射水神社

Last-modified: 2013-10-05 (土) 15:17:35
 

射水神社
いみずじんじゃ
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(参拝日:平成25年1月6日)
住所:富山県高岡市古城1-1mapionlogo.gif
主祭神:瓊瓊杵尊
一宮:越中国一宮
社格:式内社(名神大社または小社)、国幣中社、別表神社
主な祭礼:4月23日(例祭)
webサイト:射水神社

いみずじんじゃ1.jpg
↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
創始は太古のことであり年代は詳かではないが、御祭神である二上神は光仁天皇宝亀十一年に従五位、
更に清和天皇貞観元年に正三位を賜わり、又「延喜式」神名帳では越中国三十四座の内唯一の名神大社である。

太古より越中文化発祥にゆかり深い大守護神として崇敬され、国土を守り文化の発揚と産業の発展に力された。
国司が越中に補任すれば、先ず参拝し国の安寧と五穀の豊穣を祈願された。

伝によれば養老年間、僧行基二上山麓に養老寺を建てこの神を祀り、二上権現と称した。
当時の領域は二上荘六十七ヶ村、社寺は二上全山に亘り、二十二万坪に達したと言われ、
越中全土の各戸より毎年初穂米一升奉納の制があり、盛大を極めた。

その後、承平・天慶年間及び天平年間の兵火などにより悉く烏有に帰し、衰類し社僧の宿坊に残るは三ヶ寺となった。

慶応年間、前田利長公社殿再建の上社領および一山を付し、藩の祈祷所として保護を受けた。
又、国内に命じて初穂米奉納の制を復活し明治維新まで続いた。
明治四年国幣中社に列格し、同八年、高岡城本丸跡の現在地に遷座され、
同三十三年六月高岡大火の折類焼、同三十五年復興。

特に昭和の御代、五十年4月には「日本書紀」に天武天皇三年(皇紀千三百三十五年)正月、
奉幣に興ったことが見えることより起算して鎮座千三百年式年大祭を斎行。畏きあたりより奉幣の栄に浴した。

また、平成十七年には、鎮座千三百三十年・遷座百三十年式年大祭を斎行し、
翌十八年には、拝殿を移設拡張するなどの式年大祭記念事業を行った。

現在の鎮座地である高岡古城公園は、慶長年間に前田利長公が高山右近の縄張り(設計)によって建てた
高岡城跡で、社殿は本丸跡にある。
廃城後は城郭、堀をそのまま残して、全国では珍しい水濠公園として市民の憩いの場となっている。

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↑拝殿↑
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↑紅梅↑
(以下、余談)
越中一宮を称する4社(射水神社気多神社高瀬神社雄山神社?)のひとつです。

高岡城址に鎮座する古社で、次々に参拝者が訪れていました。
駐車場が手狭なこともあり、市民会館前に停めきれないくらいでした。

古来、二上山麓に社殿がありました。養老年間に僧・行基が建てた養老寺に二上権現として祀ったのが始まりとされます。
かつては二上全山の約22万坪にもわたる広大な境内を有しましたが、2度の兵火により焼失しました。
明治8年に高岡城址の現在地へ遷座しています。

本丸跡に建つ神社ですので、雪化粧したお濠と石垣が印象的でした。