【ヨハン】

Last-modified: 2020-05-17 (日) 19:44:15

DQ7

現代【マーディラス】に住む【トゥーラ】弾きの青年。ツンツンした赤髪で性格はヤンチャで女好き。マーディラスの町にある家に師匠と二人で暮らしている。
DQ7内でも特に重要なイベントと関わりを持つ、見かけによらぬなかなかの重要人物。
英語版での名前はPS版ではJohann、3DS版ではCrispin(DS版DQ5の【アンディ】と同じ)。
 
師匠とは血縁が無いのだが家にある古びた日記には「託された」とあり、ヨハン本人は「森に捨てられていたところを拾ってもらった」と語っており、どちらが本当かは分からない。

性格

最初に現代マーディラスに訪れた時には真昼間から酒場で女性に囲まれながら酒を飲んでおり、「世界一の楽師さ。」と自己紹介するほどの自信家であるがそれに見合う実力もあり、周囲からも認められている。
【アイラ】加入後に再訪すると、師匠からトゥーラを弾くことを禁止され、女の家に転がり込んで不貞寝している。トゥーラ弾きなのに演奏禁止の罰を言い渡された原因は葬式の席でお祭りの曲を演奏するという暴挙に出たからとのこと。葬式用の曲の楽譜を貰っていたのに、面倒くさがって練習をしなかったことが原因らしい(この葬式の関係者も確認できるが、「ヨハンを見損なった」と憤慨している)。
(ただこれは後日、「亡くなったお爺さんが誰よりも祭り好きだったから祭りの曲で送り出したかった」からだという事が判明する)
 
ちなみに大会期間中ライバル視してくる奏者を歯牙にもかけない一方で、【主人公】のことは初対面時より“なかなか”の人物と評しており、人を見る目は確か。
また、師匠によるとヨハンは人前で恥をかくことを何よりも嫌う性格なのだが師匠に対する敬愛は一方でなく、恥をかいてでも師匠の言いつけの方を優先するほどである。

トゥーラ弾き大会にて

詳しくは【トゥーラ弾きの大会】を参照。
見事優勝したヨハンは報酬について聞かれると「ここまで育ててくれた師匠に楽をさせてやりたい」と頼むなど、意外と義理堅い性格であるようだ。
なお、大会後しばらくの間ヨハンがパーティに加わるのだが、ヨハンがパーティにいる間は【謎の神殿】等から過去に行けなくなってしまうので注意。

神復活の儀式とその後 

その後アイラとともに神の復活の儀式を行うが、その時のムービーは過去における【ジャン】【ライラ】のものとほぼ同じ。
儀式後はパーティメンバーと一緒に【エスタード島】にワープして来てしまい、当分の間マーディラスには帰らず島に滞在することに。
【フィッシュベル】の宴にも参加し、主人公たちが日常に戻った後は主に【グランエスタードの城下町】に滞在していた模様。ここでもトゥーラの腕前から住民から中々の評判を得ている。
その後もマーディラスにはまっすぐ帰らず、諸国をトゥーラを弾きつつ漫遊すべく【ボルカノ】の船に同乗、別天地へと旅立っていった。
 
その直後、世界中で複数の大陸が封印される異変が起こるのだが、彼は運よく封印されなかった地方に下船できた模様。つくづく運の良い男だ。
 
魔王を倒すまでは行方知れずになってしまうが、エンディングでは無事マーディラスへと帰ってきている。
師匠によれば、「魔物が逃げ出すくらい明るい音楽を奏でてやろう」と師匠を励ますなどしていたらしい。
トゥーラの演奏にも真剣に取り組むようになっており、精神的にも成長したようだ。

元ネタ考察

モデルは「ワルツ王」こと19世紀オーストリアの大作曲家ヨハン・シュトラウス2世だろうか。人物名だけではあまりピンとこなくても、彼の代表作『美しく青きドナウ』の旋律は誰もが耳にしたことがあろう。
他の有名曲には『春の声』『雷鳴と稲妻』があり、これらも曲名だけではピンとこなくとも、聴いてみれば多くの人が「あぁ、あの曲ね!」となるはずだ。
 
ヨーロッパ全土で爆発的な人気を誇り、当時の世論調査によると、オーストリア皇帝よりも人気者だったという。
「私の葬式には、ヨハンの指揮でワルツを演奏してくださいよ」という金持ち婆さんの遺言に応えて、その葬式の場で華やかな(=場違いな)自作のウィンナ・ワルツを指揮したこともある。
これは前述で紹介したヨハンの「葬式の席でお祭りの曲を演奏した」というエピソードに生かされている。
また、関係を持った女性は数知れないという無類の好色家であり、性病のせいで子供ができなかったとも噂された。仕舞いには「酒・女・歌」という曲まで作ってしまっている。
 
ドラクエ7における現代マーディラスは「音楽の国」と称される文化大国だが、オーストリアも同じく「音楽の国」と呼ばれており、多数の有名作曲家がこの国で生まれている。
ちなみに当時のオーストリア帝国は、サルデーニャ王国(現スペイン東部)との戦いに敗れて領土を喪失したり、プロイセン王国(現西ドイツ)に大敗して統一ドイツから締め出されたりして、「われらの帝国はもうおしまいだ」みたいな悲観的なムードに包まれがちだった。
そんな暗い世相の中でシュトラウス2世は、人々を元気づけようとワルツ『人生を楽しめ』など、明るく華やかな音楽を作曲し続けたのだ。
魔王の影に怯えるマーディラスにおいて魔物が逃げ出すような明るい音楽を奏でようと励ましたヨハンの行動もこれに通じるものがあるだろう。
 
なお、シュトラウス家は、多数の音楽家を輩出した、音楽界の名家。
同じ名前の父ヨハン・シュトラウス1世がその始祖である。彼もまた大作曲家であり「ワルツの父」と呼ばれるが、その二つ名の割に1世で最も有名な作品は「ラデツキー行進曲」である。もはやこの曲を知らぬ者はいない、というほど有名な曲だろう。