木) 22:53:22
  • インペラートラル・ニコライⅠのページまだ無かったか(´д`) -- 2019-10-24 (木) 10:54:07
  • ピョートルでランダム行ったら珍獣扱いされて殺される。体感オクチャブリスカヤレヴォリューツィヤの方が強(粛清 -- 2021-01-13 (水) 08:52:01